第41話 引退準備
期末試験が終わって、もうすぐ夏休みという七月のある日のこと。
俺たち生徒会は今、バタバタしていた。
「会長、この書類は俺がやっておきます」
「お願いしますね」
「会長、こっちの書類にサインをお願いします」
「ちょっと待ってください。先にこっちをやっておきたいので……」
「黒野さん、この会計のことなんですけど……」
「……ん? ああ、それはこっちの資料に……」
「会長! 罵ってください!」
「この豚野郎!」
「ありがとうございます!」
「おい、向井。バカなことやってないでさっさと仕事をしろ!」
「残念だけど、黒野。その仕事はもう終わってるよ」
ちっ! 変態だけど無駄に有能な奴だ。
だがまぁ、いい。
仕事が早く終わるのなら、今はありがたいからな。
俺も手を止めずに、次々へと書類を裁いていく。
すでに日は落ち始め、俺達を除いて校舎内に生徒の姿はいないだろうという時間になっても、誰も帰ろうとするどころか、作業をやめようとすらしなかった。
そんな俺達の様子を見て、次期生徒会候補たちが驚いている。
「あの……生徒会長……」
見かねたのか、次期生徒会長を負かされる予定の後輩が、恐る恐るといった様子で生徒会長に声を掛ける。
「はい? なんです?」
「…………」
作業する手を止めずに受け答えをする会長に気後れしたかのように言葉に詰まった彼だったが、やがて意を決したかのようにしっかりと会長を見つめて口を開いた。
「あの……、そろそろ下校時刻ですけど……。帰らない……んですか?」
ああ、そういえばそんな時間か……。
だがな、後輩たちよ。
そんなことで俺達が帰るわけは無いんだ。
俺の心中を代弁するかのように、会長がにこりと微笑む。
「私たちはもう少し作業をしていきます。貴方達だけ先にお帰りなさい」
「え? でも……」
後輩一同が戸惑ったようにお互いに顔を見合わせる中、向井が珍しく真面目な顔でこういった。
「俺たちはできるだけ早くこの仕事を片付けたい。でも、お前達はまだこの仕事になれてないから、俺たちにとっては帰って足手まといになるんだ。冷たい言い方かも知れないけどな。だから、お前たちは先に帰れって会長が言ってるんだよ。分かるか?」
後輩達は、お互いに顔を見合わせた後、おずおずと頷いてから、揃って『失礼します』と挨拶をして帰っていった。
そして彼らが帰って少ししたところで、唐突に美月が不機嫌そうな声で向井に命令する。
「向井……、正座」
「はい!」
美月の有無を言わさぬ雰囲気に、向井は素直に従う(もっとも向井は普段から美月の命令は絶対遵守だが)。
そして始まるのは説教……もとい、あれはもはや折檻と呼んでもいいくらいの内容だ。
「あなたは! なんで! 私のセリフを! とるんですか!」
「痛い! 痛い! でも気持ちいい!」
美月が一言発するたびに、向井の足を思いっきり踏みつけ、向井はそれを苦悶と恍惚の入り混じったような表情を浮かべながら受け入れている。
また始まった……。
この二人のやり取りは、俺たちが知り合って間もない頃から続けられていて、もはや日常の風景になっている。
俺は内心でため息をついた後、ぐりぐり踏みつけて邪悪な顔になっている美月と、踏まれて、もはや放送禁止コードにすら引っかかりそうな顔になっている向井に声を掛ける。
「二人とも……。いつまでも遊んでないでさっさと仕事を終わらせるぞ? 明日、あれやるんだろ?」
俺の言葉に、ぴたりと踏むのを止める美月と、踏まれるのを止められて少し残念そうな向井。
うん、とりあえず、向井。お前は少し自重しろ。
「そうでした。こんなことをしてる場合ではないです。向井、さっさと終わらせますよ」
「いえす・まむ!」
先ほどまで踏んだり踏まれたりしていたとは思えないほど、無駄にきびきびした動きで自分の席に戻った二人は、そのまま自分の作業に没頭し始めた。
そうしてそのまま作業を続けて、日が完全に暮れたころ。
「終わった~~~~~~~~っ!」
向井が両手を思いっきり伸ばしながら叫ぶ。
美月も両手を上にあげて伸びをし、俺も疲れた肩をぐりぐりと回す。
「すっかり遅くなってしまいましたね」
美月が窓の外を見ながらつぶやいていると……。
――ぐぎゅるるる……
誰かの腹の虫が盛大に騒いだ。
……はい、すいません。俺です。
少し恥ずかしくなりながら美月と向井を見てみると、二人はにやにやしながらこちらを見返していた。
「…………腹減ったし……、さっさと帰るか」
俺が誤魔化すように席を立つと、二人はにやにやしながらも頷いた。
くっ、不覚。
ともあれ、俺たちは職員室に鍵を返した後、揃って校門へと向かう。
「二人とも、乗っていかなくていいんですか?」
美月が迎えに来ていたリムジンの中からそう問いかけるが、向井が俺の肩に手をまわして首を振った。
「俺たちは少し寄り道してから帰るよ」
「そうですか……。では、また明日……」
「おう」
「また明日~」
静かに走りだしたリムジンを見送った後、俺たちは並んで歩く。
そして、しばらく歩いたところでラーメンの屋台を発見した俺たちは、食べていくことにした。
「へい、らっしゃい!」
威勢のいい主人の声を聴きながらメニューをざっと眺めた俺たちは、すぐにそれぞれの注文を伝えた。
「じゃあ、俺は豚骨ラーメン」
「それじゃあ、俺はにんにくラーメンチャーシュー抜きで!」
「へい、豚骨ラーメンとにんにくラーメンチャーシュー抜き……?」
主人が向井の注文を聞いて動きを止める。
「お客さん……、あんた……」
声を低くする主人に向かって、向井は両手を口の前で組んで肘をついた後、何故か重々しくこう言った。
「作るのなら早くしろ。でなければ……帰れ!」
主人は一瞬だけ「はっ」とした後、顔を伏せてぶつぶつと呟く。
「……逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ! ……やります! 僕が作ります!」
「…………」
「…………」
しばしの沈黙が流れた後、いきなり向井と主人が固く握手をした。
「なんなんだよ!」
そんな二人のやり取りに、ついついツッコミをしてしまう俺だった。
そんなこんなでラーメンを食べ終え後は、そのまま真っすぐに帰宅した。
◆◇◆
翌日、美月邸。
俺と美月、向井の三人は、これからここで行われる、「とあるイベント」のために部屋を飾り付けていた。
ちなみにこのイベントの参加者は、俺たち三人と、俺たちが引退した後の生徒会を引き継ぐことになる、生徒会役員「候補」の後輩三人だ。
だけど、その後輩三人はまだ来ていない。集合場所を学校に指定し、更には集合時間を遅めに伝えたためだ。
まぁ、彼らにとっては、いわゆるサプライズパーティーになるはずだ。
そうこうしているうちに準備が整い、折よく後輩三人もリムジンで美月邸に到着する。
『ふわぁ~……』
豪奢なつくりの家と、玄関にずらりと並んで待機する執事とメイドを見て、ぽかんとした表情を浮かべる彼らに、つい苦笑が漏れてしまう。
俺たちも、初めてこの家を訪れた時は似たような顔をしたものだ。
ともあれ、このままではいつまでもパーティーを始められないのもまた事実なので、俺は呆ける三人の背中を押して、パーティー会場となっている部屋へ案内した。
そして、三人が部屋に入った途端、クラッカーが盛大にならされ、思いっきり驚く三人。
そのまま訳が分からないという顔をする彼らに、俺が笑いをかみ殺しながら、状況を説明した。
「まぁ、つまりだな。お前たちが生徒会を引き継ぐにあたっての歓迎会と、期末テスト終了の打ち上げパーティーを一緒にしたようなものだと思ってくれ」
『は……はぁ…………』
いまだに、よく状況が呑み込めていない様子の彼らを無理やり部屋の中央に導いた俺は、グラス片手に、生徒会長――美月の挨拶を待つ。
「え~、こほん。それでは、私の挨拶から……。え~、本日はお日柄もよく………………」
言葉をとぎらせる美月を全員がきょとんとした顔で見つめる。
「……………えぇっと……、続きは何でしたっけ? ……まぁ、いいですよね! というわけで……かんぱ~い!」
いまいち締まらない完敗だったけど、まぁ俺たちらしくていいか。
そうしてぐだぐだなままパーティーは始まり、始めはきょとんとしていた後輩たちも徐々に楽しむ余裕が出てきたのか、料理にがっついたりしていた。
それを微笑ましく見ながら、向井がいつの模様に美月に踏まれて喜ぶのを見たり、この間の女装メイドの写真を見せようとした美月を必死に止めたりしながら、パーティーは進行していき、やがてお開きとなった。
『ありがとうございました!』
声をそろえてお礼を言った後、自分たちの家に戻っていく後輩たちを見送りながら、美月が寂しそうに呟いた。
「もうすぐ引退……ですね」
「そうだな……」
美月の言葉に頷くと、向井が明るく声を掛けてきた。
「寂しくなるけど仕方ないって。「時の流れは不可逆なればなり」ってね」
「向井……」
意外にまともなことを言う向井を振り返ると、こいつはどこからか持ってきたワイングラスとボトルを俺たちに見せる。
「さ、今度は俺たちだけで楽しもうぜ!」
器用にウィンクする向かいに頷いた俺と美月は、向井からグラスを受け取ると、三人だけで小さく乾杯した。
俺たちが生徒会を引退するまで、残り二か月。
~~おまけ~~
黒野「そういえば向井。お前、あのワインボトルはどこから出したんだ? まさか美月の家から盗んだんじゃ……」
向井「いくらなんでもそんなことしないっての! あのワインは会長の家のメイドさんが気を利かせて持ってきてくれたんだよ!」
黒野「そうか……。俺はてっきりストーカー行為でもして家の構造を把握したのではとばかり……」
向井「お前の中で俺ってそんな人間になってるの!?」
黒野「まぁ、窃盗行為は犯罪だからな……。気をつけろよ?」
向井「ツッコむところそこ!? まずメイドさんが酒を持ってきたところをツッコんで!?」




