第38話 涙
「さて、そろそろ今日の部活を終わろうか」
いつも通りにぎやかに過ごした後、部長の宣言で僕たちは帰ろうとする、その時だった。
「ああ、文隆君と直茂君は少し残ってくれ」
席を立とうとした僕と里井を部長が呼び止めた。
なんだろうと思いながらも、六花に先に帰るように言った後、里井と一緒に自分の席に座りなおす。
そして六花と冨和ちゃんの声が遠ざかり、しばしの沈黙の後、部長がゆっくりと口を開いた。
「君たちは、二ヶ月ほど前に小説の大賞へ応募したことを覚えているか?」
部長の問いに、そういえばそんなこともあったなと思い出し、頷く。
そう、まだ六花と冨和ちゃんが文芸部に入る前の三月。僕と里井は、それぞれ長編小説を仕上げ、部長が本を出している出版社主催の小説大賞に応募したのだ。
僕がそこまで思い出したところで、里井が珍しく真面目な様子で部長に訊ねる。
「部長……もしかして……」
部長は一度頷いた後、ポケットから二通の封筒を取り出した。
「ああ、君たち二人の一次選考結果を上田さんから預かった」
その言葉に、僕は一気に緊張する。
初めて書いた長編小説とは言え、何度も構想を練り直し、設定を作り上げ、途中で何度もくじけそうになりながらようやく書き上げて、満を持して応募した作品。
その審査結果が届いたという。
僕と里井は、それぞれを部長から受け取ると、お互いに頷いて、同時に開封した。
先に結果を確認した里井の顔が、目に見えて喜びを表す。
どうやら、里井は一次選考を無事に通過したようだ。
よかったな……。
里井の努力も知っている僕は、口には出さずに祝福する。
そして、僕も里井に習うように、恐る恐る中に入っていた薄っぺらい紙切れを取り出すと、震える指で紙を開き、中に書かれている文字を目で追う。
「……っ!?」
結果を確認した僕はゆっくりと紙を伏せると、立ち上がり、震える声を必死に抑えてできるだけ平常に部長に声を掛ける。
「……部長……。すんません。先に帰らせてもらいます……」
一言断って、かばんを肩にかけると、すぐにでも走り出したくなる衝動を必死に押さえ込んで、ゆっくりと部室から出て行った。
「文隆君……」
部長の声が聞こえた気がしたけど、僕はそれを無視して廊下に出ると、ゆっくりと歩き出す。
そして、部室から見えなくなったところできつく拳を握り締めると、それを思いっきり壁に叩きつけた。
――どんっ!
鈍い音が響き、叩きつけた拳に衝撃と痛みが走る。
だけど、僕の気持ちは落ち着かなくて、痛いのを無視して何度も叩き付けた。
「ちくしょうっ!」
「っ!? 文隆君!」
なおも壁を殴ろうとした僕の手を、誰かが僕の名前を呼びながら掴んで止める。
ゆっくりと振り返ると、それは部長だった。
部長は悲しそうな顔をしながらゆっくりと首を横に振る。
「やめるんだ、文隆君……」
「部……長…………」
部長を見た途端、じわじわと僕の中から感情があふれ出してきた。
そして……。
僕は泣いた。
みっともなく、部長に縋り付くようにしながら……。
◆◇◆
「……痛っ! もうちょっと優しく……」
「我慢したまえ、君の自業自得なのだから」
僕がみっともなく泣いた後、僕は部長に連れられて、部長の家で壁を殴った手を治療してもらっていた。
思いのほか強く殴ってしまっていたらしく、皮膚が破れ、血がにじみ出ていた。
「まったく……。君は馬鹿なのか?」
呆れた声で僕を詰りながら、部長が器用に包帯を巻いていく。
「校舎の壁にけんかを売っても君が負けるだけというのは目に見えているだろう?」
「ああ、いや……、別にけんかを売ったわけじゃ……」
「それじゃ何か? 君は自傷行為で興奮を覚える特殊性癖の持ち主か?」
「そんなこと一言も言ってませんよ!?」
「む? では、あえて拳をコンクリートに叩きつけることで、硬く強い拳を手に入れようと? それならとめたのはすまなかった……」
「どこの格闘家の修行!? そんなことしませんよ!?」
僕のツッコミを聞いて、部長はふっと笑う。
「うん、すっかりいつもの文隆君になったな……」
「部長……まさか……。僕のために……?」
「さて、なんのことやら? それよりも遅くなってしまったな。夕食を作ろう。食べていきなさい」
部長は誤魔化すように立ち上がると、最後に僕の手を軽く叩いた。
「部長……」
「なんだ? 遠慮は無用だぞ?」
「いえ……、そうじゃなくて……。手を叩かれると痛いです……」
じーんとする手を押さえる僕に、部長が慌てて謝った。
「す、すまない!」
その後、部長の家で夕食をご馳走になって治療のお礼を言った僕は家に帰ったあと、自分の部屋で、早速次の応募用の小説を考え始めていた。
確かに里井が一次選考を通過して、僕が落選したことはとても悔しかったし、悲しかった。
執筆してる最中なんて、何度もくじけそうになったし、辛いこともたくさんあった。
でもそれ以上に、楽しかった。
自分でまっさらな状態で物語を作り出していくことが。
自分で思い描いたとおりに登場人物を動かして、物語を進めていくことがとても楽しかった。
そして、最後まで書ききったときのあの達成感はとても気持ちよかった。
あの気持ちをもう一度味わいたい。
そう、僕はすでに、小説を書く、物語を紡ぐという行為に魅了されていた。
だから僕はその日、夜遅くまで、次にどんな話を書こうか頭を悩ませていた。
◆◇◆
翌日、寝不足の頭でふらふらしながら学校に向かい、自分の席でぼうっとしていると、六花が心配そうに話しかけてきた。
「文君……ぼうっとしてどうしたの?」
「ん? ああ、別に……。ちょっと眠くてさ……」
「夜更かし?」
「まぁ、そんなとこ……」
「ほほう、文隆……。夜更かしして何をしてたんだ?」
いきなり空が会話に混じってくる。
「別に……。ちょっと小説のことで考え事をしてただけだよ……」
「なんだつまらん……俺はてっきり……」
「そんなことよりも!」
空の言葉を強引に断ち切って、六花が僕の手を指差した。
「文君! その手どうしたの? 昨日、あの後何があったの?」
「ん? ああ、これ?」
僕は包帯が巻かれた手をぷらぷらと振る。
「別にたいしたことじゃないよ。ただ、昨日の帰り道で車に轢かれそうになっていた子供を助けるために、車を殴っただけだよ」
「絶対嘘だよねぇ!? 楓ちゃんじゃあるまいし、そんなことしたら絶対死んじゃうよね!?」
「酷いな、六花……、いくら私でもさすがにそれは耐えられないぞ」
化け物扱いされた楓がへこんでいたが、六花はそれを無視する。
「じゃあ、あれだ。帰り道に不良に絡まれて撃退した」
「じゃあって何!? 今考えた理由!?」
六花が必死にツッコむのがだんだん楽しくなってきた僕はさらにボケる。
「うそうそ。本当は、「ゴ○ゴ○のピ○トル」を練習してた」
「どこの海賊王!? 「悪○の実」でも食べたの!?」
「ああ、食べたね。「ボケボケの実」を……」
「ゴムでもなかった!?」
「説明しよう! 「ボケボケの実」とはボケることしかできなくなる「悪魔の○」である!」
「いやな「悪○の実」だよ! そんなの食べたくないよ!」
「六花……好き嫌いはよくないよ?」
「そういう問題じゃないよねぇ!?」
ツッコミつかれた六花が机に突っ伏してしまった。
上目遣いににらみながらほほを膨らませる姿が小動物的な愛らしさをかもし出していて、僕はついつい六花の頭をなでなでする。
途端、「ふにゃ~」とだらしない声を出しながら、脱力する六花。
ああ、癒される……。
僕が六花に癒されていると、それまで僕たちの漫才を傍観していた空が、少し真面目に僕に訊いて来た。
「真面目な話、それは大丈夫なのか?」
「そうだぞ、文。無理はするものではないぞ?」
いつの間にか来ていた楓も心配そうな顔をする。
僕はそんな二人に苦笑を返した。
「たいしたことじゃないよ。ちょっと自爆しただけだから……」
「十分たいしたことじゃないか。西村君……」
突如、僕の背後から里井の声がしたかと思うと、包帯が巻かれた僕の手を里井が取ってさすり始めた。
「気持ち悪いことするな!」
ぞわりと背中に悪寒が走った僕は、振り向きざまに思いっきり里井の頭を包帯が巻かれた手で殴りつける。
その場が一瞬静まり返り、直後。
「痛ぇ~~~~~~~~~!」
僕の叫びが教室に響いた。
◆◇◆
後日、里井の小説は二次選考で落選した。
べ、別に嬉しくなんて無いんだからね! ざまぁみろなんて思ってないんだからね!
………………なんか、すんませんでした。
~~おまけ~~
文隆「それにしても部長……」
部長「どうかしたのか、文隆君?」
文隆「小説の審査って難しいですね」
部長「何を当たり前のことを……。そもそも応募作品だけで数千、下手をすれば万を越える。その中から僅か数本の作品しか受賞しないのだ。受験戦争の合格倍率など比べ物にならないほどの狭き門だよ」
文隆「ですよねぇ。作者だってもう何度も応募してるのにいまだに一次審査ですら通らないし……。そう考えると部長は凄いっすね。高校生でその狭き門を潜り抜けたんですから……」
部長「ふふん、もっと褒めたまえ!」




