第30話 ヴァン・アレン帯
二月十四日、バレンタインデー。
男性から女性へ、花とメッセージカードをプレゼントする海外と違って、日本のそれは、女性から男性へ、チョコレートを贈る日。
この日ばかりは、学校の男子も女子もどこか落ち着かない様子でそわそわしていた。
男子はチョコをもらえるか、女子は意中の相手に無事に渡せるか。そういう想いが交錯して浮ついた空気を作り出していた。
そんな空気の中で、僕、空、里井、六花、楓のいつものメンバーが教室の僕の席の周りに集まっていた。
「はい、三人にあげるね」
そう言って六花が、僕、空、里井の三人に、綺麗にラッピングされた小さな箱を手渡した。
それぞれにお礼を言って受け取ると、今度は楓がどこからともなく、同じくらいの大きさの箱を取り出して、僕たちにくれた。
「これは私からだ」
今度は楓にお礼を言って受け取る。
それと同時に、教室の空気が変わっていたことに気付いた。
肌をぴりぴり刺激するような感覚が突き刺さり、どこからか怨念めいたうめき声すら聞こえる。
僕がゆっくりと教室全体を見回してみると、クラスの男子のほとんどと、一部の女子が恨みがましい視線で僕たちを睨み付けていた。
その視線に僕と空がごくりと喉を鳴らすと、里井が何かを思い出したのか、自分の席からカバンを持ってきた。
「…………?」
突然の里井の行動を訝しげに思っていると、やがて里井は鞄の中から綺麗にラッピングされた箱を四つ取り出した。
「そうそう、忘れていたよ」
そう言って里井は、その箱を僕たちに手渡した。
「ありがとう」
「ありがたい」
気軽に受け取る六花と楓に対して、僕と空は思わず顔をしかめる。
僕たちが受け取ろうとしないので、里井はことりと首を傾げて訊いてきた。
「おや? 受け取ってくれないのかい?」
「里井……、やっぱりお前はそう言う趣味があったのか?」
僕の問いに、里井は一瞬きょとんとした後、いきなり笑い出した。
「…………ぷっ! くっくっくっく! 違うよ。これは美弥子から頼まれたものだよ。クリスマスと大晦日では君達にお世話になったから、渡してくれって頼まれたんだ」
「ああ、そういうことか……。俺はまた、お前がそっちの趣味に目覚めたと思ったよ……」
「やだなぁ……、一応許婚がいるんだから、そう言う趣味には目……覚めな…………」
里井が不自然に言葉を途切れさせながら僕らの背後を怯えるように見る。
気のせいだろうか、その顔は少し青褪めて見えた。
僕たちもゆっくりと後ろを振り返ると、いつの間にか何人かの男子が僕たちの後ろに立っていて、恐ろしい形相で里井を睨み付けていた。
「あの……、君達……ちょっと怖いんだけど……。ちょっと落ち着いてくれないか?」
里井が珍しくガタガタ震えながら落ち着くように言うけど、彼らは一向に泊まる様子もなく、じりじりと里井に詰め寄る。
「我々はチョコレートすらもらってないというのに、貴様は受け取ったばかりか、許嫁すらいるというのか!?」
「許せん! 例え貴様がこの場で土下座をしても許せん!」
「「ヴァン・アレン帯同盟」の諸君! 判決を!!」
『有罪!』
「ちょっ! そんな横暴な!」
〈ヴァン・アレン帯同盟〉なるものから有罪判決を受けた里井が必死に抗議するけど、奴らは「聞く耳持たぬ!」とばかりに里井を取り囲む。
助けを求めるように僕らを見る里井。
すまない。お前を助けてやれない無力な僕を許してくれ。
そんなことを思いつつ、里井から視線を逸らす。
空、六花、楓も似たような反応だ。
一瞬、裏切られたような顔をする里井は、だけど、すぐに何かを閃いたのか、顔を上げて悪魔の言葉を口にした。
「ちょ、ちょっと待ってくれないか? チョコをもらったのは僕だけじゃなく、そこの西村君と季高君ももらってるじゃないか!」
瞬間、里井を取り囲んでいた連中が一斉に僕と空を振り返る。
彼らの眼は怪しく輝いていて、悍ましいことこの上ない。
「里井!? お前……!」
「見損なったぞ、里井!」
僕と空がじわじわと後ずさりをしながら里井に文句を言うと、里井はふっと笑った。
「僕を犠牲に自分たちが助かろうというのかい? 君達はそんなに冷たい人間じゃないだろう?」
「後で覚えておけよ……」
そう捨て台詞を吐いて、僕と空は脱兎のごとく教室から逃げ出した。
「逃がすな! 追え!」
『イエス・マイロード!』
無駄に統率がとれた動きで僕らを追いかけはじめる、「ヴァン・アレン帯同盟」。
里井もどさくさに紛れて彼らの包囲から脱出して、僕らの逃走劇が始まった。
そして、あっさり捕まった。
まぁ、結局何かされる前に、機転を利かせた六花が他の女子と協力してチョコレートをばら蒔いたおかげで助かったんだけど。
◆◇◆
「まったく、昼間はお前のせいで酷い目に遭った……」
「君が僕を助けようとしなかったからだよ……」
その日の放課後、僕と里井が部室で昼間の事件のことをぼやいていると、部長ががらりとドアを開けた。
「ん? 昼間に一体何があったんだ?」
そう訊いてくる部長に、僕が事件のあらましを説明すると、部長はおかしそうにくつくつと笑った。
「そうか。そんな愉快なことが……」
「笑いごとじゃなかったですよ……。西村君は季高君と逃げ出すし、「ヴァン・アレン帯同盟」とかいうのは恐ろしいしで……」
「ふふふ、そうか。まぁ、それも青春だ。……っとそうだった」
ふと何かを思い出した部長がカバンを漁って何かを取り出すと、僕と里井に手渡した。
「いつも君達には世話になっているからな。これは日ごろの感謝の印ということにしておいてくれ」
「「ありがとうございます」」
「うむ。それでは早速部活を始めようか」
「「はい」」
そうして、いつも通りの部活を始めて少ししたころ、誰かが部室のドアをノックした。
「どうぞ?」
「失礼します」
部長の声で中に入ってきたのは、生徒会長の美月さんだった。
「やぁ、真子」
「こんにちは、瑞枝」
「「こんにちは」」
「はい、こんにちは。今日はあなた達にこれを渡しに来たのです」
そう言って美月さんは小さな袋を三つ僕たちに渡す。
「普段、うちの副会長や書記がお世話になっておりますからね。ほんのお礼です」
この人、今さらっと、自分はあなた達に迷惑をかけてませんってアピールした。
「ん? 文隆さん? 何か言いました?」
突然美月さんが僕を見てにこにこするけど、その笑顔の裏に妙なプレッシャーを感じた僕は慌てて首を振った。
「……っ!? いえ、なんでもありません!」
「そうですか……」
美月さんからくるプレッシャーが無くなったところで、副会長の黒野さんが美月さんが美月さんを見つけ、生徒会室に連行していった。
黒野さんに引き摺られながらひらひらと手を振る美月さんを見送っていると、突然、沙条先生が顔を出した。
「おう、お前ら。ちゃんと部活をやってるか?」
「先生……、今日はどうしたんですか?」
部長が訊ねると、先生は何故か手を前に出した。
「私は今、ものすごく甘いものが食べたいんだ。幸い、今日はバレンタインとやらじゃないか。お前らのことだ。それなりに貰ってるんだろ? 一つくらい私によこせ」
「「「………………はぁ」」」
日頃のお礼にとくれるならまだしも、まさかねだりに来るとは予想外だった。
僕たちは顔を見合わせた後、それぞれのカバンからチョコレートを一つずつ取り出すと、心の中でくれた人に謝ってから先生に渡した。
「うむ、聞き分けのいい生徒を持って、私は実に幸せだ。それじゃ」
カラカラ笑いながら先生は去っていき、後には何だか悲しい空気だけが残された。
「………………今日は帰ろう」
「「……はい」」
部長の提案に頷いた僕らは、急遽部活を中止して帰ることにした。
◆◇◆
「ただいま~」
玄関から声を掛けると、妹の真魚が珍しく出迎えてくれた。
「お帰り、お兄ちゃん」
にこにこしている妹を訝しく思いながら、とりあえずリビングにいる両親に声を掛ける。
「ただいま、父さん、母さん」
「ああ、お帰り」
「お帰りなさい」
「お兄ちゃん!」
「うわっ!」
真魚にカバンを奪われ、両親の目の前で中身をぶちまけられた。
テーブルや床に教科書や弁当、筆記用具などが散らばる。
誰が片付けると思ってるんだ……。
呆れる僕の視線を無視して、真魚は荷物の中から、いくつかの箱を選り抜いていく。
そう、今日一日でもらったチョコレートだ。
すでにいくつか食べてしまった(一つは先生に奪われた)けど、まだ残っていたそれを真魚は嬉々として掲げ、そして。
「ありがとねお兄ちゃん」
ウィンクを一つして自分の部屋に全て持ち去ってしまった。
後で食べようと思ったのに……、おお、もう……。
とりあえず悔し紛れに、真魚に向かって言ってやることにした。
「そんなに食べると太るぞ?」
真魚の部屋から、一瞬がたりと音が聞こえた。
~~おまけ~~
部長「そうそう、文隆君」
文隆「どうかしたんですか、部長?」
部長「そもそもバレンタインとは聖バレンチヌスという聖人が語源となっているのは知っていると思う」
文隆「ええ、まぁそれくらいは……」
部長「では、その聖バレンチヌスが具体的にどんな聖人なのか、キミは知っているか?」
文隆「…………さぁて、来週の文芸部は?」
部長「ふむ。ならばよろしい。ここらで少し歴史の勉強といくか」
文隆「勘弁してください!」




