天を裂く
「お兄さん!? だめっ!」
エリスさんは驚いた様子で僕を呼ぶ。
僕は全力で走りながらエリスさんを振り返った。
「ごめんエリスさん! 僕はリーナさんを助けてくる!」
だからエリスさんは僕に構わず自由に戦って――!
そう皆まで言わずともエリスさんには伝わったのだろう、エリスさんは顔つきを再び戦闘モードにし、これまでよりも行動範囲を広くして戦い始めた。そう、今この状況では、僕をかばい続けるよりも、単独で戦った方がいい。
僕はオークたちの間を掻い潜り、リーナさんのところへ走る。
頼む、路傍の石スキル――! 全力発動――!
……とはいかず。
「……あぁ!? なんだこいつ!」
一匹のオークの脇をすり抜けた時、ついに僕の存在がバレた。
「なんか知らねぇが、メス猫の他にネズミも一匹混じってるぜ! おらよッ!」
走り抜けようとした僕の背中を、そのオークは思い切り棍棒でぶん殴ってきた。
「いぎッ!?」
いた……くはない! それほど!
上半身に装備した鎧のお陰で、ちょっと強めにふっ飛ばされた程度の痛みだった。
それでも前にすっ転ぶほどの衝撃はあり――転げ落ちた先はちょうどリーナさんのそばだった。
「お、お兄さん!? なんでここに来たのよ!? エリスは――!?」
地面に腰を落としたままのリーナさんの声を遮り、僕はまくしたてる。
「リーナさん! 癒掌術! やるから、ほら――!」
「なんだそいつ? まぁいい、二人まとめて踏み潰してやるよ!」
僕が行動するより早く、目の前にやってきたボスオークが片足を上げた。
巨大な影が僕とリーナさんを覆い隠し、そのまま鉄槌の如き勢いでボスオークの足が落下してきた。
「うわぁあ!」
「お兄さん!」
リーナさんは咄嗟に体を捻り、僕の上に四つん這いになって覆いかぶさった。
リーナさんの顔が目の前に来てドキっとするのもつかの間――
むき出しのリーナさんの背中に、ボスオークの足が真上から激突した。
「ひッぎぃぃ!」
地面が震撼するほどの衝撃と重圧を背中に受け、リーナさんの顔が苦悶に歪む。
「だ、大丈夫よ! お兄さん!」
普通の女の子なら今の一踏みで僕もろともぺちゃんこになるところだ。しかし驚くべきことにリーナさんは両手両足を震わせながらも耐えた。
「やるじゃねぇか! もういっちょ!」
ボスオークは容赦なくもう一度リーナさんの背中を踏みつけた。
ドシンッ! という途轍もなく重い音が響き、地面についたリーナさんの肘と膝付近の岩盤にヒビが入る。
それでもリーナさんは崩れない。衝撃とともに降り落ちてきたリーナさんの汗が僕の顔にかかった。
「リ、リーナさん……!」
「なにぼーっとしてんのよ……! 早くここから抜け出しなさいよ……!」
「で、でも……っ!」
「いいから……早く!」
リーナさんに叱咤され、僕は這い出るようにしてリーナさんの下から抜け出した。
その直後――三度目のボスオークの踏みつけが、リーナさんをついに押しつぶした。
「リーナさん!」
「なかなかしぶてぇガキだったなァ」
舌なめずりをしながらボスオークがゆっくりと足を戻す。
凹んだ地面の上でリーナさんがうつ伏せに倒れ伏しており――
その姿は、オーガに敗北したときのエリスさんの姿を僕に思い起こさせた。
(ああっ……! 僕は……また……!)
「てりゃぁぁあッ!」
打ち震えている僕のすぐ頭上で、エリスさんの雄叫びが聞こえた。
見上げると、腰布を思いっきり翻してボスオークに飛び膝蹴りを食らわせたエリスさんがいた。
「ぐぬぅ!?」
長い助走と強靭な跳躍から繰り出された一撃は、ボスオークを初めて後退させるほどの威力があった。
「うぉぉおおッ!」
そのままエリスさんはボスオークに乱打を仕掛ける。僕が離れてからエリスさんの反撃は強まったのだろう、周囲を見るとザコオークの数は激減していた。
「……リーナさん!」
エリスさんがボスオークの相手をしている隙に、僕はリーナさんのもとへ駆け寄った。
「リーナさん! リーナさん!」
仰向けにさせると、リーナさんは瞼を結んでぐったりとしていた。傷つかない体ゆえに外傷は一切なかったが、ポニーテールは乱れ、汗まみれの体は汚れ、胸布も腰布も外れかかっていた。傷はなくとも、尋常じゃない痛みを味わっていたに違いない。
「また、僕を守るために……!」
いや、今は湿っぽく悔やんでる場合じゃない――!
救うんだ! 助けるんだ!
エリスさんが作ってくれた一瞬のチャンス、無駄にはするな!
僕はリーナさんのおへそに手を当て、のの字を描くようにお腹を撫でた。
「んんっ……うっ……」
眉間を寄せるリーナさん。
大丈夫だよな……!? 癒掌術、効いたよな……!?
「きゃあぁっ!」
エリスさんの悲鳴が聞こえた。
その方を向くと、ボスオークの豪快な裏拳に殴られてエリスさんがぶっ飛ばされていたところだった。
「エリスさん!」
激しく転倒し、エリスさんは痛みに身を捩る。生身の体には強烈すぎるダメージだ。
「なんだよ、口ほどにもねぇなァ! 楽しめると思ったが、ただのザコガキじゃねーか!」
「うっ……くぅ……!」
外れそうな胸布を押さえながら、エリスさんはよろよろと立ち上がる。汗で濡れた顔には余裕がない。
対照的に、ボスオークは残虐そのものの表情でにやけた。
「まぁいい、このままひっ捕らえて飼い慣らしてやるよ! ここに来たことを後悔するんだなァ!」
棍棒を握り直し、エリスさんに近づくボスオーク。
もうだめだ――!
僕は絶望に打ちひしがれる。
エリスさんは疲弊で動けずにいる。そして再び僕がエリスさんのところへ駆けつけても、さっきみたいに足手まといになるだけだ。
リーナさんは復活しないし……
「……あれ?」
――いや、僕の腕の中にリーナさんはいなかった。
バチンッ!
何かが爆ぜるような音が聞こえた。横を振り向くと、いつの間にかリーナさんが立ち上がっていた。力強さの戻った眼差しと、堂々とした立ち姿。
じゃあ今の音は……?
リーナさんの凛とした横顔の近くで――電気のような光が弾けた。
「……帯電式身肌集中・蹴技――!」
低い声で静かに呟く。空気がどよめき、僕の胸もざわめく。
直後――リーナさんの姿は稲光を纏ってボスオークの頭上高くに飛び上がっていた。信じられないスピードと跳躍。その様は正に稲妻。
「なんだァ……?」
ボスオークが、頭上に現れた少女を呆けた顔で見上げた。その目に映ったのは、片足を高く上げたリーナさんの姿だ。
鋭い咆哮が洞窟内にこだまする。
「――落雷裂天ッ!!」
雷電を纏いながらまっすぐ垂直に、超高速でリーナさんの踵落としがボスオークの頭部にめり込む。
物凄い轟音と閃光。突如リーナさんが放った驚異的な威力の技はボスオークの頭を撃ち抜き、その巨体を前のめりに派手に転倒させた。
そのまま地面に激突したリーナさんの踵は岩盤をも粉砕し、そこから波紋状に電撃が迸る。周囲にいたザコオークたちが一気に吹き飛び、一際まばゆい光が散った。まさしく雷が落ちたかのような、天災級の一撃。
ボスオーク含め、全てのオークは地に伏していた。
――リーナさんの体から稲光が消え、周囲は耳鳴りがするほどの静寂に包まれる。
あっという間の出来事。僕は腰を抜かして地面にへたり込み、エリスさんも呆気にとられた顔でリーナさんを見つめている。
静かに姿勢を戻し、リーナさんがきょとんとした顔で僕の方を見る。
「……えっ、なに今の?」
(いぃぃやこっちが聞きたいよ!)