清算2
俺がステージの階段を降りると、そこに白粉を塗った安曇野がスタンバイしていた。そのえもいわれぬ日本的な美麗さに、俺は息を呑む。
「……なに今の」
「見ての通り、田舎を疎んだ男の創作落語だ」
「……サイテー」
「だろ?さ、お祭りの雰囲気はフィナーレ目前で最底辺まで急降下だ、どうにかしてくれ」
「どうにかしてくれって……やっぱり、アンタは私がいないと、本当にダメね」
「あぁ、今回ばかりは否定できないな」
俺が苦笑いを浮かべると、安曇野はクスッと小さく微笑んで、俺と入れ替わるようにステージの階段を登っていく。
「尻拭い、頼んだぞ」
「私がどれだけアンタの尻拭いしてきたと思ってるの、これくらい朝飯前よ」
あと一歩でステージに出られるところで、安曇野は階段を降り切った俺に振り返り、呟くように、しかしハッキリとした声色で言う。
「……ちゃんと、見ててね」
「……あぁ」
俺が目配せで送り出すと、安曇野はスイッチが入ったように優雅にステージへと歩き出した。俺はテントから出て、客席の最後列へと向かう。
「あ!雄太!」
立ち見客の中で俺が安曇野の立つステージを眺めていると、そこにいた安曇野弟がコチラに駆け寄ってきた。その側には、千曲と立科の姿もある。
「ねぇ、さっきの雄太のおしゃべりね……」
「俺のゴミみたいな創作落語へのダメ出しは後だ。それより今は、君のお姉ちゃんのカッコいい晴れ舞台を、静かに見ような」
「……うん!」
俺はその幼子を傍に、ステージの上で祭囃子に合わせて舞い始めた安曇野の姿をジッと見つめた。
彼女のその軽やかに舞う姿は、あまりにも優美に、可憐で、言葉さえ失ってしまうような感覚だった。他の観客たちもその美麗さに魅了されたように、祭囃子に溶けていく。
「キレイ……」
ふと、横にいた立科が、独りごちるように小さく呟いた。その立科の、あるいは数多の聴衆たちの感嘆が、お祭りの境内をゆっくりと揺蕩って、ステージ上で甘美に舞い踊る安曇野を、まるで羽衣みたいな薄いベールで包み込んでいくようだった。
屋台裏のエンジンは既に切られて、提灯の極彩色と祭囃子だけの中を優雅に舞う安曇野の姿に、時が止まったみたいにみんなが深く深く沈んでいく。俺の記憶にある小さな少女のあどけない舞ではない、美しく成長した彼女の、洗練された天女のような舞だった。
しばしそのフワフワと儚い夢心地の時が流れて、スッと祭囃子が消え入ると、息を少し切らしたように、安曇野はハキハキと大きな声で頭を下げた。
「……ありがとうございました!」
少女のその言葉に、刹那だけ深い沈黙が流れた後、一斉に喝采が神社を包み込む。聴衆たちは皆感動し切ったように手を叩き、称賛の声にステージが沸いた。
「琴音ちゃんありがとー!」
一際大きな賛辞の声に、安曇野は少し照れくさそうに、しかし自信に満ち溢れた表情で頭をもう一度深く下げる。
ふと、側にいた千曲と立科を見やると、なにか心に突き刺さったような感嘆の表情で、2人とも小さく口角を上げながらゆっくりと大きく安曇野へと拍手を送っていた。俺もその2人に倣うように、小さく遠慮がちに拍手を向ける。
不意に、ステージの上で方々に頭を下げる安曇野と目が合う。俺の姿を捉えた安曇野は、見たかとでも言わんばかりに、自信に満ち溢れた満面の笑みで俺に微笑みかけた。
「……すごいよ、君の姉ちゃんは」
俺は、足元に立っていた安曇野弟の頭の上にポンと手のひらを乗せて、小さく語りかけた。
「でしょ!僕のお姉ちゃんは、すごいんだよ!」
幼子はそう言って、自慢げに小さな胸を張る。
こんなふうに喝采を浴びて、弟からも自慢される、才色兼備の優等生、安曇野琴音は、そう簡単に折れたりなんかしない。それでこそ、俺が憧れ、時に劣等感さえ抱いた彼女なのである。
祭り客が帰り支度を始め、屋台の解体が始まった頃。俺はステージ前に並んだ用済みのパイプ椅子たちを、えっちらおっちら1ヶ所に集めていた。結構頑張って並べたのにもう片付けとは、いやはや儚いものである。VTuberに恋人がいませんようにというオタクの切なる願いくらい儚いよ、ほとんど裏切られるからねアレ。
「おい!アイツのアレはなんだったんだ!」
ふと、ステージ袖のテントの中から怒号が聞こえて、俺はパイプ椅子を抱えながらビクッとした。
「あやめちゃんの弟、アイツなんだ!ステージの上でゴチャゴチャ言いやがって!」
「まぁまぁ、琴音ちゃんが素晴らしい日本舞踊を見せてくれたから、良かったじゃないか」
「琴音ちゃんがいたから良かったけど、アレでもし祭りのステージが終わってたら、全部台無しだったぞ!」
「そうよ!だいたい、アレは私への当てつけだったわよ!親戚が口出すなみたいな!なんなのあの失礼な子は!」
「そんなにここが嫌なら、この祭りに来んなよ!」
はい、ごもっともです。
俺はその聞こえてくる怒りの声と、突き刺さる周りからの冷たい視線に耐えきれず、手早くパイプ椅子を片付けて逃げるように神社の入り口方面に向かった。どうせもうこの祭りなんて参加しないから、嫌われようが知ったことではない、さっさと帰ろ。
俺が鳥居の前まで来ると、安曇野の弟を連れた千曲と立科が立っていて、俺を見るや否や心配そうに駆け寄ってきた。
「……その、大丈夫?」
「え、ん、何が?」
「だって雄太、またあんなことしてるし……」
「あんなこと?」
「だから、アタシの時みたいなこと、してたじゃん」
「立科の時みたいなこと?どういうことだ?」
俺があまり明示的ではないその物言いに首を傾げていると、立科はむず痒そうに小さく跳ねて、前のめりに俺を覗き込みながら言う。
「だから!事情は分かんないけど!安曇野ちゃんのためにあんなことしたんでしょ!?みんなからヘイト買うようなこと、ワザとしたんでしょ!?」
「え、あー、別に立科がそんなこと心配しなくても……」
「心配に決まってんじゃん!」
「なんでだよ」
「なんでって……」
俺が立科の少し当惑したような表情に眉を顰めていると、千曲が俺の手をギュッと握って、優しく語りかけてきた。
「雄太くんは、また、目の前の人と、ちゃんと向き合ったんだよね。自分の信念に基づいて、安曇野さんを救ったんだよね」
「え、いや、そんな大層な話では……」
「ううん、私の時も、立科さんの時も、雄太くんはそうやって手を差し伸べたもんね。もちろん、心配じゃないなんて言ったら嘘になるし、私以外の女の子にもそうやって優しくされちゃうのは、ちょっぴり釈然としない気持ちはあるよ、でもね、でも」
千曲は俺の手をしっかりと握ったまま、まっすぐな眼差しで俺の瞳を見た。
「そうやってちゃんと向き合ってくれる雄太くんだから、私は好きになったの。雄太くんが出した答えを大切にしてくれて、ありがとう」
「いや、アレは俺が単純に直前に言われたことに腹が立ったから、ステージを口実に鬱憤を晴らしただけだよ。そんな高尚な美学とか矜持があってやったわけじゃない」
「……それでも、ありがとう」
少し切なそうに、ポツリとそう告げる千曲の表情に、俺はどうして良いか分からずに頭をかくしかなかった。別に、褒められるようなことをしたわけでも、感謝されるようなことをしたわけでもない。ただただ、俺のエゴを突き通しただけなのだ。
俺が妙に照れくさくてそっぽを向いていると、立科がモジモジと身を捩りながら傍に近づいてくる。
「な、なんだよ」
「だから、その、雄太、傷ついてるんじゃないかなって……」
「いや、勝手にお祭りを嫌な雰囲気にしただけだぞ俺?傷つくも何も、自業自得だろコレ」
「雄太いっつもそうやってはぐらかすし!あんなに周りから色々言われて、平気なわけないし……」
立科はそう言って、遠慮がちに俺を覗き込みながら、上目遣いで語りかけてくる。
「大丈夫?その……おっぱい揉む?」
「は?」
ちょ、マジで何言ってんのこの子?そんなセリフ、SNSのイラストでしか見たことないぞ、現実で本当に言ってるヤツなんていねぇよ。
「だから、傷ついたなら、アタシのおっぱい、揉んでも良いけど……」
「おい、頼むから立科はもうちょっと自分の貞操を大切にしてくれ。そう易々と武器でもあり資本でもある胸部を誰かに明け渡そうとするな」
「易々とじゃないし!その、雄太が傷ついてそうだったから……」
「仮に俺が傷心だったとして、立科の胸を揉む必然性も道理もないだろ、論理が破綻してんぞソレ」
「え、男の人って、おっぱい揉んだら癒されて、辛いこととか忘れられるんじゃないの……?」
いや、そりゃそうだけど。確かに、おっぱい揉んだらオキシトシンとかめっちゃ分泌されて、多幸感すごいだろうけど。精神科で薬を処方するより、おっぱい処方したほうが効果ありそうだけど。おっぱいさえ安定供給できたら、世界は平和になりそうだけど。
ちなみに、俺はおっぱい揉んだことありません。世界平和はまだまだ遠いなこりゃ。
「おい、なんだそのSNSにばら撒かれたエセ豆知識。否定は出来ないけど」
「え!?お、おっぱい揉んだら雄太くんも元気になるの!?」
俺の言葉を聞いて、千曲が前のめりに飛びついてくる。
「え、まぁ、ならないと言ったら嘘になるけど……」
「そ、そうなんだ……なら、私のお、おっぱいも、揉んで良いよ……?」
千曲は顔を赤らめて、恥ずかしそうに手を前で組みながら俺を上目遣いで見た。なーんでこうなった、ここは天国か?知らない間に俺死んだ?
「いやどういう展開なんだよ!揉まねぇよ!」
「なんで?やっぱり、立科さんの方が、大きいから……?」
「違う違う!胸の大きさで揉むか揉まないかを決めてるわけじゃない!普通に揉まないわ!あまつさえ、こんな神社の鳥居の前で女の子のおっぱい揉むとか、罰当たりだろ!なんか縁起悪いだろ!」
俺がもし神だったとして、神社の境内で千曲と立科みたいな可愛い女の子のおっぱいを揉んでるような不届き者がいたら、絶対に神の鉄槌を下す。だって羨ましいもん。その仮定だと神様童貞ってことになっちゃうけど。
あれ、そもそも神様って童貞なのかな?そこんとこ神学論争上どうなってるんだろう?どうでも良いわ、そんなことで公会議開くな。
「雄太がそう言うなら、アタシは、神社の外でとかでも良いけど……」
「わ、私も……」
「なんでわざわざ場所変えてまでおっぱい揉まなきゃいけないんだよ!どんだけ俺のことおっぱい揉みたいヤツだと思ってんだ!」
いや、本当は場所変えるどころか、地の果てまで行ってでも2人のおっぱい揉みたいし、なんなら揉みしだきたいです、ええ。なんで俺こんな絶好の機会を拒否してるんだろう。
「……雄太、もしかしてあんまり興味ない?」
「いや、ないわけじゃないけど、今揉むのは流石に意味わかんないだろ。心配してくれるのはありがたいけど、慰め方が常軌を逸していることに早く気づけ」
「……いっつもアタシの胸、チラチラ見てるから、てっきり触りたくて仕方ないのかなって思ってた」
おいバレてたのかよ。いや、違うよ?万有引力って質量が大きいものの方がより強くなるから、結果大きい胸の方が引力が強くて引き寄せられちゃってるだけだからね?物理現象だからコレ。
「私も、不意に雄太くんの方みたら、私の太ももからバレないように慌てて目を逸らすこと何回もあったから、体には興味あるんだろうなって」
「おいこれ以上俺を豚箱にぶち込むための証拠集めをするのはやめろ。コレ生理現象だから、男子高校生だったら仕方のないことだから、マジで許して欲しい。許してくれるなら、俺のおっぱい揉んでも良いぞ」
「さすがに需要ないかも!」
「雄太のおっぱいに興味ないし!」
そこまで価値を貶められるとそれはそれで釈然としないんだけど。いやはや、女の子のおっぱいには膨大な需要があるのに、我々男のおっぱいには幾許かの需要さえないらしい。性的資本力の男女差って残酷だなぁ、じゃあ俺がモテないのは男だからしょうがないってことで。
そんなくだらないやり取りを俺たちがしていると、千曲と立科のスマホがほぼ同時に通知音を鳴らした。画面をチェックした2人は、揃って顔を顰める。
「お母さん怒ってる……今日は遅くなるって説得したのに……」
「アタシも、お兄ちゃんから鬼電だ……最近お兄ちゃん過保護なんだよなぁ……」
2人はスマホを各々しまうと、夢中で水ヨーヨーをしていた安曇野弟の前にしゃがみ込んだ。
「じゃあね、りっくん!また遊ぼうね!」
「え、お姉ちゃんたち帰っちゃうの?」
「ごめんなさい、またの機会に!」
2人は幼子の頭を優しく撫でると、立ち上がって農道へと駆け出し、振り向きざまに俺に手を振る。
「じゃあ雄太、今日はありがとう!また学校でね!」
「私も、楽しかった!またね雄太くん!」
煌びやかな2人はそう言って田園を駆けて行き、夜の闇に溶けていくように見えなくなっていった。
「雄太!あのお姉ちゃんたち、優しかったね!」
「そうだな、あんな美人、滅多にお目にかかれないんだぞ普通。2人に手を繋いでもらった今日の記憶を、しっかり胸に刻んどけよ」
俺はそう言って安曇野弟の手を引きながら神社を後にしようとして、ふと立ち止まる。
「そういや、君の姉ちゃんどこいった?片付けの時は見当たらなかったけど」
俺が幼子に向かって首を傾げると、彼はブンブンと首を横に振る。
「わかんない!」
「わかんないって言っても、俺君を預けないと家に帰れないんだけど……」
俺がそう困り果てていると、安曇野弟は突然神社の境内の方を指差して、大きな声をあげた。
「あ!おばさん!」
「おばさん?あー、今日君のこと監督してくれてた人か。じゃあそのおばさんと家に帰れるか?」
「うん!お姉ちゃんには、おばさんと一緒に家に帰ってって言われた!」
「あ、そうだったの?お姉ちゃんはどっかに用事あるとか?」
「わかんない!けど、昔よく行ってた場所に行くって、そう言ってたよ!」
「……そうか」
俺は中年の女性に駆け寄っていく安曇野弟の後ろ姿を見届けると、鳥居を潜って神社を後にした。
ふと、Tシャツが引っ張られて、振り返る。
「なんだよ、すまんがお菓子ならないぞ、持ってくるのを忘れた」
「ううん、さっきの雄太のお喋りね……」
「え、俺まだアレダメ出しされんの?ごめんなさい、祭りの雰囲気壊してすいませんでした」
俺が苦笑いをしながらそう言ってペコリと頭を下げると、幼子はまた大きく首を振る。
「違うよ!カッコよかった!」
「……え?」
「雄太のステージ、お姉ちゃんと同じくらい、カッコよかったよ!」
屈託のない笑顔でそう言う彼に、俺は目線を合わせるようにかがみ込んで、小さな頭をそっと撫でる。
「……アレは悪い手本だ。だから、真似しちゃダメだぞ、陸」
「……うん!じゃあね、雄太!」
そう言って、安曇野陸は元気いっぱいに走っていく。
ヒトのことをファーストネームで呼んだのなんて、いつ以来だろうか。いやはや、小学生からの賞賛に絆されて、こんな柄にもないことを言ってしまうとは。夏祭りの極彩色に最も当てられていたのは、鈍色の俺だったのかもしれない。




