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思い出話


 神社の裏手にある山の斜面に通った、見晴らしの良い細道。この境内は切り立った急峻な山を背にしていて、まるで自然を祀っているかのようにその山に生い茂った木々に飲み込まれる形で祠が存在していた。

 境内の脇の獣道を登っていくと、視界を遮っていた木々がある地点で一気に開けて、神社を、そして延々と続く田畑を見下ろすことができる、この細道の小脇にある小さな余白みたいな石畳に辿り着くことが出来る。誰がこんな場所にお誂え向きのスペースを用意したのか、俺には知る由もない。


 「……おっす」


 俺は息を切らしながらその石畳に腰を下ろすと、先客に対してボソッと挨拶を添えた。


 「……アンタも、ここ覚えてたんだ」


 「まぁな、うろ覚えだったから来る道中めっちゃ暗くて怖かったけど」


 「……ビビり」


 「ほっとけ。むしろ暗所に恐怖感を覚えるのは生存本能として当然だ、こういう所に無鉄砲に突撃する命知らずが淘汰された結果として、俺たち人間には恐怖が継承されたんだよ」


 「……意味わかんない」


 俺的には人類の淘汰圧と恐怖心の合理性を端的かつ分かりやすく説明したつもりだったのだが、どうやらこの少女には長くて理屈っぽい以外の印象を与えなかったらしい。


 「……私を心配して来たの?」


 「ん?ああ、そうっちゃそうだな」


 「……ふーん」


 満更でもなさそうな安曇野の横顔に、俺は苦笑いを浮かべた。すいません、本当は近所の人たちからの顰蹙に思いの外精神が堪えたので、記憶にあった良い感じのスポットで傷心を癒しに黄昏ようと思ってただけです。ちょっとカッコつけました、ごめんなさい。


 「……アンタのバカって、やっぱり治らないわね、昔から」


 「え、なんで急に罵倒されたの俺?しかも過去から現在に至るまで」


 「バカ、バーカ」


 安曇野は嬉しそうに微笑みながらそう言って、腰をずらして俺に身を寄せてくる。細くて綺麗な人差し指をこちらに向けて、揶揄うようにツンツンと俺の頬を突っついた。


 「おい、やめろ」


 「バカ雄太にはこうしてやる、えい、えい」


 「そういうことを非モテに軽々しくやるな。俺がこの足で婚約指輪を買いに行ったらどうするつもりだ、クーリングオフ対象外だぞ」


 「ん?どういう意味よ?」


 「いや、だから、俺が安曇野のこと勘違いして好きになったらどうすんだって意味だよ。不用意なボディタッチは新たなストーカーを生む可能性があるから気をつけような」


 「……バカ」


 それは否定できない。あなたのことをストーカーするかもしれませんなんて仄めかす男は、バカ以外の何者でもない。

 まぁ俺の場合、ストーカー気質はあるものの怠惰だから結果ストーカーにはなり得ないのだが。だって好きな女の子を尾行したくても、今日は面倒くさいから明日やろうって言い続けて一向にストーキングを開始しないからな。怠惰でストーカー気質を相殺してるわけだ、そう考えるとこの怠け癖も案外捨てたもんではないな、うん。


 「バカ雄太、バカバカ雄太、アホ雄太」


 「おい良い景色見ながらそんなカスみたいな五七五披露するのはやめろ、松尾芭蕉でも短冊丸めて投げつけてくるレベルだぞ今の」


 「……だって、あんなことするの、バカ以外の何者でもないじゃない」


 安曇野はそう呟いて、下駄の鼻緒を撫でるように触る。


 「……遅刻した私へのヘイトを逸らすために、あんなふざけた創作落語やったんでしょ。みんなから顰蹙買うようなこと、ワザとしたんでしょ」


 「ん、いや、アレは普段から思ってたことを憂さ晴らしに言ってやっただけだよ。俺は結局こういう地元の内輪ノリ嫌いだからな、ムカつくから雰囲気ぶち壊してやったんだ」


 「……ウソ」


 「ウソじゃねえよ。ネットに上がってる文化祭の女装ダンスも、結婚式の昔の友人の余興も、高校生の身内イジリが主体の漫才も、俺は全部嫌いなんだよ。アレは仲間内以外から見れば全てクソだからな」


 「改めて、アンタ性格終わってるわね」


 「そうだよ、幼馴染なのに知らなかったのか?」


 「よく知ってるわよ、アンタがゴミクズなことくらい」


 「もうちょっと言葉選んで欲しかったんだけど……」


 俺は安曇野の歯に衣着せぬその表現に怪訝な表情を浮かべると、伸びをしながら下の方に見える神社の灯籠の淡い灯りを眺めた。木々の暗闇の中で煌びやかに光っていた極彩色が、提灯の消灯と共に少しずつ闇に溶けていく。その祭り後の静けさは、非日常の終わりを物語っているようだった。


 「まぁ、そんなゴミクズの俺がどうなろうが、安曇野が気にかける必要はないんだよ。ヘイトを集めたとか、遅刻したアンタを庇ったとか、そんなふうに解釈して貰うほど、俺は性格良くない」


 「昔からこういう時だけ、アンタって何も恩を着せようとしないわよね。ちょっとでもカッコつけたら、もしかしたら得するかもしれないのに、本当にバカ」


 「え、マジで?じゃあ今俺がカッコつけたら、安曇野が俺に好意を抱く可能性があるってことか?」


 俺がおどけたようにそう冗談めかすと、普段ならローキックの1発でもかましてきそうな安曇野が、膝を抱えたままジトッとした目線をしおらしく送ってくるばかりだった。


 「しーらない」


 「……へ?」


 「だから、知らないって言ってるのよ、バカ」


 「お、おう……」


 いかんいかん、今の日本語の文脈的に、コイツ俺のこと好きなんじゃね?と勘違いしてしまうところだった。あぶねー、非モテを弄ぶのも大概にして欲しいものだ。

 俺がなぜか気恥ずかしくなって安曇野から目を逸らし、眼前に広がる夜の田園の景色を眺めていると、彼女は俺と同じように景色を見つめながら、ポツリポツリと話し始めた。


 「アンタも、ここを覚えてたってことはさ、小2の頃の夏祭りのこと、覚えてたってことでしょ?」


 「まぁ、朧げにって感じだけどな」


 「あの時、私がここをアンタに教えてあげたのよ。神社の灯りが上から見えるよって、アンタの手を引っ張ってここに連れてきたの」


 「なんか、俺安曇野に引っ張ってもらってばっかだな、集団登校の時なんて毎朝引っ張ってもらってたし」


 俺がボソッとそう言うと、安曇野はクスッと小さく微笑する。


 「当たり前じゃない。アンタが頼りないから、私が引っ張ってあげなきゃいけなかったのよ」


 「幼馴染の女の子に引っ張られてばかりの幼少期って、俺情けねぇ……」


 「本当に情けないわね。けど、あの時、この場所にアンタを連れてきた帰り道で、私の下駄の鼻緒が切れちゃって。そしたらアンタが、力も全然ないのに私のこと頑張っておんぶして、神社まで降ろしてくれたのよ」


 「あれ、そんなことあったっけ?」


 「あったわよ。記憶力も悪いのね、バカ」


 「心外だ、俺は記憶力の良さにはむしろ定評がある。誰がどのような悪口を俺に言ってたかなら、詳らかに言えるな。まず、小学校の頃のクラスメイトのケンタロウ君に、林間学校のキャンプファイヤーで俺がはしゃいでた時に、急に調子乗んなって言われたな。それから……」


 「あーもう分かったわよ!悪い方の記憶しかないじゃない、どんだけ悲惨な人生なのよ」


 「そうだよ、俺は根に持つタイプなんだ。悪いことばっか記憶に定着しちゃうんだよ。だから、安曇野にしてあげたことが仮にあったとしても、逆にそれはすぐ忘れちゃうんだ」


 「マイナス思考な脳みそね」


 「ほっとけ、むしろ将来のストレスに備えてる優秀な脳みそだよ」


 そう、俺は最悪の場合を常に想定して、過度に期待しないことによって幸福度を担保しているタイプなのだ。だから、安曇野にやってあげたことに見返りなんて期待していないし、期待していないからこそ忘れてしまう。

 安曇野は俺に対して、後ろめたさなんて感じなくて良いのだ。なぜなら、最初から俺は、誰にも期待なんてしていないのだから。


 「逆に、安曇野はよくそんなこと覚えてるよな。おんぶしたとか、全然思い出せないよ俺は」


 「……忘れないわよ」


 「そうなのか?」


 俺がそう聞き返すと、彼女はスッと立ち上がって、前屈みに俺を見ながら首を傾げて微笑んだ。


 「あの時のことも、今日のことも、アンタが忘れたとしても、私はずーっと忘れない」


 「いや、別に忘れても良いぞ」


 「……忘れない」


 その真っ直ぐ真剣な眼差しに、思わず息を呑む。彼女に後ろめたさや恩義を感じさせ続けるのは、心苦しさがあるのは否めないのだが、こうも一直線に言われてしまうと閉口するほか無かった。


 「忘れないわよ、私はバカのアンタと違って、優秀だから」


 「……そうだな」


 俺と安曇野はそう言ってお互い吹き出し、神社に灯った灯火の上で笑い合った。こんなふうに2人で笑い合うのは、いつぶりだったろうか。


 「じゃあ、アンタは他のことも全部忘れてるってワケね」


 「他のこと?」


 俺がそう言って首を傾げると、安曇野は小さく身を捩りながら、少し照れるように俺をチラと見てくる。


 「だからその……約束のこととか」


 「約束?上履きの踵は踏まないとか?」


 「違うわよ!それ約束とかじゃないから生活指導だから!」


 なんで俺同級生から生活指導されてんだよ、どんだけ生活力ないんだよ。


 「うーん、あとは思いつかないなぁ」


 「……バーカ」


 「おい俺今日何回バカって言われなきゃいけないの?1バカにつき1ポイント貯まるとかだったら、結構な商品と交換できる程度にはバカって言われてるぞ」


 「アンタが何にも覚えてないからでしょ!バカバカ、バーカ!」


 「おい流石に舐めすぎだ、俺だってもうちょっと検索すれば思い出せるわ」


 「じゃあ思い出してみなさいよ!」


 そう言われて、俺は幼少期からの安曇野との淡い記憶を辿る。ふと、彼女との思い出の中で、二つの約束をしたシーンが映し出された。


 「……海に連れてく」


 「……覚えてるじゃない、バカ」


 「覚えてるのにバカなのかよ、これじゃどっちみち俺はバカってことじゃねえか」


 俺が不服を申し立てると、安曇野は心なしか嬉しそうにしながら、顔を赤らめて俺をチラチラと見る。


 「へー、覚えてたのね、ふーん、バーカ」


 「あのなぁ……」


 「じゃあ、もう一つは?」


 「え?」


 「だからもう一つ!私を海に連れてくって約束した時に、もう一つ約束したじゃない!」


 膨れっ面で俺を覗き込む安曇野に、その答えが一瞬喉元まで出かかったのだが、恥ずかしさがあったのか、あるいはそんなことを口に出すのが夢見がちすぎて憚られたのか、俺はそれを飲み込んで、空虚になってしまった口元から申し訳程度の言葉を出した。


 「……覚えてないな」


 「……そっか」


 


 

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