清算1
遠くの祭りの明かりを写して微細に光る瞳から、澄んだ大粒の涙を流して、安曇野の頬がキラリと淡く光る。俺はその寂しげな表情に、逡巡してしまった。
「あの時、私はアンタを裏切った!アンタのことを見捨てた!」
「あ、あれは、仕方なかっただろ……」
「仕方なくなんてない!私は、アンタのことを、傷つけたの……」
安曇野はそう言って、俯きながら両手で顔を押さえる。
「……いや、あれはやっぱ仕方ないだろ。あんな風に揶揄われたら、中学生の多感な時期なんてああするしかない。タダでさえ安曇野は優秀だから、しょうもない奴からのヘイトを買いやすいんだ。アレ以上俺になんて構ってたら、余計に付け入る隙を与えて、安曇野まで孤独な学校生活を送る羽目に……」
「アンタはずっと!ずっと1人だったじゃない!」
「それは……俺は1人でいるの、そんなに苦じゃないから……」
「そういう問題じゃない!アンタを1人にしたのは、私なの!私がアンタのことを、自分のために見限ったの!」
まさか、そんな罪悪感を、彼女が感じてしまっていたなんて。俺は泣きじゃくる彼女に動揺を抑えながら、宥めるように続ける。
「それは、安曇野にとって正しい判断だろ。陰キャの俺をあそこで損切りするのは、安曇野の学生生活の安寧のために間違いなく必要だったことで、それを誰が責めるんだよ」
「アンタは責めてよ!」
俺の言葉に、安曇野は顔を上げてそう切り返す。
「なんで裏切られたアンタが!そんな風に言えるのよ!他の誰に責められる道理が無くたって、アンタだけは私のことを責めて良いはずじゃない!苦しい思いをしたのは、紛れもなくアンタなのよ!?」
「そ、それは……」
俺がその言葉に何も言い返せないでいると、安曇野はまた項垂れて、ポロポロと砂利道に涙を溢した。
「なんでアンタが、私に優しくできるのよ……」
悲しげにそう言う安曇野に、改めて俺は自らに問いを投げかける。
安曇野は、決して悪くない。もし自分の立場に悪影響を及ぼす存在が近くにいるならば、たとえ断腸の思いを伴ったとしても切るべきだ。それを裏切りだなんて呼ぶのは、トカゲの尻尾が勝手にトカゲに期待しているだけの、浅はかな傲慢にすぎない。客観的に見て、安曇野は何一つ間違っちゃいない。
しかし、俺から見たらどうか。裏切られた張本人である俺から見たら、たとえ彼女のそれが仕方のない判断だとしても、そうやって俯瞰して割り切ってしまって良いのだろうか。
俺はあの時、あの言葉を投げかけられた時、確かに辛かったのだ。であるならば、それが仮に癇癪にも等しい幼稚な逆恨みだとしても、自らの主観に基づいて、彼女を責める道理くらいは、あるのではないか。
そう、俺が彼女に優しくする必要なんて、ない。
「……そうだな、じゃあ泣いてないで早く戻れ」
「……え?」
俺は安曇野の手を掴んで立ち上がり、彼女を引っ張り上げようとした。彼女はそれに抵抗するように、地面に蹲る。
「ちょ、なによ急に!」
「もうアンタの出番の時間なんだよ、迷惑かかるからさっさと戻るぞ」
「離して!私は戻りたくない!」
強引に引っ張り上げようとする俺に、安曇野は首を強く横に振って振り払おうとする。
「みんな待ってんだよ、早くしろ」
「だから誰も待ってないの!私のことなんて誰も見てないの!」
「何言ってんだよ。もしかして、本当の私のことなんて誰も見てくれない、みたいな思春期丸出しの陶酔メンヘラ発言でもするつもりかよ」
「そうよ悪い!?みんな、優等生の琴音ちゃんしか見てくれないもん!成績優秀で、才色兼備で、真面目な優等生、生徒会長安曇野琴音しか見てくれないもん!」
「そんなん当たり前だろ。その見方で、何も間違ってないんだから」
「違う!私はそんな良い子じゃない!人からの見られ方を気にしてるだけ!お父さんお母さんに怒られたくないだけ!ただみんなに褒められるように振る舞って演じてるだけ!」
安曇野は俺の手を振り払うと、立ち上がって前のめりに涙を流しながらコチラを見た。
「みんなから嫌われたくないだけなの私は!だから、アンタのことだって裏切った!もし信念があるなら、誰からも称賛される本当の優等生だったら、あんなことしない!何もないの!千曲双葉や立科乃亜みたいに、自分の人生を生きてない!私には何もないの!」
「何もなくないだろアンタは。成績優秀で、友達も多い、教師や近所の人達からの人望も厚い、陽キャのキラキラ1軍JKだ。こんなに何もかも持ってるのに、何もないなんて、持たざる者への冒涜だぞ」
「そんなの表面上の私だもん!本当の私は、自分可愛さで幼馴染を見捨てて、相手が求めるように媚びへつらうだけの、自分だけの夢だってない、何もない女の子なの!」
「やっぱり思春期丸出しのメンヘラじゃねえかよ。何が本当の私だよ、じゃあ今までアンタがしてきた努力は、好かれるためにしてきた気遣いは、全部嘘だったのかよ。ふざけんな、じゃあそのうちの一つさえ出来なかった俺は、一体なんなんだよ!」
涙で腫れた安曇野の瞳をまっすぐ見つめて、俺は柄にもなく感情的に声を上げた。
「生徒会長になるのだって、近所のみんなから好かれるのだって、俺じゃ逆立ちしたって出来ねえよ!それを表面上だの、本当の私じゃないだの言ってんじゃねえよ!誇れよ!アンタがそれを誇らなかったら、隣にいたのに何一つ得られなかった俺が、哀れで仕方ないだろ!」
「うるさい!私はそれを、ただ言われたから、任されたからやっただけなの!千曲双葉や立科乃亜みたいに、自分で選んだ道じゃない!」
「言われたからやるのは、求められたからやるのはそんなにダメなのかよ!誰からも求められなかった俺と違って、アンタはヒトから求められてんだよ!それで誰かの期待に応えたくて進んできた道なら、アンタが自分で進んだ道だろ!」
「勝手に決めつけないで!本当の私のことなんて、アンタだって全然わかってない!生徒会長とか、地域のアイドルとか、そんな表面上の私だけみて、私を判断すんな!」
「アンタだって、千曲や立科のこと、表面上だけで判断してただろ!聞き齧ったことだけで、勝手にあの子たちの印象を作って、勝手に分かった気になってただろ!」
俺のその言葉に、安曇野は何かを言い返そうとして、唇を噛んだ。俺は彼女の両肩に手を置いて、その大きな瞳を捉える。
「生徒会長なのも、ご近所のアイドルなのも、弓道部の部長なのも、優等生なのも何もかも、安曇野琴音だろ。本当とか嘘とか、そんなもんない。安曇野琴音は、安曇野琴音だ。それ以上でも、それ以下でもない」
俺のその視線に、彼女はゆっくりと瞬きをして、一粒の涙を流した。
「私は、みんなの求めてるような子なんかじゃ……」
「安曇野の中での安曇野だけが、本当の安曇野なのかよ。じゃあ、俺から見た、眩しくて手が届かなくて、1番近くて1番遠い、幼馴染の安曇野琴音は、寂しくて誇らしい、友達の女の子は、本当の安曇野じゃないのかよ」
そう、俺が見てきた彼女は、誰よりも実直で、真面目で、他者の身勝手な期待にすら、裏切りの罪悪感を感じてしまうほどに、優しい女の子だった。
そんな安曇野が、本当の安曇野じゃないなんて、たとえ本人に言われたって認めてたまるものか。俺は俺の主観で、彼女を判断して良いはずだ。
「……俺にとっては、俺が見てきた素敵な女の子こそが、本当の安曇野琴音だ」
田園の中を夏のそよ風が吹き抜けて、若い稲穂を撫でる音がその夜に小さく響いた。その風のせいだろうか、安曇野の息遣いが、一瞬だけ変わったような気がした。
「……やる」
「……え?」
「そこまで言うなら、アンタから見た私を、やってやるって言ってんの!」
安曇野はそう言うと、浴衣の袖口で瞳を拭って、俺の目をまたまっすぐ見た。その大きな瞳からは、もう涙は溢れていない。
「……よし、さっさと戻るぞ、絶対遅刻だよこれ」
「人生初めてだ、遅刻するの。なーんか、雄太みたいになっちゃった」
「ほっとけ」
俺と安曇野は小走りで、神社の鳥居へと駆けて行く。ふと、俺の袖口が、ぎゅっと握られた。
「……私、下駄履いてるから、ちょっと、支えて欲しい」
「了解」
俺は安曇野の手を握って、ギュッと繋いだまま引いた。その手の感触が、なぜだか懐かしく感じられたのは、きっと何かの勘違いだろう。
「アンタから見た私って、そんな感じなんだ、ふふ、へー」
「な、なんだよ」
「じゃあさ、私から見たアンタは、一体どんなヒトか、知りたい?」
「……いや、あんま期待できなそうだからやめとく」
「……そっか」
祭囃子が近づきてきて、俺たちはこの極彩色の夏祭りへと、再び戻ってきた。
「けど、自分が思う自分と他人から見た自分が違うってのは、アンタの考えにしてはだいぶまともね」
「あー、これ俺の考えじゃないぞ。ジョハリの窓って言って、まずこのフレームワークでは4つの場合分けをするんだけど……」
「あー長い!私から見たアンタは、理屈っぽくて話が長い偏屈野郎だから!」
「おい最悪の評価じゃねえか。嫌な盲目の窓だな、いや自覚はあるから開放の窓だけど」
「意味わかんないこと言ってないで、さっさとテントに戻るわよ!」
アンタが先に脱走しようとしてたんだけどね。俺は調子を取り戻した安曇野にため息混じりに苦笑いを浮かべた。
俺たちがテントに戻ると、近所の人たちが心配そうに安曇野の元に集まってきた。
「おお!琴音ちゃん、遅いから心配したよ!」
「すいません!もう時間ですよね、早く準備しないと!」
安曇野はペコペコと頭を下げると、化粧をしてくれる女性がスタンバイしているパイプ椅子に腰掛けた。
「あー!前の人の出番終わっちゃったよ!次もう琴音ちゃんの出番だ!草間さん、化粧どれくらいかかる?」
「どれだけ早くやっても5分はかかるわよ!」
「ごめんなさい……」
居た堪れなくて申し訳なさそうに肩を窄める安曇野に、中年男性は困ったような表情を浮かべる。
「うーん、どうしよう。場繋ぎだと……あやめちゃんは、一昨年ステージ壊しちゃったからなぁ」
おいあの人何やったんだよ。ステージ壊したってなんだよ、闘牛でもやったのか?
俺が苦笑いを浮かべていると、オジサンが近づいてきて、俺の背中をバシッと叩いた。
「おい!あやめちゃんの弟!なんかやれ!」
「……はい?」
俺が眉を顰めていると、顔を真っ赤に染めたそのオジサンが俺の背中を不躾にバシバシ叩く。うわ酒くさ、この人出来上がっちゃってんじゃん。
「ほら、裸踊りでもなんでも良いから!やれ!」
「いや、流石に全裸は……俺捕まりたくないんで」
「そんなこと言ってねえだろ!みんな困ってんじゃねえか!男なんだから、場繋ぎでステージなんかやれ!」
うわぁ、俺この人苦手だなぁ。典型的な昭和のホモソーシャル、俺が将来入る会社にはこういう人いませんように、てかやっぱ働きたくねぇ。
「……じゃあ、落語とかなら」
「は!?雄太落語なんて出来んの!?」
俺のその言葉に、化粧をしてもらっていた安曇野が驚いたような声を上げる。
まぁ、実際落語なんて出来るはずもなく。しかして、何かの特殊技能など一つも持ち合わせていない俺がステージ上で出来ることなど、お喋りくらいが関の山なワケで、それを落語と偽ってやるくらいしか思いつかなかったのだ。
「……まぁ、完全なる創作落語だけどな。古典なんて一つも知らんし」
「けど、そもそもアンタ人前……」
心配そうに見つめる安曇野に、俺はステージ袖の階段に待機しながら目配せをした。このステージを、安曇野が自らへの自信を取り戻すものにするためには、周りへの迷惑は最小限にしなければならない。この5分の穴埋めが出来るか否かで、彼女の近所での評判が上下する。
才色兼備の優等生、安曇野琴音を俺が望むなら、彼女にそう振る舞うと決意させたのならば、俺はそれを貫徹させるために、5分の恥くらいかかねばなるまい。安曇野に集まった顰蹙を、俺が肩代わりしなければなるまい。
てか、どうせ近所の奴らなんて上京したら会わないからな、どう思われようが知ったこっちゃない。
「じゃあ、その、行きます」
俺は逸る鼓動を抑えるように深呼吸をすると、マイクを持ったオジサンに合図を送った。
「えー、次は、須坂さんの弟くんによる、落語披露です!」
読み上げですら弟扱いかよ、まぁ良いけど。
俺は階段を登ってステージに上がり、舞台の中心に正座した。俺のことを見つめる十数人の観衆に怖気づきそうになるが、必死に呼吸を整えて、観客は見ないように遠くの提灯に視線を定めた。こういう時は人を野菜だと思えとか言うけど、いざ人前に立つと全然無理だわ、めっちゃ人だわ。てか、なんで野菜なんだよ、どうせなら有機物より無機物の方がより魂が無さそうで良い気がするけど。
「……えー、昔から三道楽煩悩なんて言われておりまして、飲む、打つ、買う、この3つに気をつけていれば、世の中うまくやっていけるよ、などと言っておりますが。そんな昔の物質的豊かさが無かった時代の享楽には現代人の俺はあんまり興味がなくて、ゲーム、アニメ、ラノベ、これが俺にとっての、いわば三道楽煩悩にあたります」
シーンと静まり返る客席を見ないように、俺は話を続ける。
「しかし、こればっかりやってると、世間の目はどうにも冷たくて。未だに2次元への偏見ってのは上の世代を中心に根深いものがあるんです。それが特に顕著なのが、田舎という環境になりまして、都市部と比べるとその画一性と保守性からか、オタクってのはどうも市民権を得にくいようなんですね」
これは田舎に住んでいるオタクの悩ましさの1つで、二次元やオタクを差別するという古すぎる慣習が未だに地方には残っていたりして、都市部と比べて学校内でさえオタクの肩身が狭いというのが田舎の難儀さなのだ。
「さて、こうした閉塞感の漂う山に囲まれた盆地の片田舎に、アニ熊と呼ばれる男がおりました。よくアニメが好きな人間への蔑称としてアニ豚なんてスラングがあったりしますが、コイツはまるで冬眠中みたいに部屋にこもってアニメゲームラノベ三昧だから、そりゃ豚じゃなくて熊みたいだってな寸法で、アニ熊なんて呼ばれ方をされていたんですね」
ちなみに、この呼び方は言わずもがな姉から付けられた俺のあだ名である。ちょっとスラングにかかってる上に言い得て妙なのがまた腹立たしい。
「このアニ熊はね、あんまり地元のことが好きになれなかった。オタクとあらば差別され、近所とあらば住んでる場所がなんとなく知られていて、そこはかとなく内輪ノリが寒い雰囲気が、そのレペゼン地元!みたいなノリが、どうにも耐え難かったんですな」
少しだけ、聴衆の目が厳しくなるのを感じた。俺は話を続ける。
「こんなとこ出てやる!そうアニ熊が思うのは必然だったようで、ついに憧れの東の都、東京に辿り着きました。そこはまるで天国みたいな場所で、アキバもあれば、アニメの聖地も多ければ、声優さんやVTuberのイベントやオフ会だってすぐ参加できる。コミケだって新幹線に乗らずにりんかい線でちょちょいのちょい。いやはや、二次元好きにはたまらない環境だったんです」
不意に、観客席の奥で立ち見する、千曲と立科と目が合った。先のように安曇野弟の小さな手を両サイドで繋いでいる。
「しかしね、アニ熊にとって何より心地よかったのは、誰にも憚られずにアニメオタクでいられる、相互監視が薄い社会だったってことです。人が多すぎて互いに興味を持ちにくい社会だと、わざわざ近所のあの人がどうとか、そんな下卑た噂話も起きないし、こうあるべきみたいな介入だってない。その田舎にはない流動性が、彼にとってはもっとも心地よかった」
なんとなく、祭りの雰囲気が悪くなっていくのを感じる。そう、これがこの祭りの、あるいはこの地元の批判になっていることに、何人かの聴衆が気付き始めたのだ。
「けれどね、アニ熊は目覚まし時計の鬱陶しい音と、カーテン越しに部屋に入る煩わしい朝日に気が付いて、ふと目が覚めてしまいました。そう、彼が東京に上京したのは、儚い夢だったんです。いや夢オチかい、そう彼は嘆きました」
聴衆の小さなザワつきから目を逸らすように遠くを見ると、心配そうに見つめている千曲と立科の表情が目に入ってきてしまった。前にもあんな視線を、彼女たちに傾けられたことがあっただろうか。
俺は気にしないように話を続ける。
「そこで彼は、あの夢を今度こそ現実にするために、東京の大学に入るために猛勉強するんですな。田舎の公立高校特有の、地元国公立大学をとにかく勧めてくる担任教師のおためごかしを一切無視して、私大対策に全てを投げ打ったワケです。その結果、彼は見事に東京の私大になんとか滑り込んだワケです」
俺の語り口に、少しずつ熱がこもっていった。思いの外フラストレーションが溜まっていたのだろうか、創作という隠れ蓑に乗じて、この片田舎の夏祭りのステージだからこそ、言いたいことを言ってやりたいと、そう思ってしまったのである。
「彼は地元に馴染めなかった。多様性を相互監視で排斥して、保守的に新しい文化や価値観を唾棄し、噂話と内輪ノリで生きていくことに苦痛を感じていた。自分の人生によく知らない親戚が平気で口を出してくる雰囲気が、近所の誰もが顔見知りである閉塞感が、どうにも気に食わなかった」
そう、俺の言っていることは正しいわけではない。地元に骨を埋め、小学校や中学校の友達と酒を酌み交わすことができる器用で社交的な人種は、むしろ素晴らしいとさえ思う。
しかし、それならば、田舎に迎合できず、内輪ノリと流動性のないコミュニティに疲弊して、オタクであることさえ憚らなければならなかった俺は、果たして悪なのだろうか。コミュ障として捨て置かれるべきなのだろうか。
この地域の象徴である夏祭りの中で、俺だけは、クソッタレな田舎に中指を立ててやる。俺の未来を、安曇野の未来を、勝手に決めてんじゃねえ。
「田舎にいたいヤツはいれば良い。嫌なら出れば良い。実家がどうだの、親戚からの圧力だの、教師の地元国公立至上主義の進路指導だの、知ったこちゃないと、アニ熊はそう思ったんです。なんてことはない、彼は自分の人生を自分で決めただけ。田舎に閉じ込められたくないと、そう思っただけ。そんな当たり前のことをしただけなんです」
最前列にいた中年男性が、邪魔するように大きな音を立ててパイプ椅子から立ち上がり、地面を乱暴に叩くように歩いて去っていった。
さて、時間稼ぎはそろそろだろうか。ステージの聴衆の、あるいは近所の重鎮たちのヘイトは、もはや遅刻した安曇野ではなく、完全に俺に向いただろう。
俺は役目の終了を悟って、締めに入る。
「アニ熊は上京して大学に入って、やがて飲み会なんかにも顔を出すようになります。そこで同級生の、オタサーの中では俺はイケていると思っているタイプのヤツに、酒を勧められるんですな。『おいおい、俺はあんまり酒得意じゃないんだよ』『いいじゃん!カシオレなんてジュースみたいなもんでしょ!』『そ、そうかなぁ』なんて会話をしながら、目の前にある酒を持ち上げて、恐る恐る口に持って行きます」
いやはや、田舎の絆の象徴であるこのお祭りで、田舎批判という最低最悪な創作落語を展開してしまうとは。やっぱ俺はこういうのに参加しない方が良いな。
「『ほら、イッキ!イッキ!』『じゃあ、いただきます……止そう』『どうしたの?』」
小悪党のモブキャラが悪くしたこの雰囲気を一変させるには、やはりヒロインが必要である。俺はフィナーレを飾る少女の準備が出来たことを横目で伺うと、ニヤリとヒールに笑った。
「また夢になるといけねぇ」




