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回想


 俺が物心ついたのは、3歳くらいの頃だったろうか。なんとなく、その辺りからの記憶がぼんやりとある。

 当時の記憶を遡ると、俺と同い年くらいの、髪を後ろで結んだ女の子が出てくるのだ。


 「ユウくんユウくん!」


 隣の家に住む彼女は俺のことをそう呼んだ。俺は彼女を当時どう呼んでいたのか、今ではあまり思い出せない。

 家族ぐるみでご近所付き合いがあり、保育園も一緒だった2人は、頻繁に顔を合わせるうちに、自然と仲良くなっていった。特別な出来事も、性格や趣味が合うなんてこともない、ただ近かったから、それだけ。

 こういうのを、幼馴染なんて呼ぶのだろうか。


 「なになにユウくん!コトにプレゼント?」


 明確に覚えている一番古い彼女との一幕は、俺が家族旅行で新潟に行った時に買ったお土産を、彼女にプレゼントした時のこと。この時の俺には誰かにプレゼントを買ってあげるみたいな社会性も主体性もなく、ただ親が買った貝殻のネックレスを横流ししただけのことである。


 「なにこれ、貝殻?ユウくん海に行ったの?」


 その質問に俺が頷くと、彼女は目を輝かせてコチラに飛びついてきた。


 「えー!いいないいな!コトも海行きたかった!ユウくんだけいいな!」


 思わず飛び退く俺に、彼女は頬を膨らませながら手足をバタバタさせると、手元にあるネックレスの紐を首の後ろに回しながら、コチラにニッコリと微笑んだ。


 「でも、プレゼントありがとう!嬉しい!今度はコトを、一緒に海に連れてってね!」


 こぼれ落ちそうなくらいの天使の笑顔で、彼女は首飾りの貝殻をギュッと大切そうに握った。


 「コト、ユウくんのお嫁さんになる!」


 子どもとは、澄み渡った純粋さを持ち、翻ってこの世の難儀さ残酷さを知らないが故に、こんなことをピュアに軽々しく言ってのける。

 さて、俺もこの時はその子どもだったハズなのだが、果たして彼女のこの言葉に、なんて返したのだろうか。それも、今では思い出せなくなってしまった。


 彼女とはそのまま同じ小学校に入り、同じ中学校に入る。田舎には公立以外の選択肢なんてないので、家が近ければ当然だった。クラスは一緒だったり、別々だったりした。

 彼女は小学校の頃から真面目で、成績優秀な優等生だった。教員たちは彼女を模範生として持て囃し、それは近所の大人たちも同じだった。小学校では児童会長、書道クラブのクラブ長を任され、俺と同じ集団登校班の班長だってやっていた。所属するコミュニティの数だけリーダーを任されるのが、安曇野琴音という女の子だった。

 片や、俺は小学校も中学校も、あるいは今に至るまで、リーダーという役職を経験した試しがなかった。集団登校班さえ、6年生の頃に年功序列の消去法で副班長に任ぜられ、安曇野が先頭で引っ張る列の最後尾からついていくばかりだった。

 この年齢になってようやく、その理由もなんとなく分かって諦めこそついたが、小さな頃から1番近くにいた安曇野が自然とリーダーを任されて、俺は自然とスルーされるのが、そこはかとなく不思議で、後ろめたく、少しばかり恥ずかしかった。

 こんな性格の片鱗が幼い頃から出てしまっていたのか、それともこういう出来事の積み重ねによる劣等感がこんな性格にしてしまったのか、あるいはどっちもか。今となっては分からない。


 「ユウくん!一緒に帰ろ!」


 小学校6年生の頃、俺が下駄箱で靴を履き替えていると、別のクラスだった安曇野が走ってきて、前屈みに俺にそう声をかけてきた。


 「え、あ、いや……」


 「久々に一緒に帰るわよ!ユウくんが見えたから、走ってきちゃった!」


 小学校高学年の頃、久しくクラスが離れていた俺たちは、低学年の時ほど一緒に下校することは無くなっていた。しかして、時折こうして安曇野から誘ってくることがあった。


 「ほら、ユウくん踵踏まないの!ちゃんと履かなきゃダメでしょ!」


 「え、あー、ごめん」


 「もー!ちゃんとクラスで友達できた?3組ではしっかりやれてるの?」


 心配そうにお節介を焼いてくる彼女に、俺は苦笑いをしながら頬をかいた。生徒会長に任命されたばかりの彼女と、小学校において何者でもないモブの俺が親しげに話すのに、なぜだか抵抗があったのである。


 「その、琴音ちゃんは、良いの?」


 「え?何の話?」


 「えっと、俺と一緒に帰って良いの?いつも一緒に帰ってる友達とか、いるでしょ?」


 俺が目を逸らしながらそう尋ねると、彼女は少し間を置いた後に、ニッコリと笑って俺のランドセルをバシッと叩いた。


 「良いに決まってるじゃない!私はユウくんと帰りたかったの!幼馴染なんだから、一緒に帰るのは当たり前でしょ?」


 劣等感という感情を覚え始めたその頃の俺にとって、その言葉はそこはかとなく嬉しかった。なんだか、認めてもらえたような気がして、その下校中はいやに饒舌だったことを覚えている。

 

 中学に上がってからは、小学校の時以上にクラスのカーストが顕在化した。人はいつからこうした残酷な社会性を身につけるのだろうか、中学2年に上がる頃には、もうクラスのみんなでドッヂボールをすることも無くなっていた。皆、仲の良い奴とだけつるむようになっていったのである。


 「ねぇ雄太!制服シワになってる!ちゃんとハンガーにかけてんの!?」


 中学2年の頃、久々に同じクラスになった安曇野は、新学期早々に俺に話しかけてきた。変化といえば、呼び方が変わったことと、当たりが強くなったことくらいだろうか。


 「あー、昨日は床にポイってしたわ」


 「信じらんない!なんでそんなことが出来るワケ!?」


 「いや、だって一刻も早くゲームしたかったからな」


 「どんだけゲームしたいのよ!ホントありえない!」


 俺のブレザーを引っ張って伸ばしながら、安曇野は口を尖らせた。俺はそのお節介に気怠く机に突っ伏す。


 「ちょっと、なに寝てんのよ!次理科なんだけど!ちゃんと教科書とか、移動教室の準備して!」


 「あー、ギリギリに行くわ、ちょっと余裕あるし」


 「5分前行動!雄太いっつもギリギリじゃない!ダメよそんなの!」


 「なんでだよ、間に合ってるなら問題ないだろ。だいたい5分前行動ってなんだよ、9時って言っといて8時55分に着いてなきゃ文句言うのはいちゃもんだろ、それだったら最初から5分前に設定しとけよ。自分だけの常識を正義として振りかざして他人に文句や嫌味を言うヤツは、暴走した正義こそが最も醜悪で残酷であるという人類の過去から学ぶべきで……」


 「うるさい!そんなよく分からないこと言ってる時間があったら、さっさと準備しなさい!じゃないと置いてくわよ!」


 安曇野のその指摘はそれなりにクリティカルで、厨二病全盛期の斜に構えた俺でも流石に何も言い返せず、無気力に引き出しから教科書を漁った。

 

 「おーい!琴音なにしてんの?早く行こうよ!」


 不意に、教室後方のドアから数人の女子がコチラを覗き込んで声をかけてきた。コチラと言っても、その対象者に俺が入っている訳もなく、安曇野を誘っているだけなのだが。


 「ごめーん!先行ってて!」


 安曇野はその女子達に向かって申し訳なさそうに手を振ると、振り返って俺の引き出しを一緒になって漁り始めた。


 「もー!雄太が遅いせいで、みんな先行っちゃったじゃない!早く教科書出しなさいよ!あーもう机の中汚い!」


 「……いや、なんで先行かなかったんだよ」


 「は?だから雄太が遅いからでしょ!」


 「俺に構ってないで、置いていけば良いだろ」


 俺が訝しげな表情を浮かべてそう言うと、安曇野はため息混じりに引っ張り出した理科の資料集を突き出す。


 「なに言ってんのよ!私がいなきゃ、雄太遅刻するかもしれないじゃない!」


 「いや、しねえよ、最悪全力ダッシュして間に合わせるよ」


 「廊下は走っちゃダメ!やっぱ私がいないとダメじゃない雄太は!」


 どうやら会話が噛み合っていないようだったが、安曇野はそんなことお構いなしに俺の腕を引っ張り上げて、教室のドアを指差す。


 「ほら!みんな行っちゃったじゃない!私たちも早く行くわよ!」


 俺はそのままの調子で引っ張られるままに、安曇野と一緒に廊下を歩いて理科室まで行った。

 そんなふうにことあるごとに世話を焼かれながら、中2の5月に差し掛かったある日のこと。


 「ほら!次の授業体育よ!ちゃんと体操着持ってきたの!?」


 いつものようにお節介を焼いてくる安曇野に、俺が嘆息しながら体操服を用意していると、新しくクラスメイトになった男女が数人、俺たちを取り囲むようにして立った。


 「琴音さ、コイツと仲良いの?」


 「え?」


 ニヤニヤと俺を指差す男子に、安曇野は少し戸惑ったような声を出した。


 「えっと、雄太は私の幼馴染で……」


 「えー、雄太とか呼んでんじゃん、なっかいいー!」


 ニヤニヤと笑うその男子に呼応するように、周りの男女がクスクスと笑った。

 その笑顔が悪意のあるものであることは、俺も、そしておそらく安曇野も分かっていた。ヒトは、思春期に近づくにつれ、含みのある邪悪な笑いを覚えていく。

 向けられたその悪辣な微笑に、安曇野は狼狽えたように視線を左右に乱した。


 「べ、別に仲良いとかじゃ……」


 「え、でも琴音めっちゃコイツにベタベタしてない?もしかして付き合ってんの?」


 「つ、付き合ってるワケないでしょ!?」


 「えー、でもまたコイツと移動教室しようとしてたよね?なに?もしかしてコイツのこと好きなの?」


 「す、好きじゃない!移動教室だって、ゆう……コイツとしようとしてたワケじゃない!」


 安曇野はそう言って机を強く叩くと、自分の体操着だけ持って教室を出て行った。

 俺を取り囲んでいた男女はその様子を見た後に俺を一瞥して、甲高く嫌な笑い声をあげて談笑しながら去っていく。俺は、努めて何も気にしていないフリをしながら、黙々と体操服の準備をした。


 そんなことがあってからというもの、安曇野が俺に話しかけてくることは殆ど無くなった。移動教室も、彼女は別のクラスメイトと共にするようになり、俺は1人恥を忍んで廊下を歩いた。


 そうして、新学期が始まって2ヶ月が経った、雨の降り頻る6月のとある日。

 姉から近所の夏祭りへの参加を打診された俺は、その話を学校で安曇野として来いという姉の指示のもと、休み時間に彼女の机に向かった。安曇野は他のクラスメイトと談笑中だったが、俺を見るなり気まずそうに俯く。


 「その、今良いか?今年の夏祭り、姉ちゃんが俺も参加しろって言ってきてさ、それで琴音ちゃんに日程とかの詳細聞いて来いって言われて……」


 俺が話す間、安曇野は目を逸らして俯き続ける。その様子に、俺は苦笑いを浮かべた。


 「あー、えっと、だから、日程とか分かるか?」


 俺がそう尋ねると、安曇野は身をギュッと小さく縮めながら、まるで誰にも気が付かれたくないみたいに、小さな声で呟く」


 「……かけないで」


 「……え?」


 「他の人の前で、話しかけないで……」


 初めて見る表情だった。常に自信のある彼女からは想像もつかないほどの羞恥心と苦悶が、どうしようもなくその所作から感じ取れた。誰にも見られたくないと、そう言われているみたいだった。

 虚脱感がした。体のどこかに穴が空いたような、そんな気がした。そりゃそうだ、クラスの一軍にいる彼女が、クラスの最底辺にいる俺と親しげに話している姿など、見られたくないに決まっているのだ。それは彼女の沽券に、評判に、生存に関わることだ。

 そこで初めて、俺は知った。学校空間において、別のカーストの人間と親しげに振る舞ってはいけないのだと。俺という存在が、相手の立場さえ危ぶんでしまうかもしれないと。


 「ご、ごめん……」


 俺は下手くそな愛想笑いを浮かべて、消え入るようにその場を去った。

 今となっては分かるのだ。ヒトは中学生にもなると悪意を覚え、真面目さや優秀ささえも疎外の対象にしていくことを。共同体での地位を確保するためには、正しさや高潔さだけではどうにもならず、時に冷遇や無視という邪悪にも加担しなければならなくなるということを。

 安曇野は、常にクラスの中心だった。それは、彼女が優秀で真面目なだけではないことを雄弁に語っている。彼女は、安曇野琴音は、秩序の準拠に秀でているのだ。きっと彼女は、場所によっては飲みコールも平然とやってのけ、セクハラさえ穏便に受け流すだろう。なぜなら、それがその村社会における、秩序だからである。

 だからこそ、彼女は俺を今、村八分にした。自分の立場を守るために、秩序を乱さないために。それはとても合理的で、彼女にとって正しくて、俺はその選択を攻める気にはなれなかった。


 「おっすー、おかえりー」


 俺が家に帰ると、当時まだ女子高生だった姉が、制服姿でリビングのソファに寝っ転がっていた。


 「琴音ちゃんに聞いてきた?今年の夏祭りいつやんのか」


 牛乳パンを貪り食う姉を尻目に、俺はゲームのお供のお菓子を漁る。


 「……悪い、姉ちゃんが直接安曇野に聞いてくれ」


 「え、雄太琴音ちゃんと同じクラスなんじゃないの?てか、安曇野って呼び方……」


 起き上がって怪訝な表情を浮かべる姉に、俺はリビングのドアを開きながら言う。


 「もう、あの子と話す機会、多分ないから」


 「は?それどういう……」


 「夏祭りもやっぱ俺は不参加で。じゃ、よろしく」


 俺はリビングのドアを閉めて、階段を登って自室に向かった。ゲーム機を起動させ、雨の止まない曇天を窓ガラス越しに見上げる。

 その雨が、なぜだか妙に苛立って、それでいて寂しく思えて、まるで部屋に逃げ込むみたいに、俺は黒のカーテンを閉め切った。

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