95 魔王ハロルド誕生
~偽ルイス視点~
深夜の地下水路。 俺は、湿った石畳の上を苛立ちを隠さずに歩いていた。 おかしい。静かすぎる。 俺が雇った見張りの兵士どもが一人もいない。それに、俺が目をつけていた極上の獲物――あの生意気なケットシーの姉の方も、牢屋から消え失せている。
「何者かが奴隷を連れ出した……? おまけに今日の当番だった看守3人も一緒にいないとは、どういう事だ?」
俺は空になった牢屋の鉄格子を蹴り飛ばした。 誰かが連れ去ったか? いや、泥棒が入った形跡はない。監獄も荒らされた気配もない。 俺が戻ってくるまでの間、少し時間が空いた。 まさか、あの下品な兵士どもが、俺の許可なく勝手に女を連れ出し、別の場所で楽しんでいるのか?
「……まさかなぁ。俺の獲物に手を出すなんざ、命知らずにも程がある」
俺の脳裏に、かつて取り逃がした男の顔が浮かぶ。 ハロルド。 あの魔族の小娘と共に消えてから、暫く月日が経った。セトリア王にも頼み、国中に指名手配と捜索願を出しているが、未だに行方知れずだ。 奴が来て奪還したのか? いや、奴にそんな度胸も力もあるまい。
コツン、コツン……。
通路の奥から、交代の時間になった別の看守がやってきた。 俺の姿を見るなり、彼は驚愕に目を見開いた。
「ル、ルイス様っ!! こ、こんな時間にこちらにいらしたのですか!?」
「ご苦労。……おい、これは一体なんなんだ?」
俺は顎で空の牢屋をしゃくった。
「はて? 何がでしょう……?」
俺の言葉に、看守は何かを疑うように周りを見渡す。 そして、牢屋の中に誰もいないこと、前の当番兵がいないことに気付くと、一気に血の気が引いたように顔が青ざめ、引きつりだした。
「ど、奴隷がいない?! あ、あと、前の看守たちはどうしたんですか!? 報告ではここにいるはずですが……!」
「俺が聞いているんだ。お前も何も知らないのか……」
「は、はい!! 私は今来た所なので、何も……! 誓って何も知りません!」
看守がガタガタと震えだす。嘘をついているようには見えない。 ふむ……。何も知らないとなると……。 やはり、前の看守どもが姉妹を回す為に、どこか別の部屋へ連れていったのか……? 俺の楽しみを邪魔するなら、死罪も免れないと分かっている筈だと思っていたが……人間の欲望というのは浅ましいものだ。
「……裏口から出入りした痕跡はありますでしょうか? もし連れ出したのなら、人目を避けるために……」
看守が恐る恐る提案してくる。
「あぁ……、そういえば裏口を見ていないな……」
俺は、看守に言われて、この監獄には死体を処理するための裏道があったのを思い出した。
「でも、わざわざ看守が裏口から出入りすると思うか? あそこはたしか……牢屋で拷問死した人間を放置して、そこから海へ遺体を流していた廃棄経路だぞ? 腐臭も酷いし、おまけに裏口から頑丈な鍵をかけている。わざわざ裏口の鍵を開けてまで、女を連れ出すかな?」
俺は懐疑的だったが、念のために確認することにした。 俺はランタンを手に取り、看守を連れて裏通路へと足を運ぶ。 湿気とカビ、そして死臭が混じった淀んだ空気が漂う。
しかし……俺の予想は裏切られていた。 裏口の扉の鍵が開いていたのだ。 そして、俺の手に持つランタンの明かりが、扉の下の地面に落ちている「何か」を照らし出した。
キラリ、と金色の光が反射する。
「これは?」
俺は屈み込み、その落ちていたアクセサリーを手に取った。 それは、精巧な細工が施された、古びているが品格のあるペンダントトップだった。 俺はそれをまじまじと見つめる。その意匠には見覚えがあった。
「ほ~……。黄金の樹に巻き付く竜……。『アスガルド王家』の紋章か……。これは王族しか持てないタリスマンじゃないか……」
俺の口元が歪む。 間違いない。これは滅びたアスガルド王国の、正当なる王家の人間しか身に付けることを許されないタリスマンだ。 こんな希少な物が、なぜこんな汚い裏口に落ちている? 考えられる可能性は一つ。
「やってくれたな……。ハロルドめ……。俺がここに居る事を知っていやがるな……」
俺の中で、全ての点と線が繋がった(と錯覚した)。 ハロルド。奴は魔王の弟の息子であり、アスガルド王家の血を引く男だ。 奴がこのタリスマンを持っていても不思議ではない。 奴は、俺への当てつけのために、わざとこれを落としていったのか? それとも、慌てて逃げる際に落としたのか?
「ククッ……ハハハッ!」
俺は低い笑い声を上げた。
俺はハロルドの素性をよく知っていた。だからこそ、わざと奴に近づき、油断させ、徹底的に叩きのめしてやったのだ。 俺は『勇者』なのだから。 この世から魔王の血族を根絶やしにしなくてはいけない。 今はもういない魔王に変わり、新たなる魔王が復活するのも時間の問題だ。 そう……ハロルドこそが、その「魔王の種」なのだ。
「勇者の脅威になりうる芽は、全て摘み取ってやらんとな……」
俺の口元がニヤリと三日月形に吊り上がる。 奴隷の一人や二人はどうでもいい。 だが、俺に弓引く存在がいること、そしてそれが近くに潜んでいることが分かったのは収穫だ。
「面白い。隠れんぼは終わりだ」
俺はタリスマンを強く握りしめた。 奴を徹底的に探し出し、潰し、世界を魔王の手から完全に「保護」する。 勇者の存在こそが絶対正義なのだから。 俺は女神に選ばれし、唯一無二の勇者なのだから……。
「まぁ、いいさ……。ヤツの情報が分かるまで、俺はこの街で好き勝手やらせてもらう……。楽しみが増えたというものだ」
俺は怯える看守を置き去りにして、暗い通路を戻り始めた。 その背中には、どす黒い殺意と、歪んだ愉悦が渦巻いていた。
(※ルイス達が落としたタリスマンは、おそらくスルトかクローディア、あるいはルイス自身が持っていたものだが……この小さなミスが、偽勇者の狂気を加速させる火種となってしまったのだった。)
………。
……。
…。
~ハロルド視点~
乾いた風が、ヒュオオオ……と音を立てて吹き抜けていく。 かつて栄華を極めたその場所は、いまや見る影もない。
「久々だな……。アスガルド城……」
オレとティーンは、長い旅路の果てに、かつて魔族の王都と呼ばれた『アスガルド』へと辿り着いていた。 だが、オレの記憶にある、白亜の壁と美しい尖塔が並ぶ壮麗な城はどこにもない。 目の前にあるのは、焼け焦げ、崩れ落ち、雑草に覆われた巨大な瓦礫の山――ただの廃墟だった。
オレの親父は、先代アスガルド王の弟だった。 親父は伯父貴ととても仲が良く、無用な王位継承争いを避けるため、そして人間の女性――オレの母親と生きるために、自ら王族の地位を捨ててこの城を出たのだ。 それでも、オレがまだ幼かった頃、何度か親父に連れられて、お忍びでこの城に遊びに来たことがあった。 優しかった伯父貴。そして、いつも元気だった従姉妹のスルト。 あの頃の記憶が、今の惨状と重なり、胸をえぐる。
「ここが……魔王の城、アスガルドですか……?」
ティーンが、崩れた城壁を見上げ、少し寂しそうな、悲痛な表情で呟く。
「あぁ。女神崇拝教が『聖戦』と称して攻めてくるまでは、ここはとても綺麗で美しい場所だったんだ。あの向こうには、活気ある商店が建ち並んでいて、人間も魔族も、色々な種族が大勢居て賑やかだったんだ」
「それが……、こんな静かな廃墟に……なってしまったんですね……」
「全ては、女神崇拝教と……人間の欲望のせいさ……」
オレはティーンの手を強く握りしめ、瓦礫の海と化した城の奥へと足を進める。 かつて立派な門番が立っていた城門も、今はただぽっかりと空洞のような穴を開けているだけだ。見ているだけで心臓が鷲掴みにされるような息苦しさを覚える。
幸いにも、城の深部へと続く構造体は辛うじて残っていた。 静まり返った回廊を歩く。足音だけが虚しく響く。
「やっぱり……誰もいないか……」
生き残りはいない。分かってはいたが、現実を突きつけられると重い。
「あの……、ここにはハロルドさんのお父さんの『秘密』があるって、前に言ってましたが……」
「あぁ……。もうすぐだ。親父が酔った時にだけ話してくれた、王族しか知らない秘密の場所だ」
城内の奥まった場所にある、使用人すら通らない狭い通路。その突き当たりにある隠し扉を開けると、地下深くへと続く螺旋階段が現れた。 冷たい空気が下から吹き上げてくる。 オレはランタンを掲げ、ティーンを庇うようにしてゆっくりと階段を降りていった。
数分ほど降り続けただろうか。 底に辿り着くと、そこには異様な空間が広がっていた。
「これは……。こんなものが地下に……?!」
「な、何か……怖いです……。空気が……重い……」
ティーンがオレの腕にしがみつく。 通路の突き当たりには、壁一面を塞ぐ巨大な金属製の扉があった。 ランタンの光を近づけ、壁を良く照らしてみる。 扉には、神話に出てきそうな憤怒の形相をした魔神の顔が浮き彫りにされており、その両目は怪しく光る宝石で埋め込まれていた。
「ぐっ……。やっぱ、ただ押しただけじゃ開かないか……」
オレは扉を両手で力強く押してみるが、数トンの岩のようにびくともしない。 鍵穴もない。どうすればいい? その時だった。
ドクンッ……!
オレが背負っていた『黒の聖剣』が、まるで心臓の鼓動のように脈動し、背中にずしりとした重みと熱を感じさせた。
「ハロルドさん! ハロルドさんっ! 背中の聖剣が……黒いオーラを放っています!!」
ティーンの悲鳴に近い声。 オレは慌てて背中の聖剣を鞘から抜き放ち、目の前に掲げた。 漆黒の刀身が、闇夜のようなオーラを噴き出している。 それに呼応するように、開かないはずの扉の魔神像もまた、黒く不気味な光を放ち始めた。
「まさか……。この剣が『鍵』なのか?」
オレは恐る恐る、震える手で聖剣を扉に近づけた。 剣先が扉に触れようとした、その瞬間。
ズズズズズズズ……ッ!!
物凄い地響きとともに、巨大な扉が独りでに、ゆっくりと後方へと動き出した。 数十年、いや数百年閉ざされていたであろう空気が解き放たれる。
「こんな事が……」
「お、奥に入れそうですよ!! ハロルドさん!」
オレは剣を下げ、再びティーンの手を繋ぎ直すと、その開いた扉の奥、漆黒の闇へと足を踏み入れた。 30歩ほど歩いただろうか。 突然、部屋の壁に掛けてあるランタンのような魔導具が反応し、次々と連鎖するように青い炎が灯った。
ボッ……ボッ……ボッ……!
「これは……」
青白い光が広大な石室を照らし出す。 部屋の中央には、黒曜石で作られた祭壇があり、その中心には拳大の、透き通るような『青色の水晶』が鎮座していた。 それは、周囲の闇を吸い込むほどに美しく、そしてどこか危険な輝きを放っていた。
オレは吸い寄せられるように祭壇へと歩み寄る。 本能が、それを求めろと叫んでいる。
「この水晶は……」
「何か……、とても綺麗ですね……。でも、寂しい色です……」
オレは無意識の内に手を伸ばし、その青い水晶に触れた。
カッッッ!!!!
指先が触れた瞬間、水晶が爆発的な光を放った。 大量の青い奔流が吹き出し、オレの全身を包み込む。
「ぐっ!! な、なんだこれ……!! 体が……熱い!! 中に入ってくるッ!!」
「は、ハロルドさんっ!!」
それは一瞬の出来事だった。 青い光はただの光ではない。膨大な魔力と情報の塊だ。それがオレの皮膚を、筋肉を、骨を透過し、魂の深淵へと強引にねじ込まれていく。 激痛と快楽が同時に襲う。
「っつ……!! うあぁぁぁぁっ!!」
膝をついたオレの頭の中に、直接響くような、優しくも厳かな女性の声が聞こえてきた。
『……目覚めなさい。我が血を引く者よ』
(誰だ……!?)
『魔王ハロルドよ。聞こえますか……? 貴方の封印されていた王家の力、そして固有スキルを解放できそうです。故に、貴方はこれからとある大きな存在……。勇者ルイスと共に、この世界を守るのです……。彼と共に歩みなさい。どうか私を信じて……』
その言葉を聞いた瞬間、オレの中で何かが弾けた。 世界を守る? 誰と? 勇者ルイスとだと!?
「ふざけるなァァァァァァァッ!!」
オレは叫んだ。全身から殺気が噴き出す。
「誰だお前はっ! 勇者ルイスと共にだと!? ふざけるなーっ!! 奴がオレから何を奪ったと思っている! 家族を、恋人を、平穏を、全て焼き尽くしたあの悪魔と手を組めだと!?」
オレは虚空に向かって吠えた。
「一体、お前は何者だっ!? 勇者ルイスが何故に関係ある! あいつはオレから全てを奪い去った敵だっ! 殺すべき仇だ!!」
しかし、オレの拒絶以降、その優しい女性の声はプツリと途絶えてしまった。 代わりに残ったのは、体の中で暴れまわる新たな「力」の感覚だけだった。
「ハァ……ハァ……ッ……」
「ハロルドさんっ!? だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
ティーンが駆け寄り、心配そうにオレの腕を掴んで揺さぶる。
「あぁ……。とりあえず……は……」
オレは荒い呼吸を整え、玉のような汗を拭った。 先ほど聞こえた声の事をティーンに話す。ティーンにはその声は聞こえなかったようだが、彼女はオレの言葉を疑わずに信じてくれた。 そして……。 オレは自分の両手を見つめた。 血管にマグマが流れているかのような、不思議と漲る力。かつてない全能感に、オレ自身が驚愕していた。 (これが……魔王の力……?)
試しに、目の前の水晶が置いてあった黒曜石の台座に向かい、聖剣を力任せに振り下ろしてみる。 ガギィン!!
火花が散るが、台座はびくともしない。物理的な強度は変わらないか。 だが、頭の中に浮かんでくる「イメージ」がある。 物理法則を無視し、座標を書き換える力。 オレは台座に向かい、片手をかざした。
「……【ディストーション(空間歪曲)】……」
グニャリ……
音が消えた。 水晶が置いてあった台座周囲の空間が、陽炎のように揺らぎ――そして、飴細工のようにねじ曲がった。 硬度など関係ない。そこにある「空間そのもの」がねじ切られたのだ。 台座は見るも無残な形に圧縮され、ひしゃげていた。
「……ッ!!」
今まで、剣を振ることしかできなかった無力なオレだったが……。 これなら……。勇者の聖剣すらも届かない領域で、奴を殺せる。
その光景を見ていたティーンは、暫く放心状態で立ち尽くしていた。 だが、彼女の目には恐怖ではなく、暗い炎が宿り始めていた。 彼女もまた、勇者の名の下に行われた理不尽な暴力の被害者なのだ。
「……勇者ルイス……。私も、あいつだけは許せません……」
ティーンがポツリと呟く。そして、オレを見つめ、跪いた。
「魔王ハロルド様……。どうか私の敵を……。理不尽な正義を振りかざす奴らを、滅ぼしてください……」
「ああ……。任せておけ」
オレは聖剣を鞘に納め、歪んだ台座を見下ろした。 あの声の主が誰であれ、関係ない。オレの道はオレが決める。
「これからはオレ……。いいや、この私が新たなる『魔王』となろう」
一人称が変わる。覚悟と共に。
「そして、魔族を追放し殺害する人間どもや、偽善者・勇者ルイスを討とうじゃないか……。この世界に、本当の絶望を教えてやる」
オレ……いや、私は、魔族救済の為、そして復讐の為になら、人間の血で手を染めることに、もはや何の躊躇いも感じなくなっていた。 ただ静かに、復讐の炎だけが、青い水晶の光の中で燃え上がっていた。




