88 俺は偽者ルイスとなる?
暗い裏路地の奥。 そこでは、吐き気を催すような光景が繰り広げられていた。
「へへへっ! なぁ嬢ちゃん? あんまり俺達を困らせないでくれよ? 抵抗すればするほど、牢屋にいるお前の姉さんがどうなってもいいのか?」
「……っ!! お姉ちゃんだけは……だめにゃあ!! 手出ししないでぇ!!」
少女の悲鳴に近い懇願を嘲笑うように、派手な装飾の服を着た小太りの男が、少女の細い腕を乱暴に掴み上げる。 月明かりに照らされたその姿。頭の上にはピンと立った三角の耳、そしてお尻からは長い尻尾が怯えたように丸まっている。
「レイジ~っ? あの子~! 猫の獣人……『ケット・シー族』だよ~っ!!」
コタースが小声で教えてくれる。
「あぁ! やっぱりか……。初めて見るけど、あの特徴的な耳と語尾……間違いないな」
ケット・シー族。猫の妖精とも呼ばれる希少な種族だ。 俺とクリステルは顔を見合わせた。
「レイジ? もしかしたらですが……あの偽物が言っていた『ケット・シー姉妹』というのは……」
「ああ。お姉さんが自分を犠牲にして妹を逃がしたって言っていたな。あの子が、その逃げ出した妹の可能性が高い」
「酷いですわ……。人質を取って脅すなんて」
俺たちが様子を窺っている間にも、事態は悪化していく。 小太りの男は、ニヤニヤしながら少女を壁際に追い詰める。
「まさかお前の姉さんが、自分を犠牲にしてまでお前を逃がすと思って居なかったぞ~? だが無駄だったな。ここはお前達のような魔族崩れが逃げられる場所じゃねぇんだよ」
男は掴んでいる少女の腕を大きく振り払った。 ドサッ!
少女は抵抗する力もなく地面へと叩きつけられ、無防備に転がってしまう。 すると、男は嗜虐的な笑みを浮かべ、少女の着ているボロボロの奴隷服の胸元に手をかけ――力任せに引き裂いた。
ビリィッ!!
「ひぃっ!! な、何をするのにゃ!? やめてぇ!!」
「大人しくしろ! どうせお前達は魔族をかくまった重罪人だ!! 人権なんてねぇんだよ!」
粗末な布が裂け、少女のまだ未成熟な肢体と、あばらが浮くほど痩せた肌が露わになる。 彼女は顔を真っ赤にして、慌てて胸を片手で隠しながら、ズリズリと後ろへ後退りを始める。 だが、その背後には見張りの大男が立ちはだかっていた。大男は逃げようとする少女の背後から両脇を掴み、強引に立たせて羽交い締めにする。
「だから逃げるなと言っているだろ? 諦めろ! ショーに出す前に、俺達が味見して食ってやっても……バレなければいいんだからよ!」
「い、いやぁ!! 離してぇ! やめるにゃ!! 誰かぁ!!」
その光景を見て、コタースが身を乗り出す。
「レイジ~? もう見てられないよ~! 助けてあげる~!? 今行かないとまずいよ~っ!」
「……ああ。だが、どうする」
俺の中で葛藤が走る。 下手にここで「冒険者レイジ」として出ていって騒ぎになれば、衛兵を呼ばれ、俺達の素性が怪しまれる。せっかく変装までして潜入したのに、偽者の耳に届けば警戒されて逃げられるかもしれない。 だが、見捨てるという選択肢はない。
どうすれば……。 いや……待てよ? 奴らは俺の「偽物」の手下だ。そして俺の顔を知っている。 (変装している姿がバレたら終わりなら……変装していない『俺』ならどうだ?)
俺は「本物の勇者ルイス」だ。だが奴らにとっては「自分たちのボス(偽物)」に見えるはずだ。 一か八かの賭けだ……。よし……。
「ここは俺が一人で出る。コタースとクリステルは、万が一があればいつでも応戦できる準備をして隠れていてくれ」
「分かったよ~! でもどうするの~? そのままじゃバレちゃうよ~?」
「逆だよ。俺が『レイジ』から『ルイス』になればいいだけさ……」
俺は路地の陰で、頭に着けているターバンやマントを取り払い、魔法薬で変えていた目の色や金髪を解いた。 金色の髪が、夜闇に溶けるような黒髪へと戻り、瞳が本来の色を取り戻す。
「俺が『偽者』になりきって、正面から堂々と出ていく」
「なっ……! で、ですが、本物が現れたと知れわたるのでは?」
クリステルが息を呑む。
「どちらにしても、直ぐには分からないはずだ。偽者は俺がこの街に居る事すら知らないし、まさか変装を解いて敵の懐に入ってくるなんて思いもしないだろう」
俺は懐にしまってあった共鳴石を取り出し、魔力を込めて屋根の上の仁さんに念を送る。
(仁さん、聞こえますか? これから俺は『偽者』のふりをして奴らの前に出ます。何かあれば援護をお願いします!)
一拍おいて、仁さんの落ち着いた声が頭に響く。
(承知したでござる。目を離さず見ているでござるよ。ルイスどのの名演技、期待しているでござる。背後は拙者に任せるでござる)
仁さんの言葉を聞き、俺は覚悟を決めた。 表情筋を緩め、あの偽物が見せていたような、冷徹で傲慢な表情を作る。 そして、ゆっくりと足音を立てて、少女達の居る袋小路へと歩み出た。
カツーン……カツーン……。
静寂を破る足音に、少女を羽交い締めにしていた大男が気付き、こちらを睨みつける。
「ああん? 誰だテメェ……覗きか? 怪我したくなかったら失せろ……ッ!?」
大男の言葉が途中で止まり、その目が驚愕に見開かれる。 その異変に気付いた小太りの男も、少女の服に手をかけたまま振り返る。
「おい、どうし……た……だ、誰だ!! ……って、ま、まさか!?」
月明かりの下、俺は悠然と立ち止まり、冷ややかな視線で彼らを見下ろした。
「ああ。そのまさかさ。……俺が誰か、分かるよな?」
低く、威圧的な声を出す。 小太りの男は、まるで幽霊でも見たかのように顔色を青ざめさせ、慌てて少女から手を離すと、ゴマをするようにへつらいながら駆け寄ってきた。
「ル、ルイス様ぁ!? ま、まさか勇者ルイス様が、このようなむさ苦しい場所まで自ら足を運ばれるとは……!」
「……何をしている?」
俺は質問には答えず、鋭い視線を裸同然の少女に向けた。
「何故、この少女にこんな真似をした? 俺の許可なく」
「い、いや! へへっ、この少女が逃げ出したものですから、少しばかりお灸を吸わせてやろうと……」
少女を見ると、俺の顔を見て絶望的な表情を浮かべ、ガタガタと震えている。 彼女にとっても、俺は「姉を捕らえた悪魔」に見えているのだ。心が痛むが、今は耐えろ。
「お灸だと? じゃあ、何故服を破いた? 何をしようとした?」
「いえいえ! 滅相もございません! あまりにも言うことを聞かず暴れ回るから、服を引っ張ってしまって……つ、つい! ビリーッと! 事故です、事故!」
男は俺の顔色を窺いながら、ヘラヘラと嘘を吐く。その卑屈な笑顔は、まさしく強者の威を借る小悪党そのものだ。
「……ふん。俺がその一部始終を見ていないとでも思ったのか?」
俺がドスの利いた声で告げると、男の笑顔が凍りついた。
「へっ……? み、見て……?」
俺は一歩、男に近づく。
「まさか、近々俺が主催する『楽しいショー』の目玉商品を……お前如きが勝手に『味見』しようとしたんじゃないだろうな? 傷物にしたらどうなるか、分からないはずではないだろう?」
俺は偽物が言いそうな、冷酷な理屈を並べ立てて追い詰める。
「俺がこの子に『何を』しようとしてるか……お前のその足りない頭でも理解しているよな? 俺の楽しみを奪おうとした罪、どう償うつもりだ?」
男は腰を抜かし、その場に土下座した。
「ひ、ひぃいいい! も、申し訳ありません!! 魔が差したんです!! 勇者様の獲物に手を出すつもりなんて!! 命だけは!! 命だけはお助けくださいぃぃ!!」
恐怖に慄く男たちを見下ろしながら、俺は心の中で舌打ちをした。 (……なんて脆い奴らだ。だが、これで主導権は握った)
俺は怯えて座り込むケット・シー族の少女の方へと、ゆっくり歩み寄った。 彼女は俺の顔を見て、恐怖で体を強張らせている。「姉を奪った悪党」と同じ顔をした男が近づいてくるのだ、無理もない。 俺は彼女の前に膝をつき、男たちから見えない角度で、唇だけで動くような小声で話しかけた。
「……もう、大丈夫だから。俺の話に合わせて? 絶対に助ける」
「えっ……? は、はい……」
少女は一瞬戸惑ったように瞬きをしたが、俺の真剣な眼差しに何かを感じ取ったのか、震えながらも小さく頷いた。 俺は立ち上がり、少女を背に庇うようにして、再びあの卑屈な笑みを浮かべていた背の低い男に向き直った。
「おい、お前!」
「は、はい! なんでしょうか、ルイス様!」
「興が削がれた。この少女は俺が連れ戻す。お前らの管理不届きだが……今回は見逃してやる。後は俺がやっておくから、さっさと帰っていいぞ?」
「へっ?!」
背の低い男が素っ頓狂な声を上げ、ポカンと口を開ける。 だが、その男の後ろに控えていた、一際体の大きな男が、鼻を鳴らして俺の前へと歩み出てきた。 巨漢だ。身の丈は2メートル近くあるだろうか。
「おいおい……ルイス様よぉ~? そりゃあないぜ? 話が違うだろうが!」
大男は威圧的に俺を見下ろし、唾を吐き捨てた。
「こいつらが逃げ出したら、捕まえた奴の好きにしていいと言ったのはあんただぜ? 俺達はまだ今回の報酬金も貰ってねぇじゃねぇか。なら、このガキでたっぷりと遊んで、代金代わりにしてから返してもいいだろ?」
下卑た欲望に濡れた目。 こいつらは、本能のままに弱者を貪るハイエナだ。言葉は通じない。
「……残念だが、断る。俺の獲物に手出しはさせん」
「あぁん? 偽善者ぶってんじゃねぇぞ。んじゃあ交渉は決裂だぜ? 俺達は今、暴れたくてウズウズしてんだよ!」
大男が凄むと、背の低い男も慌てて喚き散らす。
「え、ええい!! お、お前達! ルイス様が偽物かもしれないぞ!? いや、本物でも構わん! 少し痛め付けて分からせてやれっ!!」
その号令と共に、大男は自身の気を高めだした。 ブォォォォン……!
全身の筋肉が膨張し、体から青白い闘気のオーラが陽炎のように浮かび上がる。『身体強化』のスキルか。 彼は背中に背負っていた巨大な戦斧を軽々と引き抜き、凶悪な切っ先を俺に向けた。
俺は少女の前に仁王立ちになり、腰にぶら下げていた剣――以前、ガッシュから貰った愛剣『ミスリルソード』を鞘から抜き放ち、静かに構えた。 本気のエクスカリバーを使うと目立ちすぎるからな。これくらいが丁度いい。
「う、後ろにも、仲間が居るのを忘れるなよ!! 袋のネズミだ! 後ろの護衛達! 勇者に矢を放て!!」
背の低い男の指示で、俺や少女の背後、路地の出口を塞ぐように展開していた護衛達が一斉に弓を構えた。 ギリギリと弦を引き絞る音が響く。 少女が「ひっ!」と悲鳴を上げて俺の脚にしがみつく。
完全に包囲された状態。普通なら絶体絶命だ。 だが――俺には最強の仲間たちがいる。
俺は懐の共鳴石に魔力を送り、隠れている仲間に思考を飛ばした。
(クリステル! 『セイクリッド・シールド』を俺達に展開してくれ! コタースは後ろに居る弓部隊を! 仁さんは大男の後ろにいる護衛を無力化してくれ!)
即座に、頼もしい声が脳内に響く。
(分かりましたわ! 貴方には指一本触れさせません!)
(準備はいつでもOK~! 任せて~っ! 了解だよ~っ!)
(うむっ! 位置は把握済み。拙者も大丈夫でござる!)
次の瞬間。
ヒュパパパッ!!
護衛達が矢を放った。 十数本の矢が、殺意を持って俺と少女の背中に殺到する。 だが、矢が俺達に届く直前、空間に黄金の幾何学模様が浮かび上がった。
カァァァァァン!!
硬質な金属音と共に、俺と少女の周囲に青白く輝く半透明のドーム状の壁が出現した。 放たれた全ての矢は、その壁に弾かれ、あるいは砕け散って地面に虚しく落ちた。 聖女クリステルの絶対防御魔法『セイクリッド・シールド』だ。
「んなっ!? ま、魔法障壁だと!?」
背の低い男が変な声を上げて驚愕する。 だが、俺達のターンはまだ終わっていない。
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
闇夜を切り裂き、目にも止まらぬ速さで飛来した矢が、俺の背後にいた弓兵たちの膝や肩を正確に射抜いた。 コタースの神業的な狙撃だ。
「ぐあぁっ!?」
「足が! どこからだ!?」
弓兵たちが次々と悲鳴を上げて崩れ落ち、戦闘不能状態に陥る。
さらに、頭上からも死角なき攻撃が降り注ぐ。
シュシュシュシュッ!!
高い建物の屋根の上から、仁さんが投じた無数の手裏剣が雨のように降り注いだ。 それは大男の後ろで剣を構えていた護衛達の腕や武器を弾き飛ばし、的確に急所を外して無力化していく。 「うわぁぁっ! 見えない敵がいるぞ!」
一瞬にして、立っているのは俺の目の前の大男と、腰を抜かしかけている背の低い男だけになった。
「……お前ら、これで分かったか? 俺を倒そうなんて考えは起こさない方が身のためだぞ? まだ間に合う」
俺は切っ先を大男に向け、静かに告げた。 だが、大男は仲間がやられたことにも動じる様子がなく、逆に凶悪な笑みを深めた。
「フンッ! たかが護衛数人を、コソコソ隠れた仲間がやっただけじゃねぇか? 魔法使いと弓使いか? だがなぁ、この距離なら関係ねぇ!」
大男は巨大な斧をブンと振るい、風を切る音をさせた。 その表情は、自身の剛力で俺を叩き潰せるという絶対的な自信に溢れていた。
「今度は俺からいくぞ! 勇者様よぉっ! その細い剣ごとミンチにしてやる!!」
青いオーラを噴き上げながら、暴走戦車のように大男が突進してくる。 俺はフッと息を吐き、ガッシュから譲って貰った『ミスリルソード』を構え直した。
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