89 猫耳少女チェルシー
大男は全身から青白い闘気を噴き上げ、巨大な戦斧を風車のように振り回しながら俺に迫ってくる。 その一撃一撃が空気を切り裂く音を立てる。普通の人、いや、並の冒険者ならば、その威圧感だけで足がすくみ、一撃を受ける前に心を折られてしまうだろう。 だが、俺はこれまで幾多の死闘を繰り返し、規格外の存在とも渡り合ってきた。この程度の圧力、どうということはない。
(周りの被害を最小限に抑えたいが……、この狭い路地で派手に暴れるわけにはいかないな。なら……速攻で決める!)
俺はミスリルソードを構え、魔力を切っ先に集中させる。
「穿て……【閃光剣】っ!」
俺の周囲の空間に、光り輝く魔力の剣が無数に出現する。それらは俺の意思に従い、流星群のように大男めがけて一直線に殺到した。
「はははっ! そんな豆鉄砲が効くかよ! 【金剛壁】っ!」
大男が斧を地面に突き立てると、彼の前方に黄金色に輝く障壁が出現した。 真っ直ぐ伸びた光の剣の雨が障壁に激突するが、キンキンという硬質な音と共に弾かれ、掻き消されるように全て無効化されてしまった。
(ほう……意外とやりやがるな。ただの脳筋じゃないってわけか)
物理防御に特化したスキルのようだ。
(ルイスどの……。奴の防御スキル、正面からの攻撃には滅法強いようでござる。ここは拙者が隙を作るでござるゆえ、その隙にカウンターを叩き込むでござる!)
頭の中に仁さんの冷静な声が響く。
(仁さん! ありがとうございます! 合わせます!)
「オラオラァ! 次は俺からいくぜぇぇ~っ!! ミンチになりなぁ!」
防御の手応えに気を良くした大男は、巨大な斧を軽々と頭上へと振り上げると、全身のバネを使って瞬時に振り下ろしてきた。 回避は容易だ。だが、避ければ背後の少女に被害が及ぶかもしれない。 俺は一歩も引かず、迎撃の構えを取る。
「【身体強化】っ!!」
斧が振り下ろされるコンマ一秒の瞬間に、俺は強化魔法を多重に展開し、身体能力を爆発的に向上させる。 さらに、長袖のコートの下に隠された左腕には、ドワーフの匠ガッシュと古代エルフの技術が融合して作られた『ミスリルの小手』を装着している。 魔法金属ミスリルを何層にも重ねて鍛え上げられたこの銀色の武具の耐久性は、ドラゴンの爪すら弾き返すほど計り知れない。 俺はそのミスリルの小手にも【硬化】の付与を施し、振り下ろされてくる鋼鉄の刃を、左腕一本で受け止めにいった。
ガギィィィィィィンッ!!
「な、なにいっ!!」
鼓膜をつんざくような鋭い金属音が響き渡り、暗い路地に激しい火花が散る。 俺の左腕は微動だにしなかった。 対して、大男の自慢の戦斧は、その衝撃に耐えきれず刃が大きく欠け、細かい鉄クズとなって弾け飛んだ。
「バ、バカな……! 俺の斧を、腕一本で……!?」
大男が驚愕に目を見開いた、その一瞬の硬直。 仁さんはそれを見逃さなかった。
「神牙忍法……【影縫い(かげぬい)】!」
屋根の上から放たれたクナイが、大男の足元の影に突き刺さる。 瞬間、影が実体を持った鎖のように大男の全身に絡みつき、その自由を奪った。
「ぐぐぐっ! ぐぎっ!! か、体が動かねぇ!? な、何をした!?」
「どうでもいいだろ。それよりも……自分の命の心配をした方がいいぞ?」
俺は、瞬時に間合いを詰め、手に持っているミスリルソードの切っ先を、動けない大男の太い首筋にピタリとあてがった。 切っ先から伝わる冷気と殺気に、大男の顔から血の気が引いていく。 後ろで見ていた背の低い男も、腰を抜かしてへたり込み、ガタガタと震えて硬直している。
「くっ……! 殺せ……! 早く! 早く一思いに殺せっ!!」
大男は死を観念したのか、悔しそうに目を瞑り、叫んだ。
「……簡単に殺せるならそうしたいさ。お前たちがやったことを考えればな。でも、最後のチャンスをやる」
「あ……?」
大男が呆気にとられて目を開ける。 俺は剣を引かず、冷ややかな視線を残したまま、ケットシーの少女の方を向いた。 少女は相変わらず怯えていて、自分がどうなるかも分からず、破かれた服を押さえて不安そうな表情で小さく震えている。 俺は少女に近づくと、膝をつき、自分の着ていた上着を脱いで彼女の肩に優しくかけてあげた。 そして、男たちには聞こえないような小声で、彼女の耳元に囁きかけた。
「……怖かったな。ごめん。でも、もう大丈夫だ」
「ひっ……う、うぅ……」
「俺はあいつらとは違う。必ず君を助けるし、お姉さんのことも何とかする。だから……あと少しだけ、俺の演技に付き合ってくれないか? 君とお姉さんを助けるために」
俺が真剣な眼差しで見つめると、少女の瞳が揺れ、やがて小さく頷いた。 よし……これで役者は揃った。 俺は立ち上がり、再び「冷酷な支配者」の仮面を被り直した。
「君の名前は?」
「あっ…、ち、チェルシーにゃ…」
「そっか。ありがとう。君の姉さんは必ず助ける。もう少し辛抱してくれ…」
「えっ?」
チェルシーという少女はきょとーんと放心状態になり、変な返事をした。
「お姉さんの居場所は分かる?」
「えっ?わ、わかりますが…」
「そうか。分かった…」
俺はチェルシーから離れると、また背の低い男達の前に立つ…。
「おい?」
「は、はい!!」
「こいつらを全員連れて今すぐこの街から立ち去れ!そうするなら命だけは助けてやる」
「はい!!!今すぐ出ていきます!!」
俺は、一人一人をロープで両手を縛り、転移のスクロールで移動させて、なんとかチェルシーというケットシーの少女を無事に助け出せる事に成功した俺たちは、少女を連れて宿へと戻った…。
………。
……。
…。
裏路地での騒動を収め、俺達は震えるケット・シー族の少女――チェルシーを連れて、仲間たちが待つ宿屋の部屋へと戻ってきた。 クリステルが即座に治癒魔法をかけ、破かれた服の代わりにヒナルの着替えを貸してあげたことで、チェルシーはようやく少し落ち着きを取り戻したようだった。 だが、その瞳にはまだ深い混乱の色が宿っていた。
「……ど、どう言う事にゃ!? まったく意味がわからないですにゃ! あいつら、貴方のことを『ルイス様』と呼んで怯えていたのに、貴方は私を助けてくれて……。貴方は、あいつらの親玉じゃなかったのですか……?」
彼女は不安そうに尻尾を丸め、俺を見上げる。 俺は椅子に座り、彼女の目線に合わせて優しく語りかけた。
「えっと……混乱させてごめんな。もう一回、ちゃんと説明するね? ……俺が、本物の『勇者ルイス』だ」
「へっ……?」
「そして、君やお姉さんを酷い目に遭わせているあいつ……あいつが、俺の名前と顔を騙っている『偽者』なんだ」
「……つまり、私が今まで見てきた、残虐で恐ろしい勇者は……全部、偽者だったという事にゃ?」
「ああ、そうなるかな……。信じられないかもしれないけど」
俺が苦笑すると、横にいたヒナルがぎゅっと俺の首に腕を回し、頬を擦り寄せてきた。
「うん! このお兄ちゃんが本物だよ。見て? とっても温かくて、優しい匂いがするでしょ? あんな偽物とは大違いだよ。だから、安心してほしいな」
ヒナルの行動と言葉に、チェルシーは目を丸くし、そして俺の顔をじっと見つめた。 そこには、先ほどまでの冷酷な光はなく、ただ真っ直ぐな心配の色だけがあった。
それから俺は、チェルシーに今までの俺達の状況を包み隠さず説明した。 とある目的の為にアスガルドへ向かっている旅の途中であること。 その道中で、クローディアという魔族の少女を保護し、そこで初めて「勇者ルイスの偽者」が悪逆非道な振る舞いをしていると知ったこと。 そして、その偽物を止めるために、この貿易都市エストリアにやって来たこと。
「……そうだったのですか……。じゃあ、貴方が……本物の、伝説の勇者様?」
「うん。そうなるね! でも、今は勇者とかルイスって名前は、外では内緒にしててくれ。偽物に警戒されると困るから、俺はここでは『レイジ』って名前を使っているんだ」
「レ、レイジ様……」
チェルシーの強張っていた肩の力が抜け、少しずつ怯えから解放されていくのが分かった。体の震えも収まり、垂れていた猫耳が少しだけ持ち上がる。
「レイジ君? 事情は分かったけど……ちなみにこれからどうするのかな? このまま見過ごすわけにはいかないよね?」
ミランダが真剣な表情で切り出す。
「そうだよ! アンタがこの子を保護したのはいいけど、お姉さんがまだ捕まってるんでしょ? あんな奴らの手元に残しておくなんて、考えただけでもゾッとするわ」
ケアルが憤りを隠さずに言う。
「……お姉さんも、助けてあげるべき……です。家族が引き裂かれるのは……悲しい……です」
フレアも静かに、しかし力強く頷く。
「レイジさん? 私、まだ助けてもらったばかりで同行させてもらって悪いのですが……、私からもお願いします……! 私も兄ちゃんと離れ離れになったから、この子の気持ちが痛いほど分かるんです……!」
クローディアが涙目で訴える。 皆の気持ちは一つだ。俺も、あんな胸糞悪い話を聞いて、黙っていられるはずがない。
「ああ、もちろんだ。チェルシーのお姉さんを助けたい。……でも、敵の戦力が未知数だ。偽者のルイスは、今どこにいる?」
俺が核心を突くと、チェルシーは耳をピクリと動かした。
「彼は分かりませんにゃ……。ただ、あいつは毎晩、夜になると『大事な商談』だとか言って、取り巻きの女の人たちを連れてどこかへ出かけて行って、朝まで戻らないのですにゃ……。だから、助けるなら今が絶好のチャンスだと思いますにゃ……」
チェルシーが今日、命からがら抜け出した時には既に偽者は居なかったという。 そう考えれば、ボスの不在を突くなら今しかない。
「なるほど、夜遊びか悪巧みか……。好都合だ。……捕まっている場所はどんなところ? あと、君が抜け出した時は他に誰か見張りは居た?」
「捕まっている場所は、ここの街の地下にある『地下水路』ですにゃ……。かつて使われていた古い水路で、今は誰も近づかない場所ですにゃ」
チェルシーは記憶を辿るように説明する。
「北側の港にある、茂みに隠れた長い地下へ向かう階段から、私は逃げてきましたにゃ……。多分、そこが正規の入り口ではなく、裏道になっていると思いますにゃ。裏道には特に人も居なかったので、鍵さえ開けられれば簡単に行けると思いますにゃ……」
正規ルートは厳重でも、裏口は手薄。典型的な悪党のアジトだ。 全ての条件は揃った。 俺は立ち上がり、拳を握りしめた。
「そっか。貴重な情報をありがとう、チェルシー! それじゃあ……今すぐ、チェルシーのお姉さんを助けに行こう! 善は急げだ!」
俺の言葉に、チェルシーはハッと顔を上げた。 その大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出し、ボロボロと雨のように流れ落ちた。
「あ、あっ……、あ、ありがとうございますにゃあああ!! うぅっ、うぅぅ……嬉しいですにゃぁ……!」
彼女は俺の腰に抱きつき、泣きじゃくった。 絶望の淵にいた彼女にとって、この言葉がどれほどの救いだったか。 俺は彼女の頭を優しく撫でながら、仲間たちを見回した。
「よし……じゃあ、先ずはどうやって助け出すか、だね。余りモタモタはしていられない。偽物が帰ってくる前に決着をつけるぞ。どうするか、歩きながら即決で決めよう!」
「「「おーっ!!」」」
部屋中に、頼もしい仲間たちの声が響き渡った。 エストリアの地下に潜む闇を払うため、俺達の夜の救出劇が幕を開けた。




