81 アスガルドに向けてレッツラゴー!
~ルイス(レイジ)視点~
アルガスさんとカミラさん夫妻を無事に住居へ案内し、生活必需品の手配や今後の説明を終え、屋敷中のバタバタとした騒ぎがようやく収まった深夜。 窓の外では、雪明かりに照らされた村が静寂に包まれている。
俺はリビングの椅子に深く腰掛け、天井の梁を見上げながら、だらっとした姿勢で物思いに耽っていた。 体は疲れているはずなのに、脳だけが冴えて眠れない。
ふと、廊下の方から衣擦れの音が聞こえ、ドアが音もなく開いた。
「……貴方? まだ起きていたのですか?」
部屋に入ってきたのは、薄手のネグリジェの上にショールを羽織ったクリステルだった。 月光を浴びた彼女は、昼間の凛とした聖女の姿とは違い、髪を下ろしてどこか儚げで、そして艶やかだ。 二人きりの時だけ、彼女は俺の事を「貴方」と呼ぶ。それは、俺たちが夫婦同然の絆で結ばれていることを確かめ合う、彼女なりのここ最近の楽しみの一つでもあった。
「あぁ……クリステルか。ごめん、起こしちゃったかな? ちょっと、考え事をしていてね……」
「いいえ、ふと目が覚めたら貴方がいなかったので……。もしかして、アスガルドでの事や、今日聞いた話について考えていらしたのかしら?」
クリステルは音もなく俺の背後に近づくと、ふわりと甘い香りを漂わせながら、椅子に座る俺を後ろから優しく抱きしめた。 背中に彼女の豊満で温かい感触と、トクトクという心臓の鼓動が伝わってくる。
「貴方は……本当によく頑張っているわ……。今日来たアルガス夫妻の事、そしてこれからの村の事……一人で背負い込んで考えていたのですね?」
彼女の囁くような声が、凝り固まった俺の心を溶かしていく。
「あぁ……。図星だよ。これから彼らがここで生活をするわけだけど……もしも、あの女神崇拝教団がこの村の存在を嗅ぎつけて襲ってきたら……とかね。それに、今日聞いた『クローン技術』の話も気がかりだ。ホムンクルスよりもタチが悪い、自分たちの偽物が現れて悪事を働いたりしたら……って考えたら、怖くてさ」
俺は弱音を吐露した。 リーダーとして気丈に振る舞ってはいるが、不安がないわけではない。
「王様に会ってきたって言っていましたわよね? 何か対策はあるのですか?」
「うん。でも、詳しい話は明日、改めて城へ来てくれって言われてね。王様も何か情報を掴んでいるのかもしれない」
俺は顔を上げて、上から見下ろすクリステルの瞳を見つめた。 俺より2歳だけ年上の彼女。ヒナルやミランダたちとはまた違う、全てを包み込んでくれるような大人の安心感がある。 かつては偽物に汚されたという過去に苦しんでいた彼女だが、今ではその瞳に曇りはなく、俺への深い愛情だけが湛えられている。お互い、あの時の辛さを乗り越え、言葉にしなくても通じ合えるほどに信頼関係が深まっている証拠だ。
「女神崇拝教団をこのまま放置していたら、魔族の人たちはもちろん、また俺達みたいな『偽勇者の被害者』が出るかもしれない……。それに奴らは、俺の母さんの国を滅ぼすほどの力を持った狂信者だ……。そう考えると、俺がここで守りに入っていていいのかって……」
俺が眉をひそめると、クリステルはふふっと柔らかく笑い、俺の髪を梳くように撫でた。
「ふふふ、責任感の強い貴方らしいですわ……。なら……皆でその悪い奴らを、倒しに行きませんか?」
「えっ?」
予想外の言葉に、俺は目を丸くする。 クリステルは、母のような、そして頼れるパートナーとしての微笑みを浮かべていた。
「貴方が辛い時、今度は私が助ける番です。貴方の悩みがあるなら、私も一緒に悩みます。貴方が戦うなら、私も背中を預けて戦います。……一人で抱え込まないでくださいな」
「ありがとう……。そう言ってもらえて、本当に嬉しいよ」
クリステルは、さらに抱きしめる力を強めた。彼女の体温が俺の背中を通して全身に広がる。
「貴方が辛いなら、私も辛いですし……貴方が少しでも笑顔になっていただけるなら、どんな困難も一緒に解決していきましょう? 私達は、もう『家族』なのですから」
本当に……。 女性陣の中でも一番の包容力があり、心身ともに預けられるお姉さんみたいな存在だ。流石は、国一番の聖女様だけはある。妹のヒナルとはまた違った、大人の安らぎだ。
「ありがとう。クリステル……。愛してるよ」
俺は彼女の腕を解いて立ち上がり、振り返って彼女の腰に手を回した。 見つめ合う視線が熱を帯びる。 やがて、クリステルの顔がゆっくりと近づき……俺達の唇が重なった。
「んっ……ちゅ……ぁ……あんっ……ちゅ……」
静寂なリビングに、濡れた水音と吐息だけが響く。 しばらくの間、互いの存在を確かめ合うような、ほんのりと甘く、そして深い大人なキスが続く。 やがて、クリステルは顔を一旦俺から離すと、潤んだ瞳で熱っぽく俺を見上げた。
「ルイス……? 今度は、私が貴方を守ります……。絶対に、離さないですからね……」
その言葉には、聖女としての誓いと、一人の女性としての執着にも似た深い愛が込められていた。
「ああ……。そう言ってくれて嬉しいよ! でも、あまり無理はするなよ? 俺もクリステルを守りたいんだから」
「ふふっ、はい……貴方……」
そう言うと、クリステルは再び俺の首に腕を絡ませ、さらに深く、情熱的に顔を近づけてきた。
俺は彼女を横抱きに抱え上げ、寝室へと向かう。 夜はまだ長い。 俺達は不安を溶かし合うように、甘く、濃厚な愛の時間を過ごすのだった……。
………。
……。
…。
翌朝。 俺はエルドアス王国へと向かい、王様への緊急謁見を申し入れた。 通常ならば数日待たされるところだが、受付で俺が「ルイス」だと名乗ると、衛兵たちは顔色を変え、すぐさま最優先で王の間へと通してくれた。
重厚な扉が開き、俺は玉座の前に進み出る。 王様は俺の姿を認めると、堅苦しい儀礼を飛ばして人払いをし、玉座から身を乗り出した。
「よく来たな、ルイス! 魔族の保護の件、感謝するぞ! ……んでな? 報告によれば、その魔族たちはアスガルドから命からがら逃げてきたって聞いたんだが……一体、向こうで何があったんだ?」
王様の鋭い眼光に促され、俺は昨日、アルガスさんとカミラさん夫妻から聞いた衝撃的な内容を、包み隠さず洗い浚い打ち明けた。 再び「女神崇拝教」が暗躍していること。 彼らが『クローン』という、人間を人工的に複製する禁忌の錬金術に手を染めていること。 そして、その実験材料として罪のない魔族たちの命が奪われているという事実を。
話を聞き終えた王様は、眉間に深い皺を寄せ、玉座の肘掛けを強く握りしめた。
「……クローンだと? 神をも恐れぬ所業だな。腐りきってやがる……」
王様は吐き捨てるように言い、しばらく沈思黙考した後、顔を上げて俺を見た。
「アスガルドってのが、どうしても気になるな……。ルイス。お前に一つ、良い事を教えてやる。……まぁ、良い事かどうかは分からねぇがな」
王様の表情が、先ほどよりもさらに険しくなる。
「今回のその『クローン』の話と関係があるかは分からねぇ。だが……最近、アスガルド周辺で『戦女神アテナ』と瓜二つの容姿をした、変わった女性が目撃されたって話が入ってきている」
「戦女神……アテナ……?」
俺はその名前に息を呑んだ。 アテナ。神話に登場する女神の一柱であり、その昔、魔王ノルンを討ち果たした英雄的な女神の一人でもある。 その容姿は伝説として代々語り継がれている。輝くようなブロンドの長い髪、穢れなき純白のドレス、そして神々しい輝きを放つ大きな聖槍を持った、美しくも勇ましい若い女性だと。
「その『アテナ』を名乗る女が、本物の女神なのか、それとも偽物なのかは分からねぇ。だが、女神の格好をした人間が、崇拝教の信者たちと一緒に行動しているとしたらどうだ?」
王様は忌々しげに舌打ちをした。
「その地域に住む人間たちに『女神の神託だ』と嘘を吹き込み、『魔族は悪だ、排除せよ』と扇動するには……これ以上ないほど好都合な『広告塔』になるってわけだ」
「たしかにな……。女神の言葉となれば、人々は疑いもせずに信じてしまうだろうな……」
俺は拳を強く握りしめた。 アスガルドは、俺の育ての親である母さん(ユミル)が過ごしてきた故郷だ。 スルトの生まれ故郷でもある。 そんな場所が、教団の実験場にされ、人々が騙されているなんて許せない。
「……王様。俺は、なんとかしてでもアスガルドの魔族を助けたいと思う。それに、その辺に住む人々の誤解も解いていきたい……」
王様は相変わらず険しい顔で俺を見つめている。 自ら率先して魔族との共生を歩もうとしているこの国の王にとって、民衆を騙してまで魔族を迫害し、命を弄ぶ崇拝教のやり方は、到底看過できるものではないのだろう。 苛立ちと、静かな怒りが伝わってくる。
「……よし。それで、ルイスはどうしたい?」
その言葉の後に、王様はいきなり険しい表情を崩し、まるで悪戯を思いついた少年のような、ニコニコとした表情でこちらを見てきた。 俺の答えを、最初から分かっていて待っているような顔だ。
「あぁ……。それで、俺はアスガルド地方に旅に出てみたいと思ってる。勿論、他国の領土で問題を起こすつもりもない。ただ……やむを得ない場合は……」
「ああ。許可する。やむを得ない場合は、崇拝教とも戦闘になるかもしれない……いや、『徹底的にやってこい』ってことだろ?」
王様は俺の答えを聞いて、我が意を得たりとばかりにパァーっと明るい表情になった。
「ああ! その場合は……容赦はしない」
「なら……偽名を使え。……いや、待てよ」
王様は顎に手を当てて少し考え込み、ニヤリと笑った。
「ルイス。お前の『本当の名前』で、堂々と行動したらいいさ。向こうじゃお前の名前を知っているヤツがいても、それは噂だけの話だろ? 実際、あんな遠い国じゃ、ルイスの顔なんて分かるヤツはいねぇんだし。堂々と胸張って、レイジとして旅したらいいさ!」
「ははは! 了解しました!」
やっぱり、俺はこの王様が好きだ。 見事に俺が迷っている背中を押してくれる。本当にありがたい存在だ。 俺は決意を固め、今後の計画を口にした。
「暫く、この国を留守にすることになるが……。まぁ、旅の危険も考えて、俺の仲間を何人かこの国に置いて……」
「……おい、ルイスよ~……」
俺が話している途中、いきなり王様の声色が低くなり、表情が鬼のようにキツくなった。 部屋の空気が凍りつく。 あれ? 俺、何かマズイ事を言ったかな?
「お前が言う、その『仲間』ってのはよー?」
「ん? はい……」
「あの、お前を慕っている女の子達の事だろ!?」
「そうだが……? 危険な旅に巻き込むのも……」
俺が言い訳をしようとすると、更に王様の表情が厳しくなった。 それは王としての怒りではなく、人生の先輩としての叱咤だった。
「ルイス。あの嬢ちゃん達は、お前のなんなんだ? ただの戦力の仲間か? パーティーメンバーか? ……違うだろ? お前にとって、かけがえのない『大事な家族』だろ!?」
「あっ……」
その言葉に、俺はハッとした。 そう……。彼女達は、今はもう他人じゃない。 一緒に笑い、一緒に苦難に立ち向かい、共に生活をし……こんな俺の為に涙まで流してくれた、大事な家族だ。 それを俺は、「危険だから」という理由だけで、遠ざけようとしていた。
「……今ので、何か分かったか?」
「……あぁ。大事な、家族だ……」
「おうよ! 大事な家族だろ? んなら、その嬢ちゃん達は、どんな時でもお前と一緒にずっといたいはずだろ? 置いていかれる方が、よっぽど辛いと思わねぇか? なら、ここに残すなんて水臭い考えはやめれ……」
「あっ……」
そうだったなぁ……。 俺が勝手に気を使っていただけで、彼女達を数ヶ月も置いていくなんて言ったら……きっと、本人達は悲しむだろう。いや、怒ってでもついてくるはずだ。
「一緒に連れていってやれ。一緒に旅をして、一緒に色々な景色を見て、一緒に楽しみ、泣いて、喧嘩してこい。そうしたら、今よりももっと嬢ちゃん達の事を見てあげれるだろ? それが『家族』ってもんだ」
「……ああ!! そうだなっ!」
王様……。本当にありがとう……。 俺はまたここで、自分の未熟さを痛感すると同時に、心が温かくなるのを感じた。 俺は本当に、この王様には頭が上がらない……。
「それとな、もしこういう事があって、ルイスが旅に出る時に……と、自ら荷物持ち(ポーター)役をかって出てくれているヤツもいるぞ? ……お前の友人の、仁だ。彼も連れて行ってこい!」
「えっ、仁さんが……?」
毎日顔を合わせているけれど、今までそんな素振りは見せなかった。 また一緒に旅が出来るのか……。あの時は数日だけだったけれど、頼れる兄貴分だ。 ありがとう、仁さん……。
「後、こっちの守りは何も問題ないぞ? お前が繋いでくれた縁のおかげで、騎士団とほぼ互角の戦力がある忍者部隊も我が国の傘下に入ってくれたからなぁ~。仁はもちろん、ルシルやファデューには感謝しかねぇよ……。国は俺たちが守る」
「ありがとうございます……。王様……」
「はははっ! だから、余計な心配はせずに、思う存分暴れてこい!!」
「ああっ!!」
俺は王様に深く一礼し、城を後にした。 足取りは軽い。
そうして、俺は翌日……。 村に戻り、皆……俺の愛する家族たち全員に、旅の件を伝えた。 皆は、俺の予想通り、いやそれ以上の笑顔で、即答でOKしてくれた。
「当たり前でしょ!」
「もちろんです!」
「ついていくのじゃ!」
こうして、俺達の新たな物語。 アスガルドへの旅が、賑やかにはじまった……。
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