79 逃げてきた魔族
俺達が『異空間ストレージ』の快適な初夏の世界から、極寒の雪原へと戻った直後のことだった。 風に乗って、焦燥に駆られた悲鳴と、獣の咆哮が聞こえてきた。
「ルイス君!! あ、あれ見て!! ビッグベアじゃない!?」
ミランダが緊迫した声で指差した先。 数百メートル先の雪原で、巨大な黒い影が二人の人影を追い詰めていた。 体長4メートルを超える漆黒の巨躯。凶悪に光る赤い瞳。 間違いない、冬眠に失敗して凶暴化した「ビッグベア」だ。
その足元には、傷ついた男性と女性が倒れている。男性は腕を庇うように女性の前に立っているが、その腕には爪痕のような深い裂傷があり、鮮血が白い雪を赤く染めていた。あの巨体の一撃を受けて、よく腕一本で済んだものだ。
「まずいな……! このままじゃ食われる!」
俺は瞬時に判断を下し、指示を飛ばす。
「俺がまず足止めするから、ケアルは全力で男性の回復を頼む!!」
「うん! わかったわよ! 任せて!」
俺達が放った鋭い殺気を感じ取ったのか、ビッグベアは男女へ振り上げていた前足を止め、ゆっくりと巨大な首をこちらに向けた。 獲物を邪魔された怒りか、あるいはより強そうな敵を見つけた興奮か。
グォォオオオオオッ!!!
鼓膜を揺らすような雄叫びと共に、ビッグベアが猛スピードで突進してきた。 600キロを超える質量が弾丸のように迫ってくる。まるで小さな地震でも起きているかのように地面が揺れ、雪煙が舞い上がる。
「させないっ!」
俺は、迫りくるビッグベアに右手を向け、即座に土属性魔法のイメージを構築する。
「大地よ、鎖となれ! 【アースバインド】!!」
突進してくるビッグベアの足元の雪原が隆起し、土の固い塊がまるで意思を持つ大蛇のように伸びた。それはビッグベアの太い前足と後ろ足に絡みつき、強固に締め上げる。
「グォッ!? ガァァアアア!!」
ビッグベアは前のめりに転倒しそうになりながらも、凄まじい筋力で暴れ、土の拘束を引きちぎろうとする。だが、俺の魔力を注ぎ込んだ拘束は鋼よりも硬い。 その一瞬の隙を見逃さず、ケアルが疾風のように戦場を駆け抜けた。
「死なせないわよ! 【ハイ・ヒール】!」
ケアルが男性の側に滑り込み、掌から柔らかな緑色の光を放つ。 見る見るうちに男性の裂傷が塞がり、血が止まっていく。ヒナルほどの瞬間再生ではないが、戦場の回復術士としては超一流の手際だ。
「次は世の出番だな……。久々に暴れるかのう!」
バハムートが、幼女の姿のまま、恐るべき速度でビッグベアの懐に飛び込んだ。 見た目は可憐な少女だが、中身は最強の竜神。 「はっ!!」
バハムートの小さな拳が、ビッグベアの鋼のような腹筋に深々とめり込む。
ドゴォォォォォンッ!!
質量を無視した衝撃音が響き、巨体がくの字に折れ曲がって宙に浮いた。
「今だ! フレア! 重力魔法を頼む!」
「了解……です……!」
フレアは目を閉じ、杖を両手で掲げ、静かに詠唱を紡ぐ。 ビッグベアの周囲の空間がぐにゃりと歪み、赤黒いモヤがかかったような高重力空間へと変貌する。
「地に伏せよ……【グラビティ・プレス】……!」
「グォォオオオオオ!! ガッ、ガッ……!! クォーン!!!」
ビッグベアの悲鳴が、押し潰されたような呻き声に変わる。 自らの体重が何倍にもなってのしかかり、巨体は雪原に縫い付けられたように動けなくなった。
「ミランダ! 一緒にトドメを!」
「分かったよ! ルイス君!!」
ミランダが風属性魔法で加速し、銀色の閃光となってビッグベアへ肉薄する。 腰のレイピアを抜き放ち、流れるような動作で急所を狙う。
「はぁ~~っ!! 【ソニック・スラスト】!!」 ズシュッ!!
鋭い突きが、ビッグベアの硬い頭蓋骨を貫通し、脳幹を破壊する。 俺が常時展開している『オートバフ(全能力強化)』のおかげで、彼女の攻撃力は数倍に跳ね上がっているとはいえ、流石は騎士団長の娘。見事な剣技だ。
「凄いな! ミランダ! 完璧だ!」
「えへへ、ルイス君には負けるよ!?」
ミランダが俺に向けて最高の笑みを浮かべる。 俺は頷き、背中の聖剣エクスカリバーの柄に手をかけた。
「これで……終わりにする! はぁああああっ!!」
ズドンッ!!
抜刀と同時に放たれた光の斬撃が、ビッグベアの巨体を縦に一刀両断にした。 辺りは衝撃で地吹雪が巻き起こり、一瞬、視界が真っ白になる。 雪煙が晴れる頃には、ビッグベアは光の粒子となって消滅していた。
「ふぅ……。終わったな」
「ルイス君。お疲れ様~っ! 格好良かったよ!」
「ああ! ミランダもお疲れ様。……それより、ケアルたちのところへ行こう!」
俺達は急いで怪我人の元へと駆け寄った。 既に治療を終えた男女が、信じられないものを見るような目で俺達を見上げ、深々と頭を下げていた。
「あ、ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます!」 「あんな化け物を一瞬で……。あなた方は一体……」
「無事みたいで良かった! 怪我の具合はどうですか?」
「感謝します! 傷はもう痛みません。ですが……早く離れた方がいいです……。私達と一緒にいると、あなた方まで……」
男性が怯えたように周囲を警戒する。 最初は何を言っているのか理解できなかったが、フードがずれた二人の頭を見て、俺は息を呑んだ。 そこには、小さな角が生えていた。つまり、二人は魔族だったのだ。
「……貴方達は、魔族の方だったんですね」
俺が静かに告げると、二人はビクリと身を縮こまらせた。
「ええ……そうですが……。君達は、私達……魔族を恐れないのですか!? 殺そうとは……しないのですか!?」
怯えきった声。 よほど酷い目に遭ってきたのだろう。俺はできるだけ優しい声で答えた。
「はい。恐れたりはしませんよ。俺の大切な仲間の内の一人が、魔族の少女ですから。それに、ここら辺一帯を治めるエルドアス国王は、魔族との共生の道を選んでいるんです。だから安心して下さい!」
そう言うと、張り詰めていた糸が切れたのか、女性の方が堰を切ったように泣き出してしまった。
「うっ……ううっ……。よかった……。殺されないんだ……」
「わ、私達……。アスガルド近郊に住んでいた魔族です……。最近……女神崇拝教により、数多くの人間が『魔族は悪だ』というありもしない噂を流して……村が襲われて……」
女性の目は涙で腫れ上がっている。 それにしてもアスガルド……。スルトや俺の母さんの故郷だ。それにまた女神崇拝教か……。あの教団は、どれだけ人々に不幸を撒き散らせば気が済むんだ。
「それで、人間の目を盗みながら……ここまで何ヶ月も歩いて、なんとか逃げ出してきたんです……。仲間は皆……捕まったり、殺されたりして……」
男性が雪を握りしめ、悔しさに震えている。 何も悪いことをしていないのに、ただ魔族というだけで追われ、故郷を奪われた怒りと悲しみ。それがビリビリと伝わってくる。
「……なら」
俺の中で、迷いはなかった。 女神崇拝教のやり方は許せない。少しでも、被害を受けて悲しむ人を減らしたい。
「俺達の村に来ないか? ここからそう遠くない場所に、俺達が暮らす村があるんだ。俺はそこの村で一応村長をしている、ルイス・ガーランドというんだ」
「あっ! それいい考えだね! アンタにしてはナイスな案だよ! 拾ってあげなよ!」
「うん……。ルイス兄さんにしてはバッチグー……です。賛成……です」
ケアルとフレアの二人が、まるで以心伝心しているかのように、同時に親指を立ててグーサインをする。おまけに無表情までシンクロしている。
「え、えっと! 本当に!? 魔族の私達を……受け入れてくれるのですか!?」
「もちろんです。歓迎しますよ」
「あ、あの……ルイス様……とおっしゃいましたか?」
二人の顔色が、一気に変わった。 サッと青ざめ、恐る恐る俺の顔をまじまじと見つめてくる。
「まさか……、あの勇者様……!? あのエルドアス王国を救った、伝説の勇者ルイス様ですか!?」
「私達の村でもお話を聞いてますよ! 魔族と共に悪しき教団を討った英雄だと……! そんな方と出会えるなんて……」
二人は、まるで神話の神様か、あるいは恐れ多い存在を見たかのように俺を見る。
「あはは……。まあ、一応そう呼ばれていますけど……本当は目立ちたくないんですがね……」 俺が苦笑いして頭をかくと、ミランダはニコニコしながら俺の背中をバンと叩いた。
「そうそう! ルイス君は恥ずかしがりやさんだけど、困っている人を放っておけない正義のヒーローなんだから! 諦めて頼っちゃいなよ!」
「ちょ、ちょっとミランダ! 買い被りすぎだって!」
まさかそんな遠くにまで俺達の名前が知れ渡っていたとは……。悪い気はしないが、プレッシャーも感じる。
「もし来るのなら、そのまま来ていただければ……。俺達の村は、人間も、エルフも、ラビット族も、そして魔族の皆さんも普通に一緒に生活してますから」
「あ、ありがとうございます!! 夢みたいだ……」
「貴方は本当に勇気のあるお方です……。このご恩は、一生忘れませんっ!!」
二人は雪の上に膝をつき、深々と頭を下げた。
「い、いやいや……頭を上げてください! ただ人として当たり前の事をしただけですよ!」
「ふふふっ……。この竜神バハムートすらも見込んだ男だからのう……。当然の器よ」
バハムートが腕組みをして、我が事のように自慢げに頷く。
「えっ……!? りゅ、竜神バハムート!? な、何を~言ってるんだ? この小さなお嬢ちゃんが……?」
男性が目を丸くする。
「むむ! 疑っておるな? 本当だぞ! 世は竜神バハムート! 今は仮初めの姿じゃ!」
バハムートは頬をぷく~と膨らませて抗議する。その姿は威厳というより、ただただ可愛い。
「この子の言っている事は本当よ! 信じられないかもしれないけど、さっきの黒いドラゴンはこの子なの。私も初めて見た時は腰を抜かしたんだから!」
ミランダが笑いながらフォローを入れる。
「ひぇぇえええ! まさか勇者様と竜神バハムート様がご一緒だなんて!? 私達はとんでもない方々に助けられたんですね……」
「ふふふ! 世は魔神族の間では知らぬものはおらぬ『伝説の守護竜』だからな! 敬うがよい!」
え、そうなの!? 初めて知ったんだけど! バハムートって魔族にとってもそんなに偉大な存在だったのか。
とりあえず、二人には『異空間ストレージ』に入ってもらい、安全を確保してから、俺達は一旦王国へ戻り、ビッグベア討伐の報告を済ませることにした。 その際、アスガルドから流れ着いた魔族を俺の村で保護するという話を、ギルドを通じて王様に通しておくことも忘れずに。 後日、王様から「この件について、直接話がある」との伝言が届いたのは、また別の話だ。




