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74 騎士と恋人達との亀裂… その4

 ~ハロルド視点~


目の前の光景が、信じられなかった。信じたくなかった。  部屋に充満する甘ったるい麝香の匂いと、耳を塞いでも突き刺さってくる濡れた水音。


 それでも、勇者ルイスは行為を止めない。  ドアを蹴破り、殺気を放って入ってきたオレの存在など、道端の石ころ以下だと言わんばかりに無視し、腰を振り続けている。  その下で、ハーフエルフの少女が、オレの知らない声で喘いでいる。かつてオレの名を呼んだその唇が、今は快楽に歪み、勇者の名を呼んでいる。


「あぁっ……! ルイス様ぁ……ッ! もっと……!」


 理性の糸が、音を立てて千切れた。  視界が真っ赤に染まる。


「貴様ぁぁぁぁぁぁッ!!」


 オレの怒りは頂点に達した。  腰に帯びていた『黒の聖剣』を引き抜く。本来ならば魔を断つための刃が、今はただの殺意の塊となってルイスの背中へと振り下ろされた。  死ね。死んで償え。オレの大切なものを汚した罪を!


 ガキンッ!!


 しかし。  肉を断つ感触はなかった。


「……え?」


「ちょっと! ハロルド!! 貴方、気でも狂いましたの!?」


「やばいよね!! 勇者様に剣を向けるなんて!? 何て事を!」


 幼馴染みとその妹が、悲鳴を上げてオレを非難する。  だが、それ以上に異常なのは目の前の男だ。  オレが渾身の力で振り下ろした聖剣が、ルイスの素肌の数ミリ手前で、見えない壁に阻まれたようにピタリと張り付いて止まっている。


 ルイスは、行為を止めることすらなく、背中越しに嘲笑を投げかけた。


「……そんな未熟で軽い剣じゃあ、俺の肌一枚斬ることはできないし、女一人イカせる事もできないぞ? ハロルド」


「な、なんだ……これは……! 動か、ない……!?」


「悪いが、俺には『いかなる魔族の攻撃も通用しない』という女神の加護があるんだ。知らなかったか?」


 ルイスは鼻で笑うと、腰を思いっきり突き上げた。


「んっ……! いくぞ……!」

「あ、あっ……あああっあ……ッ!!」


 二人して、オレの目の前で絶頂に達する。  白い飛沫が散り、エルフの恋人がビクンビクンと痙攣して脱力した。


「ハロルド? 見てみなよ、このエルフ。イキすぎて顔がもう焦点合ってないだろ? ……そういうことだぞ。お前じゃ無理だったんだよ」


 ルイスが、事後の余韻に浸りながら、汚れたシーツの上でオレを見下ろす。  その目には、勝利者の優越感と、敗者への底知れぬ蔑みが宿っていた。


 オレの精神が、ガラガラと崩壊していく音がした。  もう、どうでもいい。何もかも壊れてしまえ。


「うわあああああああっ! お前を殺す! ルイス~っ!! 絶対に、殺してやるぅぅぅッ!」


 オレは獣のように咆哮し、何度も何度も剣を振るった。  だが、その全てが滑り、弾かれ、虚しく空を切る。  やがて、鬱陶しそうにルイスが聖剣を片手で掴み取った。


「しつこいな……。害虫が」


 ドォォォォォンッ!!


 ルイスが一振り、剣を横に薙いだ瞬間、強烈な光の閃光が奔流となってオレを襲った。   「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」


 全身の骨が砕けるような衝撃。オレの体は木の葉のように吹き飛ばされ、部屋の壁を突き破って廊下へと転がった。


「くっ、くそっ……ゲホッ……」


 口から血の塊を吐き出す。  思ったよりもダメージは深く、指一本動かすのも辛い。  霞む視界の先で、服を整えたルイスと、冷ややかな目をした彼女たちがオレを見下ろしていた。


「だから言っただろ? 魔族の攻撃は通用しないと。……そろそろ、潮時だな」


 ルイスはつまらなそうに指をパチンっと鳴らした。


 ヒュンッ……


 その音が合図だったかのように、オレの周りに光の渦が集まりだす。  強制的な解呪の光。  渦が俺の体にまとわりつくと、皮膚が焼けるような感覚と共に、維持していた幻影魔法が剥がれ落ちていく。


「ほら、見ろよ。これがこいつの『正体』だ」


 (正体……? まさか……!! やめろ!!)


 オレは慌てて頭や耳に手をやる。  だが、そこには隠していたはずの、硬く尖った二本の角と、尖った耳が露わになっていた。  魔族の証。オレが最も隠したかった真実。


 場が凍りついた。


「ハロルド……。貴方……まさか、私達をずっと騙していたのね?」


 幼馴染みの声が、絶対零度のように冷たい。


「うわぁ……。やっぱり魔族だった…… なんかおかしいと思ってたんだよ。こんな汚らわしいヤツに、初を捧げようと思わなくてよかった~。危なかったね、お姉ちゃん」


 妹分だった少女が、汚物を見る目でオレを罵倒する。


「や、ヤバいっすよ! 早くこの魔族、殺した方がいいんじゃないッスか!? 騙されてたんスよ、オイラたち!」


 赤髪の少女が、先程までの行為の熱も冷めやらぬまま、ルイスにすがりつく。


 心臓が凍りつく。違う、違うんだ。


「お、お前達!? 違う! 俺は騙すつもりなんて……! いつか、いつかちゃんと打ち明けようと……!」


 オレが必死に弁解しようとした言葉を、恋人の幼馴染みが無慈悲に遮った。


「黙りなさい! 貴方はずっと、人間のふりをして私達を欺いていました。信頼を裏切っていたのです。それでもまだ、言い訳があるのですか?」


 彼女は一歩下がり、他人行儀な、いや、敵に対する口調で告げた。


「私達は、魔族が大嫌いですので……。もうここで、縁を切らせていただきます。二度と私の前に顔を見せないでください……」


「気持ち悪いよ……早く勇者様に倒されてくれないかな? その角。怖いよぉ……」


「私達人間やエルフと魔族が仲良くなれるって本気で思ってるッスか?! なれるわけないッスよ! 種族レベルで無理ッス!」


 ハーフエルフの少女は、床に落ちていた、ルイスと自分の体液で汚れた紙を丸めると、力任せにオレに向かって投げつけた。


 ビチャッ!


 冷たく湿った紙屑が、オレの顔に当たり、無様に転がり落ちた。  それは、彼女たちの愛が完全にゴミへと変わった瞬間だった。


 ルイスが、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。  その顔には、最高に楽しそうな、それでいて退屈そうな歪んだ笑みが張り付いていた。


「……白けたな」


 ルイスは無造作に足を振り上げ、オレの腹を思い切り蹴り上げた。


 ドガッ!!


「がはっ……!?」


 鉄塊のような衝撃が内臓を突き上げる。  呼吸ができなくなり、視界が急速に暗転していく。    薄れゆく意識の中で最後に見たのは、オレを見下ろして嘲笑うルイスと、軽蔑の眼差しを向けるかつての恋人たちの姿だった。    (ああ……。終わったんだ……。俺の幸せは、全部……)


 オレは深い闇の底へと落ちていった。




………。

……。

…。



 深い闇の中を、オレは彷徨っていた。  楽しかった思い出が走馬灯のように駆け巡る。温かい光、彼女たちの弾ける笑顔。  「昨日の事は、全部ただの悪い夢だったんだ」と、オレの心が現実逃避を望む。


 しかし、夢の中でも、彼女たちはオレの手をすり抜けていく。    「ま、待ってくれ!! 行かないでくれ!!」


 オレは声を枯らして叫ぶが、彼女たちは一度も振り返らない。  その行く手には、闇よりも昏い笑みを浮かべたルイスが立っていた。  ルイスはオレを見るなり、蔑むようにニヤリと口角を上げた。


 「ル、ルイス~~~っ!!!」


 怒りと恐怖で視界が歪み、世界が白く光り輝き出すと……。


「……兄ちゃん! 兄ちゃん!!!」


 必死にオレを呼ぶ声がする。  重いまぶたを開けると、そこは薄暗い小屋の中だった。  妹と、あのサーカスから助け出した少女が、心配そうにオレの顔を覗き込んでいる。


「あ、あれ……オレは?」


「兄ちゃんが街の裏通りで血だらけで倒れているって聞いて……。一体、何があったの?」


「いっつつつ……。あぁ……」


 全身に走る激痛が、あの地獄が現実だったことを突きつけてくる。  オレは唇を噛み締め、妹と少女に全てを話した。  勇者ルイスの残虐性、オレたちが魔族だと知った途端に掌を返した恋人たちのこと、そして……彼女たちが勇者の愛人に堕ちてしまったこと。


「ひ、ひどい……。私達、仲良くできると思ってたのに……。お姉ちゃんたち、優しかったのに……」


 妹が涙を流す。


「オレはついカッとなって、ルイスに剣を向けてしまった……。報復があるかもしれない……。ここも危険だ」


 その時だった。  小屋の外がにわかに騒がしくなり、地響きのような足音が近づいてきた。  窓から外を覗くと、無数の松明の明かりが夜を焼き払っている。セトリアの兵士たち、そして先頭には勇者ルイスと、武装したかつての恋人たちが立っていた。


 ルイスが一歩前へ出る。その声は、村中に響き渡った。


「ここに、邪悪な魔族が3人隠れているとの情報がある。村人たちよ、匿っているなら直ちに差し出せ。今ならまだ、俺の慈悲が間に合うぞ」


 村人たちがざわめく。だが、この村は古くから魔族との交流が盛んで、偏見のない良い村だ。


「ここには魔族なんかいないぞ! 帰れ!」

「そうだ!! 居たとしても、罪のない隣人を売るような真似はしない!」


「ほう……。勇者の命令も聞けないのか? 愚かだな」


 さらに、人混みをかき分けて、オレの知人の老婆が前に出た。


「お主は本当に勇者か? 勇者が何故、平和を願う罪の無い者の命を、虫ケラのように奪おうとするのじゃ?」


「魔族は『敵』だからだ! いかなる理由があろうと、存在そのものが悪だ!」


「勇者ルイスといったのう? 本当にあんたなのか? ルイス様は魔族と共に悪を撃ち、共存を望んだと聞いておる。あんたは本当に、あのルイス様なのかい?」


 老婆の鋭い指摘に、ルイスの表情から笑みが消え、冷酷な仮面が張り付く。


「……目障りだ」


 ルイスは軽く手を上げ、無感情に告げた。


「焼き払え……」


 ヒュン、ヒュン、ヒュン!!


 その瞬間、無数の火矢が夜空を裂き、村へと降り注いだ。  悲鳴と怒号。燃え上がる家屋。  兵士たちが雪崩れ込み、逃げ惑う村人を無差別に切り捨てていく。  地獄絵図だ。  そして、その中には、かつてオレを愛してくれたはずの彼女たちの姿もあった。魔法で、拳で、躊躇いなく村人を、魔族をいたぶっている。時折、ルイスの元へ戻っては、褒美をねだるように口づけを交わしながら……。


 やがて、オレ達が隠れている小屋へと兵士が迫ってきた。


「兄ちゃん!! 私が囮になるから! 貴方達は裏から逃げて!」


「な、何を言ってるんだ!? バカな真似はよせ!」


「私はまだ自分のスキルが何か分からないけど……。兄ちゃんのスキル『模倣コピー』なら……いつかあの勇者……ううん、あいつを倒せる日が来る! 希望は兄ちゃんにあるの!」


「おい!」


 妹は決意の瞳で立ち上がり、扉の取っ手に手を掛けた。


「今まで……ありがとう……。お兄ちゃん、大好きだよ。……その子の事、宜しくね……」


「待て! やめろ!!」


 妹は扉を開け放ち、閃光のように飛び出した。


「こっちだよ! 愚かな人間ども!」


 妹が派手な魔法を放ち、兵士たちの注意を引きつける。  それを合図に、兵士の群れが妹を追いかけ始めた。あの足では、捕まるのも時間の問題だ……。


 オレも追いかけようと身を乗り出すが、少女が必死にオレの腕にしがみついた。


「今は行かないで……! あの子の覚悟が無駄になっちゃいます……!」


 少女の涙ながらの訴えに、オレは歯を食いしばり、裏口へと走った。  ごめん……! ごめん! こんな頼りない兄で……。オレのせいで……全て……。


 「あっ……ああっ……ぐぅっ! ぐすっ!!」


 夜の森を走りながら、オレは慟哭した。  くそっ、どうしてこうなった……。  いや、全ての元凶は……。


 ルイス……。  キサマのせいだ。キサマがオレの日常、愛、家族、全てを奪っていった……。


 オレは……、オレは次会う時までに……。  必ず、キサマより強くなって……。


 地獄の底まで追いかけて、キサマを殺す……。


………。

……。

…。


~ハロルドの妹視点~


 兄ちゃんと離れてから、何ヶ月が経ったのだろうか……。  行く場所すら分からないまま、追手から逃げるように森や街道をさ迷い続けている。  ここがどこかすら分からない。  偶然通りかかった農家の荷馬車の荷台に潜り込み、なんとかここまで逃げ延びることが出来た。もう、体力の限界だ……。  兄ちゃん……無事かな……。あの子も守れているかな……。


 私は、深い絶望に包まれていた。  何故、魔族というだけでこんなに惨めな思いをしなければならないの?  何故? 優しい人間はいないの? いても、皆殺されてしまう世界なの?


 意識が霞み、私は街道の脇で倒れ込んでしまった。  もう、動けない……。  死ぬのかな、私……。


 そう思った、その時だった。  私の目の前の道を、和気あいあいと談笑しながら歩いてくる、フードを深く被った集団が見えた。


 (人間だ……。隠れないと……殺される……。でも、もう体が……)


 立ち上がる事すら出来ない。  集団の一人が、倒れている私に気づき、駆け寄ってきた。  フードの奥から覗くのは、燃えるような赤い髪に、真っ黒な瞳をした、凄く可愛らしい女の子だった。  彼女は私の額にある小さな角を見て、目を輝かせた。


「おおおお!! お主っ!!! 魔族なのじゃ!? 本物の魔族の娘なのじゃ!?」


「こらはしゃぐな!! 怪我人だぞ!」


 後ろから来たフードの男性が、その女の子の頭を軽くポカリと叩く。


「い、痛いのじゃああああ!! お主はちーっとも乙女心を理解していないのじゃああああ! 優しくないのじゃ!」


「まぁー、仕方ないよ! じゃあボクなんてどうするんだよ? 男と同じ扱いだぜ!? もっと酷いぞ!」


 短髪の活発そうな子がボヤく。


「それは貴方の行いが悪いからですわ……。ね! お兄様!」


「うんうん! アンタが悪い! アンタがやばい! いっつも女の子の事ばかり考えているアンタが悪いのよ? ……で、でも、た、たまには私にも優しくしてくれても……」


「言葉と態度が矛盾してます……です……」


「うん~っ、たしかに~っ、ウサ神様は天然の女たらしだよね~っ! うんうん~っ! わかるわ~っ!」


 のんびりとした口調の子が同意する。


 な、なんなのこの人達……。  倒れている私を前にして、この緊張感のなさは……絶対怪しい……。


「それよりもだな! この子の手当てを! ミランダ! 頼む!」


「はい!! フィリシア様!! お任せを!」


「だからミランダ! 様はいらんと言っておろう!」


 様ってなに!? 偉い人なのかな……?


「本当にこやつらと来たら……。すまんな、騒がしくて……。余はバハムート。竜神なるぞ……。安心せよ」


 黒髪の幼女が、大人びた口調で話しかけてくる。


「ひ、ひぇ!?」


 なななななな、なんか頭のいっちゃってる幼女が、自分の事を竜神と!!   この集団、ヤバい人たちなの!?


「なんだ? お主は。余を信用しとらんのか? なら、真の姿を少し見せてみようかのう?」


 幼女がニヤリと笑うと、フードの男性が幼女の頭を軽くグリグリする。


「そういうのはいいから! 目立つだろ!」


 あれ、この男性の声……どこかで聞いたような……。


「はいはい~皆さん! とりあえず休憩にしましょう! この少女と一緒に、クリステルさん特製の美味しいご飯食べましょうか? 栄養つけないと!」


「ぎゃあああああっ! そ、それだけは勘弁なのじゃ! それは毒じゃ! お主に渡すのじゃ!」


 赤髪の少女が悲鳴を上げ、フードの男性のお腹をポカポカ叩く。


「ええええっ! 俺!? なんで俺なの!?」


「あら? 私の特製料理は食べれないでしょうか? 貴方のために頑張って作ったのに…… レイジさんのばかぁ~」


「レイジお兄ちゃん!! 男なら食べてあげなよ! 責任取って!」


 フードを被った男性の人、レイジさんって名前なんだ……。ルイスじゃなくて良かった……。


「レイジどの……。拙者、そろそろマジでお腹空いてきたでござる!! 愛娘の作った拙者の忍者飯もあるでござるよ!」


「やったー! 父さんの特製忍者飯~! ……あ、アンタはクリステルさんの食べてあげなよ、残すなよ?」


「そう……です……。クリステルさん……悲しむ……です」


「そ、それよりこの子どうするんだよ! 話が進まないだろ!」


 レイジさん……。女の子にモテモテでいじられているけど……。凄く優しそうに感じる……。この人達なら、大丈夫かもしれない。


 そう思った、その時だった。    ビューーーッ!!


 大きな突風が吹き荒れ、全員のフードが捲れ上がった。  フードを被っていた男性の顔が露になる。


「おっと! ルイス! 突風がきたのぅ……荷物が飛ばされぬよう押さえるがよい!」


 幼女が、その男性に向かって言った。    「ルイス」……?  今、ルイスって呼んだ……?


 私は、凍りついた心臓を抑えながら、恐る恐るその男性の顔を見た。  黒髪に、茶色の瞳。整った顔立ち。


 「ひっ!!」


 そう……。数ヶ月前に村を一つ壊滅させ、兄ちゃんを絶望の淵に追いやった……あの憎き「勇者」の顔だった。


「いやぁぁぁぁぁぁあああああああああっ!! 来ないでぇぇぇぇッ!!」


 私は、限界を超えた恐怖に悲鳴を上げ、そのまま意識を手放した……。

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