72 騎士と恋人達との亀裂… その2
~ハロルド視点~
勇者ルイスと共に、あの惨劇の洞窟へ足を踏み入れてから、早二週間が経過した。 暦は二月に入り、凍てついていた大地も少しずつ緩み始め、春の足音が聞こえる季節となりつつあった。しかし、オレの心の奥底に張り付いた薄氷は、溶けるどころか日に日に厚みを増していくばかりだった。
今日は、騎士団の任務がない久しぶりの休日だ。
「ハロルド~、おはようございます。今日は良い天気ですわね」
「おはようッス~、ハロルド。よく眠れた?」
「ああ……おはよう」
朝、オレがリビングに降りると、愛しい恋人たちが笑顔で迎えてくれた。 幼馴染み、その妹、そしてハーフエルフの少女。さらに実の妹。 四人の笑顔は、以前と変わらず眩しい。オレはこの幸せを噛み締めるべきだ。大好きな女の子たちと過ごす、穏やかな日常。 だが、その笑顔の裏に、どこか違和感を感じてしまうのは何故だろうか。彼女たちの瞳の奥に、薄い霧がかかっているように思えてならないのだ。
「ハロルド? 今日は久しぶりのお休みですよね? なら、皆でどこかへ行きませんか?!」
「ああ! そうだな、せっかくだし」
「はーい! 賛成ッス!」
「それじゃあ皆、準備できましたら出ましょう~」
彼女たちの明るい声に、オレは努めて明るく振る舞った。 前の休みから随分と日が経っている。久々の休息は、張り詰めた神経をリラックスさせるには丁度良いはずだ。そう自分に言い聞かせ、オレ達5人は街へと繰り出した。
この小さな国の城下町は、勇者の滞在によって異様な活気に包まれていた。 皆でぶらぶらと目抜き通りを歩いていると、広場の一角に、つい最近設営されたばかりの巨大なテントと、派手な看板が目に入った。
「……見世物小屋、か?」
「あら? 看板によると、異国の地でも有名なマジックショーをする劇団らしいですわ。ナイフ投げだったり、綱渡りだったり……スリル満点だとか」
「へぇ~! 面白そうッスね!」
「ハロルド……? 見てみよ~よ、ねっ!? 私、こういうの初めて! でも怖くないかなぁ……」
幼馴染みの妹が、行きたくてうずうずしているのが伝わってくる。その無邪気な様子に、オレは少しだけ安堵した。
「兄ちゃん? 私も行きたいなぁ……。ダメ?」
「……わかったよ。じゃあ、行くか~!」
「やったぁ! ほんと、兄ちゃんは妹ちゃんには甘いんだから~。ふふふ」
幼馴染みがニコニコと微笑む。 こうやって、何も変わらない幸せな日々が続いてくれればいい。あの洞窟での出来事など、悪い夢だったのだと忘れてしまいたい。そう願いながら、オレたちは小屋の中へと足を踏み入れた。
中は薄暗く、大勢の観客で埋め尽くされていた。熱気と、どこか饐えた匂いが混じり合う独特の空気。 舞台の上では、芸人たちが次々と妙技を披露していた。 目隠しをした状態でのナイフ投げ、天井近くでの命綱なしの綱渡り。どれも常人離れした素晴らしい演技で、瞬きをするのも忘れるほどの緊張感があった。
中でも圧巻だったのは、水属性の魔法を使った脱出トリックだ。 舞台中央に設置された、巨大な強化ガラスの箱。その中に鎖で縛られた芸人が入ると、上部から勢いよく水が注入されていく。 水位が上昇するにつれ、芸人は必死の形相で鎖を解こうと足掻くが、外れない。 水が完全に箱を満たし、芸人の動きが止まった――その瞬間。 ガラス箱の中の芸人が、フッと掻き消えるように消滅した。 どよめきが起きる中、観客席の後方に置かれていた木箱の蓋が開き、先ほど溺れかけていた芸人が、びしょ濡れの姿で現れたのだ。
「おおぉぉぉぉっ!!」
割れんばかりの拍手喝采。大絶賛の声が場内を揺らす。
「凄いね~っ!! 人が消えたと思ったら一瞬だったね!!」 幼馴染みの妹が、興奮してオレの腕を揺する。
「兄ちゃん! もしかしたらあの箱の下に隠し通路があったりして?!」
「ははは、まさか! 床は石畳だったぞ?」
そんな他愛のない会話を楽しんでいた、その時だった。 照明が一斉に落ち、スポットライトが舞台中央を照らし出す。 そこに、一人の男が優雅な足取りで現れた。 その姿を見た瞬間、場内の空気が一変した。熱狂的な、あるいは信徒が神を仰ぐような叫びが爆発する。
「ルイス様だ~!? 勇者様だぁぁぁっ!!」
勇者ルイスだった。 ルイスは観客の歓声を全身で浴びながら、ニコッと爽やかに微笑んだ。
「皆さ~ん! お集まり頂き光栄です。今日はこの素晴らしいショーに、俺も特別ゲストとして参加させて頂くことになりました。そこで……俺の『勇者のスキル』を、皆さんに特別に披露したいと思います!」
ルイスは腰に帯びていた、あの禍々しくも美しい光を放つ剣を鞘から抜き放つ。 天高く突き上げられた剣身が、スポットライトを反射して青白く輝く。 「これこそが、数々の魔を滅ぼし、エルドアス王国を救った聖剣!」
場内は「おおぉぉーっ!」と地鳴りのような歓声に包まれる。 だが、ルイスの口から紡がれた次の言葉に、オレの血の気は一気に引いた。
「これから、この国で捕まえた、人間に害をなす汚らわしい『魔族達』を……この聖剣の一振りで、ショーとして消して見せましょう!」
(……は?! この場で?! 処刑を見世物にするっていうのか?! 何を考えてるんだ、こいつは……!)
オレは戦慄した。だが、周囲の反応はオレの予想を裏切るものだった。
「すごいですわねー! 勇者様のスキルを間近で見られるなんて、一生の思い出ですわ!ホント、彼は『英雄』らしいですわね…」
「うんうん! 楽しみだね! 悪い魔族なんてやっつけちゃえ!あいつらなんて……もう…いなくていいよ……。そうすれば皆『一緒』に暮らせるから…」
「どんな凄い技が出るか見物っス!!魔族なんてこの世から消してしまうッス!!それが『正義』ッスから!!」
幼馴染み達も、目を輝かせて拍手をしている。 これから目の前で、生きた者が殺されるというのに。彼女たちは微塵も疑問を抱いていない。その無邪気な残酷さに、オレは吐き気を催した。
場内のボルテージは最高潮に達する。 しばらくすると、舞台袖から兵士達に引きずられるようにして、数名の魔族が連れてこられた。 ボロボロの服を着て、手枷をはめられた彼らに対し、観客席からは「早くやっちまえー!」「殺せ!」といった罵声が浴びせられる。
ルイスの前に、一人の魔族の男が引き出される。
「ふ、ふざけるな!! 俺達は何もやっていないだろ?! ただ静かに暮らしていただけだ! 何故、殺されなければいけない!」
「やめて!! 何でもしますから!! 命だけは……!」
必死に命乞いをする魔族たち。 これのどこが「害をなす魔族」だというんだ。ただの弱い者いじめじゃないか。 見ていられなくなったオレは、震える声で幼馴染み達に提案した。
「な、なぁ……。もう、ここを出よう? 気分が悪くなってきた……」
「何言っているんですか? メインイベントはこれからで、楽しいんじゃありませんか?」
「そうだねっ! 勇者様の正義の鉄槌が見られるんだからねっ! 見逃したら損だよ!」
「ハロルドは気にならないっスか?! 魔族がどうなるか!」
彼女たちは、オレの顔を不思議そうに見つめ返した。 ……通じない。言葉が、感覚が、倫理観が。 は? 人が死ぬ事に何も思わないの?! あんなに優しかった君たちが、どうして?
舞台上では、ルイスの前に魔族が集められていく。中には、まだ10代くらいの、あどけない少女も混じっていた。
「それでは、皆様に俺のスキルを御披露目してあげましょう!! 瞬き禁止ですよ?」
魔族達は一斉に泣き叫び、慈悲を乞う。
「や、やめろ! 許してくれ!!」
「せ、せめて、この子だけでも助けてくれ!!」
母親らしき女性が、少女を背に庇うようにして叫ぶ。 ルイスは、ゴミを見るような冷たい瞳で見下ろした。
「汚いんだよ。そういう茶番はいいから……消えろ」
ルイスが吐き捨てるように言うと同時に、聖剣が青白く発光し、一筋の衝撃波が放たれた。
ジュッ……
音もなく、魔族の母親の上半身が消滅した。血飛沫すら蒸発するほどの熱量。
「いやぁ~~~! お母さぁぁぁん!!」
残された少女の悲鳴が響く。 その瞬間、一人の男の魔族が怒りの咆哮を上げた。
「貴様ぁぁぁぁぁっ!!」
男の体が膨張し、毛皮に覆われ、巨大なオオカミの姿をした人狼へと変化した。 人狼は拘束を引きちぎり、捨て身の覚悟でルイスに襲いかかる。 「ガァァァァッ!!」
人狼が風魔法を暴走させ、狭いテント内に猛烈な竜巻を呼び起こした。 突風が吹き荒れ、観客席の椅子が舞い、悲鳴が上がる。 その拍子に、場内を照らしていた魔石のランタンが全て砕け散り、辺りは完全な暗闇に包まれた。
「きゃあぁぁっ!」
「見えない! 何が起きたの!?」
パニックに陥る観客たち。 だが、幸いにも……いや、皮肉にも、オレは「人間」ではない。 魔族の血を引くオレの瞳は、暗闇の中でも昼間のように鮮明に景色を捉えることができる。
(……助け出すなら、今しかない!!)
これはチャンスだ。この混乱に乗じて、あの少女だけでも。 オレは家族をその場に残し、暗がりの中を舞台へと向かって全力で疾走した。 闇の中で、魔族たちの断末魔と、観客たちの興奮したコールが奇妙に混ざり合う。狂気の世界だ。
ステージに駆け上がると、母親の血の跡のそばで、震えてうずくまる少女の姿があった。 オレは彼女の手を取り、抱き起こす。
「大丈夫! 静かに! 俺が守るから!!」
「え……?」
「こっちだ、走るぞ!」
オレは彼女の手を引き、舞台袖の出口へと走り出そうとする。 だが。
「……ハロルド? どういうつもりだ?」
闇の中から、楽しげな声が響いた。 行く手に、ルイスが立っていた。 暗闇などものともせず、正確にオレたちの位置を見据えている。その手には、濡れたように光る聖剣が握られていた。
「せめて……この子だけでも助けてあげてくれないか? まだ子供じゃないか!」
オレは懇願した。
「ふんっ、好きにしろ。逃がしてやるよ」
ルイスは意外にもあっさりと剣を下ろした。だが、その瞳は蛇のように冷たい。
「……魔族には、魔族がお似合いだからな」
「えっ……!?」
オレの心臓が跳ね上がった。 こいつは……俺の正体に気付いている? そう、俺は魔族だ。人間として愛する人たちと暮らすために、角を隠し、耳を隠し、牙を隠して生活している……。 誰にも言っていない秘密を、こいつは知っているのか。
ルイスはオレの横を通り過ぎざま、耳元で低く囁いた。
「ただ、助ければお前は今後……必ず後悔する事になるぞ? その『優しさ』が、お前の全てを壊すんだ」
「……それでもいいさ」
オレは迷いを振り切るように言い放つと、少女の手を強く握りしめ、その場を全速力で走り去った。 背後で、ルイスの高笑いが聞こえた気がした。
それが、破滅へのカウントダウンだとは知らずに。




