68 大切な仲間…
「……勇気ある者よ。……そちは我を救ってくれた……。呪縛は解かれた。我はこれで、心置きなく旅立てる……。本当にありがとう……」
その声は、どこまでも深く、そして温かかった。 俺とヒナルは、導かれるように、光の中に佇む二人の影へと歩み出した。
一歩近づくごとに、記憶の片隅に眠っていた懐かしい感覚が、濁流のように溢れ返ってくる。 目の前に立つ男性の姿は、俺の記憶にある「父さん」とは似ても似つかない。 俺を育ててくれた父さんは、ボサボサの髪に無精髭を生やした、逞しい熊のような木こりの大男だった。 けれど、今、目の前にいるのは、全てを見通すような理知的な瞳と、万物を統べる王の如き威厳を纏った、気高き男性の姿だ。
姿形は違う。 だが、俺の魂が告げている。その魂の色、その眼差し、その声の響き……。 俺は直ぐに分かった。間違いようがなかった。
「……と、父さん……!? 父さんなのか!?」
俺の声が震える。男性は穏やかに微笑み、ゆっくりと頷いた。
「……勇者ルイス……。いや、我が愛する息子よ……。ちゃんと見届けていたぞ。お前の成長を、ずっと……」
「母さんが言っていた……。あのラグナロクは父さんだって……。でも、どうして!? どうして父さんが魔王なんて……!」
俺は混乱と再会の喜びで、言葉がうまく出てこない。 アスガルドと名乗った父さんは、懐かしむように目を細め、遠い過去を見るような瞳をした。
「……驚くのも無理はない。これが、本来の我の姿……。我こそは1000年以上、誇り高き『ソロモン族』を率い、アスガルド王国を守り続けてきた魔王、アスガルドだ……」
「父さんは、やっぱり……本物の魔王だったのか……?!」
「お兄ちゃんは……本当に凄い方に育てられたんだね……」
ヒナルも息を呑んで、父さんを見上げる。 父さんは静かに語り始めた。
「そう。16年前……妻のユミルと、まだ幼子だった娘のスルト共々、突如として侵攻してきた『女神崇拝教』の女神達により国を滅ぼされ、命からがらこの辺境の地に逃げてきたのだ……。その混乱の最中、我はスルトとはぐれてしまった……」
父さんの顔に、苦渋の色が浮かぶ。
「娘を探し回っていた時、森の奥で捨てられて泣いていた、赤子の『お前』を拾ったのだ……。それが、我らの出会いだった」
「……そうだったのか……」
俺はただの拾い子じゃなかった。国を追われた魔王に拾われ、育てられた子供だったんだ。
「女神崇拝教の連中は、本当にひどい……」
「ああ……。私は追手から身を隠すため、ただの木こりとして、この地の村人達と暮らしていた。……人間とは排他的な生き物だと思っていたが、ここの村人たちは本当に良い人達だったぞ。我が魔族だと薄々勘付いていても、誰一人として迫害しなかった……」
「うん。知っているよ。みんな、父さんのことが大好きだった」
スルトも言っていた。魔族を受け入れてくれる場所もあったのだと。
「女神崇拝教……、いや、彼らが崇める『女神』どもこそが悪そのもの……。女神の連中こそが、この地を我が物にしようと企み、歴史を歪めたのだ。我達ソロモン族は、それに一番最初に異を唱え、抵抗した……」
父さんの声に、王としての怒りが滲む。
「だが、それがあらゆる種族に『ソロモン族は魔物の生まれ変わりだ』と吹聴され、批判され……世界中から追放され、狩られる原因となってしまった……。我らの正義は、奴らの情報操作によって悪へと書き換えられたのだ。……大きな過ちだった……」
「……いや、ソロモン族は悪くないよ。誰だって、欲まみれの権力者がいたらそうなるよ。父さんたちは間違ってない!」
俺は強く言った。父さんが、俺たち家族を守るためにどれだけ苦労してきたか、俺は知っている。
「ふふ、そう言ってくれるか……。……ルイスよ、女神崇拝には気を付けろ……。いずれは、勇者であるお前の敵にも回るだろう……。奴らの欲望は底なしだ」
「あぁ……。今回の件でよく分かったよ……。やつらの非道な行い、絶対に許さない」
父さんは真剣な眼差しで、俺を見据えた。
「そして、もう一つ伝えねばならぬ真実がある。……本来の『勇者』とは、我らソロモン族が太古の昔、女神崇拝教の支配と戦うために、召喚術を用いて異界から呼んだ『英雄』だったのだ」
「えっ……!?」
「その英雄が寿命で死ねば、魂はまた元の世界に戻り、新たに転生をして……いつかこの地が再び危険に晒された時のみ、契約によって召喚されてこちらの世界へとやって来る……。それが本来のシステムだった」
「これは、太古の最初の勇者とソロモン族との間で交わされた、魂の約束だったのだ……」
「つまり……俺は、その『最初の勇者』が転生して……元の世界(日本)で生きて、またこっちに戻ってきたって事!?」
衝撃の事実だった。 俺がこの世界に来たのは、偶然の事故じゃなかった。俺の魂は、数千年の時を超えて、ずっとこの世界と、ソロモン族と繋がっていたんだ。 だから、俺は父さんに拾われた。それは運命だったのかもしれない。
「……もうそろそろ時間だ……。我の魂も、消えるだろう……」
アスガルドの体が、光の粒子となって薄れ始める。
「親しい200年前の友人は、死に際に言った……。『後世で俺が悩んでいたら、力になってほしい』と……。まさか、その生まれ変わりを我が子として育てられるとはな。……ルイスよ。我の最期に、お主が来てくれたこと。そして、お主と共に過ごせたあの日々は、我にとってこの上ない幸せな一時だった……」
「と、父さん……!」
「それと、ルイスの妹よ」
父さんがヒナルを見る。
「は、はいっ!」
「ルイスの事は、血は繋がっていなくとも、我が子のように愛していた。自慢の息子だ。……我が息子を、これからも頼むぞ……。こやつは少し、無茶をしすぎるからな」
「父さん……。俺もだよ。短い間だったけど……。こんなにも俺を大事にしてくれたのは、一生忘れない良い思い出だった……! ありがとう、父さん!」
「はい! 任せてください! お兄ちゃんをここまで愛してくれてありがとうございます! 本当のお父さんやお母さんも、天国できっと喜んでます!」
俺とヒナルは、涙を流しながら深く頭を下げた。
「……最後に、一つだけ贈り物をしよう」
父さんはそう言うと、隣に控えていた銀髪の幼女の肩に手を置いた。
「こやつは竜神……。我の古い友人の娘でもある……」
父さんの横にいる、10歳くらいに見える透き通るような黒髪の幼女。……これが、竜神!?
「……世は……竜神バハムートである……。以後、見知りおけ」
バハムートは、幼い見た目に反して古風な口調で、恭しく会釈をする。その瞳には、深淵な知性が宿っている。
「こやつがこれから、我の代わりに側にいて、色々と助言してくれる事となるだろう。頼りにしてやってくれ」
「い、いきなりでビックリだけど……。宜しくな! バハムート!」
「ふふふ! 魔王様の息子よ。こちらも宜しくたのむぞ。……では、名残惜しいが、現実世界に戻るぞ……」
父さんの姿が、完全に光に溶けていく。
「……わが愛する息子よ……。今までありがとう……。達者でな……」
父さんの最後の、魂に染み入るような優しい声と共に、視界を覆っていた温かな光が弾け、目の前が真っ白になった。まるで春の日差しのように温かく、そして雪解け水のように清らかに、俺の魂の深淵へと染み渡っていった。 意識が遠のく中、俺は心の中で叫んだ。
視界を覆っていた温かな光が弾け、父と幼女の佇む白い世界が遠のいていく。
俺は薄れゆく父の面影に向かって、声にならない魂の咆哮を上げた。 (ありがとう……父さん……! 貴方の息子で、俺は本当に幸せだった……! さようなら……!)
………。
……。
…。
ハッとして、俺は重いまぶたを開けた。
途端に鼻をつくのは、焦げた土と鉄錆、そして濃密な死の臭い。 空は鉛色に淀み、瓦礫の山が墓標のように静まり返っている。 そこは、先ほどまでと変わらない、絶望と悲しみに沈んだ王都の跡地だった。
あのアスガルドの精神空間に居たのは永遠のようにも感じたが、現実世界では僅か数秒の、瞬きほどの出来事だったようだ。
冷たい風が頬を撫でる。 だが、俺の掌には、確かな温もりが残っていた。俺の手をギュッと握りしめる、見知らぬ小さな手が一つ……。
「……?」
視線を落とすと、そこには月光を織り込んだような銀色の髪をした、透き通るほどに美しい幼女が佇んでいた。 その瞳は、千年の時を見通す深淵の如き叡智と、竜の如き鋭さを宿している。 ただ立っているだけで、周囲の大気が畏怖して震えるような、神々しいオーラを纏っていた。
「な、ななななんなのじゃ! そのロリっ子は! ルイス、まさか隠し子なのじゃ!?」
スルトが目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。 黒髪の幼女は、その小さな口元に、不敵で優雅な笑みを浮かべた。
「ふん、騒がしい娘だ。はじめましてだな……。世はアスガルド王の盟友、その娘にして『竜神』バハムートである! 父君との魂の約定により、これより其の方らの守護となろう」
「なんなのじゃあああ! 我の父の友人!? どういう事なのじゃ!? 説明するのじゃ!」
混乱して叫び回るスルトを他所に、母さん(ユミル)が、涙で濡れた頬を拭いながら、俺の側へと駆け寄ってきた。 その顔には、長年の呪縛から解き放たれた安堵と、深い悲しみが混在していた。
「……ルイス……。あの方に……あの人に、お会いしたのね……」
「ああ。元気そうだったよ……。魔王としての威厳があって、でも俺が知ってる親父のままで……。ちゃんと、最後の別れができた。父さんは、俺たちの誇りだ」
母さんは深く頷き、天を仰いで祈るように目を閉じた。一筋の涙が頬を伝う。 しかし。 彼女が再び目を開けた時、そこには悲しみではなく、何か強烈な閃きと、一縷の希望への渇望が宿っていた。 母さんは、クリステルたちが横たわる無惨な場所と、俺とヒナルを交互に見つめ、ハッと息を呑んだ。
「ルイス! ヒナル! 貴方達……そういえば、あの『ふたりがけ』という特殊な合成スキルが使えるわよね?!」
「えっ……? ああ、そうだった。あの謎の合体スキル……。でも、それが今どうして……」
「貴方達のそのスキルなら……もしかしたら、クリステルも、シューも、エアロも……この理不尽な死の運命から、救い出せるかもしれない!」
「えっ!? ど、どういう事!? 死者が生き返るなんて……そんな魔法、この世界には……」
俺の声が震える。死者蘇生。それは神の領分であり、禁忌中の禁忌だ。
「貴方達のスキルを、以前見させてもらった時に感じたの……。あれはただの強化魔法や攻撃魔法じゃないわ」
母さんは俺の肩を強く掴み、必死の形相で、しかし確信に満ちた声で捲し立てた。
「あれは……太古の神代に失われたとされる禁忌の術式……『血の複製』に近い波動を感じたわ」
「血の……複製……?」
「そう。単なる蘇生魔法ではない……。対象の時間を『死の直前』まで強制的に巻き戻し、術者の鮮烈な記憶と膨大な魔力を触媒にして、失われた肉体と魂を完全に『再構築』する……まさに因果律を書き換える、神の領域の奇跡よ!」
「時を……巻き戻して、再構築する……!?」
「ええ! 死後、まだ時間が経っていない今なら……魂の残滓が肉体から離れきっていない今なら、まだ間に合うわ!」
母さんの言葉に、熱がこもる。
「貴方達……いえ、ルイス! 貴方が一番強く記憶している『生きていた彼女たちの姿』を、声や体温に至るまで鮮明にイメージして! そしてヒナルと共に、魂の共鳴で魔力を注ぎ込み、確定した過去を書き換えるのよ……!」
「そ、そんなことが……」
俺は、変わり果てた三人の亡骸を見た。 血の気を失った肌。動かない心臓。失われた手足。 絶対的な「死」の現実。 だが、母さんの言葉が、絶望の闇に差した一筋の、細くとも強靭な蜘蛛の糸に見えた。
俺達は、瓦礫の中に散らばっていた三人の亡骸を、一箇所に集め、並べて寝かせた。 変わり果てたその姿。血の気を失い、陶器のように白く冷たくなった肌。 あまりにも痛々しく、直視することさえ心苦しい。
だが、その安らかな寝顔を見ていると、俺の胸の奥で燻っていた黒い感情が、涙と共に洗い流されていくのを感じた。 三人の想いは……死の間際に残した言葉と行動で、痛いほど俺に伝わっていた。 『操られる前よりも、今の貴方が好き』。 その言葉に、俺は何も返してやれなかった。 アレックスへの嫉妬、裏切られたという恨み、人間不信……。そんな黒い感情が俺の目を曇らせ、彼女達の真実の愛から目を逸らさせていた。
(……ごめん。本当に、ごめん……)
彼女達が命を賭して守ってくれた今、俺の中にあった嫉妬や恨みは、嘘のように晴れていた。残ったのは、ただ純粋な愛おしさと、守れなかった後悔だけ。 だからこそ、今度こそ……俺が守ってやるんだ。
母さん(ユミル)が、静かに告げる。
「……確かな伝承によれば、この『ふたりがけ・神域蘇生』の発動には、術者である貴方達の『血』を触媒にする必要があるわ。そして、一度成功すれば、その反動でしばらくはこのスキルが使えなくなる……。まさに一度きりの賭けよ」
「ああ! 構わない! 俺の血で済むなら、いくらでもくれてやる!」
「分かりました……。お兄ちゃん、いきましょう」
俺とヒナルは、震える手でナイフを取り出し、互いの人差し指の先を軽く切った。 プクリと赤い血の珠が浮かび上がる。 俺たちは指先を重ね合わせ、一滴の血を混ぜ合わせた。
「ルイス……。集中して。彼女達と過ごした中で、貴方が『一番楽しかった頃』をイメージして……。彼女達に帰ってきてほしいと、魂の底から念じて……」
「……一番、楽しかった頃……」
俺は目を閉じ、記憶の海へと潜る。 アレックスという偽物が現れる前。 まだ、彼女達に不穏な変化が現れる前の、クリステル、シュー、エアロ……。
鮮やかに脳裏に蘇ったのは、ちょうど一年ほど前の、あの日だ。 王都に、深々と白い雪が降り積もった日。
『ルイス! 手、冷たいですわよ? 温めてあげますわ』 クリステルが、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに俺の手を握り、自分のコートのポケットに入れてくれた温もり。
『あははっ! 兄貴~! 見て見て! 鼻の上に雪が乗っちゃった~! 冷めてぇ~!』 シューが、犬のように雪の中を駆け回り、鼻の頭に雪を乗せて無邪気に笑っていた笑顔。
『……お兄様。寒いです……。ポケット、お借りしてもいいですか……?』 エアロが、寒がりなのを理由にして、甘えるように俺のズボンのポケットに手を入れ、身を寄せて歩いた時の重み。
そして、三人に案内されて、俺の家に帰った時のこと。 扉を開けると、いつもは暗くて誰もいない冷たい部屋が、たくさんの蝋燭と、キラキラした手作りの装飾品で飾られていた。
『『『サプラーイズ!! いつもありがとう、ルイス(兄貴・お兄様)!!』』』
何の記念日でもなかった。ただ、いつも頑張っている俺のためにと、三人が内緒で用意してくれていたサプライズパーティー。 テーブルには温かい料理。揺れる蝋燭の炎。そして、三人の満面の笑み。 それが、何よりも嬉しく……何よりも温かく、楽しかった。 あれが、俺にとっての『家族』の記憶。彼女達との、一番輝いていた最後の思い出。
(帰ってこい……! あの日の、あの笑顔のままで……ッ!!)
そう強く念じ、思い出に浸ると。 俺達の重ねた指先から滴り落ちた血が、地面につく前に空中で静止し、だんだんと大きく膨張し始めた。 赤い液体は、やがて眩い光を放つ『純白の聖水』へと変質する。
カッ……!
そして白から、七色に輝く虹色のオーロラのような光となり、三人の亡骸を優しく包み込んでいく。
「……綺麗……」
「す、凄いのじゃ!! 神々しいのじゃ……!」
ヒナルもスルトも、その神秘的な光景に、無意識のうちに感嘆の声を漏らしている。
光は意思を持っているかのように、傷ついた肉体を撫でていく。 失われた部位に光が集まり、骨を、肉を、皮膚を織り成していく。 やがて、その虹色はクリステル、シュー、エアロのそれぞれの輪郭を形作り、完全なる姿へと修復していく。
キィィィィィン……ッ!!
やがて虹色が一点に収束し、カッ!と真っ白に輝き出したかと思うと、辺り一面が昼間以上に眩しく発光した。 三つの巨大な光の柱が、天空を突き破るように立ち昇る。 それは、死の淵から魂を呼び戻す、回帰の狼煙。
しばらくして、光の粒子がキラキラと舞い散りながら徐々に消え出すと……。 そこには。
「あぁっ…… ははは!!! あいつら……!! 戻った……!!」
「うんうん!! お兄ちゃん、やったよ!! 成功だよ!!」
「ほぉわあああああっ!! やるのじゃ!! 流石は秘術じゃの!!」
「うん! とりあえず成功かな……」
三人の透き通るような綺麗な肌が目に付く。 あれだけボロボロで、血に塗れていた三人の姿が、まるで眠っているだけのような綺麗な姿に戻っていた。 失ってしまったエアロの右足も、シューの左足も……完全に元通りに再生していた。
ふと、俺の目に留まったものがあった。 再生したシューの左足のすねにある、小さな古い『擦り傷』の跡。
(……あれは……)
一年前のあの日……。たしかシューは、雪にはしゃいでふざけていて、足を滑らせて転んだんだ。その時にできた擦り傷。 『いった~い! 兄貴、薬塗って~!』と泣きついてきた彼女に、俺が絆創膏を貼ってあげたから覚えている。 その傷と同じ傷が、同じ場所に、うっすらと残っていた。 俺の記憶が、完璧に彼女の時間を『あの日』の状態へと繋げた証拠だ。
やがて、彼女達の瞼がピクリと動き……。
「……んっ……、あれ……。私は……!?」
「……ん~……。あ、兄貴……? へ? 兄貴!? なんで! あれ……? ボクの左足があるぞ! 痛くない! なんでぇ!?」
「……お兄様? ……ここは……? 私は……助かったのですか……?」
三人は夢心地のまま目を覚まし、自分の体を触って確かめている。 状況を飲み込めず、キョトンとしている三人の中で、一番驚いたのは、自らを犠牲にして二人を守ったはずのクリステルだった。
彼女は、隣で起き上がったシューとエアロの姿を見て、目を見開いた。
「シュー!? エアロ!? 貴方達……。たしか、あの爆発で……死んじゃったと……! 私、二人を守れなくて……! なんで……なんで生きているのですかぁ!?」
クリステルの目から、大粒の涙が溢れ出した。
………。
……。
…。
呆然とする三人を前に、俺は膝をつき、震える声でことの顛末を語り始めた。 俺とヒナルが使った『ふたりがけ』の奇跡。 太古の禁術『血の複製』により、俺の記憶を触媒にして、彼女たちの肉体と時間を「一年前」――まだあの偽勇者アレックスと出会う前の、何もかもが輝いていたあの頃の状態に復元して蘇らせたこと。
「信じられないかもしれないけど……。今の君たちの体は、一年前のあの日……俺にサプライズパーティーを開いてくれた、あの日のままなんだ」
「一年前の……あの日……?」
シューが、自分の左足のすねをさする。そこには、うっすらと白い古傷が残っていた。
「……あ。これ……。覚えてるぞ……。あのパーティーの直前、雪にはしゃいで転んで作った傷だ……。兄貴が……『バカだなあ』って笑いながら、優しく手当てしてくれた傷だ……」
シューが愛おしそうにその傷を撫でる。 それは何よりの証拠だった。俺が薬を塗り、絆創膏を貼ってあげた、俺と彼女だけの思い出の傷。 それがここにあるということは、彼女たちの心も体も、あの忌まわしい一年間の汚職や凌辱を受ける前――『無垢』な状態に戻ったということだ。
俺は、込み上げる熱いものを堪えながら、改めて三人の瞳を真っ直ぐに見つめた。 透明で、まだ俺への純粋な好意だけを宿していた、綺麗な瞳。
「……ごめん。本当に、ごめんな……」
謝罪の言葉が、喉から絞り出される。
「あの日から……アレックスが現れてから、俺は自分の弱さに負けて、お前らと目を合わせることすら怖くて逃げていた。嫉妬して、恨んで、勝手に絶望して……一番近くにいてくれたお前らの手を、俺の方から振り払ってしまったんだ」
「ルイス……」
クリステルが口元を押さえる。
「でも、もう逃げない。お前らが命を賭けて俺を守ろうとしてくれたこと……その想いは、痛いほど伝わったから。だから、今度こそ……俺が守ってあげるよ。何があっても、絶対に」
俺の誓いの言葉を聞いた瞬間、三人の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した。 張り詰めていた糸が切れ、感情が決壊する。
俺は、泣きじゃくる三人をまとめて抱きしめ、耳元で優しく、言い聞かせるように囁いた。
「いいか、よく聞いてくれ。……今までのは、全部『悪夢』だったんだよ」
「……あく……む……?」
「そうさ。あのサプライズパーティーの後、君たちはちょっと長い、悪い夢を見ていただけなんだ。辛いことも、悲しいことも、汚された記憶も……全部、夢だ。目が覚めたら、そこには大好きな仲間と、変わらない俺がいる」
俺は、彼女たちの背中をポンポンと優しく叩いた。
「もう、悪夢は終わりだ。忘れなよ。ここはもう、優しい世界だ。だから……」
俺は一度体を離し、最高の笑顔を作って、三人に告げた。
「――おかえりなさい! 俺の大切な、家族」
その言葉が、彼女たちの魂の呪縛を完全に解き放った。
「うっ……うぅぅぅ……! 今まで……ごめんなさい……。ごめんなさい……ッ! ルイスぅぅぅぅッ!!」
クリステルが、聖女としての気丈さをかなぐり捨て、子供のように顔をくしゃくしゃにして俺の胸に飛び込んでくる。
「兄貴ぃぃぃ……ッ!! 怖かったよぉ……! ただいま!! 本当に、ただいまぁぁぁッ!!」
シューが俺の腰にしがみつき、声を枯らして泣き叫ぶ。
「お兄様……ッ! はい……ッ!! ただいま……帰りました……ッ! 二度と、離れません……ッ!!」
エアロが俺の袖を握りしめ、震えながら何度も頷く。
三人は泣いている。 もちろん……俺も、我慢できずにボロボロと涙を流した。 後ろで見守っていたヒナルも、母さんも、スルトも、みんなもらい泣きをしていた。
王都の廃墟に、再会の泣き声だけが響き渡る。 けれど、それは悲しみの涙ではない。再生と、喜びの涙だ。
(……長かった)
俺達は、運命に翻弄され、傷つけられ、一度はバラバラになった。 けれど、こうして全ての元凶に『ざまぁみろ』と言えるような結末を迎え、回り道をしながらも、全員でここへ帰ってくることができたんだ。
空を見上げると、分厚い雲の隙間から、眩しいほどの朝陽が差し込み、俺たちを照らしていた。 雨降って地固まる。いや、一度砕けた絆は、以前よりも強く、硬く結び直された。
俺は、腕の中にいる温かい彼女たちと、横で微笑む妹、そして母さんとスルトを見渡した。
大切な仲間達と、これからも……。




