46 勇者、聖剣を抜く…
-ルイス視点-
玉座の間を抜け、王城の最深部へと続く、ひんやりとした石造りの地下回廊。 松明の炎だけが照らす薄暗い通路を、ミランダの背中に続いて俺達は歩いていく……。
周囲に他の騎士や貴族の気配が完全に消えたことを確認すると、前を歩いていたミランダが、ふっと肩の力を抜いて立ち止まり、クルリとこちらを振り返った。
「ふう~っ……。やっと、素に戻れる……。肩が凝っちゃった」
先ほどまでの、氷の刃のような近衛騎士の『仕事モード』の表情は完全に消え去り、そこには年相応の、あどけない少女の笑顔があった。 ミランダはニコッと俺の顔を覗き込み、少し頬を膨らませてジト目を向けてくる。
「もぉー! ずっと待ってたんだよ?! あの日、路地裏で『強くなったら、またこの王都で会おう』ってルイス君、言ってたじゃない! 私の大切な恩人さんなのに、五年間も約束破って放置するなんて、酷いなぁ!」
「あ、あぁ……、たしか……に……」 や、やばい……。完全に忘れてた……! 適性検査で無能の烙印を押されたショックと、その直後に両親を亡くした絶望で、あの日の少女との「また会おう」という約束なんて、記憶の彼方に消え去っていた。 ……なんて言ったら、絶対に怒られてハルバードで斬られるよな……。俺は冷や汗を流しながら曖昧に笑って誤魔化した。
「……それにしても」
ミランダは、少し声のトーンを落とし、心配そうな瞳で俺を見つめた。
「さっきの王様との会話の時といい、フィリシア王女の時といい……。あの、かつてのアレックスのパーティーメンバー……洗脳されていたという『三人の少女』の話になると、ルイス君……凄く冷たくて、怖い顔をしていた……。あんなルイス君、初めて見たよ」
……やはり、バレているよな。 俺自身も気づかないうちに、彼女たちの名前が出るだけで、ドロドロとした暗い憎悪が顔に出てしまっているのだろう。
「うん……、私も思った……。おにいちゃ……お兄さん?」
隣を歩いていたヒナルが、俺の服の袖をきゅっと掴んだ。 「お兄ちゃん」と言いかけて直したその声は、どこか震えている。
「もしも……もしも私が……その三人みたいに、どうしようもない運命に操られて、汚れて……お兄さんを裏切るような事になっちゃったら……どうするかな? やっぱり、見捨てるの?」
「……」
俺は言葉に詰まった。 正直、分からない。 ヒナルのことは、自分の命よりも大切だと思っている。いくら好きになっても……もし彼女が、俺以外の男に抱かれ、俺に剣を向けたら……俺は平静でいられるだろうか?
「ねぇねぇ! アンタ! 何の話してるのよ! 私にも教えなよ! 仲間外れはずるいし!」
空気の読めないケアルが、俺とヒナルの間に割って入ろうとする。
「だからケアル…… 大人の話……です。黙る……です! 空気読む……です!」
ポカッ。 フレアは持っている杖の先端で、ケアルの頭をぴょこっと軽く叩いて止める。
「そうだぞ。二人とも! これは、愛憎渦巻く大人にならないと分からない、深い問題でござる。お前達にはまだ早すぎるでござるよ。ルイスどのも、色々と苦労したでござるからな……」
仁さんが、まるで過去に何かあったかのような遠い目をして、双子をたしなめる。
「ウチだったら~っ、好きな人がたとえどうなっても……嫌いになれる自信が、逆にないかな~っ……」
コタースの方を振り向くと、彼女は長いウサギの耳を垂らしながら、チラリと上目遣いで俺の顔を見た。 ……バチッと目が合うと、コタースは顔を真っ赤にして、すぐに下を向いてしまった……。それは、誰に対しての想いなのだろうか。
「なのじゃ~……。これが、どうしようもない男と女の違いなのじゃ! 恋愛は魔界の戦争より難しいのじゃ!」
えっへん!と、なぜかドヤ顔でポーズをとるスルト……。いや、お前は絶対何も分かってないだろ?と思うと、重かった空気が少し緩み、笑いたくなった。決してばかにしてる訳じゃないよ。
「うん~…… 私なら、騎士として、何も言わずに縁を切るかな……。裏切りは裏切りだもの。……でも、彼女達の『洗脳に抗えなかった』という、絶望の気持ちも、少しは分かるかもね……」 ミランダが、壁の松明の炎を見つめながらポツリと喋る。
「うん。……今なら、その人達の気持ち……痛いほど、わかるかも……」
ヒナルは、地下の暗闇の先を見つめながら、何か意味深な言葉を吐いた。
「こんなに近くにいるのに……絶対に手の届かない場所にいる……。大好きなのに。……触れたくても、触れられない……。触れてしまったら、自分も相手も、全部壊れそう……。そういう、引き裂かれるような苦しい気持ち……。わかるかも……」
ヒナルの声は、最後は泣き出しそうなほど震えていた。 この時の俺は、ヒナルの言葉の真意……「禁断の血の繋がり」に苦悩しているという事実を、まだ何も理解していなかった。 ただ、クリステルたち元婚約者への言及だと思っていた。
だが……ヒナルのその血を吐くような悲痛な言葉には、洗脳されていた三人の、声にならない絶叫や、切ない悲しみが詰まっているような気がして……俺の頑なだった心に、一滴の雫が落ちた。
……洗脳されていた彼女たちも、心の奥底で泣きながら、あんな絶望を抱えていたのだろうか。 俺にはまだ、彼女たちを許すことはできない。 だけど……ヒナルの言葉のおかげで、ただの「汚らわしい裏切り者」と断罪していた俺の心に、ほんの少しだけ、「悲しき被害者」としての理解が生まれた気がした……。
俺達の足音だけが、静寂の地下回廊に響き続けていた。
………。
……。
…。
華麗な装飾に彩られた王宮の最深部。そこから地下へと続く長い螺旋階段を一段、また一段と降りていくにつれ、周囲の空気はみるみるうちに重く、肌を刺すような凍てつく冷たさを帯びていった。 先ほどまでの煌びやかな地上の気配は完全に消え去り、むき出しの苔むした石壁がどこまでも続く。空気は淀み、数百年、いや数千年もの間、光を拒絶してきたかのような重厚な沈黙が支配している。遥か古代、神話の時代から存在しているであろうこの場所は、息をするのも躊躇われるほどの神聖さと、圧倒的な魔力のプレッシャーに満ちていた。 通路の壁に等間隔で並ぶ無数の古びた燭台には、ゆらゆらと青白い炎が音もなく灯り、俺たちの影を亡霊のように長く不気味に揺らしている。
「わぁ……綺麗……だけど、なんだかゾクゾクする……です」 「みゃお……っ! シャァァァァッ!」
フレアの真っ白な猫耳フードの中にすっぽりと収まっていた黒猫のクロが、突然全身の毛を逆立て、闇の奥に向かって激しく威嚇するように鳴いた。クロは必死に手を伸ばして揺れ動く青色の蝋燭の炎に触れようとするが、届かない。言葉を持たない動物だからこそ、ここにある「ただならぬ気配」を、人間以上の本能で感じ取っているのだ。
階段の最下層。そこには、長い年月の風化を感じさせる、途方もなく巨大で重厚な石の扉が立ち塞がっていた。幾重にも施された極彩色の封印の魔法陣が、心臓の鼓動のように微かに明滅している。
ミランダが静かに歩み寄る。彼女が胸元の王家のペンダントを外して扉の中央の窪みに翳すと、魔法陣が一斉に眩い青色の閃光を放ち、ズゴゴゴゴ……という重い地響きと共に、巨大な扉がゆっくりと自動的に開かれた。
「……ッ!」
扉が開いた瞬間、暴風のような凄まじい魔力が内側から吹き抜けた。俺は思わず息を呑み、足を踏みとどまる。
「ミランダ……中から信じられないくらい凄い魔力を感じるけど……」 「ふふふ。流石ね、ルイス君。……もう分かったのね」 「あぁ……。肌がビリビリして痛い。……正直、怖いくらいだよ」
今まで無能だった俺は、他人の魔力などまともに感知できなかった。だが、本来の力を取り戻した今の俺にはハッキリと分かる。扉の向こうに、人智をはるかに超えた『神の領域』の何かが眠っている。
足を踏み入れた瞬間、世界が変わった。 円形の巨大な広間。その空気は極限まで張り詰め、目を開けているのが辛いほどだった。さらに、俺の視界には、広間を埋め尽くすほどの濃密な『白いもや』が立ち込めている。
「……くそ、白いもやのせいで、前がよく見えないな……」
俺が目を細めると、横にいた仁さんが不思議そうに首を傾げた。
「むっ? 何を言っているでござるか、ルイスどの? もやなど何もないでござるよ? 視界は良好でござるが……」 「ウチも~。もやなんてかかってないよ~? ルイス、目が疲れてるんじゃない~?」
え? 俺には一寸先も見えないほどの濃霧なのに、仁さんにもコタースにも、この白いもやは見えていない……? その時、俺は理解した。これは霧じゃない。あまりにも高密度に圧縮された『聖剣の魔力』そのものだ。勇者として覚醒し、聖剣と波長が合う俺の目にだけ、この魔力の奔流が可視化されているのだ。
「……もしかして、アンタがさっきから『えっちな妄想』して、頭の中をモンモンにさせてるから幻覚が見えてるんじゃないの?!」
ケアルがからかうように横から小突いてくる。
「みゃう!! ペシペシッ!」
すると、クロが何故かフレアの頭を両前足でパシパシと肉球で叩き始めた。
「あっ! クロ~っ!! オマエもかぁ! みゃうみゃう!」
フレアは無表情のままクロを指で撫で返し、謎のじゃれ合いを始める。極度の緊張の中で、その光景だけが唯一の癒しだった。
通路の最奥へと進むと、そこは完璧な円形の構造になった神秘的な部屋になっていた。目の前には、儀式用のローブを纏った厳格な老大臣が立っており、その後ろには……石造りの古びた祭壇がある。
そして。祭壇の石座には、神代の遺物『聖剣』が、深々と突き刺さっていた。
柄頭やグリップの至る所に、この世の物とは思えないほど綺麗な神秘さを漂わせる『虹色の宝石』が装飾されている。その虹色の宝玉からは、万物を創世するような多色のオーラが絶えず浮かび上がっている……。鍔には、太陽の光を凝縮したような光り輝く黄金の光が宿り、近づく者全てを拒絶するような絶対的な威圧感を放っていた。
「さぁ……勇者様……祭壇へ。聖剣が貴方をお待ちです」
俺は唾を飲み込み、ゆっくりと祭壇へと上がる……。そして、震える手でグリップ部分に触れようとすると……。
――バチンッ!
「痛っ!」
指先から火花が散り、激しい電流のような衝撃が俺の腕を弾いた。慌てて手を離すが、もう一度グリップに手を触れると、やはりバチバチと何度も電流みたいな音が聞こえ、皮膚が焼け焦げそうな熱を放つ。聖剣が、俺の魂の底までを値踏みし、試練を与えているのだ。
「勇者様……。恐れてはなりませぬ。己の魔力を極限まで高め……剣と同調し、引き抜いてください……!」
「……分かった……!」
俺は息を深く吸い込み、指先に全ての魔力を集中させる……。すると、俺の黄金のオーラと剣の虹色のオーラが重なり合い、次第にバチバチと荒れ狂っていた電流が鎮まり、無くなる。 完全に電流が無くなった所で、俺は足を大きく開き、腰を落として、身体中の全魔力と筋力を腕一本に貯めて……。
「うおおおおおっ! いっけぇぇぇ! はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺は裂帛の気合いと叫び声と共に、渾身の力を込めて一気に引き抜く……!
――スポーンッ!!
「……ああああああああっ! ……はっ?!」
俺はズッコケそうになった。 ……信じられないことに、全く力を込めなくても、ただ持ち上げただけで、大根を抜くように「すぽっ」と簡単に抜けてしまったのだ……。
いや、普通こういう伝説の剣を抜くのって、顔を真っ赤にして力いれて、バチバチさせながら、最後に爆発と共にやっと抜くもんじゃないの!? いや、ちょっと……無駄に力込めて、「はぁあああっ!」とか全力の叫び声出して抜いた俺……。しかも勢い余って「ああああっ」って言いながらよろめいて……。これ、めちゃくちゃカッコ悪いよね!?
恐る恐る後ろを振り返れば、皆が「え? 抜けたの?」という、きょとーんとした真顔で俺を見ている……。
「は、恥ずかしい……」
俺が顔から火が出るほど赤面していると。
「ん、ウォッホン!! ん、んん……っ! ププッ」
目の前にいた大臣……なんか肩を震わせて、笑ってるの必死に堪えているように見えるんですが……。ミランダも口元を押さえて下を向いている。
「ゆ、勇者よ!! コホン。見事じゃ!! ここ何百年と、あのアレックスですらビクともしなかった聖剣を、かくも容易く良く抜けた! 聖剣が完全に主を認めた証拠じゃ! つい正式に、ルイス・ガーランドは『真の勇者』となる事を、我等はこの目で確かめた! 皆! 異論はないな!」
「お~っ!! 勇者ルイス万歳!!」
大臣の無理やりな進行と共に、周りにいる騎士たちもミランダも、剣を掲げて割れんばかりの歓声をあげてくれた。 俺の手の中にある聖剣が、その声に応えるように「キィン……!」と共鳴の音を響かせ、地下室を黄金の光で満たしたのだった。
………。
……。
…。
それから、俺達は王様にもう一度謁見し……正式に勇者としての手続きが行われた。 「真の勇者誕生」の証明を全世界に公開し、同盟各国の王族たちへと伝達の使者を送るため、俺たちは約一週間ほど、国賓として王宮に滞在する事となった……。
運命の歯車が、音を立てて回り出した。
今日の夜……。 皆が寝静まったら、俺はヒナルの部屋へ行く。 勇者としての重責を背負う前に。これからの過酷な未来に立ち向かう前に。 俺は、彼女にしっかりと、嘘偽りのない俺の全ての思いを伝えるんだ……。 あの日の夜からずっと、不安な顔をして俺の『返事』を待ってくれている、愛する人のために。
………。
……。
…。




