37 魅了されていた3人… それぞれの想い…
-王国・大聖堂 地下隔離医務室-
-回復術士視点-
「……三人の解呪、終わりました。……ですが、これはあまりに凄惨です。あとは彼女たちが、突きつけられた『現実』に耐え、復帰できるかどうか……。魂の傷が深すぎます」
私は、目の前に立つ巨躯の男……王国の近衛騎士団長、カノープス様に向かって、重い溜息をつきながら報告した。
「……そうか。ご苦労。……他には、何かあるんか?」
「ええ。ジョブの特性を再調査した結果、あの偽勇者『魅惑術士』と一緒にいる状態で、彼を『仲間』だと強く認識すると、その認識した者に大幅な『能力低下(全ステータスダウン)』のデバフがかかることが判明しました。これまでの彼女たちの苦戦は、あいつが魔力を吸い取っていたせいでしょう……。現在はその呪いも解けています」
本当に……彼女たちは可哀想な犠牲者だ。 検査の結果、アレックスの「魅了」は、単なる好意を抱かせるレベルではなく、脳の深層心理を書き換える「人格破壊」に近い悪質なものだった。
「ったく……! 信頼していた『勇者』が、あんな性根まで腐った外道だったとはな! 我が国の威信は丸潰れだ。俺の娘があんなヤツの毒牙にかからなくて、本当に良かったぜ。神に感謝しねぇとな」
「ははっ、ミランダさんはお強いですから。無能……いや、居るだけで害悪なあの男に絡まれたら、逆に返り討ちにして城の壁に埋め込みそうですよ!」
「ったくだな! がはははっ! あいつならハルバードで一突きだ!」
カノープス様は豪快に笑ったが、その目は笑っていない。騎士として、乙女を弄ぶ不届き者への怒りが滲んでいた。
「……でも、ミランダさん。噂では、何かずっと心に決めたお相手がいるとか。城下の騎士たちの間でも、密かな噂話ですがね……」
「あー、それか。ミランダから直接聞いたことあるぞ! 五年前、自分を暴漢から救ってくれた恩人がいるんだとよ。しかも、顔を真っ赤にして『私の王子様』なんて言ってやがったぜ。……ちっ、もしそいつが俺の目の前に現れたら、お義父さんとして、まずは命懸けのしごきをしてやるがな……!」
カノープス様の顔が、みるみるうちに「娘を溺愛する父親」の恐ろしい顔へと変貌していく。周囲の空気が凍る。
「カノープス様……実は、それがですね……」
「なんだよ! 何が言いてぇ!?」
「ひぃぃい!! 威圧感が凄すぎます! ……その、ミランダさんの恩人と思われる方が、近々、この王国に適性検査を受けに来るみたいでして……」
「……なぁーんだってぇぇぇぇぇっ!?」
「ひぇぇえ!! 鼓膜が破れるぅぅ!!」
……近衛騎士団長。怖すぎる。
「噂によると……。国王陛下の命令で、その者が王国に到着しだい、最優先で適性検査を行い、結果次第では陛下自らが直接拝謁する……との勅命が出ております!」
「おう! そうか! 面白い! んで、そいつの名前は?」
「たしか……ルイス。ルイス・ガーランド……だったはずですが……」
名前を聞いた途端、カノープス様は一変して、不敵にニコニコと笑い出した。
「ルイス・ガーランドか……! ほう、楽しみだ。お前が俺の自慢の娘に相応しい『本物』かどうか、俺のこの剣でじっくりと見てやるぜ……!」
-クリステル視点-
(……ルイス。……ルイス……っ!! いま、遠くで誰かが……『ルイス』って……)
真っ暗で、冷たい精神の深淵。 底なしの泥の海に沈んでいくような、暗黒の牢獄。 そこには、手足を重い鎖で繋がれ、自分の意志を完全に奪われた、糸の切れたマリオネットのように座り込む『私』がいた。
『――愛してるよ、クリステル。俺たちはずっと一緒だ。無能なゴミ(ルイス)の事なんて忘れて、俺の快楽に溺れろ』
あぁ……やめて。私の頭の中に入ってこないで。 あの「アレックス」という男……。あいつに都合の良い、反吐が出るような偽りの愛の物語を、右からも左からも強制的に見せられ、耳元でねっとりと囁かれ、脳髄をドロドロにかき回される。 逃げようとしても身体は1ミリも動かず、助けを呼ぼうと叫んでも、声は出ない。ただただ、内側から自分の心が腐り落ちていく感触だけが、永遠に続く。
(……ごめんなさい。ごめんなさい、ルイス……。……助けて……)
記憶の中の彼は、いつも優しく私に笑いかけてくれている。 その温かい陽だまりのような貴方の元へ、私は、もう行けなくて……。 冷たい言葉を投げつけ、五年間も貴方を見捨てていた私を……どうか、どうかその剣で、切り刻んで殺して。
現実世界の私は、ただの操り人形だ。 身体をどんなにアレックスに汚らわしく触られ、犯され、弄ばれようが……防衛本能なのか、呪いの力なのか、肉体的な痛みすら感じさせてもらえない。 ……でも。心だけは、魂だけは、千切れるほどに、血を流すほどに痛い……。
『……ルイスを馬鹿にしろ。あいつをゴミ虫を見るような目で見下せ。俺が最強の勇者で、俺が一番だと世界の中心で叫べ。……さあ、笑え、クリステル』
(嫌……いやっ! ルイスを馬鹿になんてしたくないっ! やめてっ!)
必死に抵抗しても、口が勝手に動く。 「アレックス様を愛している」「貴方が一番」「ルイスなんて大嫌い」……そんな、心にもない嘘の言葉を吐かされるたびに、私の魂がガリガリと削り取られていく。私の尊厳が、彼への愛が、足蹴にされていく。
貴方に寄り添いたい……。貴方の大きな手に、もう一度触れたい……。 貴方を……。貴方と一緒に。私の純潔と、私の人生と、私の愛を滅茶苦茶にした、あの憎いアイツを……絶対に許さない……!!
(あいつを、殺す。……絶対に、殺してやる……。五体を切り刻み、私の感じた屈辱の何千倍もの地獄の苦しみを与えて……)
憎悪の炎が、真っ暗な精神世界で燻り始める。ルイスへの愛が、そのまま黒い殺意へと変換されていく。
(……でも、もう遅いの。……さようなら、私の愛しいルイス。……私はもう、貴方に愛される資格のない、汚物塗れの抜け殻……。生きていて、ごめんなさい……)
意識が、再び泥の中へと沈んでいく……。
…………。
……。
…。
「……こ……す……? しっかりしてください……」
遠くで、誰かが私を呼ぶ声がする。懐かしい、光の音がする。
「……脈拍が戻りました! 呪いの黒い霧が晴れていきます!」 「……きこ……ます……か? クリステルさん! クリステル・アイリス殿!」
ぼんやりと、鉛のように重い瞼をゆっくりと開ける。 視界に入ってきたのは、清潔な白い天井と、眩しい陽の光。鼻を突くのは、薬草と消毒薬の匂い。 ……ここは、アレックスの寝室じゃない。そこはどうやら、王宮の大聖堂にある、厳重な地下の治療院のようだった。
「……あ、あぁ……」
喉がカラカラで、声が出ない。 私の周りには、数人の白衣を着た神官たちが、安堵の表情で私を見下ろしていた。
「……聞こえますか? 意識が戻りましたか? ああ、神よ、感謝いたします……!」
「……は、い……。私は……」
乾いた声が、私の口からこぼれた。五年ぶりの、自分の意志で紡いだ言葉だった。
「クリステルさん……本当に、本当に良かった……! 国を挙げた儀式の末、ようやく貴女の解呪が成功しましたよ。もう、あの男の支配は解けました。貴女の心は、自由なのです!」
年老いた神官長が、涙を流しながら私の手を取った。
……解けた? 私は一体……。どれだけの間、あの真っ暗な地獄の檻にいたのか。 記憶が、濁流のように脳内を駆け巡る。ルイスに浴びせた罵倒、アレックスに抱かれた記憶の全てが、鮮明な映像と感触となって蘇る。
「……あぁっ、あああああぁぁぁぁっ!!」
私は自分の身体を抱きしめ、シーツを掻きむしった。 解けてしまった。 ……「操られていたから仕方がなかった」という、被害者ぶった免罪符が、解呪された今の私には、何よりも重い十字架となってのしかかる。 最愛の人を深く傷つけ、あんなクズ男に女として傅き、媚態を晒した事実は、歴史からも、ルイスの記憶からも、そして私の身体からも、絶対に消えはしないのだから。 死にたい。今すぐ舌を噛んで死にたい。
「お、落ち着いてください! クリステルさん!」
「……放してっ! 私に触らないで! 私は汚い……! 汚らわしいのっ!」
暴れる私を、神官たちが必死に押さえつける。 しばらく泣き叫び、涙が枯れ果てた後……。 私の心の中に、死の衝動を凌駕する、底冷えするような暗い感情が満ちていった。
「……神官様。一つ、教えてください」
私は、嘘のようにピタリと暴れるのをやめ、ベッドの上で静かに上半身を起こした。 シーツを握りしめる私の手は、血が滲むほど白くなっている。
「は、はい……。何でしょうか? ルイス殿の事なら……」
「……いいえ。あの人は、今の私には眩しすぎます。……私が聞きたいのは、地獄のことです」
私の瞳に、かつて聖女と呼ばれていた頃の慈愛の色は、微塵もなかった。 そこにあるのは、魔王すらも震え上がるような、底知れぬ漆黒の憎悪の炎。
「……あの、私達の人生を奪った『アレックス』とかいう、悪き汚物は……現在、どうなっていますか?」
「え……。あ、あの男なら、すでに『偽勇者』『国家反逆罪』として裁かれ、王城の最下層にある、光の届かない地下牢に厳重に繋がれておりますが……」
神官が、私の纏うただならぬ殺気に怯えながら答えた。
「……そうですか。まだ、生きているのですね」
私は、能面のように冷たい笑みを浮かべた。 ヤツは勇者ですらなかった。ただの、魔法具を使った卑劣な詐欺師。 私からルイスを奪い、私の純潔を、私の未来を、私の全てを弄んだ代償……。タダで済むとは思わないことね。
「……神様。かつての敬虔な私を、どうかお許しください。私はもう、聖女には戻れない」
私はベッドからふらりと立ち上がり、窓ガラスに映る、やつれきった自分の顔を見つめた。
「……この命と、私の残りの人生の全てを賭けて。……刺し違えてでも、絶対に、この手でアレックスを地獄の底へ送ってやる」
王都の朝の光の中。 一人の聖女が、愛する男のためだけに生きる、狂気の復讐鬼へと堕ちた瞬間だった。
-シュー視点-
(……今、兄貴の名前を……誰かが呼んでいた……? 空耳? それとも……)
深い、深い泥沼の底。息もできない精神の檻の中。 ボクは、手足の感覚を失ったまま、暗闇の中で踞っていた。 頭の中で、誰かが金切り声を上げている。いいや、それはボク自身の悲鳴だった。あのクソ野郎……「アレックス」の呪いに支配された、ボクの魂の絶叫だ。
兄貴……。兄貴……!! 助けてよ!! お願いだから、ここから出してよ!! また昔みたいに、ボクが魔物に怯えて泣いた時みたいに、無愛想に「仕方ないな」って言いながら、大きな手で頭を撫でて、ぎゅーって強く抱きしめてよ!! こんなクズ野郎に、ボクの人生の全部を、一人の女の子としての心を、オモチャみたいに遊ばれるのは、絶対に嫌だよ……!!
『――ハハッ、お前みたいなボーイッシュで生意気な女を泣かせるのが、一番興奮するんだよなァ! ルイスの事は忘れろ! 俺の種を孕んで、俺だけの牝になれ!』
粘着質なアイツの声が、脳内に響く。
やめろ!! 触るな!! ボクの体に触るな!! 殺すぞ!! ボクはお前のモノじゃない! 兄貴だけのモノだ!! 絶対許さない!! お前を、絶対に殺すからな! アレックス!! この手で引き裂いて、汚らわしい内臓をブチ撒けてやる!!
憎い。憎い憎い憎い憎い憎い……!! ボクを、まるで道具みたいに、ただの欲望の捌け口みたいに、ゴミみたいに扱いやがって……!! ボクの「初めて」は……一人の少女としての全部は、大好きなルイスにあげるって、ずっと前から心に決めてたんだ……! 誰よりもカッコよくて、優しくて、ボクのヒーローだった兄貴の……お嫁さんになるのが、ボクのたった一つの夢だったんだ……!
それを、お前は……お前はあああああっ!!
コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス!!!!! 殺してやる! ボクの爪で、牙で、お前の喉笛を噛み千切ってやる!!
(……兄貴……助けて……)
狂気の中で、ボクの心は小さく丸まり、少女のように泣き叫んだ。 でも……。たとえ助かったとしても、こんなに汚れて、あいつの汚らわしい欲望を注ぎ込まれ、あわや子供を孕まされそうになった汚物のボクを……兄貴は、また昔みたいに抱きしめてくれるかな……? きっと、気持ち悪いって思うよね。嫌だよね……。
……ごめん。ごめんね、兄貴。 五年前にギルドで、みんなの前で兄貴を「無能」ってバカにして笑ったの……あれ、ボクの言葉じゃないからね。ボクの心じゃないからね。 大好きな兄貴を傷つけた自分が、本当に許せない。 ……信じてよ、兄貴……。ボクは、ずっと兄貴が大好きだよ……。
…………。
……。
…。
「シュー……シューさん!! 起きて! 目を開けて!」
暗闇を切り裂くように、誰かがボクの肩を激しく揺さぶり、名前を呼ぶ。 ……兄貴かな……? だったら、嬉しいな。すぐに飛びついて、ワンワン泣いて謝ろう。
ボクは重い鉛のような瞼を、震わせながら開ける。 視界に飛び込んできたのは、眩しい光と……心配そうにボクの顔を覗き込む、見知らぬ修道服を着た看護師の女性だった。 ……あぁ、なんだ。兄貴じゃないのか。 胸の中に、ストンと重い絶望が落ちる。
「……シューさん、起きれたかな? 良かった、意識が戻った……! もう大丈夫だからね……。ここは王都の大聖堂。安全な治療院よ。今はまだ、記憶の混乱が酷くて辛いかもしれないけど、もうあいつ(アレックス)の術は解けたの。もう、あいつはここにいないから……」
看護師さんが、ボクの汗ばんだ前髪を優しく撫でながら、涙ぐんでそう言った。
「……うん。……分かってる。ボクは、大丈夫だぜ……」
ボクは、掠れた声で強がってみせた。いつもみたいに、ボーイッシュなボクで。 でも、視界の端には、ボクの細い腕に繋がれた点滴の管と、真っ白なシーツに包まれた自分の身体があった。身体の奥底に残る、女性としての尊厳を踏みにじられた、消えない違和感。 『大丈夫』なわけがない。 洗脳が解けた? 自由になった? ……ふざけるな。記憶が戻った今の現実こそが、ボクにとっての地獄の始まりじゃないか。
「……看護師さん。ごめん……もう少し、眠らせて……」
「えっ……? あ、うん。そうね、まだ心身ともに衰弱してるから……。ゆっくり休んで」
ボクは、看護師さんから目をそらし、再び瞼を閉じた。 現実なんて、クソくらえだ。 記憶を取り戻した今、自分がどれだけ兄貴を傷つけ、そしてどれだけ汚されたかを直視して、生きていけるわけがない。
夢の中でなら……。 何の汚れもなかった、純粋な少女だった、あの日の森の中でなら……。 優しく笑って、ボクの頭を撫でてくれる『ルイス兄貴』に出会えるかな。 ……もし会えたら、今度は絶対に、兄貴の腕を離さない。二度と、あんなクズに奪われないように、ボクが兄貴を守るんだ。
(……待ってろよ、アレックス)
シーツの下で、ボクは自分の爪が手のひらに食い込み、血が滲むほどに拳を強く握りしめた。
(現実に戻ったら……必ず、お前をぶっ殺してやる。ボクの全てを奪った代償は、お前の命じゃ足りない。地獄の底まで追い詰めてやるからな……!)
無邪気な少女の心を捨てたボクの瞳の奥で、復讐の炎がチロチロと、狂気の色を帯びて燃え上がっていた。
………。
……。
…。
-エアロ視点-
(……ルイス・ガーランド。ああ……愛しき、ルイスお兄様の名前……)
深い、深い闇の底。 いつになったら、この悪夢から覚めるのでしょうか。 ……いいえ、これが現実ではないと、私の魂はとっくに理解しています。 この悍ましい、身体中がアレックスという汚物に舐め回され、犯され、魂の髄まで汚されている感覚から……もう一生、逃れることなどできないのだと。
お兄様……。ルイスお兄様……。私を、どうかお許しください。 かつて、貴方の隣で純白のドレスを着て笑っていた私は、もう死にました。もう、貴方の側に居る事すら許されないほど、私は取り返しのつかないほど穢されてしまいました。 この身も、心も、そしてお兄様のためだけに守ってきたこの純潔を……あんな下劣で卑しい悪魔に捧げるつもりなど、毛頭ありませんでしたのに。
『――ふふっ、お前みたいな高飛車な貴族の女が、ルイスなんかを忘れて俺にメロメロになるのがたまらねぇな。ほら、もっと俺を求めろよ。愛の言葉を囁けよ』
アレックスの、粘着質で吐き気を催すような声が、鼓膜の裏にこびりついて離れない。 身体が勝手に反応し、あんな男に媚を売っていた五年間。 私の中にある高貴な血とプライドが、音を立てて崩れ去っていく地獄の日々。
……神様。もし本当にいらっしゃるのなら、私に情けなどかけないでください。 もし、万が一、お兄様にまた会えたなら……お兄様のその手で、その聖なる剣で、この汚れた私を跡形もなく斬り伏せ、燃やし尽くしてください。 それが、私にとって唯一の『救い』であり、『贖罪』なのです。
どうか、誰も私を助けないでください。同情しないでください。 あんな、アレックスの汚らわしい子供を……このお腹に孕まされるかもしれないという、狂気の現実など、もう一秒たりとも見たくありません。
私を殺してください。 私という存在を、この世界から消してください。 ルイスお兄様の記憶の片隅にすら、この汚れた私を残したくない。 殺してください。殺してください。 ルイスお兄様。私を……殺してください……!!
………。
……。
…。
「……エアロさん……。聞こえ……ますか……?」
遠くで、誰かが私を呼びます。 ……放っておいてください。私はもう、光の当たるこの世にいてはいけない、醜い女なのですから。闇の中で腐っていくだけの、ゴミなのですから。
「エアロさん! 聞こえますか!? どうか、顔を上げてください! もう洗脳は解けたのです! 貴女は自由なのですよ!」
しつこい声。肩を揺さぶられる感触。 私は、重く張り付いた瞼を無理やりこじ開けました。 視界に飛び込んできたのは、眩しすぎる白い光と、私を取り囲む大勢の神官たちの顔でした。
「ああ、神よ! 意識が戻られた! エアロさん、もう大丈夫です。ここは王都の治療院。あの忌まわしきアレックスの術は、完全に解呪されました!」 「お水を持ってきて! 鎮静剤も!」
神官たちが、私の生還を祝福するように、安堵の声を上げます。 ……大丈夫? 解呪された? 何を言っているのですか。馬鹿馬鹿しい。
「……触ら、ないで……」
私は、自分に触れようとする神官の腕を、震える手で払いのけました。
「えっ……? エアロさん? どうされましたか?」
「……触らないでと言っているのです!! 私に触れないで!!」
私は、ベッドの上で後ずさり、シーツを掻きむしりました。 洗脳が解けた? 自由になった? いいえ、違います。記憶が戻ったことで、自分の犯した罪の重さと、自分の身体に刻まれた消えない『穢れ』が、刃となって私を切り裂いているのです。
「エアロさん、落ち着いて! まだ精神に混乱が……!」
「……う、うるさい……!! 黙って……ください!! 私を、独りにしてください!!」
私は、ベッドの脇のテーブルにあった、ガラスの水差しを掴み取り、目の前の壁に向かって思い切り投げつけました。
ガシャァァァァァァァァァンッ!!
ガラスの破片と水が、部屋中に飛び散ります。まるで、砕け散った私の心のように。
「ひっ!?」 「危ない! 誰か、彼女を押さえて!」
「来るなああああぁぁぁぁっ!! 私は汚れているの! ルイスお兄様を裏切った、汚い女なの! 私なんか生きていちゃいけないのよ! 私を殺して! お願いだから、今すぐここで殺してぇぇぇぇぇっ!!」
喉が張り裂けんばかりの絶叫。 私は、飛び散ったガラスの破片の一つを拾い上げ、自分の手首に向けようとしました。
「駄目だ! 止めろ! 自殺する気だ!」
神官たちが一斉に飛びかかり、私の身体をベッドに押さえつけます。 拘束される感覚が、あのアレックスに組み敷かれた夜の記憶とフラッシュバックし、私の精神は完全に崩壊しました。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁんんんんん!! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! ルイスお兄様、ごめんなさぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!」
溢れ出す絶望。後悔の涙。 私はもう、人間としての言葉を失い、ただの獣のように泣き叫び続けました。
神官の一人が、私の腕に注射器を刺します。冷たい液体が血管に流れ込み、暴れていた私の身体から、急速に力が抜けていきます。
(……あぁ。お兄様……)
薄れゆく意識の中で、私は大好きな人の笑顔を思い出しました。 お兄様。せめて、来世では……。 こんな汚れた私でも、また、貴方と笑って手を繋げますか……? もう二度と、その手を離したりしませんから……。
私はそのまま、暗く甘い、終わりのない闇の底へと突き落とされたのでした。




