19 ヒナル誘拐される!?
ジェイが「夜番に出る」と言い残して部屋を出てから、数時間が経過してからの事だった。 辺りはすっかり静まり返り、草木も眠る深夜。村の喧騒も、風の音すらも消え失せた、異常なほどの静寂が世界を支配していた。
「た、大変……っ!! ルイスさん!! 起きてください!! お願いだから、起きてぇっ!!」
バンッ! と乱暴に扉が弾け飛ぶような音と、鼓膜を裂くような悲痛な叫び声で、俺の意識は強引に現実へと引き戻された。 コタースの声だ。俺は寝ぼけていて、状況を理解するまで数秒の時間がかかってしまった。
「……ん? コタース……? どうしたんだよ? こんな夜中に……それに、顔色が……」
廊下の揺れる蝋燭の明かりが、俺の枕元に飛び込んできたコタースの顔を照らし出す。 その顔は血の気が引き、青白く引きつっていた。大きな目からは大粒の涙がボロボロと溢れ出し、全身が小刻みに震えている。その声からは、尋常ではない極限のパニックと、底知れぬ恐怖を感じた。
「ヒナルちゃんが!! ヒナルちゃんが、消えちゃったの!! ウチが、ウチがトイレに行っていた、ほんの少しの隙に……何者かに拐われてしまったんだよ~っ!! 部屋に戻ったら、ベッドが空っぽで、窓が開いてて……冷たい風だけが吹いてたの~っ!!」
「……はっ!?」
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上がった。 ヒナルが? 拐われた? コタースが用を足しに行っている、わずか数分の空白の時間に。音もなく、誰にも気づかれずに連れ去られたというのか。
「クソッ!! どういうことだ!? どんなヤツにだ!? 争う声や、ヒナルの悲鳴は聞こえなかったのか!?」
俺はシーツを蹴り飛ばして跳ね起き、枕元のミスリルの剣を鷲掴みにした。
「わ、分かんないよ~っ!! 声なんて、何一つ聞こえなかった! 窓から外を見たら、暗闇の中に……黒いボロボロのローブを羽織った男の背中が見えたの! ヒナルちゃんは、ピクリとも動かなくて……多分、睡眠の魔法か毒で眠らされたまま、肩に担がれて連れ去られたんだよ~っ!! ウチが、ウチが一緒についていってあげれば……うわぁぁぁんっ!!」
「泣いてる暇はない! そういえば、ジェイさんはどうした!? 外で見張りをしているはずだろ! 彼は何をしていたんだ!?」
俺は怒鳴りながらジェイさんの寝床を見る。 だが、そこはもぬけの殻だ。シーツには皺一つなく、夜番に出てから一度も戻ってきた形跡もない。
「まさかジェイさんが……!? あるいは、ジェイも先制攻撃でやられたのか!? くそっ、まずいぞ!!」
「ジェイさんは……ルイスさんと一緒じゃなかったんですか~っ!? ウチ、外でもジェイさんの姿、見てないよ~っ!」
まさか、ジェイさんが……!? いや、疑いたくはない。あんなに親身になってくれた男が。だが、この村に来てから彼の様子が少しおかしかったのは事実だ。村の情報を妙に気にしていたし、先ほども「緑骨団」の噂を不自然なほど強調していた。 嫌な汗が背筋を伝う。
「とりあえず、ウチは着替えてくる~っ! 弓も持ってくる! ヒナルちゃんの匂いを追う! すぐに探しに行くよ~っ!!」
「待てよ! 辺りは暗い……! 奴らはプロだ、コタース一人だと返り討ちに遭うぞ! 俺も行く! 必ず取り戻す!」
………。
……。
…。
俺とコタースは数秒で防具を身につけ、宿の表へと飛び出した。 村の中は相変わらず、不気味なほどの静寂に包まれている。宿の前の通りで、夜間警備をしている衛兵が二人、呑気に欠伸をしながら待機をしていた。
「おい、すまない!! 俺の連れの少女が何者かに拐われた! 黒髪の小さな女の子だ! 黒いローブの男を見なかったか!?」
「ええっ!? 君たちの仲間が? 拐われただって?! そりゃー大変だ! でも、俺たちは今まで、怪しい奴なんて何も見たりしていなかったけど……。本当に拐われたのか? 夢でも見たんじゃないか?」
「ふざけるな!! 実際にいなくなってるんだ!! ……くそっ、この静けさ……。警備の目をごまかす結界か、幻覚魔法の類か!?」
俺は衛兵の胸ぐらを掴みそうになるのを必死で堪えた。彼らも魔法にかけられている可能性がある。
「ここ最近、緑骨団という凶悪な盗賊がこの辺りで勢力を増してるって話だ。若い女を狙っているとも聞いた! もしかするとヤツラの仕業かもしれん! 俺達も協力する。村の男たちを起こして辺り周辺を調べるから、少し時間をくれ!」
衛兵は俺の剣幕に押され、慌てた様子で鐘を鳴らすために仲間を呼びに走っていく。 しかし、不自然だ。まるで何事もなかったかのように……。人が窓から拐われたのがまるで嘘みたいに、何の痕跡も、物音一つ残っていない。ヤツラは魔法を使った、隠密行動のプロ中のプロだ。 それにしても……。
「ジェイさんはどこへ消えたんだ!?」
まさか本当にジェイさんが手引きを……!? あの優しげな笑顔の裏で、俺たちをこの村まで誘導し、罠に嵌めたというのか? 人間不信の黒い雲が、頭の中を埋め尽くしていく。 俺達は狂ったように辺りを見回す……。連れ去られたのが嘘のように、まるで何事もなかったかのような、吐き気を催すほどの静けさだ。
「ルイス! あれ見て~っ! ウチの夜目が、暗闇で何かが光ってるのを見つけたよ~っ!」
コタースは長い耳をピンと立て、村の入り口にある街道の少し向こう側、森へと続く獣道を指差した。 そこには、ビー玉ほどの大きさの、微弱な赤い魔力の光を放つ石が一つ落ちていた。そして、その数メートル先の草むらにも、また同じ赤い石がポツリと落ちている……。まるで、パン屑の道標のように。
「……魔力石? いや、これは……!!」
俺は自分の手のひらを見つめた。 寝る前、ヒナルにチョコを貰った後、別れ際に「おやすみ」と彼女の手に触れている。あれからまだ数時間。俺の身体には、まだ彼女の温かい魔力が残っていて、スキルが使えるはずだ……。 ダメ元で、この石の最後に手にした相手を探るべく、頭の中で高度な探知魔法の魔方陣を思い描く……。
「『過去視』!!」
赤い石を手に取って魔力を流し込むと、脳裏に激しいノイズが走り……やがて、はっきりと一人の男の姿が思い浮かんだ。 石を落とした男。その顔は。
「で、出てきた! これは……」
「だ、誰だったの~っ!? 緑骨団の男!?」
「……ジェイさんだ!! 間違いない、この石はジェイが落としていったんだ!」
「そんな……!? ジェイさんが、なんで……!?」
まさか、あの好青年ぶっていたジェイさんが、ヒナルを!? そう考えると、裏切られたという怒りがフツフツと腹の底から沸き上がってくる。 何故ジェイさんがヒナルを? 彼は自分から、無償でポーターになる事を決めたんだぞ……。まさか、最初からそれが狙いだったのか!? 彼は緑骨団のメンバーで、高値で売れる『迷人』のヒナルを人身売買のために、最初から俺たちを狙っていたというのか!?
「くそっ、くそぉぉっ!! あいつもか! あいつも俺たちを騙していたのか!?」
「ル、ルイスさん、落ち着いて!! まだジェイさんが犯人だって決まったわけじゃ……!」
「いいや、裏切りだ! とりあえず、罠の可能性は高いかもしれないけど……、他に手掛かりがない! あの石を辿ってみよう! もしヒナルを傷つけていたら、ジェイだろうと何だろうと、俺が切り刻んでやる!」
「わ、わかったよ~っ!! ウチの鼻と目で、絶対にヒナルちゃんを見つけ出すよ~っ!」
(俺の能力が、あとどれくらいで切れるかは分からない……。タイムリミットが来るまでに、何とか……何とか無事に見つかってくれ、ヒナル! お前を失ったら、俺はもう……!)
………。
……。
…。
赤い宝石は大体五メートルごとに、律儀に置かれていて、まるで俺たちを誘い込むかのように森の深部へと続いている……。 宝石が落ちている方向に進むと、どんどん道なき道の、鬱蒼とした森の奥へと続いている……。普通の人だと、凶悪な魔物が怖くて絶対に入っていかないような危険地帯まで来ている……。 どうしてこんな場所まで? 本当にジェイさんが裏切っていたのか……? それとも……。
「どこにいるんだよ……! ヒナル~っ! 声を聞かせてくれ!!」
「ヒナルちゃん~っ! どこ~っ!? お返事して~っ!」
「グルルルルッ……」
暗闇の道中、俺たちの気配を察知した巨大なスライムや、四つ目のレッドウルフの群れが牙を剥いて現れる。 だが、今の俺に迷いも慈悲もない。
「失せろォォォッ!! 『ライトニング・スラッシュ』!!」
俺は邪魔な魔物を、雷を纏わせたミスリルソードの一撃で容赦なく両断し、炭の塊に変えて八つ当たり気味に倒していく。 どれくらい進んだだろうか。息も絶え絶えになりながら少し開けた場所に出た時、コタースの長い耳がピクリと動いた。
「ルイス!! 足音消して! 向こう見て!! あそこの茂みの奥!」
コタースに言われた方角に目をやると、深く生い茂った木々の、その茂みの奥深くに、松明の火のような、ゆらゆらとした赤い光が見えた……。 人工的な光だ。そして、微かに男たちの低い話し声が聞こえる。
(まさか、あそこにヒナルが……!?)
俺は木陰に身を隠し、極限まで殺気を消して、小声でコタースに囁く。
「ここから先……、何があるか分からない……。敵の数も不明だ。慎重に行こう……。俺が合図したら、お前は後方から射撃で援護してくれ」
「わかったよ~っ……。ルイスさん、目は怖いけど……絶対にヒナルちゃんを助けようね!」
俺達は呼吸を殺し、足音を立てないようにゆっくりと、その茂みの奥へと入っていく……。 その途中にもまた、血のような赤い宝石が落ちているのに目が止まった……。
(ジェイさん……。お前も、もしかしたらここにいるのか……? お前の双子の娘の話は嘘だったのか!? もしヒナルを傷つけていたら、絶対に許さない……!)
ミスリルの柄を握る手に、ギリッと血が滲むほど力が籠もる。 極限の緊張感と、爆発寸前の狂気のような怒りを抱え、俺は赤い光の正体へと、一歩、また一歩と近付いていった……。




