真っ黒な王国2
1、2、とマリアは頭の中に数字を並べていく。
呼吸をするように、ゆったりと、口笛を吹くように軽やかに。
「なあマリア、パスタが良い」
カインが人より高い背を屈めてマリアを覗き込んだ。
「パスタ?」
「ひで、昼飯考えとけって言ったじゃねえか」
「ダメよ、報告が先。後でね。……パスタが良かったの?」
はあ、とカインはため息をついた。
目にややかかる長めの黒髪をかいて、彼は肩をすくめる。
「おあずけされ放題、そういうプレイ?」
「……きて」
「あ?」
そっとつぶやいたマリアに驚いて、カインは彼女を二度見する。
「やっとする気になったか」
唇の端を持ち上げ、カインは笑ったが、マリアの見ている方向を見て苦笑した。
「真っ黒な事で」
8、9。
10。
「この国は腐ってるわ」
マリアの目の先には――教会があった。普通の人には神聖であろう教会は、彼女と、そしてカインの目には真っ黒だった。
†
祓魔師の機構は世界中にあるが、ラジェカのクイーンズゲートは規模が大きい。
養成のシステムとして、学校が併設され、王都の真ん中に城と同じくらい堂々と建設されていた。
マリアはここに籍を置いている。
門番に控え目にお辞儀をすれば、最上級の敬礼を受ける。――顔パスだ。
機構は政府と密着し、動いている。
両者は、悪魔の存在は減っていて、希少で、安全を脅かすものではない、なぜなら我々がいるからだ、と高らかに宣言している。
宮殿のそれにも負けない庭園を突っ切り、マリアとカインは中枢へ向かう。
「寒くねえか?」
「うん、大丈夫。カインは?」
「寒いから暖めて?」
マリアはちら、とカインの顔を見やってから、自身のファーティペットを取った。
「あー悪い、マリア。それはお前がつけとけ」
「少し可愛いかもしれないけど暖かいわよ?」
うんざりした顔でカインは彼女が外したファーティペットの前のリボンを留めてやる。
「なんだお前達、来ていたのか」
声をかけられマリアは振り返る。声をかけてきたのは、背の高い女性だった。三十代になるかならないかの歳の、中性的な印象の女性。短めにざっくり切られた茶髪と、青い瞳、軍服に似た機構の制服はパンツスタイルで、長身と相まって、一瞬では性別が分かりにくい。
「一級祓魔師、マリア、参りました」
「その挨拶はやめろ、お前だけは顔と名前がちゃんと一致している」
女性は少し低い声で笑った。
「どうした、今日は招集も会議もなかったはずだが」
「テサの通りで悪魔に遭いました、下級悪魔なので祓いました」
「……さすがに件数が多いな、報告ありがとう、さて報告書にどうねじ込むかな。パンパンだ」
「クイーンズゲートの近くの教会なんか真っ黒だったぞ」
「……それは悪魔がいるかもしれない、という事か?」
女性――ノアはカインに問いかけたが、マリアが答えを返した。
「まだ何も調査をしていないので、何とも言えませんが……」
「いい、後で遣いを出そう、もし気のせいでも構わんさ」
短い髪の下からから見える耳には、ピアスが右に一つ、左に七つ、マリアの直属の上司であるノアはエクソシストではない。悪魔は見えないし、感じないが、魔力があるので、機構にそこを買われ出世した。
「……もう昼を過ぎてるじゃないか、食べてきたか? 今から私も休憩だったんだが、一緒に……」
ふとノアはカインを見た。高圧的な顔で睨み付けるカインにため息をはく。
「はいはい、マリアを頼んだぞ、カイン。報告は受け取った、また何かあれば来てくれ、こちらから何かあれば遣いを出そう」
休みを取るのもままならないほど忙しいのだろう、ノアはそれだけ伝えると、長い足で颯爽と歩いていった。
「……せっかくご飯ご一緒出来ると思ったのに……」
マリアは小さくため息をついた。
「なんで」
「なんでって何が?」
「あいつ好きなのか」
マリアはカインの質問の意味が全く分からない。
「好きよ」
「……女だぞ」
「そうね、女性だけど……」
全く、分からない。
「とりあえずパスタ食べに行こう、いつものでいいの?」
「ああ、トマトと挽き肉のやつな」
マリアが何か言う間もなく、カインは彼女の手をとった。
すっぽりと包むカインの手は大きい。ごつごつしていて、指が長くて、冷たい。
「教会に寄った方が良いかしら」
「ノアがどうにかするんだろーが、飯だ飯、お前はもう少し太れ」
「……」
黙ったマリアにカインは振り返る。彼女は怒っているようだった。
何に腹を立てたのだろうか、とカインは慌てる。
「わあったよ、じゃあ教会に行くか」
「…………」
「違うのか、なんだ、何か言ったか?」
マリアはむっとしたまま自分のガウンの胸元を見る。――ささやかなのは言われなくても知っている。
「食べる、私、二皿食べる」
「はあー? ぜってー入んないって」
「食べる」
マリアはカインの手をぐっと引っ張って、馴染みのパスタ屋に急いだ。
†
マリア=ツェルニの生い立ちは完全に破綻していた。
まず彼女には両親がいない。機構が所有する教会の聖水盤の上で彼女は見つかった。
生後間もない赤子の、へその緒は千切りとられたようで痛々しかった、と当時のシスターは報告している。
目も空いてない赤子に洗礼を授け、教会は彼女を育てた。
ラジェカは完全な一神教で、唯一神ファルミアを崇めている。ファルミアは両性具有の神で、男神でもあり女神でもある。
ファルミアが創造した娘の名、マリアと貰った赤子は、暖かい湯船に入り、栄養あるミルクを貰い、すやすやと眠ってしまう。
シスター達は知らなかった、幼いマリアのそばに彼がいた事など、少しも分からなかったのだ。
†
マリアの家は質素だった、小さいがきちんとした一軒家で、機構から支給された家だった。
マリアは第一級祓魔師だ、給料は恐ろしいほど良い。だが、彼女自身が贅沢を好まない。ある程度の物があればそれで構わないのだ。
家に入れば、カインがぐっとマリアの手を取る。
「ちょっと、カイン」
「腹減った」
さっきパスタを食べたじゃない、と言おうとしてマリアは肩をすくめた。
「痛くしないでよ、痛かったら十日は食事を抜くから」
「しねーよ」
玄関先で、二人の影が重なる。
カインは宝物に触るように優しくマリアの金色の髪を上げ、首筋を撫でた。
ぞくり、としてマリアは目を瞑る。
「妬いたんだろ、お前のが一番だ」
「妬いていません、精気を取られた女性に対して同情したんです」
「感じてたぞ?」
「ばっ」
馬鹿、と言う前にマリアはひ、っと喉を鳴らした。
ともすれば甘い声が出そうになるのを止められない。カインが首筋を舐める。
小さく歯を立てる。
――食事をしている。
「マリア、気持ちい?」
「……っ痛くは、ありません」
火照った彼女の顔を見てカインはにやりと笑う。極上の美形が、甘い顔で笑うのがあまりに刺激が強すぎて、マリアは目をぎゅっと閉じた。
第一級祓魔師、マリア=ツェルニは、祓魔師でありながら、カインという悪魔に憑かれていた。
聖水盤に寝かされていた時から、もう既に。




