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真っ黒な王国1

プロローグ



 魔女は火炙り、罪人は舌を切られ、王は断頭台へ。

 悪魔は――

 悪魔は根深く人間にとりつき、人間を牛耳り、人間を唆す。そっと耳元で、こちらへおいで、と甘い誘惑をするのだ。

 チョコレート、キャンディー、マカロン。どんな菓子より甘い誘惑を。



 1



 マリアには隣に常に誘惑があった。


「なあ、怒ってんのか、そんなに怒るなって、ちょっとやっちまっただけだろ」


 元凶は彼である。彼が悪いのだ。

 なあなあ、と追いかけてくる彼に向かってマリアはきっと顔を上げた。


「私は何度も申しました、人の精気を吸ってはなりませんと」

「だから、悪かったって」



 黒髪黒目、真っ黒なコート、地味な出で立ちなのに、顔はあまりに綺麗で恐ろしいほどに整っている。少し長めの前髪からさらりと見える瞳は、一見真っ黒なのだが、奥が赤い。揺らめくような炎、あるいは血のように、残酷で破壊的な赤。


「マリアが悪い、お前が処女を俺にくれたら……」

「わあああっ」


 マリアは慌てて男――カインの口を手で押さえた。彼の背が高いから、多少背伸びをしなくてはならない。

 賑わう市場の道の往来で、恥ずかしい単語を恥ずかし気もなく、整った顔で飄々と言われるのではたまらない。

 もういい加減にして、と怒ろうとしたマリアは目を見開く。

 マリアの手のひらを彼が舐めたからだ。



「ひあっ」

「おいおい、そんなやらしい声で煽んなよ、朝っぱらから。」

「もうっバカ! ついてこないでください!」


 慌てて舐められた手のひらをハンカチで拭う。真っ赤になったマリアに絶好の玩具を見つけた、とカインはニヤニヤしながら彼女の耳を触る。


「真っ赤」

「……っ知りませんっ」

「なあ、あんたが困るなら他には手を出さない、ちゃんと約束すっから、ほら……」


 カインが優しくマリアの頭を撫でていると、市場とは逆の通りから悲鳴が聞こえてきた。


「た、助けてっ!」


 はっ、としてマリアは走り出す。

 

「あ、おい、マリアー」

 走っていったマリアを、面倒そうにカインも追った。



 マリア=ツェルニは淡い金色の髪に、晴天の日の空のような瞳をした少女だ。

 ――つまり、ラジェカ(この国)によくいる、これといった特徴のない容姿の少女で、強いてあげるなら、他の娘よりずいぶん身持ちが堅い。――すれてない、のが良いところな普通の少女だ。

 年は17。着ている服はベージュのガウンに、白地に黒リボンがついたファーティペット、黒い靴下、と至って地味で、質の良い物でもない。ただし清潔感がある。


「どうしましたっ」


 町の少し外れになるのだろう、裏路地に入ったところにある酒場の前で、女が座り込んでいた。 瞳を驚愕の色に染めて、震える指で、酒場の中を指す。

 だが、来たのがマリアだと――年端もいかない普通の娘だと分かれば吐息に近い声で何度もダメだ、と呟き首を降った。


「焼かなくては、悪魔よ、悪魔がいるわ」

「悪魔?」


 酒場の扉は閉まっていた。が、マリアにはそこから溢れ出す禍々しい空気がはっきりと分かった。


「カイン、この方をお願いします」

「やだ」

「……お昼ご飯を考えていてください」

「仕方ねーなー」


 マリアは深呼吸をして首元からロザリオを取り出した。

 祈りの数の玉を指先でゆっくり数え、最後に十字架に触れる。


「待って、あ、危ないわ、祓魔師様を、エクソシスト様を呼ばなくては」

 座り込んでいた女性はカイムに支えられて必死に彼に頼んだ。あの子では危ない、と。


「大丈夫大丈夫、あれがそうだ」

「え?」

「あれがその祓魔師様だ」


 カインはにやりと笑った。





「主よ、天罰を与えるべき時が舞い降りました」


 1、2、と心の中で数えながら、マリアは祝詞をつむぐ。


「エクソシストだ!」

「エクソシストだ!」


 低級な、双子だろうか、とても似た顔の悪魔が二人、マリアの前でケラケラ笑っている。

 黒い羽がはえた少年達。空を、飛んでいる。


「無理だよ、お姉さん、君には祓えない」

「うん、祓えない」


 キャハハ、と甲高い耳障りな声で笑い出す。

 酒場の中は酒場のようではなかった。まるで異界だ、真っ黒に塗り潰した絵画の中にいるようだ。立体なのに平面のような不思議な感覚がマリアを脅かす。

 だが。


「一に恩恵を、二に安寧を、かのものがあるべき場所へ導きたいと願います」


 祝詞をつむぐ際に必ず悪魔は祓魔師を狙う、攻撃する。マリアも同様に今まさに、悪魔達から攻撃を受けようとしていた。

 ただし、「それ」は彼女には絶対に当たらない。


「な、なんだこの女」


 ガウンの裾が空気を孕みふんわりと膨らむ。

 薄い金髪が、光もないのに輝く。マリアの足元には魔方陣が現れていた。


「やだ、やだやだ、まだここにいるんだっ魔界になんか帰るもんかっ」


 悪魔達は驚いた。下級だと侮っていたのだ。

 マリアが、下級祓魔師だ、と。


「浄化されよ、その黒き魂よ!」


 そんなわけが、ないのだ。


「ぎゃ、ぎゃあああっっ!!」

「ぎゃあああああ」


 悪魔達が断末魔の声を上げる。

 闇はマリアの作り出した光に導かれ、元の世界を構築する。


 そんなわけがないのだ、マリアは下級祓魔師なんかではない。

 世界中に二人といない、最上のエクソシスト、彼女にしか冠せない等級を与えられた一等祓魔師である。


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