↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約者さま、あなたは私を殺すのですか?  作者: 采


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/45

幽影

 私はそれから、スズさんに緑麗荘の案内をしてもらった。

 立派な応接間、美しい庭園、眺めの良いバルコニー……緑麗荘はどこをとっても素敵だった。


 ここを自宅だと思えるほどには、まだ馴染めてはいない。けれど、私はすっかりこの洋館が好きになった。


「あの……品子さま」


 案内が終わると、スズさんは言いづらそうに切り出した。


「今夜はどちらでお休みになられますか? 品子さまのお部屋か、ご夫婦のお部屋か……」


 そういえば、夫婦の寝室は別に用意があると言っていた。


「……征之介さんは何て?」


「品子さまのお好きなように、と仰っておりました」


 私たちは婚約中の身ではあるけれど、まだ正式な手続きは終わっていない。

 少しでも早く話を進めたいからと、征之介さんが私を呼び寄せたのだと聞いているけれど──征之介さんが好きなようにと仰るなら、少しだけ我儘を聞いてもらえるだろうか。


 征之介さんと一緒に過ごす時間はもう少し欲しいとは思うけれど、まだ夫婦として過ごす気にはなれなかった。


「では、今晩も自室で休ませていただいても……?」


「かしこまりました。では、そのように準備いたします」


「ありがとう。あの、それからスズさん──……」


「なんでしょうか」


 私は、スズさんに美与子さんという方について聞いてみようかと思った。

 けれど今朝の征之介さんの様子を思い返すと、その質問を口にすることができない。


「その……お夕食が楽しみだなって」


 美与子さんというのはきっと、征之介さんにとって大事な人なのだ。

 こうして陰で人に聞くのは、あまり良い気がしないだろう。


「夕食には和食をご用意しております。征之介さまが、品子さまは和食のほうが慣れておいでだろうからと」


「征之介さんが……?」


 今朝の会話で料理の話をしたからだろうか。

 こちらで食べる料理はどれも美味しいので、私は本当に洋食でも和食でも構わなかった。けれど征之介さんの気遣いはとても嬉しくて、私はお夕食が尚のこと楽しみになった。




 お夕食の席に現れた征之介さんは、今まで以上に口数が少なかった。


「こちらのお吸い物は、お出汁がよく効いていてとても美味しいですね」


「それは何よりです」


「士官学校はいかがでしたか?」


「特に変わりはありません」


「明日もお出かけされるのですか?」


「はい」


「──……」


「──……」


 お返事はしてくださるけれど、一向に会話が続かない。

 私と征之介さんとの間には見えない線がくっきりと引かれていて、とても距離が縮まるとは思えなかった。


 けれどこのままの距離を保っていては、私は何も知ることができない。征之介さんの気持ちも、幸せな結婚生活というものも。


「……征之介さん。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「なんでしょう」


 私は今朝からずっと気になっていた、あの問いを投げかける。


「──……美与子さんというのは、どなたなのでしょうか」

 

 私が美与子さんと口に出した時、部屋の空気に緊張が走った。


 ちょうど給仕をしていたスズさんの身体が一瞬こわばる。

 そして征之介さんは食事の手を止めて、なんとも言えない表情をした。悩ましげであり、悲しそうでもあるお顔だ。


 そのお顔を見て、私は聞いてしまったことを少し後悔した。けれど、このまま知らずに過ごしていくのも嫌だったのだ。


「──……美与子は…………」


 征之介さんは、答えるべきか否か迷ったようではあったけれど、深い息を吐いてから言った。


「……美与子は、私の妹です」


「妹……さん?」


 征之介さんが次男であり、お兄さまがいるというのは聞いていた。けれど、妹さんがいるというのは知らなかった。

 藤峰家に娘さんがいるという話も耳にしたことがなかったので、私はてっきり二人兄弟なのかと思っていたのだ。


「妹は生まれつき身体が弱く、ほとんど家から出ることがありませんでした。公の場に出ることもなかったので、妹の存在を知る人は少ないのです──とは言え成長するにつれ体力もつき、少しずつ外にも出られるようになってはいたのですが──……」


 そして征之介さんは、さらに苦しそうに顔を歪めた。


「仔細あって──……昨年、息を引き取りました」


 私は思わぬ出来事に息を呑んだ。

 スズさんが言っていたご不幸とは、美与子さんが亡くなったことだったのだろう──……。


「……他に、何かお聞きになりたいことは?」


「申し訳ありません……私、なんて配慮のないことを──……」


 美与子さんが亡くなられて、征之介さんはどれだけ悲しい思いをされたのだろう。美与子さんの話をしている時の表情から、それが深く伝わってきた。

 きっと征之介さんは、美与子さんのことを思い出すことも辛いのだ。


「……いいえ」


 征之介さんは、謝る私を見て首を振った。

 相変わらず目線は合わないけれど、征之介さんの声はまっすぐ私に向かっていた。


「──……あなたは、何も悪くありません」


 あなたは何も悪くない……その言葉は、私にあの夢を思い起こさせた。


 ──すまない……君は、何も悪くないんだ。


 夢の中のあの台詞と、よく似た征之介さんの言葉。

 低く絞り出すような、苦しそうな声。そして今にも涙が溢れそうなお顔──夢の中の征之介さんと、目の前の征之介さんが重なって見えた。


 そっと首元に手を当てて、夢の中の征之介さんに問いかける。


 私が何も悪くないと言うのなら、あの時なぜ私の首を絞めたのですか──?


 目の前の征之介さんは、青い顔をして立ち上がった。


「──申し訳ありません。所用を思い出したため、先に部屋へ戻らせていただきます」


「いいえ、あの──……」


「どうぞごゆっくり召し上がってください」


 征之介さんは、また私の顔を見ずに去っていく。


 なぜ、あなたは私をここに呼んだのですか──?

 美与子さんの死が、何か関係しているのですか──?


 疑問ばかりが私の中に積もっていく。

 明日か明後日か、それとも明々後日かその先か──私は答えを得ることができるのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。