義兄
静かな食堂にナイフとフォークの音が響く。
征之介さんと二人でとる食事は初めてのことで、どうしても緊張してしまう。
この朝食の席で少しでも征之介さんとの距離を縮められたらと思ったのだけれど……なかなか思うようにはうまくいかない。
「……征之介さんは、和食よりも洋食のほうがお好きなのですか?」
「いえ、自分はどちらでも構いません。父が洋食を好むため、宅の料理人は洋食をだすことが多いのです。お口に合わなかったようであれば、和食を作り直させますが」
「いいえ、そういうわけでは……! とても美味しくいただいております」
「──……」
「──……」
昨晩はあの部屋で眠ることで、また嫌な夢をみてしまうのではないかと不安だった。けれどしっかり深い眠りにつけたようで、私は夢もみずにぐっすり眠ることができた。
扉越しにお話しできたからか、征之介さんに対する恐怖心も少し薄らぎつつある。
征之介さんは、今朝も私の体調について気遣ってくださった。昨晩は失礼を働いてしまったのに、お優しい方なのだとは思う。
「とても良いお天気ですね。征之介さんは本日、どこかお出かけされるのですか?」
「午後から士官学校に顔を出す予定です」
「ではあの……午前中はお時間がございますか? よろしければ、お屋敷の案内をしていただけたら嬉しいのですが」
私は思い切って、征之介さんにそうお願いしてみた。
けれど征之介さんはナイフとフォークを持つ手を止めると、難しい顔をして言った。
「……申し訳ありません、午前中は書類の整理がございます。代わりに、スズに案内するよう申し伝えましょう」
「お忙しいのですね……厚かましいお願いをして、申し訳ありませんでした」
「とんでもありません」
残念だけれど仕方がない──……。
それきり、征之介さんとの会話はなかなか続かなかった。
「──失礼いたします。征之介さま、少しよろしいでしょうか」
私たちが静かに食後のお茶を飲んでいた時、征之介さんの付き人である佐々部さんがやってきて耳打ちした。
彼は長年ご当主である治嗣さまに仕えていたけれど、今はこの緑麗荘の一切を取り仕切っているのだとスズさんが言っていた。
「──……だそうですが、いかがいたしますか?」
佐々部さんが何事かを伝えると、征之介さんは眉間に皺を寄せて険しい顔つきになった。
「……何かあったのですか?」
私が尋ねると、征之介さんは何と答えようか迷っているようだった。
けれど征之介さんが答える前に、何やら部屋の外から騒々しい声が聞こえ始めた。
「……困ります、征嗣さま! 征之介さまと奥さまはお食事中でございまして……」
「構わないだろう、別に。少し顔を見るだけなんだから」
「ただいま征之介さまに確認をしておりますので、しばしお待ちを……!」
「入るぞ、征之介」
静止の声を振り切って、荒々しく扉を叩く音がした。そして征之介さんが応対する前に扉が開き、殿方が一人姿を現す。
「……おはようございます、兄上」
征之介さんはその殿方に向かって、そう挨拶をした。
兄上──征之介さんのお兄さまは洋行中だとお聞きしている。もう日本へ戻ってこられたのだろうか。
たしかにその殿方の顔かたちは、征之介さんとよく似ていた。征之介さんがあと何年か歳を重ねたなら、きっとこの征嗣さまのようなお顔立ちになるだろう。
「こんなに朝早くから、一体どうしたというんですか。日本へのお戻りはしばらく先だと聞いておりましたが」
「少し予定を早めたんだ。今朝方にこっちへ戻ってきた」
征嗣さまはそう言うと、私のほうへと視線を移した。
私は慌てて立ち上がり、征嗣さまへとご挨拶をする。
「──ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。征之介さんと婚約中の身である、花ノ井品子と申します」
征嗣さまは私をじっと見つめたまま、何も仰らない。代わりに、征之介さんが私に言った。
「……兄の征嗣です。どうか兄の無礼をお許しください」
二人は顔かたちはよく似ているけれど、中身はそうではないのかもしれない。
征之介さんの言動は実直で、そして丁寧だけれど、征嗣さまは少し違う。実直であるけれど同時に率直で、飾り気がない。
髪型を見てみても、征之介さんはきっちりと油で整えているのに対し、征嗣さまはやや乱れた状態のままだ。
「……驚いたよ、お前が結婚すると聞いて」
「兄上が戻られたら、改めてお伝えしようと思っておりました」
「それにしても急じゃないか」
「まだ正式に夫婦になったわけではありません。婚約の段階ですので、これから順序を踏んでいく予定です」
「お前が急いで話を進めたのだと聞いているが?」
「はい、その通りです」
征嗣さまは、改めて私を見る。
「……心配していたんだ。金持ちとはいえ、相手は庶民の娘だと聞いていたから──……堅物のお前が、うまく唆されたのではないのかと。まさか相手が──……」
「兄上、無礼です!」
征之介さんの言葉を無視して、征嗣さまは続けた。
「……どことなく似ているな、美与子に」
征嗣さまがそう言うと、征之介さんが勢いよく立ち上がった。テーブルの上の食器類が音を立てる。
「似てなどおりません!」
征之介さんの今までにない大声に驚いて、思わずびくりと身体が震えた。
「なぜ、彼女と結婚を?」
「……──」
表情を変えずに問う征嗣さまに、征之介さんは何も答えない。
その様子を見て、征嗣さまは私に向き直った。
「……品子さん、早朝からお騒がせてして申し訳なかった。失礼な物言いに対してもお詫びさせていただく」
征嗣さまは丁寧に頭を下げてから、続けて私に尋ねた。
「不肖の弟が、何かご迷惑をおかけしていないだろうか?」
「い、いいえ……征之介さんはお優しくて、私のことをよく気遣ってくださいます。私のほうこそ、至らない点ばかりで……」
「……そうか。今後とも、弟のことをどうかお願い申し上げる」
征之介さんはテーブルの上で掌を握りしめたまま、何も言わなかった。
「征之介も、朝から悪かったな。私はしばらく日本に滞在する予定だ。用があれば本宅へ来てくれ」
踵を返して出ていこうとする征嗣さまに、私は慌てて声をかけた。
「あの、おにいさま……!」
美与子さんとはどなたなのですか──?
そう問いたくてたまらなかったのだけれど、きっとこの場でその質問はふさわしくない。
私は出かかった言葉を飲み込んで、どうにか別の言葉を口にした。
「……今日はお目にかかれて光栄でした。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします」
征嗣さまは、また私をじっと見る。
「……お兄さまだなんてよしてくれ」
気分を害してしまっただろうかと不安になったけれど、征嗣さまは続けて言った。
「私のことは征嗣で構わない──……それじゃあ……また改めて。いつでも本宅へ来てくれたまえ」
扉が閉まり征嗣さまの姿が見えなくなると、征之介さんは改めて私に謝罪を述べた。
そしてそのまま朝食の席を立ち、それきり夕食までお顔を合わせることはなかった。
美与子さんとは、いったいどなたなのだろう。
私は、その美与子さんに似ているのだろうか──……。




