我儘
──……征之介さんが帰られた後、私はお母さまの病室を訪れた。
そしてお母さまとの時間を過ごしお部屋を出ると、驚いたことに廊下の角で征嗣さまがお待ちだった。
「──……思っていたより、落ち着いているな」
「征嗣さま……お母さまにご用ですか?」
「まさか。七面倒な対応を征之介が交代してくれたものだから、品子嬢の様子を伺いに来たんだ」
「お気遣い、ありがとうございます」
「事を知って、君はもっと取り乱すかと思っていた。まさしく、あの時の美与子のように──……」
征嗣さまが以前仰っていた言葉の意味が、今ならわかる。征之介さんは、美与子さんの棘でがんじからめになっている──……。
「もちろん……驚かなかったと言えば嘘になります。悲しみも怒りも同様に──……ですが今の私には、なさねばならないことがございます。私は、征之介さんをお救いしたい──……そのために今は、取り乱してなどいられないのです」
征之介さんは、美与子さんの最期の願いを叶えるために苦しんでいた。あの言葉が鋭いいばらとなって、今も征之介さんに巻きついているのだ。
「征嗣さま……征之介さんは、自ら命を断つ気なのではないでしょうか」
「何──……?」
美与子さんの本願を遂げることができなかったこと、そして私を手にかけようとしていたこと──二つの自責の念にかられて、征之介さんは死をもって償おうとしている。征之介さんの死を覚悟した目が、それを物語っていた。
おそらく征之介さんは、部屋にこもって遺書をしたためていたのだ。贖罪と断罪の念を込めて、舞踏会の日に全てを終わりにするつもりで──……。
「私は征之介さんが苦しまずに済むように、私にできることをするつもりです」
「──……君一人で、いったい何をしようというんだ」
征嗣さまは訝しみながら仰った。たしかに以前の私であれば、一人では何もできなかった。けれど、今は違う。私は、《《一人ではない》》。
「では……征嗣さまは、何をするおつもりでらっしゃったのですか?」
──……品子嬢──あなたを悪いようにはしない。だからもうしばらくだけ、辛抱していて欲しい──……あともう、まもなくなんだ。
征嗣さまはそう仰っていた。征之介さんとは違う方法で、何かをなそうとお考えだったのではないのだろうか。
「征之介には私から言って聞かせる──……品子嬢はひとまず、自分の心の安寧に努めるべきだ」
私の問いを、征嗣さまは誤魔化そうとなさる。けれど私がなおも尋ねようとした時、死角になっていた廊下の奥から一人のご婦人が現れた。
「──……教えて差し上げなさいな、征嗣。大した話ではないのだから、もったいぶることはないわ。この娘さんはあなたが思っているより、ずっと芯のある子なのではなくって?」
流行りの柄の着物を軽やかに着こなしながら、からりとした口調でその人は言った。
「母上──……」
征嗣さまが、ため息混じりに呼びかける。
「おかあ、さま──……?」
「品子さん、なかなかご挨拶ができなくってごめんなさいね。藤峰緑子と申します。治嗣の妻で、征嗣と征之介の母よ」
「そんな──……私のほうこそ、ご挨拶がずいぶん遅くなってしまって──……花ノ井品子と申します」
私は慌てて、初めてお目にかかる緑子さまに頭を下げた。
「私があなたを避けていたんだもの、謝ることないわ。征之介ったら、いきなり花ノ井の娘と結婚したいだなんて言い出すじゃない? 私はあの女と縁続きになるなんてごめんでしたから、反対したけれど聞きやしないで──あなたにも良い印象はありませんでしたから、極力お会いしたくなかったの」
明るく冗談のような口調で仰っているけれど、緑子さまは私が義娘になることが本当に嫌だったのだろう。治嗣さまとお母さまの仲をご存知のようだから、それも当然だ。
「申し訳ありません──……私──……」
「あら嫌だ、謝らないでちょうだい。私が大人気なかったのよ。親子といえども違う人格ですものね。いっしょくたに決めつけるべきではなかったわ。謝るべきなのは私のほう──……やっぱり無理にでも、婚姻話を止めるべきだったわ」
征嗣さまは緑子さまを止めようとするけれど、口を挟む隙がないようだ。
「先だっての火事──記者や警察には緘口令を敷けたとて、重森さまのお耳にはどうしたって入ってしまうでしょう。夫の不始末であなたを危険な目に遭わせて、重森さまがお許しになるはずがないわ。おそらく今回の縁談は破談になるでしょう──あなたの経歴にも身体にも、いたずらに傷をつけてしまった──……」
そう言って緑子さまは、私の身体に巻かれた包帯をなぞった。
「こんな火傷、大したことではありません。それに──……いずれ破談になるとしても、私はまだ──……」
私が言いかけると、緑子さまはからからお笑いになる。
「いいわね──……! 若いって、本当いいことだわ──……! あなたは家のことを抜きに、征之介のことを思ってくれているのね。お礼を言うわ、品子さん」
「母上、少し言葉を考えて──……」
「あなたは黙ってらっしゃい、征嗣。私はね、今回のことでもう夫に対する愛想が尽きたの。親に決められた結婚ですから、愛情なんてものは元々お互いなかったわ。子供を産んで役目は果たし、それぞれ好きなように生きて──それで構わないと思ってた。美与子のことが、あるまではね」
緑子さまは、一瞬だけとても辛そうなお顔をされた。
「私が目を逸らし続けていたから……子供たちに辛い思いをさせてしまったの。ごめんなさいね、本当に」
話をふられるとは思っていなかったのか、謝罪を受けて征嗣さまは驚いた様子だった。
「そうそう──それで私ね、征嗣の後押しもあって、ようやく離縁の気持ちが固まったの。治嗣さんがああいう人なのは、もうどうしようもないことなのよね。あの人だけが悪いわけでもない──……美しい花には、どうしたって虫が寄ってきてしまうもの──……でも、私はそれを見るのがもううんざりなの。わかるかしら?」
私が答える前に、征嗣さまが緑子さまを静止した。
「母上、品子嬢の立場もお考えください! まったく──……品子嬢、すまなかった。つまり──話が迷走してしまったが、私は父に隠居してもらう予定だったんだ。父の行いをしかるべきところへ訴えて、私が家督を継ぐ──……そして当主として、必要ならば婚約破棄を命じるつもりだった」
「征嗣が当主になったなら、私も離縁しやすいじゃない? どうせ離縁には反対でしょうから実家には帰れないけれど、当面は征嗣が面倒をみてくれるって言うのよ。品子さん、あなたも征之介なんてややこしい男ではなく、もっといい人を征嗣に紹介してもらいなさいな。全て忘れて、今までのように何も抱えることなく生きていったっていいのよ?」
初めてあの夢をみて婚約の話を聞いた時──私はただ恐ろしくて、嫌で嫌でたまらなかったはずなのに──……今の私の気持ちは、あの時とは全く違う。
全てを忘れて以前のように生きることなんて、できるはずがない。
緑子さまは、私の顔を見て再びからからと笑った。
「なんてね、そんなことできるはずがないわよね。あなたの顔を見ていたらわかるわ。征嗣、もう止めても無駄でしょうよ。征之介がそうであるように、このお嬢さんもとっても頑固なようだから──……だからせめて、無茶をしないようにあなたが見張って差し上げなさい」
「母上、またそんな無責任なことを仰って──……!」
お二人の掛け合いがなんだか可笑しくて、しばらく張り詰めていた気持ちが和らぎ冷静になっていく。
「お二人とも、ありがとうございます。私ときたら考えなしに動いて、藤峰家のみなさまにご迷惑をおかけするところでした」
「あら、迷惑なんてかけていいのよ! 私はもう藤峰とは縁を切るんだから、関係ないもの」
「母上!」
「いいじゃない。あなたなら多少の迷惑くらい、自力でどうにかできるでしょう? 家督を継いでも何とかなるように、今まで相応の準備をしてきたんでしょうから」
征嗣さまは、緑子さまには敵わないようだ。
「好きなようにやりなさいな。それくらいの我儘、構わないのよ。あなたは今まで、散々周りに振り回されてきたんだから」
──もう少し我儘になっても構わないんですよ──……。
緑麗荘へ越す前に、およねさんにもそう言われたことを思い出す。
緑子さんの言葉に甘えようとしている私は、本当にすっかり我儘になってしまったようだ。




