告白
翌朝、私の病室へ征之介さんが来てくださった。たくさん伝えたいことがあったはずなのに、お顔を見ると何から話してよいのやらわからなくなってしまう。
「──……ご無事で、何よりでした」
「征之介さんが助けてくださったおかげです──……」
征之介さんは立ったまま、私へ向かって深々と頭を下げる。
「申し訳ありませんでした──……私の父の不徳の致すところにより、あなたをひどく傷つけてしまった……あなたをお守りすると、誓ったのに」
「頭を上げてください、征之介さん。謝らなければならないのは私のほうです」
私は征之介さんを見ながら、一思いに告げた。
「私はようやく、気がつきました──……私のお母さまと治嗣さまは……深い仲で、いらっしゃったのですね──……」
心のどこかで、この考えは外れているかもしれないと思っていた。けれど征之介さんの表情が、間違ってはいないのだと物語っている。
──……品子──! いいから、早く逃げなさい!
火の手が迫る中で、最後に聞こえたあの台詞──……あの声は、私のお母さまのものに違いなかった。あの時、治嗣さまのお部屋にはお母さまがいた──……透子さんが口にしていた女は私のことではなく、お母さまのことだったのだ。
「……あなたには、知らずにいて欲しかった──……」
あの時まで私は、少しの疑いも抱いていなかった。私の中のお母さまは、どこまでもお父さまを支え立てていらっしゃったから──……。
けれど事実を知ってしまった今、私の中にあったかすかな違和感に納得がいった。
なぜお母さまがいつになく強引に、藤峰家との縁談を進めたかったのか──お母さまは、治嗣さまとお会いする機会を増やしたかったのだ。そして治嗣さまから感じた、切なくも懐かしくなるようなあの香り……あれはお母さまの残り香だった──そして、鏡台の前で感じたあの違和感──……。
治嗣さまに言われた通りに、額とうなじを出した私──……その髪形は、明らかに私に《《似合っていた》》。お母さまが整えてくれていた髪とは異なり、富士額とうなじの線がきれいに出ていて、自分の顔なのに別人のように大人びて見えた。
華やかで美しく、趣味のよいお母さま──……お母さまは、自他の魅力を引き出すことのできる人だ。何の理由もなく、私の美点を殺すはずがない。
お母さまは私に、治嗣さま好みに育って欲しくなかったのだ。私から洋装を遠ざけたのも、幼く見える容姿に整えていたのも、治嗣さまの目を逸らすため──……私が、若かりし日のお母さまによく似てしまうから──……。
私はお母さまの娘だから、それがよくわかってしまった。私はずっと、お母さまの棘に囚われていたのだ。
何も知らずにいた自分が情けなくて、お母さまが恐ろしくて、身体が震えて涙が頬を濡らす。
征之介さんは何も仰らずに、ただ涙を優しく拭ってくださった。
「藤峰のお母さまや、私のお父さまも知っているのですか──……?」
「私の母は知っておりますが──……重森さまは、何もご存知ないかと思います」
「そう、なのですね……藤峰のお母さまは、お怒りでしょう……?」
「母は、父に対して何の感情もありません。家同士の婚姻ですから、父が外で何をしようとも気に留めていないのでしょう」
そういうものなのだろうか──……お妾さんを囲うことは大目に見ることができたとしても、お母さまは人の妻であるのに──……。
お父さまはどう思われるだろう。お父さまはお母さまをとても信頼してらっしゃったから、きっと衝撃をお受けになるに違いない──……。
「美与子さんが亡くなったのは、お母さまたちの関係が原因なのですか──……?」
事実を知ってしまってから、征之介さんにずっと尋ねたかったことだった。征之介さんは逡巡したようだったけれど、言葉を選びながらも私に話し始めてくださった。
「──……美与子は身体が弱く、よく緑麗荘へ静養に来ておりました。あの日は──あの屋敷で、父が主催した舞踏会が開かれていたのです。来客も多く、私も兄も美与子に構ってやる時間がありませんでした。あの時、せめて私が一緒にいてやれたならと──……今も悔やんでなりません」
征之介さんは顔を歪めて、後悔をにじませた。
「舞踏会を抜け出して美与子の顔を見に部屋へ行くと……美与子はひどく取り乱した様子でした。断片的なことを叫びながら、胸を抑えている──嫌だ、どうして、信じたくない──……そんなことを言うのです。美与子は心臓が弱かったので、私は医師を呼ばなくてはと焦りました。ですが美与子は私を摑んで離しはせず……窓の外を、指差しました」
美与子さんの部屋からは、東側のお庭がよく見えたことを思い出す。
「つられて窓の外に視線をやると──……そこで私の父とあなたのお母さまが、強く抱き合っていたのです──……お酒も入っていましたから、部屋に美与子がいることを忘れていたのか……それとも人目すら気にならないほどの思いだったのかはわかりません。ですがとにかく美与子はそれを見て──……かなりの衝撃を受けたようでした」
私は何も言わずに、ただ征之介さんの話に聞き入った。
「私も衝撃は受けましたが、あの時はとにかく美与子を医師に診せたかった……ひどい衝撃は、心臓の負担になってしまうからです。ですが美与子は、驚くほどの力で私を抱きしめながら繰り返すのです。嫌だ、どうして、信じたくない──……と。そして美与子は、最期に言いました」
征之介さんは、美与子さんの言葉を一言ずつ振り絞るようにして口にした。声色は征之介さんなのに、美与子さんの声が重なって聞こえてくるようだった。
「私は許さない──……認めない──……だからお兄さまも、許さないで。認めないで。お願い──……全部、奪って──……憎いの。私にはお兄さましか──……お兄さま……私だけの、お兄さま──……」
美与子さんの情念が、言葉を通して伝わってきた。征之介さんはこの美与子さんの言葉を、何度も繰り返して唱えてきたのだろう。
「そう言い残すと、美与子は苦悶の表情で息を引き取りました。苦しみながらも、あっけのない最期で……私は何もできなかった──……ですから私は、せめて美与子の願いを叶えてやろうと思った。最期の言葉通りに、あの二人を許すことなく、全てを奪ってやろうと──……」
私は首を振りながら、震える征之介さんの手を取った。征之介さんには、とても辛い記憶を掘り起こさせてしまっている。
けれども征之介さんは、私の手をそっと押し返して言った。
「私は──……あなたを、この手にかけようとしていました。そのためだけに、あなたと婚約したのです」
繰り返し夢をみてきたけれど、面と向かってそれを言われたのは初めてのことだ。
「……溺愛するあなたを失ったなら、あなたのお母さまはひどく悲しむことでしょう。娘を失くす痛みというものも、胸に刻み込まれるかもしれない。そして私の父は、華族としての誇りを重んじている。もしも私が人を殺めたならば、家の名誉は地の底へ──爵位は返上となり父は隠居、情事にふけることも金輪際できぬだろうと……浅はかにも、そう考えておりました」
私は改めて、征之介さんの手を握った。その掌は夢でも現実でも変わることなく、とても温かくて力強い。
「よかった……征之介さんが、この手を汚さずに済んで──……」
征之介さんは震える声で、私に続ける。
「たとえ遂げることがなかったとしても……私の成そうとしたことは、許されることではありません。あなたは何も悪くはないのに、あなたを憎んでいたわけではないのに、私は──……」
たとえ夢の中で何度殺されようとも、現実の征之介さんは二度も私を救ってくれた。いくら征之介さんが私を殺めようと思ったところで、きっと征之介さんは──……。
「あなたとともに過ごすことで、私は自らの過ちに気がつきました。私は、責任を取らなければなりません──……本当ならば舞踏会の日に決行するつもりでしたが……改めて私は、自らの咎と向き合う所存です」
征之介さんが何をしようとしていたのか──私は直感的に、察しがついてしまった。私は征之介さんの掌を、力強く握り直す。
「征之介さん、私に対して悪いと思うのならば──……お願いが、ございます」
征之介さんを止められるのは、私しかいない。
「──……もう少しだけ、征之介さんの婚約者でいさせてくださいますか?」
「あなたは、いったい何を──……」
「お願いいたします。私が心に区切りをつけられたなら──……その日が来たなら、私から婚約の解消を申し出いたします」
「私はあなたを殺そうとしていたいたのです。私が憎く、怖くはないのですか──……? 私はもう、二度とあなたの前には姿を現さないつもりで──……」
私は首を振って否定した。
「征之介さんは、私の命を救ってくださいました。ただそれだけが確かなことです」
征之介さんのお顔を見ると、久しぶりに目と目が合う。
「憎むはずがありません。怖いはずがありません。だって私は、あなたの──……」
その先を、私は口にしなかった。今はまだ、言っていけない気がしてしまって──……。




