髪飾
バルコニーで別れた後、再び食事の席で征之介さんとお会いした。少なくとも避けられてはいないようで、私はひとまず安心した。
「お身体が、冷えてしまってはいませんでしたか」
「はい──征之介さんは?」
「問題ありません」
いつもと変わらない短い会話で、相変わらず目線も合わない。けれどどことなく、征之介さんの雰囲気が変わったように思われた。
「舞踏会の稽古についてですが──……申し訳ありませんが、しばしお待ちいただいても構いませんか?」
「それは、もちろんです。征之介さんのご都合に合わせますので」
もうお稽古をつけてもらえないかと思っていたので、声をかけてくださるだけで充分嬉しかったのだけれど──その日から征之介さんは、自室に閉じ籠もる時間が増えた。
お食事には顔を出してくださるし、度々お父さまと会っていらっしゃるようでもある。けれど以前に比べて顔色がよろしくないように見え、どこか無理をしているのではないかと感じてしまう。
あの日の私の言葉のせい、なのだろうか──……。
「ねえスズさん……征之介さんは、近頃お部屋で何をなさっているのでしょう」
「たしかに最近よくお部屋にこもってらっしゃいますね──お飲み物などお待ちする際には、いつも机に向かってらっしゃいます。お勉強でもなさっているんでしょうか」
「そう──……」
花ノ井の事業が関係しているのだろうか。無理して欲しくはないけれど、私が口を挟むのも差し出がましいように思う。
「……品子さま、ご注文していたドレスが本日まもなく届きます。ご試着の際、征之介さまにご確認いただいてはいかがでしょう?」
たしかに征之介さんが以前、衣装合わせも必要だと仰っていた。征之介さんのお部屋を尋ねて、お話しするいい機会かもしれない。
「そう──そうね、スズさん。ありがとう」
別段気にしていなかったけれど、そう思うとドレスが届くのが待ち遠しい。
お昼過ぎになってようやく届いた時には、早く袖を通したくて仕方なかった。
「変……じゃないでしょうか」
「お持ちだったドレスもお似合いでしたが、こちらの衣装も素敵です」
舞踏会用に仕立てたので、お父さまが贈ってくれたものと比べて動きやすい。久しぶりに足を通す洋靴も、慣れてきたのか痛くない。
「お髪はいかがいたしますか?」
私は鏡台の前に座って、しばらく悩んだ。いつもと同じように編もうか、後ろ髪は下そうか、それとも──……。
思い立って前髪を上げて額を出し、後ろ髪をまとめ上げてみる。
「──……?」
久しぶりに額とうなじを出したからだろうか、自分の顔であるのに言いようのない違和感がある。
すうすうとする額とうなじに、治嗣さまの視線と指先が当たっているように感じて──私は慌てて髪を崩した。
「とてもお似合いでしたのに……ほどいてしまわれるのですか?」
スズさんが不思議そうな顔をして言った。
「ええ……やっぱり、いつも通りにします」
私は改めてスズさんに頼んで、髪を編んでもらった。このドレスは、征之介さんのお気に召すだろうか。
新しいドレスに身を包んで、征之介さんの部屋の扉を叩く。突然の来訪は不躾だけれども、今日は征之介さんを訪ねる建前がある、せっかくの機会を逃したくはない。
もしもご迷惑なようであれば、すぐに退散しよう。
「征之介さん、いらっしゃいますか──?」
征之介さんのお部屋へ来るのは初めてのことだ。私がこの屋敷へ来た日、征之介さんが私の部屋へいらっしゃったことを思い出す。今日は、あの日と反対だ。
「…………どうなさいましたか?」
部屋の奥から征之介さんの声がする。このまま部屋の外へ出てきてくださらないかとも思ったけれど、予想に反して征之介さんはすぐに扉を開けてくれた。
「それは──……」
「本日届いた、舞踏会用のドレスです──征之介さんにも、確認していただきたくて」
「…………少々、お待ちいただけますか」
征之介さんは言うなり部屋へ戻ると、手に小さな箱を携えて戻ってきた。
「本来であれば私のほうから伺わねばならないところ、無礼を失礼いたします。これを──もらってはいただけますか?」
「…………?」
言われるままに受け取った箱を開けると、中には綺麗な簪が一本入っていた。銀色の透かし細工に真珠がいくつもついていて、美しい花のようだった。
「綺麗──……」
思わず呟くと、征之介さんは箱の中から簪を取り出した。そして、それを私の髪に挿す。
「和洋兼用のものです。好きに使ってください」
簪といえば玉簪や鼈甲で、そもそも普段はリボンをつけることが多い。こんなに素敵でお洒落なものをつけのは、初めてのことだ。
そして殿方から何かを贈られたことも、髪飾りを差してもらったことも──初めてのことが重なって、私の頬はひどく熱くなった。
「こんな素敵なもの……私には、もったいないかと存じます──……」
その綺麗な簪をつけるには、私はまだまだ幼い気がした。鏡を見ることができないけれど、髪飾りだけ背伸びをし過ぎてはいないだろうか。
征之介さんは私の髪から手を離すと、改めてドレスを見て仰った。
「──……とても、お似合いですよ」
「………………!」
征之介さんは──こんな風に笑うのだ。私は征之介さんという人の素顔に、初めて触れることができた気がした。
「あなたには今まで……たくさんのご迷惑をおかけしてしまいました」
「そんな、迷惑だなんて──……」
「許してくれだなんて、都合のいいことを言うつもりはありません。これ以上あなたのご迷惑にならないように……今の私にできる限りのことを、させていただきます」
「許すも何も、征之介さんは何もしてらっしゃいません……!」
現実では何も起きていないのだから、征之介さんが謝る必要などないように思う。
けれど征之介さんは、首を振って否定する。
「どうか──舞踏会の日までお待ちいただきたい。その日が来たなら、あなたを縛るものはなくなるでしょう」
「縛られているのは私ではなく、征之介さんではないのですか──……?」
征之介さんは何も仰らない。私は何も知らないのだと、その瞳がただそう言っていた。
「踊りのお稽古は……していただけますか?」
「もう、その必要はありません」
「なぜ──……?」
「あなたにこれ以上、ご迷惑をかけるわけにはいかないからです。あなたはただ、これまで通りに過ごしてください」
これまで通りになんて、過ごせるはずがない。これまでどのように過ごしていたかなんて、今の私には思い出せない。
「私は……征之介さんの婚約者ではないのですか?」
征之介さんは眉根を寄せて、絞り出すような声で私に言う。
「本当に──……申し訳ありませんでした。あなたのことは、私が守ります」
征之介さんは、舞踏会の日に何かをなさるおつもりだ。長らく悩んでいらっしゃったことに、蹴りをつようとしているのだろう。
その日までに、私はまた夢をみるのだろうか。どうにかして征之介さんを止めなければならない──今の征之介さんには、危うい儚さが感じられた。
もう、後戻りはできない。




