招待
「雪子さん、いらっしゃい!」
「お招きありがとう、品子さん」
玄関で出迎えると、雪子さんは珍しく洋装に身を包んでいた。
「そちらの方が……」
「ええ、紹介が遅くなってごめんなさい。主人よ」
雪子さんの横に寄り添うようにして立っていた殿方が、帽子をとりながら私に挨拶をしてくれた。
「はじめまして、品子さん。蔵沢嘉一郎と申します。今日は僕までお招きいただき、どうもありがとう」
蔵沢さんは落ち着いた風格があり、大人の余裕が感じられる方だった。私たちより随分年上と聞いているけれど、若々しく雪子さんと並んでも違和感はない。当の雪子さんが大人びているためかもしれない。
「ご挨拶が遅くなってしまいました。雪子さんの友人の花ノ井品子と申します。どうそ、まずはお入りになって」
征之介さんに言われた通り、私はしばらくの間ダンスのお稽古を休むことにした。けれどそうなると暇を持て余してしまったので、征之介さんに許可をもらって雪子さん夫婦を緑麗荘にお招きすることにしたのだ。
「それで、品子さんの婚約者はどちらに?」
「ごめんなさい、征之介さんはさっきお仕事から戻られたばかりで……今お着替えをなさってるの。もうまもなくいらっしゃるわ」
「楽しみだわ。いったいどんな方なのかしら? 藤峰征之介さまって」
私にとって征之介さんの第一印象は、夢のせいもあってあまり良いものではなかった。聡明な雪子さんは、征之介さんに対していったいどんな印象を持つだろうか──。
私が二人を客間に案内すると、その後すぐに征之介さんがいらっしゃった。
「──お出迎えができず申し訳ありませんでした。本日はお越しいただきありがとうございます」
征之介さんと蔵沢さんは握手を交わす。
雪子さんに会いたいという私のわがままを、征之介さんは二つ返事で許可してくださった。その上こうして挨拶に顔も出してくださっているけれど、内心嫌な気持ちになっていないだろうか──……。
征之介さんは休みの日もどこかへ出かけていて、屋敷に人を呼んだりしない。人付き合いが好きではないのかもしれないと、今更ながら不安になる。
「──帝都新聞の創立者殿とは、一度ゆっくりお話ししてみたいとかねがね思っておりました。時勢柄制約のある中で、なかなかに興味深い記事を書いていらっしゃる……今朝の一面記事は特に良かった」
「藤峰卿のご令息に褒めていただけるとは光栄です。今朝の一面記事は、取材から執筆まで僕が担当したんですよ」
「まさか、蔵沢殿が直々に?」
「ええ……性分でしてね。執務室に閉じこもっているのは性に合わない。経営だなんだについては、もっぱら相棒に任せっきりで」
「佐久間さんのお小言を聞くのは私なのよ? 嘉一郎さんがまだ会社に戻っていないと、何度電話口で愚痴をこぼされたか……!」
「いやあ、済まない……取材で家を空けることが多いものだから、妻には迷惑をかけてしまっております。僕には出来た妻なもので、ついつい甘えてしまって。これじゃあどちらが年上かわからない」
蔵沢さんは笑いながら頭をかいた。横で雪子さんが、佐久間さんとは倉澤さんと一緒に新聞社を立ち上げた人なのだと教えてくれる。
「佐久間殿といえば、先日鋭い切り口で紙面を賑わせていらっしゃいましたね。あの斬新なものの見方は見習わねばならないと、義父とも話題にしておりました」
「ああ、あれをお読みになられましたか! 僕としては過激すぎやしないかと懸念していたんですが、反響はものすごかった。投書の数が桁違いで──……」
私の不安は杞憂だったようで、征之介さんと倉澤さんの会話は止むところを知らなかった。
私でも所々わかる話題はあったけれど、時勢や経済のことなど難しい話が飛び交っている。
蔵沢さんと話している征之介さんは、私といる時よりも格段に口数が多い。そしてどことなく雰囲気が柔らかで、はねつけるような空気もない。
もちろん、蔵沢さんに対して気を遣っている部分もあるとは思う。思うけれども、私に対する態度との違いが、改めて認めざるを得ない事実をつきつける。
征之介さんは人付き合いが嫌いなのではない。《《私が》》嫌いなのだ──……。
「失礼──……ご婦人方にはつまらない話を続けてしまいました」
「本当だ、これは失礼した。雪子、品子さんと少し出てきたらどうだ? 二人きりで話したいこともあるだろう」
「よろしくて? 嬉しいわ、行きましょう品子さん!」
すぐには動けない私を引っ張って、雪子さんが立ち上がる。
部屋の外へ出ても、お二人が何事かを話している声が聞こえてきた。
「ごめんなさい、雪子さん……」
「……? どうして謝るの?」
「雪子さんは楽しそうだったのに、私に付き合わせてしまって」
ご婦人にはつまらない話だと征之介さんは言ったけれど、つまらなかったのは私一人だけだ。雪子さんは二人の会話についていけていて、邪魔にならない程度に相槌を打っていた。
「何言ってるのよ、私はあなたに会いに来たのよ? それに殿方には殿方の話があるんだから、私たちは退散したほうが良かったのよ」
「雪子さんは、本当にすごいわ。殿方の会話についていけるくらい、色んなことを知っているもの」
「すごくなんてないわ──……私、何にもできないんですもの」
雪子さんはそう言うと、着ていた洋装の裾を摑んだ。
「着物よりも洋装のほうが動きやすいじゃない? だから近頃は、洋装で過ごすようにしているの。少しでも早く洋装に慣れておきたくって」
たしかに普段着物を着ている身としては、洋装には慣れるまで時間がかかる。
「私ね、いつか主人のようにあちこちへ行って取材をしてみたいの──……いくら知識を溜めたところで、実際に目で見なければ本当の理解には繋がらないのよね……毎日色んなところを飛び回っているあの人が、羨ましくて仕方ないわ。危険も伴うからって今は許可してくれないけれど……でもそのうちきっと説得して、私は帝国新聞社社長夫人兼敏腕女記者になってみせるわ!」
その雪子さんの宣言には初めこそ驚いてしまったけれど、彼女ならきっと叶えられるだろうと思った。雪子さんの聡明さを、蔵沢さんが捨て置くはずがない。なんてお似合いの夫婦なのだろう。
「……やっぱり、雪子さんはすごいわ」
雪子さんは少し恥ずかしそうにしながら、話題を変えるように征之介さんの話をした。
「それにしても──……噂通りの美丈夫でらっしゃったわ。品子さんととってもお似合いよ」
「征之介さんは……どんな方に見えた?」
「そうね……まだ少ししかお話ししていないけれど、一言で言うのなら──……品子さんと、よく似ているわね」
「私?」
「そう! 礼儀正しくて器量良し。不器用なところもあるけれど、気遣いのできるまっすぐな方」
私と征之介さんが似ているだなんて、私からしてみれば一つもわからない。
いつぞやにお父さまからも言われたけれど、とてもそうは思われなかった。
「悪い人ではない、と思う……?」
「ええ、私はそう思うけれど──……品子さんにとっては、悪い人なの?」
「いいえ……! そういうわけでは、ないのだけど──……私、いまだに征之介さんのことを何も知らないの。好きなものも嫌いなものも、学校の話やお仕事の話だって聞いたことがないし……わからないの、征之介さんという人が」
「品子さんたら……また、難しく考えてしまっているのね」
女学校にいた頃、雪子さんによく言われていた言葉だ。一見難しい問いに見えても、解き方は案外単純なのよ──雪子さんの言葉はそう続く。
「私だったら、直接当人に聞いてしまうわ。知りたいことが尽きるまで、何度も質問してしまう。もしも教えてくれないのであれば……仕方がないから、自分で調べ上げるわね」
「調べる?」
「そうよ。言ったでしょう? 私は女記者を目指しているんだから、それくらいできなくちゃ」
雪子さんのようには……私はとてもできそうになかった。
征之介さんがご自分から進んで話してくださることはほとんどない。私たちの間にはどうしようもない距離があり、征之介さんはそれを踏み越えて欲しくはないのだと思う。私の我儘で行動してしまっては、きっと嫌な気持ちにさせてしまう。
「私……私ね、征之介さんに嫌われてしまっているの。だから、雪子さんのようにはできないわ──……征之介さんが嫌な思いをされるもの」
「嫌われている? 品子さんが? まさか!」
雪子さんは驚いたようだったけれど、それは間違いのないことなのだ。じんわりと、涙が滲んできてしまう。
征之介さんが私を嫌う理由を知りたいけれど、それを問い詰めたなら更に嫌われてしまう──……自分の業がわからず、もどかしくてたまらない。
「泣かないで、品子さん……なぜそう思うのかはわからないけれど……やっぱり品子さんは、難しく考えてしまっているんじゃないかしら」
雪子さんは優しく涙を拭いてくれる。
「一度に全てを知ろうとする必要はないんじゃなくって? 私みたいに無遠慮に問い詰めるのは、たしかに品子さんには似合わないもの。まずは品子さんらしく、品子さんができることをしていったら良いのよ。そうしたらきっと少しずつ、征之介さまのことがわかってくるんじゃないかしら」
「私にできることなんて……あるのかしら」
「もちろん、たくさんあるわよ! そうね、たとえば……友人に頼ることだって、立派な手段の一つよ」
雪子さんはそう言うと、声をひそめて耳打ちした。
「あのね、実は私の夫とあなたの婚約者は……以前にも会ったことがあるのよ」
「えっ……?」
「あなたが暴漢に襲われた時──事が公にならないよう両家が奔走されたことは、以前お伝えしたでしょう? 征之介さまも、奔走された一人なのよ。帝都新聞社にね、記事にしないで欲しいって、丁寧に申し出にいらっしゃったの」
たしかにお見舞いに来てくれた時、雪子さんがそんなことを言っていた。深く考えてはいなかったけれど、私のために幾人もの人が動いてくれていたのだ──……もしも大々的な記事になっていたら、どんな流言が飛び交ったかわからず、私は傷物扱いをされていたかもわからない。
まさか、征之介さんも動いてくださっていたなんて──……。
「まるで初対面のようなふりをしていたのは、あなたにあの出来事を思い出させたくなかったのよ。嫌な気持ちを思い出すでしょうし、あなたのことだから恐縮してしまうだろうって」
周りの方々に手間をかけさせてしまったという、申し訳なさはたしかにある。けれど今私の胸の中に、嫌な気持ちは不思議となかった。反対に、前向きになれる温かな気持ちになっていたのだ。
雪子さんは私の顔を見ると、いたずらな顔で言った。
「……私もまだまだね、こんな簡単に秘密を話してしまうなんて。品子さんの涙を見てしまったら、つい口が軽くなってしまったわ。主人たちには内緒よ?」
「ありがとう雪子さん──……ひとまず私、自分にできることをやってみるわ」
「品子さんは魅力に溢れた方よ。丁寧で器量良しで、それでいてまっすぐな方……あなたが思うようにやってみたら、きっとうまくいくはずよ」
それから私たちは、スズさんが呼びに来るまでお話に興じた。まるで女学生時代に戻ったかのように、時間を忘れて。




