視線
蓄音機から流れる音楽が、なぜだか遠くに聞こえてしまう。何度も繰り返し聴いた曲なのに、まるで初めて聴く曲のよう──……。
「一旦、ここまでにしましょうか」
征之介さんは音を止めて、スズさんにお茶を持ってくるように言った。
「申し訳ありません……私、ちっとも上手くできなくて……」
一人でお稽古をしている時は、もっと音楽に合わせられた。征嗣さまと踊っている時だって、もう少しうまくできていたはずだ。
それなのに征之介さんの前に立つと、思うように身体が動かなくなってしまった。次の足捌きを忘れてしまうし、歩幅が小さくなってしまう。
征之介さんにあれだけ大見得をきったというのに、恥ずかしいことこの上ない。
「はじめたばかりなのですから、こんなものでしょう」
「もっと……もっと、お稽古いたします」
「それはいけません──……稽古はしばらく休んだほうが良いでしょう」
私の言葉を鋭く否定すると、征之介さんはため息をついた。
「稽古のしすぎです。足を痛めているでしょう」
「いえ、そんなことは──……」
「闇雲に稽古をしたらいいというわけではありません、まずは痛みを癒さなくては。痛みが引くまでは洋靴も控えるべきです」
本当に踊っている時は気にならないけれど、近頃は草履を履いていても足がよく痛んだ。指先とかかとは擦れて血が滲んでいるし、脚全体も疲労がたまっている。
征之介さんの言うことはもっともだとわかってはいるけれど、休まなくてはならないと思うともどかしい。舞踏会まであまり時間はないというのに。
「……姿勢は良いのですから、あとは足捌きです。痛みが癒えればより動きやすくなるでしょう。舞踏会ではレコードではなく生の音ですし、曲にも合わせやすくなるはずです」
焦る私を慰めるように、征之介さんはそう言ってくださった。
「ありがとうございます……」
「無理をする必要はありません。当日も足が痛むのであれば、踊らなくても構わないのですから」
私は慌てて首を振った。ここまでお稽古を重ねたのだから、最後まできちんとやり遂げたい。
私が痛みを抱えていたら、征之介さんはきっとすぐに気がついてしまうだろう。残念だけれどひとまずお稽古は休憩して、痛みを治すことに専念したほうが良さそうだ。
「……洋装ができあがりましたら、またお稽古をつけていただけますか?」
先日採寸をして注文した洋装は、舞踏会に間に合うよう急いで仕立ててもらっている。さすがは藤峰家御用達の仕立て処で、嫌な顔をせずに引き受けてくれた。
私は洋装の流行も何も知らなかったので、勧められるままにえんじ色と白の生地を選んでお願いした。征之介さんの礼服と並んだ時に、きれいに映えるはずだからと。
「わかりました。それまではきちんと休息をとってください──……それから、最後に一点だけよろしいですか? 中盤の腕の角度についてです」
征之介さんは私の手を取ると、不格好だった腕の位置を指摘してくださる。
「細かいですが、このような体勢を取るよう意識すると良いでしょう。私がこうして手を取りますから、あなたは──……」
いけない、今度は征之介さんの声が遠くなってしまう──……征之介さんに触れられると、なぜだか意識がそちらに向いてしまう。触れられた部分に緊張と安堵が走り、熱を帯びていくのがわかる。
征之介さんの掌はとても不思議だ。私の首を絞めるともあれば、私を支え助けてくれることもある。
こうして征之介さんと手を取り合って踊ることになるなんて、初めてあの夢をみたときには考えもしていなかった。
力強く迷いなく導いてくださる征嗣さまと比べて、征之介さんの踊り方はしなやかだ。私の動きを汲み取るように、柔らかく私を導く。その違いに混乱しているから、私はいまいち上手に踊れないのだろうか。
それとも、足の痛みが影響しているのかもしれない。
踊っている最中、時たま征之介さんと目が合ってしまう。互いに意識をしたわけではなく、どちらも目が合えばすぐに逸らして視線を外す。ひどく恥ずかしくて、居心地が悪くなってしまうのだ。手には直接触れているのに、恥ずかしいだなんて不思議だけれど。




