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婚約者さま、あなたは私を殺すのですか?  作者: 采


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表裏(一)

 あの日から、征嗣さまは度々緑麗荘へいらっしゃるようになった。新しい教本やレコードを持ってきてくださるうえ、親身になってダンスのお稽古をつけてくださる。

 スズさんが征嗣さまの言葉を丁寧に教本に書きとってくれるので、一人でするお稽古も捗るようになった。


 まだまだ指摘を受けてばかりだけれど、征嗣さまとスズさんのおかげで幾分かは上達したように思う。

 舞踏会に用いられる予定の曲も、なんとか足捌きを覚えることができた。


「……まあ、最低限見られるようにはなったな」


 一曲踊り終えたところで、征嗣さまがそう仰った。


「本当ですか……?!」


 初めてのお褒めの言葉に、まさしく私は小躍りしそうになってしまう。


「嬉しい……! 征嗣さまとスズさんのおかげです。そうだわ、佐々部さんにもお礼を言わないと──……」


「……まだ最低限だがな。引き続き稽古は必要だ。それに当日の相手は征之介だろう。ダンスは相手との呼吸が肝要だ、当日までに征之介とも稽古したまえ」


 私はまだ、征之介さんにお稽古をしていることを伝えていなかった。征嗣さまも気を遣って、征之介さんが出かけている時を見計らってお稽古をつけてくださっている。


「──……品子さま、そろそろ征之介さんが戻られるお時間です」


 スズさんがそう言うので時計を見ると、たしかにもういい時間になっていた。今日はお稽古が長引いてしまった。

 レコードを片付けて、征嗣さまに改めてお礼を言う。


「征嗣さま、何から何まで本当にありがとうございました。改めて何かお礼をさせていただけたらと思います。今日はまもなく征之介さんが帰ってらっしゃるので……お洋服を着替えに、私は一旦失礼いたします」


 最初の日に征嗣さまから助言をいただいた通り、お稽古は洋装ですることにしていた。たしかに着物で踊るのと違って裾が乱れることもなく、足も開きやすいので踊りやすいことこの上ない。

 洋靴にはまだ慣れないけれど、はじめの頃に比べたら痛む頻度も減ってきた。


「ではしばしお待ちくださ──……あっ!」


 部屋を失礼しようと扉を開けた時、私は驚いて目の前の人を見た。

 扉を開くと、すぐそばに征之介さんが立っていたのだ。


「せ、征之介さん……!」


 同じように征之介さんも驚いたようで、私を見て面食らった顔をした。


「……何事ですか? わざわざ洋装などなさって──……」


 征之介さんの後ろで、佐々部さんが申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。今日は征之介さんのお戻りが早かったのだろう。けれど、私たちがここで何をしていたかまでは伝わってはいないようだ。


 まだ、征之介さんには打ち明けたくない──……征之介さんのことだから、そうとわかれば無理にでも時間を作って私の相手をしてくださるだろう。もっと私が上達してからなら、征之介さんの時間をたくさん奪わなくても済むだろうけれど……今の状態では、まだ自信がない。


「その、征嗣さまがいらっしゃっていて……これからお茶をお出ししようかと、思っていたところです」


「わざわざその格好で?」


 うつむく私の後ろから、征嗣さまの声がした。


「征之介、戻ったなら早く部屋に入ったらどうだ? 客を待たせるなんて無礼だろう」


 征之介さんは私を横目に通り過ぎると、無言で室内へ入っていった。そして征嗣さまの隣へ腰掛ける。


「品子さまもどうぞお座りください。お茶なら私がお持ちいたします」


 スズさんが気を利かせて、教本を後ろ手に隠しながら部屋の外へと出ていった。

 仕方がないので私も席に着き、征之介さんに何と言い訳をしようかと頭を動かせた。けれど考えがまとまる前に、征之介さんが再び尋ねる。


「それで──何をしていたのですか?」


 それは私だけでなく、征嗣さまにも向けられた問いだった。

 征嗣さまは私に視線を向け、私がまだ征之介さんに打ち明ける気がないのだと察してくださったらしい。


「……何をと言われてもな。お前がまだ戻っていないから、彼女に話し相手になってもらっていたんだ」


「近頃よくお見えになられますね……兄上。私のいない時ばかり見計らって」


「ああ、このところお前と都合が合わないな。たまにはお前のほうから会いにきてくれたまえ」


「出向く用事がありません」


「あるだろう? 今度の舞踏会の打ち合わせもしなくてはならん」


 舞踏会、と聞いて心臓が跳ねる。征之介さんに勘づかれてしまわないだろうか。

 けれど征之介さんは私のほうを見ることなく、静かに続けた。


「……その必要はありません。先ほど父上に、舞踏会は取りやめてもらうようお願いしてまいりました」


 取りやめ……? 私は思いもしなかった言葉に、驚いて征之介さんを見た。ということは、征之介さんはこの結婚話が嫌になってしまったのだろうか──……。

 征之介さんの言葉には、私だけでなく征嗣さまも驚かれたようだ。


「なんだって? 舞踏会を取りやめる? なぜそんなことを」


「なぜもなにも……元々食事会の予定だったはずです。舞踏会を開く必要はないでしょう」


「食事会も舞踏会も同じようなものじゃないか」


「違います。食事会なら打ち合わせも何もない。父上と母上が選んだ招待客に招待状を送るだけのこと……もっとも舞踏会だったとしても、私は蚊帳の外で決定権はなかったでしょう。いつのまにか紫雲館に決まっていて、舞踏会を開くことも最近知ったのですから」


「……それでいじけているのか」


「まさか」


 淡々と話しているけれど、征之介さんの口ぶりはどこか怒っているようにも聞こえた。

 結婚自体が嫌になったわけではないようだけれど、征之介さんは舞踏会がお嫌いなのだろうか。征之介さんは私と違って、ダンスが上手だと聞いているのに。


 征嗣さまはため息をついて、ちらりと私をみながら言う。


「しかし、もう舞踏会の案内は済んでいるんだぞ。藤峰と花ノ井の華々しい舞踏会に向けて、みながそれぞれ準備をしている。だろう、品子さん?」


「え? は、はい……私……私も、舞踏会のほうが──……」


「あなたの意見は聞いておりません」


 征之介さんは私の言葉に被せるようにして、冷たくぴしゃりと言い放った。私のほうを一瞥もせず、鋭い矢のような一言だった。


「も、申し訳ありません──……」


 征嗣さまは、再び深いため息をつく。


「品子さん、悪いがお茶の催促に行ってきてくれるか? 熱い茶を持ってくるよう伝えてくれ。征之介と話していると頭が痛くなって仕方がない」


「はい……ただいま、持ってまいりますね」


 征之介さんの言葉が矢のように突き刺さったまま、私は席を立った。

 洋装の長い裾を踏みかけて、危うく転びそうになってしまう。着物と違うこの丈にも、すっかり慣れたと思っていたのに──……。

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