旧友
「品子さん、具合はいかが?」
事が起こったあの日から、数日経ったある日のこと。
雪子さんは部屋に入るなり、大きな花束を差し出しながら言った。
「雪子さん……! 来てくれたのね」
彼女は女学校の同級生で、最も仲の良い友人の一人だった。婚約が決まった時にお手紙は送ったけれど、顔を見るのは随分久しぶりだ。
「本当にびっくりしたわ。挨拶もなしにいきなり学校を退学してしまったと思ったら、今度は暴漢に襲われたなんて!」
「ごめんなさい……色々なことが、突然決まったものだから」
「あなたが学校をやめてしまってから、とても退屈だったの。でも──顔色が良さそうで安心したわ。結婚生活はどう?」
私は首を横に振った。
「まだ結婚してないわ、婚約よ」
雪子さんは花束をベッドの横の棚に置いて、そばの椅子に腰掛ける。花束からはいい香りがして、以前彼女と行った植物園を思い出した。
「でも、一緒に住んでらっしゃるんでしょう? あの藤峰家のご子息と。素敵なご縁がまとまって羨ましいわ。遅くなってしまったけれど──おめでとう、品子さん」
「ありがとう、雪子さん……まさか雪子さんが来てくれるとは思っていなかったから、驚いたわ。ずっと会いたかったの」
「私もよ。新婚のお宅に押しかけるわけにもいかないし、どこかでお会いする機会はないかしら……と思っていたら、折しもあなたの災難を耳にしたものだから、飛んできちゃった」
お父さまかお母さまが、雪子さんに連絡してくれたのだろうか。それとも数日部屋にこもっているうちに、刀傷沙汰として新聞などに載ってしまったのだろうか。
けれど雪子さんは続けて言った。
「安心なさって、あなたの災難が公になっているわけではないの。あなたのお父さまと藤峰家が、大々的な記事にならないよう尽力なさったから──……私は、主人の伝手で運良く知ることができたのよ」
「まあ──……! 雪子さん、結婚なさったのね!」
私は思わず飛び上がりそうになって、雪子さんに抱きついた。
「おめでとう、雪子さん!」
雪子さんは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「先月とんとん拍子に縁談がまとまったの。ちょうどお手紙を出そうと思っていたのよ。あなたみたいに素晴らしい縁談ではなくて、年が二十も上だし爵位も何もない人だけれど……でも話が面白くて、優しい人よ。帝都新聞はご存知? あの新聞の創刊者なの」
帝都新聞は近ごろ発行が始まった新聞社だけれど、徐々に部数を伸ばしていると聞く。お父さまが毎朝読んでいた新聞も、たしか帝都新聞だったはずだ。
「新聞社の方だなんて、雪子さんにぴったりだわ。雪子さんが認める方なら、きっと素敵な殿方なんでしょうね」
女学校の中でも、雪子さんは飛び抜けて頭が良かった。女にしておくのが勿体無いと、よく先生に言われていたのを思い出す。
「ありがとう、品子さん。主人は私の知らないことを、たくさん知っているの。取材だのなんだので家を空けることは多いけれど……結婚ってこんなものよね。夫婦としてもっと時間を過ごせば、そのうち愛情とやらも生まれてくるんじゃないかと思うわ」
「……そういうものかしら?」
「そういうものよ」
雪子さんは当然のように言った。私はいまだ割り切ることができていないものだから、結婚をすんなりと受け入れている雪子さんはさすがだと思った。
主人──……私もいつか、征之介さんのことをそう呼ぶことになるのだろうか。今は気恥ずかしくて、とてもじゃないけれどそんな風に呼ぶことはできない。
同い年の級友であったのに、雪子さんがとても大人びて感じた。
そうだわ──……。
聡明な雪子さんなら、あの夢の謎を解いてくれるかもしれない。
私は思い切って、雪子さんにあの夢について話してみることにした。
「──……不思議な夢?」
「そう──最近、たまにみるのよ。まるで起きている時のような感覚で、五感までしっかりと感じるの。そして不思議なことに、その夢に出てきたものが現実でも同じように現れたりするの。会ったことのない人、見たことのないお花にお部屋……夢とそっくり同じものが、本当に現れるなんておかしいわよね?」
「その夢は……物語性があって、現実に同じ出来事が起きたりもするのかしら?」
「ええ、そうなの……! でも、そっくりそのまま同じ出来事は起こらないの。たとえば……部屋で人とお話しする夢をみたら、本当に夢の中と同じ人が部屋を訪ねてきたの。でも私が部屋の扉を開けなかったから、夢と同じようにはならなかったわ。だから、正夢というわけではないよね」
そう──あの不思議な夢をみると、現実で同じような出来事が起きる。けれどなぜか、夢と同じ結末にはならないのだ。
細かな部分まで本当のことのようなのに、同じように殺されてしまうことはない。私は今もこうして生きている。
雪子さんは私の突拍子もない話について、とても真面目に考えてくれているようだった。
「それは……とても不思議な夢ね。正夢でもなければ、真逆のことが起こる逆夢というのでもなく……かといって完全な空夢でもなさそうだし──……なにか、予言のようなものなのかしら」
「予言?」
「そう、先におこることを教えてくれる夢よ。昔の人は不思議な夢をみたら、夢判じをして吉凶を占ったそうよ。あなたの夢は、さらに詳細なことを教えてくれる予言なのかも。あなたが夢をみたことで言動を変えたから、夢とは違う現実になった……という考えはどうかしら?」
雪子さんの指摘はもっともで、たしかに私は夢とは違う行動を重ねてきた。その結果として、私は殺されることなく生きているのかもしれない。
「でもなぜ急に、そんな夢をみるようになったのかしら。私、今までご神託の類とは無縁だったのに」
「そうねえ──……」
雪子さんはまた少し考え込むと、いたずらを考えついたような顔をした。
「品子さん。もしかしてその不思議な夢は、あなたが婚約してい方が関係しているのではなくって?」
「えっ……!」
まさしくその通りなので、雪子さんの鋭さに驚いてしまう。
「やっぱりそうなのね、それなら答えは簡単よ。あなたがお相手のことばかり考えているから、夢にまででてきてしまったのよ。恋のお相手ができたことで、あなたのご神託を得る力が覚醒したんじゃないかしら」
「雪子さんったら……! そんなわけないじゃない!」
あの不思議な夢は、征之介さんという婚約者の存在を知る前からみはじめたのだから。内容が内容だけに、夢について詳しく伝えることができないのがもどかしい。
「そうかしら? 納得できる考察だと思ったのだけれど」
否定する私を見ながら、雪子さんはくすくす笑う。
「それから、もう一つ可能性があるわ。数百年昔はね、自分のことを強く想ってくれている人が夢に現れる──そう考えられていたそうよ。つまり婚約者の方が品子さんのことばかり考えていて──……その思いが強すぎて、あなたの夢にまで届いてしまったのかもしれないわね」
「…………っ!」
雪子さんは私を茶化して言ったのだろうけれど、その言葉は私の心を鋭く突き刺した。
もしも本当にそうであるなら……征之介さんの私に対する殺意は、いったいどれだけ大きなものなのだろう。征之介さんが私を殺めることだけを強く考えていたから、とうとう私の夢まで届いてしまったのだろうか──……。
「──……品子さん? ごめんなさい、嫌な気持ちにさせるつまりはなかったの」
雪子さんが、心配そうに私の顔をのぞきこむ。
「こちらこそ、ごめんなさい……もちろんそれはわかってるわ──……色々な考えがあるのだと思って、少し頭が混乱してしまっただけなの」
「品子さんは──……おっとりして見えるけれど、頭ではいつも難しいことを考えているわね。私はそんなあなたが大好きだけれど、たまには頭を空にすることも大切よ」
そして雪子さんはふいに、私の両の頬に手を添えて言った。
「……夢にいと清げなる僧の黄なる地の袈裟着たるが来て、法華経五の巻をとく習へと言うと見れど、人にも語らず、習はんとも思いかけず」
「え──……?」
突然の呪文のような言葉を聞き返すと、雪子さんはにこりと微笑んだ。
「数百年前に書かれた『更級日記』という作品の一節よ。夢の中でお坊さまにお経を勉強しなさいと言われたけれど、そのことは誰にも話さないし習おうとも思わないわ──という意味ね。昔は今より夢判じが盛んだったけれど、こういう考えの人だっていたのよ? 不思議な夢なんかに、振り回されることはないわ、夢は夢でしかないのだから」
「雪子さん──……」
たしかに私はこのところ、夢に振り回されすぎていたのかもしれない。雪子さんの言葉は、私の胸にじんわりと染み込んできた。
「不用意なことを言って、本当にごめんなさいね」
「いいえ──……私、雪子さんの考えを聞けたおかげで少し前に進めそうよ。相談に乗ってくれて、本当にありがとう」
「また何か悩んだら、いつでも相談してちょうだいね。結婚をしても、私たちはずっと仲良しよ」
婚約が決まり女学校を退学した時は、友人との縁ももう切れてしまうのではないかと心細かった。けれどそれは私の杞憂で、かけがえのない友人が今もこうして寄り添ってくれている。
「婚約者の方も、今度ぜひ紹介して欲しいわ。家族ぐるみで仲良くなれたら素敵だと思わない?」
「それはとっても素敵だわ。私も雪子さんのご主人に会ってみたいもの」
「仲良くなって損はないわよ。だってまた品子さんに不都合な記事が出回りそうになったら、全力で握り潰してもらえるもの」
「雪子さんったら!」
そして私たちは再び、時間も忘れて語り合った。




