約束
「植物園に、行きませんか」
征之介さんがそんなお誘いをしてくれたのは、私が三度目の悪夢をみた翌朝のことだった。
「植物園……ですか?」
食事中の突然のお誘いに、私は喜びよりも先に戸惑いを感じてしまった。
征之介さんは食事の手を止めながら、襟を正してまっすぐに私を誘う。
「はい、別に植物園でなくても構わないのですが──度々庭を散歩しているところをお見かけするので、草花がお好きでいらっしゃるのかと」
緑麗荘のお庭をお散歩をしていたところを、いつのまにか征之介さんに見られていたようだ。
お言葉に甘えて東側のお庭もよくお散歩するようになったけれど、あの日以来征之介さんと遭遇したことはなかった。
私は特別に草花が好きというわけではないのだけれど、美しい花を見れば嬉しくなるし、緑の中を歩けば癒される。特にこの屋敷のお庭はきれいに手入れがされているので、お散歩していると気持ちが良い。
日々やることがないので、外の空気を吸うためにお庭に出ているという理由もあるのだけれど。
「私、植物園へはしばらく行っておりません。ご一緒していただけるならとても嬉しいです。でも……征之介さんのご予定に差し支えはありませんか?」
「はい、都合はつけますのでご心配には及びません。時間を作るとお約束しましたから」
約束──私はすぐにはぴんとこなかったけれど、先日の会食時の征之介さんと治嗣さまの会話を思い出した。
『たまには品子さんを遊びに連れ出してあげたらどうだ? ずっとこの屋敷に閉じ込められていては、品子さんも退屈だろう』
『……そうしたいのも山々ですが、あいにく私のほうで時間がとれないのです。士官学校にもまだ通っておりますし、覚えねばならぬ花ノ井家の仕事もありますから』
『それなら彼女をこのまま、ずっとこの屋敷に閉じ込めておくつもりか?』
『…………時間を、作ります』
治嗣さまへの建前でそう仰ったのだとわきまえていたけれど、征之介さんは本当に言葉通り動いてくれたのだ。
「……先日の治嗣さまとのやりとりのことでしたら、どうぞお気になさらないでください。お庭のお散歩でも充分満足しておりますし、征之介さんに無理していただくのは心苦しいので──……」
「約束は守ります。気晴らしも大切でしょうから。もし私と同伴することに気が進まなければ、別の者をつけても構いません」
「いえ……! 征之介さんさえよろしければ、ぜひ──……私は征之介さんと、ご一緒したいです」
「わかりました。ではこちらもその予定で進めます」
征之介さんからの思わぬお誘いに、悪夢によって沈んでいた気持ちが晴れやかになっていく。
征之介さんはまっすぐで真面目な方だ。時間を作るというあの時の一言のために、きっと色々と無理をしてくださったのだろう。
征之介さんがはじめに提案してくれたこともあり、私は植物園へ行きたいと申し出た。もしかしたら、植物園でも薔薇の花を見ることができるかもしれない。
「一週間後には都合をつけられるかと思います。ご予定はいかがですか?」
「はい、私はいつでも構いません」
「では当日私は士官学校に顔を出さねばならないので……車を手配しますから、植物園の前で合流しましょう」
「えっ……!」
車を手配する、と言われて、私は今朝の夢が頭の中に浮かんでしまった。
車に乗っていた私、誰かと待ち合わせをしていた私、そして現れた征之介さん──もしかすると、また夢と現実が重なってしまうのでは──……そんな不安がよぎってしまう。
私は慌ててその考えを振り払おうとした。きっと今回も、夢と全く同じことは起きないはずだ。夢と現実の不思議な符合はあれど、実際に征之介さんに殺されかけるなんてことはなかったのだから。現実には征之介さんは優しい方で、今だって私を気遣ってくれているのだから。
大丈夫、あれはただの夢──……。
私はいつものように自分に言い聞かせた。
けれど私の頭では、夢で経験した鈍い衝撃と鋭い痛みが思い起こされて、なかなか消えてはくれない。
「どうかされましたか?」
「いえその、あの──……」
怖い夢をみたので、一人で車に乗りたくない。一人で街を歩きたくない──そんな子供じみたこと、征之介さんに言えるわけがない。
それでもやっぱり、夢が現実になってしまったらと思うと恐ろしい。
言葉を濁す私を、征之介さんは怪訝な顔で見ている。
どうすればよいのかと、私は焦りながら考えた。植物園にはご一緒したいけれど、一人で車には乗りたくない。そしてその理由を征之介さんには言いたくない──。
「ええと……よろしければ、その──……」
そして私は恥ずかしさをこらえながら、どうにか声を絞り出して言った。
「……征之介さんと、一緒に車で行きたいです。私、待っていますから。征之介さんが士官学校から帰ってくるまで──……」
自分からそんなことを申し出るなんて、図々しくもはしたないとわかっている。顔から火が出てしまいそうで、とても征之介さんのほうを見られなかった。
それでもおかしな夢の話をするおかしな女だと思われるよりは、幾分か耐えられる。
「一緒に……?」
「はい……ええと……近頃は街で物騒な事件なんかも起きていると聞きますので──……」
「ああ──……では私が戻るまで、待っていてください」
「よ、よろしいのですか?」
嬉しくなって、ほてる顔をあげる。
我ながら取ってつけたような理由だったけれど、征之介さんは私の申し出をすんなりと受け入れてくださった。
近頃は不景気で治安が少し悪くなっているのだと、お父さまが以前言っていた。私の建前には信憑性があったのかもしれない。
「それくらい構いません。たしかにお一人でお車に乗せるなどとは、いささか不用心なことを申しました」
「我儘を言って申し訳ありません……嬉しいです。来週、心待ちにしておりますね」
「……あなたの前で物騒な事件など、誰にも起こさせませんから」
征之介さんのひとりごとのような小さな声は、不思議と私の耳に残った。
とても心強くて、今までみた夢を全て忘れさせてくれるような力強さがあった。
大丈夫──征之介さんと一緒にいたなら、夢と同じことは起こらないはずだ。夢のことなど忘れてしまおう。
久しぶりに緑麗荘の外へ出られるのだし、征之介さんとゆっくりお話しする良い機会でもある。
大丈夫──あれは、ただの夢。




