会食(二)
食事の席についても、私はまだ治嗣さまの気配を拭いきれなかった。
先ほど触れられた部分がまだぞわぞわとして、気を抜くと粟立ちそうになる。
幸い治嗣さまはそんな私の様子に気づいていないようで、上機嫌で葡萄酒を嗜んでいた。
「こうして親子で食事をとるのも久しぶりだ。愛しい息子たちとこうして膳に向かうことができて、なんとも喜ばしい限りだ」
「ええ、私もですよ父上」
征嗣さまは落ち着いた声で同意する。
「征嗣はしばらく日本にいられるそうだ。お前の結婚祝いの食事会にも出席できる」
「……それは、何よりです」
征之介さんは静かに食事を口に運びながら、感情のこもっていない返答をした。征之介さんの口数が少ないのは、私に対してだけではないようだ。
「素敵なお嬢さんとの縁談がまとまって、私も鼻が高いよ。だが何度も言っているように、花ノ井家に婿入りするとはいえお前が藤峰家の子息であることに変わりはない。くれぐれも、家名に恥じぬ行いを心がけるように」
治嗣さまがそう仰ると、征之介さんの眼光が一瞬鋭くなったように感じた。
けれどそれは私の思い違いだったのか、征之介さんはすぐに力強い声で返答をする。
「もちろんです──……父上」
「さて──征之介の縁談がまとまったのだから、次は征嗣の番だ。本来であればお前の縁組を先に整えたかったのだが──……」
「私が家庭を持つのは時期尚早ですよ。学問もまだ身についていないというのに」
スズさんが言っていたけれど、征嗣さまはとても頭の良い方らしい。海外への遊学も、最先端の学問を修めるためなのだとか。
「困った息子だ、見合い話からも逃げてばかりで。征之介が先に身を固めたことで、少しは焦るかと思ったのだが」
「その時が来たらきちんと結婚しますよ。征之介のように、藤峰家にふさわしい素敵なお嬢さんとね──……品子さん、ここでの生活に不便などは?」
征嗣さまは、急に私に話を振った。話に入れないでいた私に、気を遣ってくださったのかもしれない。
「不便だなんて、全くありません。みなさんがとても良くしてくださるので、不自由のない毎日を過ごしております」
「それは良かった。征之介、たまには品子さんを遊びに連れ出してあげたらどうだ? ずっとこの屋敷に閉じ込められていては、品子さんも退屈だろう」
「……そうしたいのも山々ですが、あいにく私のほうで時間がとれないのです。士官学校にもまだ通っておりますし、覚えねばならぬ花ノ井家の仕事もありますから」
たしかに私はこの屋敷に来てからというもの、どこにも外出していない。もしも征之介さんとお出かけすることができたなら、それは嬉しいけれど──でも、征之介さんのお仕事を邪魔するわけにはいかない。
「征之介さんは、どうぞお仕事を優先させてください。士官学校においても、優秀な成績でいらっしゃるとお聞きしております。なかなかすぐにお辞めになるわけにもいかないでしょうし」
私も急に女学校を退学することになってしまったので、退学の直前まできちんと学び取りたいという征之介さんの気持ちはよくわかる。
お父さまのお仕事を間近で見てきたのだから、家業の大変さも理解はしているつもりだ。
私は征之介さんの妻になるのだから、我儘を言って困らせては申し訳ない。
「……だそうだ、征之介。だが、あまり彼女に甘えすぎるなよ」
征之介さんは居心地の悪そうなお顔をして葡萄酒に口をつける。征之介さんがお酒を飲んでいる姿は初めて見た。
「征之介は、まだ女性の扱いというものに慣れていない。すまないね品子さん」
治嗣さまがそう仰る。
「いえ、そんな……」
征之介さんが女性の扱いに長けたなら、先ほどの治嗣さまのようなお振舞いをなさるようになるのだろうか──治嗣さまに触れられた部分がひやりと感じ、私はその考えを否定した。
「ああそうだ──それなら、私が代わりに君をお誘いしよう」
「えっ……?」
治嗣さまの突然のお申し出に驚いて、私は声を上げた。
征嗣さまも征之介さんも同様だったようで、お二人とも治嗣さまのお顔をうかがう。
「このところは時間があるものだから。そうだね……私の別荘に招待しようか。それとも舞踏会に同伴するのも良い。ちょうど招待を受けていた会がいくつかある」
冗談とも本気ともわからぬ口調で、治嗣さまはそう続けた。
征嗣さまが、再び私に助け舟を出してくれる。
「父上……彼女が困っていますよ」
「困る? 私からの誘いでは不足があると?」
治嗣さまは、その美しいお顔で私に尋ねる。
「いえ、そんな──……」
私の立場からしてもちろん否定などできないし、私はすぐに治嗣さまの視線に絡め取られてしまう。
「構わないだろう? 征之介」
征之介さんはいつものように眉根を寄せたが、ぐっと一気に葡萄酒を傾けて言った。
「構います、父上。彼女は……私の婚約者なのですから」
征之介さんは少し酔っているようで、いつもの居住まいが少し崩れていた。
治嗣さまは征之介さん以上に飲んでいらっしゃるけれど、優美な仕草そのままに別段変わった様子はない。
「それなら彼女をこのまま、ずっとこの屋敷に閉じ込めておくつもりか?」
「…………時間を、作ります」
「それが良い。そうしたまえ、征之介」
治嗣さまは余裕を含んだ笑みを浮かべて、再び葡萄酒に口をつけた。
「では、今回は遠慮することにしよう。品子さん、またいずれ──……」
治嗣さまの視線はとても不思議だ。美しくてたまらないのに、私にはそれがなぜか不愉快に感じてしまう。治嗣さまは私の状況を哀れんで好意でお誘いしてくださったというのに。
食事が済むまでずっと、私は治嗣さまのお優しい言葉と美しいお顔を素直に受け止めることができなかった。これは、緊張からくるものなのだろうか──……。
お二人を門までお送りした後、私の身体にはどっと疲れがやってきた。
「お疲れさまでございました」
佐々部さんが征之介さんと私を気遣い、温かいお茶を淹れてくれると言う。
けれど私はそれよりも、早く自室に戻って横になりたかった。
「私は、後でいただこうかと思います。今は少し、休みたくて」
「左様でございますか。では後ほどスズに運ばせましょう」
佐々部さんがそう言うと、征之介さんも屋敷へと戻りながら私に言った。
「……スズに、脚の手当てもしてもらってください」
「え?」
「脚を、痛めているでしょう」
たしかに私のかかとは慣れない洋靴で赤く腫れ、歩く度に痛みが走っていた。
「なぜ……わかったのですか?」
「歩き方を見ていればわかります──……慣れない洋装をしたうえ、食事にお付き合いいただき感謝申し上げます」
私はその時、征之介さんが私に合わせて少しゆっくり歩いてくれていることに気がついた。征之介さんはいつも私を置いて早足で先に行ってしまうけれど、今はその背中が手を伸ばせば届く距離にある。
そして、征之介さんは振り返らないまま続けた。
「無理にこちらに合わせて、気など使う必要はありませんから──……」
私が治嗣さまと征嗣さまに配慮して洋装にしたのだと、気が付かれていたのだろう。
「……無理なんて、していません。征之介さんは、私に細やかな気を遣ってくださいます。ですから私も、征之介さんのようになれたらと──……」
「──…………」
それから征之介さんは何も仰らず、けれど私を置いていくこともなかった。
私が手を伸ばして征之介さんの背に触れることができたなら──私たちの距離は、もっと縮まるのだろうか。




