会食(一)
私が緑麗荘に越してきてから、もう一週間が過ぎてしまった。
私と征之介さんの仲は変わらず、ともに食事はとるけれど、寝室は別々のまま過ごしている。征之介さんはそのことについて特に何も言うことはなく、私のほうからもあえて申し出ようとは思わなかった。
もっと征之介さんのことを知りたい、仲を深めたいとは思うのだけれど、いったいどうすべきなのかがわからない。征之介さんは話しかければ応えてくれこそすれ、いつも素っ気のない短い返答なので、距離が縮まった気がしないのだ。
お庭の夢をみて以来、特におかしな夢はみていないけれど、あんな夢をみてしまった原因も分からないままでいる。
「──明日の正午、ご予定はありますか?」
けれど今日は珍しく、朝食の時間に征之介さんがそう尋ねてきた。
緑麗荘に来てからというもの、とにかく私は暇を持て余していた。お父さまとお母さまや女学校の友人に手紙を書いたり、スズさんとお話ししたり、本を読んだりと、予定という予定のない日々を過ごしている。
「いいえ、特に何も予定はありませんが……」
「父と兄がこの屋敷で会食を希望しておりまして──もしご都合が合えば、同席していただけたらと」
「私もご一緒してよろしいのでしょうか?」
征之介さんのお兄さまである征嗣さまとは一度お会いしたけれど、お父さまとはまだお顔を合わせたことがない。
「はい、二人ともぜひにと申しております」
「そう仰っていただけるなら……私もぜひ、ご一緒したく存じます」
私も藤峰家のご当主である治嗣さまに、いまだ一度もご挨拶をしていないことが気になっていた。お父さまとお母さま経由で話がついているとは聞いているけれど、急にこの屋敷に押しかけてしまって不躾に思われているかもしれない。
征嗣さまともほとんどお話しできていなかったので、お誘いしていただけるならとても嬉しい。
藤峰家と花ノ井家主催の大々的な食事会の準備も進んでいるようだけれど、その前に顔合わせをしてもらえるに越したことはない。
征之介さんは私のお父さまとお母さまと親しいようであったし、そもそも藤峰家と花ノ井家は以前から親交があったのだとお母さまは言っていた。
私一人が置いてけぼりのような気がしていたけれど、この機会に藤峰家の方々とも仲良くなれるかもしれない。
明るく日、私は久しぶりに髪を下ろし、洋服に袖を通した。着物を着るつもりだったのだけれど、スズさんが洋服のほうが良いのではないかと助言をくれたのだ。
治嗣さまと征嗣さまは、普段から洋装を好まれているらしい。征之介さんにも尋ねたところ軍服をお召しになる予定とのことだったので、私も洋装に合わせることにした。
いつぞやにお父さまが贈ってくれた刺繍とレースたっぷりのドレスは、私には少し派手ではないかと心配になる。スズさんが整えてくれた髪の毛や白粉と紅も、なんだか背伸びをしているようで気恥ずかしい。
「とてもお似合いです、品子さま」
「そう……でしょうか」
「ご当主も治嗣さまも西洋趣味な方ですから、きっと品子さまの装いをお気に召すはずです」
「色々とありがとう、スズさん」
私はスズさんの言葉に力をもらって、治嗣さまと征嗣さまがお待ちの応接間へと向かった。
予定よりも少し早い時間なので、征之介さんはまだ士官学校から戻られていない。ひとまず私一人だけれど、きちんとご挨拶しなくては。
佐々部さんが扉を開けて、私を応接間へと通してくれる。
「──……お待たせいたしました」
私が部屋に入ると、奥にお座りになっていたお二人がこちらに鋭い視線を向けた。私はその視線に射すくめられて、頭の中で考えていた言葉が全部飛んでしまう。
征嗣さまは、先日お会いした時とは印象がかなり異なっていた。今日は髪の毛をきちんと整えているし、見るからに上質な生地の洋装を隙なく着こなしている。
そして初めてお会いする治嗣さまは、私の想像とはかけ離れた雰囲気の方だった。私は何となく、征之介さんのように実直で物静かそうかな方を想像していたのだ。
治嗣さまはお顔立ちや装いはもちろんのこと、まとっている空気までもが洗練されていて美しい。殿方にも美しいという形容詞が似合うのだと、私はこの時初めて知った。
そしてお二人のご子息がいらっしゃるのだから相応のご年齢であるはずだけれど、とても若々しく見える。
征嗣さまも征之介さんも美丈夫だけれど、美しいというよりも男前という言葉が似合う方たちだ。似通った顔立ちでありながら、違った魅力のあるお三方なのだと思った。
そんな動転していた私がおかしかったのか、治嗣さまは口元を緩めて仰った。
「はじめまして、品子嬢」
そして立ち上がりながら、私のことをじっと見た。
私はその目力に圧倒されてしまって、身体も唇も思うように動かず、ひどく重たく感じた。
「はじ……めまして。花ノ井品子、と申します──……」
征嗣さまは椅子に腰かけたまま腕を組んで、こちらには興味がなさそうな顔をしている。
「あの征之介がご執心になるくらいだから、いったいどんなお嬢さんなのかと楽しみにしていたんだ。会うことができて嬉しいよ」
「はい、あの……私も、お会いできて光栄です。ご挨拶が大変遅くなってしまって──……」
「はは、堅苦しいな。もっと気楽に接してくれて構わないよ。君は私の娘でもあるのだから」
治嗣さまはそう言いながら、私の髪から頬に触れて、顎を上に持ち上げる。
「それにしても……征之介がこの縁談話を持ってきた時は驚いたけれど、君を見たら納得したよ。財閥の花ノ井家ならと婿養子も許可したけれど、これは思わぬ良い縁組だったかな」
治嗣さまの掌が、私の頬の輪郭をなぞっていく。私はなぜだかぞわぞわとして、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。
殿方にこうして触れられること自体初めてのことで、まるで自分の身体が自分のものではないような厭な気分になる。
後ろに座っている征嗣さまが、眉根を寄せて立ち上がるのが見えた。
「父上、彼女が困って──……」
けれど征嗣さまが言い終わる前に、応接間の扉が開いて征之介さんの声が低く響いた。
「──……何をしているのですか、父上」
「ああ、征之介。久しぶりだね」
征之介さんが現れると、治嗣さまは私から手を離して征之介さんに微笑んだ。
「そう怖い顔をするな。久しぶりの親子対面だというのに」
「……ずいぶん早いお着きだったのですね」
「お前が花嫁になかなか会わせてもくれないものだから、気が急いてね」
征之介さんが征嗣さまに咎めるような視線を向けると、征嗣さまは私は止めたんだ、とでも言いたげに両手を上げた。
「……食堂へ移動しましょう」
征之介さんがそう言うと、治嗣さまは慣れた足取りで部屋を出ていった。征嗣さまもその後を追う。
そして征之介さんは、私に向き直った。
「遅れて申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません……うまく対応ができなくて……」
「……そんなことは構いません。ですが……どうぞ、くれぐれもお気をつけて」
「え?」
征之介さんはそう言うと、私が意味を聞き返す前に応接間を出ていってしまう。
私も置いていかれないようにと、慣れない洋靴でお三方の後を追った。




