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悪役令嬢の凶器はドス黒いパイプ椅子です ~目指すは最強の悪役、あらゆる理不尽はこのパイプ椅子でぶっ飛ばしますわ~  作者: みやもと春九堂@月館望男
【第10部】東の島国・トヨノクニ開国(物理)編 ~悪役令嬢、黒船になる。鎖国? ならば「開国(物理)」して、美味しいお米と温泉をいただきますわ~
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第077話 おにぎりの味

 場の空気が、一瞬で変わる。


 そして。


 それまで黙って稲刈りの準備をしていたミリアが、ビクリと肩を震わせた。


「レヴィーネ様……? 今、『最期』と……?」


 ミリアが振り返る。


 その瞳が揺れていた。


「昔」という言葉。


 そして「最期」という、明らかに今のレヴィーネの年齢にはそぐわない、死を連想させる言葉。


 彼女は聡明だ。


 それが単なる言い間違いや比喩ではないことを、瞬時に悟ったのだろう。


 わたしはハッとして口をつぐんだ。


 しまった。


 気が緩んでいた。


 このお米の完成に、魂が昂りすぎていたのだ。


「あ、いや……その……」


 わたしは言葉を濁した。


 アリスが気まずそうに視線を逸らす。


 ミリアは、しばらくわたしの顔をじっと見つめていたが、やがて静かに視線を落とした。


「……いえ。なんでもありません」


 彼女はそれ以上、追求しなかった。


 ただ、わたしとアリスの間には、彼女の知らない、踏み込んではいけない「過去」があるのだという事実を、静かに、そして寂しげに察したようだった。


 ミリアは何も言わず、ただ黙々と鎌を手に取り、収穫の準備を始めた。


 その背中が、いつもより小さく、孤独に見えた。


 まるで、自分だけが蚊帳の外に置かれた子供のような背中。


(……いけないわね)


 わたしは拳を握りしめた。


 これでは、わたしが一番嫌いな「仲間はずれ」じゃないか。


 ここまでついてきてくれた彼女には、知る権利があるはずだ。


 わたしの我儘に付き合わせ、海を渡り、無人島を開拓し、ここまで尽くしてくれた彼女に、隠し事をしたまま「美味しいご飯」を食べるなんて、不誠実にも程がある。


 最高の食事は、隠し事なしで食べてこそ美味いのだ。


 わたしは決意した。


 今日、このお米を一緒に食べる時。


 全てを話そう。


「……ミリア」


 わたしは彼女の背中に声をかけた。


「あとで、少し話があるの。……収穫祭の火を囲みながら、聞いてくれるかしら」


 わたしの言葉に、ミリアの手が一瞬止まる。


 彼女は一度だけ振り返り、どこか安堵したような、しかし緊張した面持ちで、静かに頷いた。


「はい。……お待ちしております」


 夕日が完全に沈み、黄金色の稲穂が夜の闇に浮かび上がる。


 今夜は、トヨノクニの歴史が変わる夜になるだろう。


 そして、わたしたちの絆が、本当の意味で結ばれる夜になるはずだ。


「さあ、刈り取るわよ! 一粒残らずね!」


 わたしは感傷を振り払い、村人から鎌を受け取るとそう宣言した。


 まずは腹を満たすことだ。


 話はそれからだ。


 村人たちが歓声を上げて田んぼへ駆け込んでくる中、わたしは最初の一束を力強く刈り取った。



 ◆◆◆



 夜の帳が下りると、死に絶えていたはずの寒村は、かつてない熱気と歓喜に包まれた。


 村の中央広場で焚かれた巨大な松明の炎が、人々の紅潮した顔を照らし出す。


 乾燥してひび割れていた大地は、今は豊かな水と、何よりも「人の活気」で満ちていた。


「炊けたぞォォォッ!!」


 誰かの叫び声と共に、広場の中央に据えられた、ミリア愛用の巨大な『|焦げ付かぬ鍋《オリハルコン製・寸胴型》』の蓋が開けられた。


 ボワァッ……!


 立ち上る濃厚な湯気。


 そして、風に乗って広がる甘く芳醇な香り。


 それはただの穀物の匂いではない。


 大地と水と太陽、そしてアリスの聖なる魔力とミリアの執念が凝縮された、「生命」そのものの香りだ。


「こ、これが……おらたちの田の米……?!」


「光ってる……! 米粒が、宝石みてぇに光ってるぞ!」


 村人たちが鍋を取り囲み、涙を流して拝んでいる。


 飢餓に苦しみ、泥水を啜って生きてきた彼らにとって、この白く輝く穀物は、黄金よりも尊い救済の象徴だった。


 ミリアとアリスが、休む間もなくしゃもじを振るい、竹の皮に乗せた握り飯を次々と配っていく。


 具などない。


 海苔もない。


 ただの塩むすびだ。


 咀嚼が難しいほど衰弱している者には粥が配られる。


 けれど、今の彼らにとって、これ以上の御馳走はこの世に存在しない。


「うめぇ……! うめぇよぉ……!」


「母ちゃん、食ってくれ……! 生き返ってくれぇ……!」


 ハフハフと熱い米を頬張る音。


 咀嚼するたびに溢れる嗚咽。


 それは、地獄の底から這い上がった者たちによる、生への賛歌だった。


 その光景を見ているだけで、胸の奥が熱くなる。


 わたしは一人、その喧騒から少し離れた、村はずれの静かな丘の上へと足を運んだ。


 眼下に広がる祭りの明かりを見下ろす場所に、腰を下ろす。


 カエデは警備を兼ねてどこかの木の上に潜んでいるのだろう。


「……レヴィーネ様」


 背後から、遠慮がちな声がかかった。


 振り返ると、配膳を村の女性たちに任せてきたのだろう、ミリアとアリスが立っていた。


 ミリアの手には、湯気を立てる二つのおにぎりが乗った皿がある。


「……ここにおられましたか」


「ええ。少し、酔ってしまったみたい。お米の匂いにね」


 わたしは苦笑して、隣の地面をポンと叩いた。


 二人が並んで座る。


 しばらくの間、無言の時間が流れた。


 ただ、炎の音と、遠くから風に乗って聞こえる村人たちの笑い声だけが響く。


 心地よい静寂だった。


 けれど、そこには昼間の「言い間違い」によって生じた、わずかな緊張感が漂っていた。


「……ミリア。昼間のことだけれど」


 わたしが切り出すと、ミリアは膝の上で手をギュッと握りしめ、緊張した面持ちで顔を上げた。


 その瞳には、不安と、それ以上の「知りたい」という強い意志が宿っていた。


「はい。……お待ちしておりました」


 わたしは、自分の胸に手を当てた。


 ドクン、ドクン。


 そこにある、強く脈打つ心臓。


 けれど、記憶の奥底には、いつ止まるとも知れなかった、弱々しい鼓動の記憶が焼き付いている。


「隠していたわけじゃないの。ただ……信じてもらえるか分からなかったし、言う必要もないと思っていたから」


 わたしは薪を一本、火にくべた。


 パチリ、と火の粉が舞い上がり、満天の星空へと消えていく。


「わたしにはね、前世の記憶があるの。『ニホン』という国で生まれた……向こうでの名前は、『鷹乃(タカノ)』といったわ」


 わたしは、もう二度と名乗ることはないと思っていたその名を、口にした。


 口に出した瞬間、当時の消毒液の匂いや、無機質な機械音がフラッシュバックする。


「今のわたしとは似ても似つかない、ただの病弱な小娘だった。生まれつき身体が弱くてね、学校にも行けず、病室の白い天井ばかり見て過ごしていた」


 ミリアが息を呑む気配がする。


 岩をも砕く最強の筋肉を持つ主人の口から語られる、「弱者」としての過去。


 それは彼女にとって想像を絶するものだろう。


「ベッドの上で寝返りを打つことさえ必死だった。……唯一の楽しみは、画面の向こうで戦うプロレスラーたちの姿を見ること。彼らの強靭な肉体、不屈の闘志に憧れて……いつか自分もあんな風に自由に動きたいと願いながら、若くして生涯を閉じたの」


 そこまでは、アリスにも話したことがあったかもしれない。


 けれど、ここから先は、誰にも言えなかった「痛み」だ。


「最期の日々は……もう、食事をすることさえできなかった」


 わたしの声が、わずかに震える。


「喉を通らないの。飲み込む力さえ残っていなかった。点滴という管で、ただ生かされているだけ。……お腹が空いているのかどうかも分からない。ただ、魂が干からびていくような感覚だけがあった」


 脳裏に浮かぶ光景がある。


 白い病室。


 消毒液の匂い。


 そして、面会に来た母の姿。


 彼女はいつも泣き腫らした目を隠すように笑っていた。


『鷹乃。……お母さんね、今日、早起きしておにぎり握ってきたの』


 母が取り出したのは、ラップに包まれた小さなおにぎりだった。


 コンビニのじゃない。


 歪で、不格好で、でも温かいおにぎり。


 中身は大好きな鮭だったはずだ。


『一口でいいから……お母さんが握ったのよ。ね?』


 母の震える手が、おにぎりを私の口元へ運ぶ。


 海苔の香り。


 ご飯の香り。


 食べたい。


 本当は食べたい。


 お母さんのご飯を食べて、「美味しいね」って笑いたい。


 でも、体が拒絶する。


 匂いを嗅いだだけで、吐き気がせり上がってくる。


 飲み込むための筋肉が、動いてくれない。


 わたしは、首を横に振ることしかできなかった。


 あのおにぎりを残してしまった時の、母の悲しそうな顔。


 震える手でそれを片付ける母の背中。


「ごめんね、無理させてごめんね」と、謝っていたのは母の方だった。


 それが、わたしの前世最大の後悔。


 最後の親不孝。


「だから、わたしは『強さ』と『食』に執着するの。……二度と、あんな惨めな思いをしたくないから」


 わたしは拳を強く握りしめた。


 爪が食い込むほどに。


「自分の足で立ち、自分の手で掴み、自分の歯で噛み砕いて飲み込む。……それができることが、今のわたし……いいえ、かつての『鷹乃』にとっての、一番の願いだったのよ」

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