第076話 タカニシキ
「数年? 気が長すぎて欠伸が出るわ」
わたしは一歩前に出ると、足元の影を大きく広げた。
闇魔法の応用、亜空間収納「暗闇の間」。
そこには、相棒である『漆黒の玉座』だけでなく、これまでの旅で集め、溜め込んできた膨大な「戦利品」が眠っている。
貧乏性? いいえ、備えあれば憂いなしと言うのよ。
いつか役に立つと思って拾っておいたガラクタたちが、今こそ火を噴く時だ。
「ミリア、アリス。準備はいい? ……ここからは総力戦よ」
わたしは影の中に手を突っ込み、次々とアイテムを放り出した。
ドサッ! ガラガラッ! ズシンッ!
村人たちが「何事か!?」と悲鳴を上げて逃げ惑う中、田んぼのあぜ道に、異様な物体の山が築かれていく。
「こ、これは……!?」
ミリアが目を丸くする。
そこにあるのは、わたしの旅の軌跡そのものだった。
・極寒の地「獣の穴」周辺で狩った、氷点下でも活動する魔獣「フロスト・ベア」の強靭な骨と皮。
・ラノリア王国の地下迷宮で採取した、純度百パーセントに近い高密度の魔力結晶。
・ゴールド・ベガスのカジノで、裏取引されていた精力増強剤の原料、希少なマンドラゴラの根。
・サン・ルーチャのジャングルで見つけた、切っても切っても再生する生命力の塊のような蔦植物。
・無人島の古代ダンジョンで回収した、ラベルの読めない「超・成長促進剤(怪しい緑色の液体)」。
・そして、旅の途中で食べてきた、世界各地の米(長粒種や雑穀、古代米)の予備。
「レヴィーネ様の『秘蔵コレクション』!? いつの間にこんなに……!」
ミリアが驚愕する。
「全開放よ。……使えるものはなんでも使いなさい!」
わたしは山積みになった素材を指差し、二人に無茶苦茶なオーダーを出した。
「美味しくて、食べれば活力が湧いて、病気にも強くて、呪いに負けない生命力があって、一粒で茶碗一杯分くらいの栄養があって、なおかつ今すぐたくさん収穫できる……そんな『最強の新品種』を作るのよ!」
「えええええっ!? そ、そんなのさすがに植物の限界を超えていますよ!?」
「遺伝子情報の書き換えどころか、新しい種の創造レベルだよレヴィちゃん!? 神様に怒られない!?」
ミリアとアリスが悲鳴を上げる。
わかっている。
無茶なことを言っているのは百も承知だ。
前世の記憶にある、あの白く輝く美味しいお米だって、何代にも渡る品種改良を重ね、数え切れない失敗と、農家の人々の血と汗の結晶の上に成り立っていたはずだ。
それをたった数時間で、しかも異世界のマテリアルを混ぜてやろうなんて、神への冒涜に近いかもしれない。
でも。
この世界には「魔法」がある。
ここには、わたしの自慢の仲間たちがいる。
そして何より、今のわたしたちには「空腹」という最強のモチベーションがある。
「できるわ。……ミリア、あなたにはダンジョンで手に入れた『賢者アスケンの眼鏡』と、何より農家の娘としての執念があるでしょう?」
わたしはミリアの肩をガシッと掴んだ。
「素材の特性を見極め、最適な配合を導き出しなさい。……あなたの知識と勘なら、パズルのピースは埋まるはずよ。この国を救う『最初の一粒』を、あなたが作るの」
ミリアの瞳が揺れる。
しかし、すぐにその目に力強い光が宿った。
彼女の中で、職人としてのスイッチが入ったようだ。
「……ッ! はい!」
ミリアが眼鏡の位置をクイと直し、目の色を変えて素材の山に飛びついた。
その手つきは、もはや料理人ではない。
マッドサイエンティストだ。
「魔獣の骨粉でカルシウムと耐久性を強化……古代薬液で成長速度をブースト……サン・ルーチャの蔦の再生能力を根に組み込めば、地脈からの搾取に対抗できる……いけます、理論上は!」
彼女がブツブツと高速で呟きながら、すり鉢と鍋を取り出して調合を始める。
すり潰されるマンドラゴラ。
砕かれる魔石。
それらがミリアの手によって、未知の肥料へと変わっていく。
「アリス、あなたには『星光の聖杖』と、聖女の祈りがある。ミリアが組み合わせた種に、命を吹き込みなさい。……遺伝子の壁なんて、神の奇跡でねじ伏せるのよ」
「もう! レヴィちゃんってば人使いが荒いんだから! ……でも、やるよ! ここでやらなきゃ女が廃るってもんだよね! 最高のお米、作ってみせる!」
アリスが杖を構え、膨大な光の魔力を練り上げる。
彼女の背後に、光の粒子が舞う。
二人の背中を見て、わたしは深く頷いた。
世界を回ってきた全ての経験が、素材が、そして絆が、きっと何とかしてくれる。
わたしは、彼女たちを信じる。
「品種改良は任せたわ。……わたしは、その『最強の米』が育つための血管を引いてくるわ」
わたしは「漆黒の玉座」を取り出し、展開した。
ただし、座るためではない。
背もたれを下にして、脚をハンドルに見立てて、地面に突き立てた。
ズブッ、と黒鋼が乾いた大地に食い込む。
「さあ、行くわよ相棒。……泥仕事はわたしたちの領分よ!」
わたしは玉座の脚をガッチリと掴み、前傾姿勢をとった。
目指すは数キロ先の山中にある水源。
そこまでのルート上には、硬い岩盤もあれば、鬱蒼とした林もある。
村人たちが人力で掘れば数ヶ月かかる距離だ。
だが、関係ない。
わたしの進む道が、そのまま水路になるのだから。
「――『耕運機ダッシュ・開墾モード』ッッ!!!」
ドォンッ!!
爆発的なスタートダッシュ。
わたしは玉座を地面に押し付けたまま、猛烈な勢いで走り出した。
ズガガガガガガガガガッ!!!
凄まじい音が響き渡る。
土が爆ぜる。
岩が砕ける。
根が断ち切られる。
わたしの筋肉が、相棒の重みが、荒れ果てた大地に生命線を刻んでいく。
土煙を上げて爆走するその姿は、傍から見れば暴走機関車そのものだろう。
数十分後。
わたしが村に戻ってきた時、あたりは既に夕闇に包まれ始めていた。
しかし、村の田んぼだけが、異様な輝きを放っていた。
水が引かれたばかりの黒々とした土。
そこには、さっきまで影も形もなかったはずの稲が、青々と茂り――いや、既に黄金色に色づいて、重たげに頭を垂れていた。
その一粒一粒が、内側から魔力の光を放ち、宝石のように輝いている。
「……できたのね」
わたしは息を呑んだ。
予想以上だ。
これはもはや、ただの米ではない。
「神米」とでも呼ぶべき代物だ。
あぜ道には、ミリアとアリスが倒れ込んでいた。
「は、はい……なんとか……」
ミリアが煤だらけの顔でへたり込んでいる。
髪はボサボサで、目の下には隈ができているが、その表情は達成感に満ちている。
「もう無理……魔力空っぽだよぉ……お腹すいたぁ……」
アリスも大の字になって伸びている。
杖の輝きが消えかかっている。
聖女の魔力を全て注ぎ込んだようだ。
二人の奮闘の跡だ。
わたしは田んぼに駆け寄り、泥だらけの手で稲穂を愛おしげに撫でた。
ずしりとした重み。
殻の隙間から覗く、透き通るような白さ。
そして、風に乗って漂う、微かな甘い香り。
(……これだ)
記憶の中にある風景と、目の前の光景が重なる。
点滴の管に繋がれたまま、窓の外に見えることもない田園風景を想像していた、あの日々。
『いつか、お腹いっぱい白いご飯が食べたい』
そう願って、叶わなかった最期の夢。
それが今、ここにある。
「すごいわ……! これなら、間違いない! わたしの求めていた『お米』よ!」
わたしは稲穂に頬ずりせんばかりの勢いで、食い入るように見つめ続けた。
自然と口角が上がり、涙が滲んでくるのを止められない。
愛おしい。
ただただ、愛おしい。
わたしがあまりにも必死な顔で、まるで長年連れ添った恋人と再会したかのような目で稲穂を見つめているからだろうか。
横で休んでいたアリスが、半目でこちらを見て、からかうように言った。
「レヴィちゃんってば、本当にお米のことになると目の色変わるよねぇ。……南国でお肉食べてた時より必死じゃない?」
その言葉に、わたしはふと力が抜けた。
張り詰めていた糸が緩み、前世からの渇望がふと言葉になってこぼれ落ちた。
「仕方ないじゃない。……昔の『最期』だって、体が悪くてろくに食べられなくなっていたんだから」
「……え?」
アリスの動きが止まる。
彼女は、わたしが前世持ちであることを知っている。
だが、その「最期」の詳細までは話していなかった。




