第074話 くノ一救出
港町ナガサキでの騒動を終え、わたしたちはリョウマの案内で、トヨノクニの中央、オワリ領を目指して街道を進んでいた。
移動手段は、リョウマが手配した早馬だ。
魔導駆動ではない、生きている馬に乗るのは久しぶりだが、適度な揺れが心地よい。
窓の外――といっても馬の背だが――を流れる景色は、決して心地よいものではなかった。
「……ひどい有様ね」
街道の両脇に広がるのは、かつては水田だったであろう場所だ。
水が枯れ、地面は亀の甲羅のようにひび割れている。
「数年前までは、ここも黄金色の稲穂が波打つ豊かな土地じゃった」
並走するリョウマが、悔しげに手綱を握りしめる。
「……許せないわね」
わたしの体から、隠しきれない魔力の余波が漏れ出す。
「生きるために食べる。食べるために働く。……そんな当たり前の『人間』としての営みを踏みにじるなんて」
そんな殺気立った行軍を続けていた、その時だった。
前方の峠道から、不穏な土煙が上がっているのが見えた。
一人の小柄な影が、必死に走って逃げてくる。
黒い装束に身を包んだ少女――「くノ一」だ。
彼女は片足を引きずり、肩からは血を流している。
その背後から、編み笠を目深に被り、妖しく光る忍刀を握った男たちが追いかけてくる。
ただの追手ではない。
禍々しい瘴気を帯びた「公儀隠密」だ。
「逃がすな! 謀反人の密偵だ! 斬り捨てろ!」
少女がよろめきながら手裏剣を弾き、足がもつれて地面に転がり込んだ。
「くっ……! ここまで、か……!」
追手たちが刀を振り上げ、トドメを刺そうとした――その瞬間。
わたしは馬の鞍を蹴り、空高く跳躍した。
「――そこまでよ、野暮天ども!」
空中で鉄扇を抜き放ち、回転の勢いを乗せて投げつける。
カァァァンッ!!
投擲された鉄扇が、振り下ろされた忍刀を真横から弾き飛ばした。
「な、何奴!?」
わたしは少女と追手たちの間に着地し、戻ってきた鉄扇を優雅にキャッチした。
「通りすがりの、悪役令嬢よ。……多勢に無勢。しかも怪我をした女の子を寄ってたかって……。随分と『小さな』男たちね」
「貴様……! 公儀の邪魔をするか! 命が惜しくないようだな!」
隠密たちが殺気を漲らせ、一斉にわたしに向かってくる。
速い。
普通の人間なら目にも止まらぬ速さだ。
身体強化と、何か薬物のようなブーストがかかっている。
だが、わたしにとっては止まって見える。
「……遅いわよ」
わたしは一歩も動かず、足元の影に意識を向けた。
「出てきなさい、相棒。……少し、『掃除』をするわよ」
ズヌゥッ……!
わたしの影から、漆黒の鉄塊がせり上がる。
ドワーフの秘法で鍛え上げられた、物理最強の鈍器――『漆黒の玉座』。
ガシャン!
わたしは展開したパイプ椅子で襲いかかる隠密の刀を真正面から受け止め、そのまま振り抜いた。
ドゴォォォォンッ!!!
刀ごと、隠密の体が吹き飛んだ。
「教育的指導の時間よ。……その腐った性根、物理で叩き直してあげるわ」
そこからは、一方的な蹂躙だった。
数分後、街道には静寂が戻った。
「……ふぅ。良い準備運動になったわ」
わたしは椅子を影に戻し、へたり込んでいる少女の方へ向き直った。
「大丈夫? 怪我は?」
少女は、信じられないものを見る目でわたしを見上げていた。
「……つ、強い……。鬼神の如き強さ……」
彼女は痛みを堪えて立ち上がり、片膝をついた。
忍びとしての最上級の礼だ。
「某はカエデ。……オワリのオダ家に仕える忍びでござる。貴女様のその御力……もしや、異国の神の使いでしょうか?」
「いいえ、ただの旅行者よ。……レヴィーネと呼びなさい」
「レヴィーネ様……。かたじけない。この御恩、一生忘れませぬ」
カエデの瞳に、崇拝にも似た光が宿る。
どうやら、また一人、厄介な(そして頼もしい)信者を増やしてしまったようだ。
彼女が仕えるというオダ家。
この国の中でも、ひと際「変わり者」の当主がいる家だとリョウマから聞いていた。
忍びを従えているだけあって、ただの田舎領主ではなさそうだ。
「おいおい姐さん、派手にやったのう!!」
「視界に害虫が入ったから払っただけよ……それに、どうやら目的地は同じようよ」
わたしはカエデを助け起こしながら、彼女がオダ家の忍であることをリョウマに伝えた。
アリスがすぐに治癒魔法をかけ、傷を癒やす。
彼女が持っていた密書――将軍家の恐るべき計画書――が、この国の運命を、そしてわたしたちの旅路を大きく動かすことになるのだが、それはまだ少し先の話。
「さあ、行きましょう。オワリへ。……美味しいご飯と、面白い『うつけ者』が待っているわ」
わたしたちはカエデを加え、再び街道を進み始めた。
馬上、わたしは足元の影をそっと撫でた。
この国には、まだ見ぬ強敵と、まだ見ぬ美味が、両方待っているはずだ。
どちらも取りこぼすつもりはない。
その背中には、確かな変革の風が吹き始めていた。
美味しいご飯と、温泉と、そして理不尽をへし折る大義名分。
トヨノクニの旅は、まだ始まったばかりだ。




