第072話 入国拒否
無限に広がる、コバルトブルーの海原。
南の大陸サン・ルーチャ王国、そして南海の無人島を出立してから、幾日もの時が流れた。
波を切り裂いて進むのは、常識的な船ではない。
かつて無人島を支配していた巨大な陸戦型クラーケンの強化骨格をキールとし、古代樹の大木を幾重にも組み合わせ、さらに全体を魔獣の墨と黒曜石を混ぜた特殊塗料で漆黒に染め上げた、異形の超巨大イカダ。
その甲板には、二階建てのログハウス(もはや豪邸と呼ぶべき威容だ)が鎮座し、家庭菜園の緑が茂り、あろうことか露天風呂から湯気が立ち上っている。
魔導戦艦「ヴィータヴェン号」。
それが、今のわたしたちの「城」であり、世界を渡る旅の足だ。
「……匂うわね」
甲板に置いた愛用のデッキチェアに優雅に寝そべりながら、わたし、レヴィーネ・ヴィータヴェンは鼻をひくつかせた。
潮風に含まれる、独特の湿り気。
どこか懐かしく、胸の奥を締め付けるような、湿潤で豊かな緑と土の香り。
「匂い? 潮の匂いしかしないけど……レヴィちゃん、まさかお腹空いてるの?」
隣のチェアで、だらしなく手足を投げ出しているアリスが、けだるげに尋ねてくる。
「失礼ね。……気配の話よ」
わたしは顔にかかったサングラスを少しずらし、東の水平線を睨んだ。
「近づいているのよ。……わたしの『魂の故郷』が」
トヨノクニ。
前世の記憶にある「日本」と酷似した文化を持つとされる、未知にして既知の国。
湯気を立てる白米。
黄金色に輝く味噌汁。
焦げた醤油の香ばしい匂い。
それらは、病室で動けなかった前世のわたしが、夢にまで見た「生の象徴」だった。
「待っていなさい、お米。待っていなさい、温泉。……今、迎えに行くわ」
「レヴィーネ様ァァァッ!! 見えました! 島影です!」
見張り台代わりのヤシの木から、ミリアが転げ落ちるように降りてきた。
わたしは鉄扇を開き、風を操って視界をクリアにする。
雲を頂いた高い山脈と、複雑に入り組んだ海岸線。
「……ああ。間違いないわ」
あそこには、わたしが求めてやまない「日常」がある。
そして、へし折るべき「理不尽」もまた、待っているはずだ。
「全速前進よ! 今夜の夕食は、あの大地の上で炊きたての白飯を食べるわよ!」
ヴィータヴェン号が唸りを上げ、黒い船体が波を砕いて加速した。
しかし、感動の対面は、そう簡単にはいかないようだった。
◆◆◆
島影が大きくなり、港の様子が肉眼で見える距離まで近づいた時だ。
カンカンカンカンッ!!
港の方から、けたたましい半鐘の音が響いてきた。
海岸線に築かれた石垣の上には、弓矢、鉄砲、旧式だが大口径の大砲を構えた人影が多数、慌ただしく動き回っているのが見える。
港からは数隻の関船が漕ぎ出し、独特の結い髪をした侍が拡声器で怒鳴った。
「異国船に告ぐゥゥッ!! 此処は神国トヨノクニである! 公儀の許しなき異国船の接近は、国法により固く禁じられておる! 直ちに回頭し、立ち去れいッ!!」
「うわぁ、問答無用だね……」
アリスが不安そうにわたしを見る。
わたしは鉄扇で口元を隠し、冷ややかに笑った。
「聞こえるか、トヨノクニの武士たちよ! わたくしたちは怪しいものではありません! ただ、美味しいご飯と温かいお風呂を求めて、はるばる海を越えてきた善良な観光客ですわ!」
「問答無用ッ! 立ち去らねば撃ちかけるぞ!」
「……撃つ、ですって?」
わたしのこめかみに、青筋が浮かんだ。
目の前に、愛しのお米がある。
温かい温泉がある。
それを、こんな理屈の通じない壁一枚で遮られるなど、我慢がならない。
「ええい、構わん! 撃てェッ!」
侍の号令と共に、海岸線と小舟から、火矢と大砲による一斉射撃が開始された。
「レヴィーネ様! 積荷の味噌樽に火がついたら大変です!」
ミリアがリュックを庇って叫ぶ。
命より味噌が大事なのか、この子は。
わたしは、迫りくる死の雨を見上げ、鉄扇を一気に開いて横薙ぎに一閃した。
「――『暴風・鉄扇』ッッ!!!」
ゴオオオオオオォォォッ!!!
身体強化フルパワーで繰り出された超高速のスイングが、質量を持った衝撃波となり、飛来する火矢の群れを真正面から叩き潰した。
「な、なんだ!? 馬鹿な! 人力で起こせる風圧ではないぞ!」
だが、大砲の弾丸は風だけでは止めきれない。
「アリス! 仕事よ!」
「もー! わかってるよぉ!」
アリスが『星光の聖杖』を高々と掲げ、船全体を包み込む半透明の黄金のドームを展開する。
「聖なる光よ、我らを守る盾となれ! 『聖域結界・物理反射』ッ!!」
着弾した砲弾は、結界の表面でボヨンと弾かれ、ポチャリと海に落ちていく。
「た、大砲も効かん!? 化け物だ……南蛮の妖怪だァッ!!」
恐怖が伝染し、侍たちの戦列が乱れる。
今だ。
「ミリア! タービン全開! リミッター解除!」
「はいッ! 魔石全部ぶち込みます!」
ヌゥォオオオォォォォォン…………!!
数百トンはある巨大な船体が、まるで生き物のように跳ね上がり、爆発的に加速した。
「扉が閉まっているなら、こじ開けるまで。……それが『来訪者』のマナーでしょう?」
黒い巨体が、減速なし、回避なしで港へと突っ込む。
ズズズズズ……ドッ、ゴォォォォォォォォンッ!!!
轟音。
世界が揺れた。
ヴィータヴェン号の強化された船首が、岸壁に激突し、そのままコンクリートと石材を粉砕しながら陸地へと乗り上げる。
船は、港の広場のど真ん中まで滑り込み、ようやく停止した。
シーン……。
静まり返る港。
土煙が晴れていく中、腰を抜かした役人や侍たちが、信じられないものを見る目でこちらを見上げている。
わたしはタラップ(物理的に破壊した壁の残骸)を降り、石畳の上にヒールを鳴らして立った。
「ごめんあそばせ」
わたしの声が、静寂を破って響き渡った。
「美味しい白米と温泉があると聞いて、国ごと頂きに来ましたわ。……さあ、『開国』の時間よ」
侍たちが震え上がる。
最強の悪役令嬢、レヴィーネ・ヴィータヴェン。
彼女の、トヨノクニでの大暴れが、今ここから幕を開ける。
◆◆◆
瓦礫の山となった岸壁。
ひしゃげた倉庫。
その頂点に立つ、漆黒のドレスを纏った異国の美女――わたしを見上げ、腰を抜かした侍たちが震えている。
「……ば、化け物だ……」
「南蛮の妖怪だ……! 魂を抜かれるぞ!」
……心外ね。
わたしはただ、美味しいご飯を食べに来ただけの、善良な観光客だというのに。
少し、ブレーキの場所を忘れてアクセルをベタ踏みしてしまっただけよ。
「戦争? 冗談じゃないわ」
わたしは鉄扇をパチンと閉じた。
「言ったでしょう? これは『来訪』よ。……ただ、少しばかり玄関の扉が固かったから、ノックの音が大きくなってしまっただけ」
「ノックで玄関が大破してるんですが……」
ミリアが瓦礫を見ながら冷静にツッコむ。
彼女はすでに電卓を片手に、破壊した施設の損害賠償額と、これから売りつける商品の利益率を計算し始めているようだ。
その時、遠巻きに囲んでいた人垣が割れ、立派な羽織袴を身につけた中年男が進み出てきた。
この港を管理する役人――「奉行」だ。
「ええい、控えよ! 異人の分際で、神聖なるトヨノクニの土を踏むとは何事か! 貴様ら、直ちに立ち去れ! さもなくば斬り捨ててくれるわ!」
彼の合図で、数百人の侍たちが槍や刀を構え、ジリジリと包囲を狭めてくる。
「……ふぅ。話が通じないわね」
わたしはため息をつき、瓦礫の山からひらりと飛び降りた。
本日より【第10部 東の島国・トヨノクニ開国(物理)編】がスタートです。
悪役令嬢、黒船になる。鎖国? ならば「開国(物理)」して、美味しいお米と温泉をいただきます。
それでは、ここから先もどうぞよろしくお願いします。
押忍!




