第066話 出航
南の大陸、サン・ルーチャ王国での騒動を「物理とプロレス」で解決し、わたしたちは再び海の上にいた。
目指すは東の果てにあるという島国。
ミソとショーユ、そしてカタナの故郷だ。
出航して数日。
海は穏やかで、空は青く、平和そのものだった。
「……暑いわね」
甲板で優雅にトロピカルジュース(ミリア特製)を飲んでいたわたし、レヴィーネ・ヴィータヴェンは、たまらず扇子で胸元を仰いだ。
南洋の太陽は容赦がない。
カジノで仕立てた黒いレースのドレスは通気性こそ良いものの、やはり熱を吸収する。
隣では、アリスがぐったりとデッキチェアに伸びていた。
「うぅ……溶けるぅ……。私、雪国育ちじゃないけど、この暑さは無理だよぉ……」
彼女が着ているのは、サン・ルーチャで買った厚手のポンチョと変装用のローブだ。
見るからに暑苦しい。
「アリス、そんな厚着をしているからよ。……少し、風通しを良くしましょうか」
「無理だよぉ……。日焼けしちゃうし、乙女の肌を不用意に晒すなんて……」
そんな平和で騒がしい昼下がり。
突如として、空が急激に墨汁を流したように黒く染まり始めた。
「……雲行きが怪しいわね」
風がぴたりと止む。
代わりに、肌にまとわりつくような湿った生温かい空気が、海面から立ち上ってくる。
不吉な予感に、わたしの肌が粟立つ。
「お嬢ちゃんたち! 船内へ入れ! 嵐が来るぞ!」
船長が怒鳴るのと同時だった。
船底を突き上げるような凄まじい衝撃が走り、海面が不自然に盛り上がった。
ドバァァァァァンッ!!!
水柱と共に現れたのは、船よりも巨大な、ぬらりと光る赤黒い触手の塊。
伝説の海の魔獣、「大王烏賊」だ。
その大きさは、以前ラノリアへの航路で遭遇した海竜にも匹敵する。
吸盤の一つ一つが、人の頭ほどの大きさがある悪夢のような怪物だ。
「ひぃぃぃッ! クラーケンだぁぁ!?」
「おしまいだ! この海域の主だぞ!」
船員たちが絶望の悲鳴を上げて逃げ惑う。
だが、わたしの目は違った意味で輝いた。
「……あら。なんて立派なイカリングの材料かしら」
わたしは鉄扇をパチンと鳴らした。
ミリアのリュックには、まだショーユの在庫がある。
小麦粉もある。
あとは揚げ油さえあれば、船上イカパーティーの開催だ。
「アリス! ミリア! 準備なさい! 今夜はイカ尽くしよ!」
「レヴィちゃん!? あれ災害級だよ!? 食べるサイズじゃないよ!?」
「油の温度管理が間に合いません~!! しかも船が揺れすぎてコンロが出せません!」
わたしたちが構えようとした、その時だった。
クラーケンの触手が、鞭のようにしなった。
バキィィィィンッ!!!
轟音と共に、船体が枯れ枝のように真っ二つにへし折られた。
「あ」
足場が崩れ、重力が仕事を始める。
大自然の猛威。
魔法障壁すら紙くずのように引き裂く圧倒的な質量暴力。
人間が作った木の船など、魔獣にとっては小枝細工に過ぎないのだ。
「……チッ。食事の前にテーブルをひっくり返すなんて、マナー違反もいいところね!」
わたしは即座に判断した。
この船はもう駄目だ。
沈む船と心中する義理はない。
わたしは空中で体勢を整えると、落下していくアリスとミリアの襟首を、左右の手でガシッと掴んだ。
ついでに、ミリアが死んでも離そうとしなかった巨大リュックのベルトも指に引っ掛ける。
「捕まっていなさい! 泳ぐわよ!」
「えええええええ!?」
「リュックだけは! おミソとショーユだけはお守りしますぅぅ!」
ドボォォォォンッ!!
わたしたちは荒れ狂う海へとダイブした。
冷たい海水。
押し寄せる高波。
視界は泡と闇に覆われる。
だが、わたしのバタ足は止まらない。
身体強化フルパワー。
脚力だけでスクリューのような水流を生み出し、推進力に変える。
「根性入れてしがみつきなさい! 陸地が見えるまで、絶対に離さないわよ!」
「うわぁぁぁん! レヴィちゃんのバタ足が暴走した魔導船みたいだよぉぉぉ!」
クラーケンが追撃してこようとしたが、わたしの放つ水流の乱れと、あまりの移動速度に目標を見失ったようだった。
わたしたちは嵐の海を、物理的な推力だけで突き進んでいった。
◆◆◆
漂着、1時間後。
ザザァン……。
波の音と、顔にかかる砂の感触で目が覚めた。
体を起こすと、そこは白い砂浜だった。
見上げれば、南国特有の濃い緑のジャングルと、どこまでも青い空。
嵐は嘘のように去り、太陽がジリジリと肌を焼いている。
「……生きているわね」
わたしは濡れたドレスを絞りながら立ち上がった。
隣ではアリスとミリアが、打ち上げられたマグロのように伸びている。
「うぅ……酔った……人間の出すスピードじゃなかったよぉ……」
アリスが目を回して呻いている。
「りゅ、リュック……中身のミソ樽とショーユ瓶は……無事です……!」
ミリアは意識が朦朧としながらも、リュックの無事を確認して親指を立てた。
さすがだわ、この子本当にたくましいわね。
二人の無事を確認し、わたしは周囲の気配を探った。
そして、すぐに異変に気づく。
(……魔力が、練れない?)
体内には魔力がある。
だが、それを体外に放出しようとすると、大気中の乱気流のようなものにかき消されてしまうのだ。
まるで、島全体が巨大な魔力妨害装置の中にあるような感覚。
アリスが青ざめた顔で杖を振る。
「う、嘘……魔法が出ない! 水も出せないし、服も乾かせないよぉ!」
わたしも足元の影に手を伸ばしてみた。
……開かない。
影の亜空間「暗闇の間」へのアクセスが遮断されている。
つまり、最強の鈍器「漆黒の玉座」も、中に備蓄していた大量の食料や素材や、なんなら着替えなんかも、取り出せないということだ。
「なるほど。『魔封じの島』というわけね」
わたしは状況を整理した。
現在地、不明。
所持品、着の身着のままの半壊したドレス、ミリアのリュック(調味料メイン)、アリスの杖(ただの棒)。
魔法、使用不可。
頼れるもの、己の筋肉のみ。
「さて、ここがどこなのかもわからない上に、なにがあるかもわからない……まずは服を『サバイバル仕様』にしないとね」
わたしは二人の姿を眺める。
濡れて重くなった服は動きにくいし、乾きにくい。
それに、この熱帯のジャングルを歩くには、フリルや長い裾は邪魔でしかない。
「衣服の調整が必要ね。……動きやすさと足元の保護が第一よ」
わたしは自分のドレスの裾を両手で掴み、一気に引き裂いた。
ビリィッ!!
重いレースのスカートが取り払われ、太ももがあらわになる。
さらに袖を引きちぎり、背中が大きく開いたノースリーブ状態に。
「今着ている服の余分な生地を割いて、ゲートルにして巻きましょう。足を保護して歩行時の危険を少しでも避ける! 腕も同じように保護よ! これぞハニマル流サバイバル術の基本!」
わたしは裂いた布を足首からふくらはぎにかけてきつく巻きつけ、即席のブーツ代わりにした。
腕にも巻き付け、草木や虫から肌を守る。
「さあ、あなたたちもやりなさい。恥じらっている場合じゃなくてよ?」
「えええ……」
アリスが涙目で、自分のポンチョとローブに手をかける。
ミリアも「もったいないですが……」と旅装束の裾を破き始めた。
数分後。
そこには、極限まで露出度の高まった三人の姿があった。
わたしは、鍛え上げられた背中と太ももを大胆に晒した、ボンテージ風の戦闘ドレス。
アリスは、ポンチョを腰巻きにし、上はキャミソール一枚のような軽装。
透き通るような白い肌が眩しい。
そしてミリアは……。
ボヨン。
「……ッ!?」
わたしとアリスの視線が、一点に釘付けになった。
これまで巨大なリュックのベルトや厚手の服に隠されていて意識していなかったが……この子、着痩せするタイプだったのか。
布面積の減った服から、暴力的なまでの質量が主張している。
「……今まで気にしたこともなかったけれど。ミリア、あなたのアレは凶器ね」
「え? 包丁のことですか? まだリュックの中ですが……」
「違うよぉ! その、胸の……脂肪の塊のことだよぉ!」
アリスが涙目で自分の平坦な胸元を押さえ、悲痛な叫びを上げる。
「ううっ……! スレンダーにだって需要はあるもん! 希少価値だもん! ……でも、悔しいぃぃぃ!」
「え? アリスさん、よく育ってらっしゃるじゃないですか。……横に」
「喧嘩売ってるのかなミリアちゃん!?」
……どういうわけか全体的に随分布が少なくなったわね。
だが、これで機動力は確保できた。
「じゃ、わたしはちょっと沿岸沿いを走って見てくるわ」
わたしは準備運動がてら、屈伸をした。
「その間、二人は絶対に離れずに、適当に休んでいなさい。いいこと? 下手に動くんじゃないわよ?」
「えっ、走ってって……この島、どれくらいの大きさかもわからないのに?」
アリスの問いかけが終わる前に、わたしは地面を蹴った。
ドォン!!
爆発音と共に、砂浜にクレーターができる。
わたしの体は弾丸のように飛び出し、砂浜を――いや、波打ち際の水面すら蹴って加速し、二人の視界の彼方へと消え去った。
「……行っちゃった」
「速すぎて見えませんでしたね」
数分後。
ザザァッ!!
砂煙を上げながら、わたしは猛スピードで帰還した。
息一つ切らしていない。
「おかえりなさいませレヴィーネ様! 早かったですね!」
「ただいま。……一通り回ってきたわ」
わたしは額の汗を拭うこともなく、淡々と報告した。
「残念、完全に孤島だったわ。周囲に大陸の影も見えなければ、島影もなし。ここからどこに向かうにせよ、相当な準備が必要ね……」
「そ、そんな……」
アリスがガックリと膝をつく。
絶海の孤島。
魔法も使えない。
助けも来ない。
それは、遭難者にとって死刑宣告にも等しい状況だ。
だが。
わたしは、ニヤリと笑った。
「でも、水はあるし、緑もある。魔獣の気配もビンビンするわ」
「……え?」
わたしは両手を広げ、この過酷な環境を歓迎するように叫んだ。
「燃えてきたわ! 最高の『野外合宿』じゃない!!」
「ひぃぃぃ!? レヴィちゃんが楽しそうだよぉぉぉ!!」
アリスの絶叫が、無人の空に吸い込まれていった。
「さあ、立つわよ! サバイバルの基本は『衣食住』の確保から!」
わたしは二人を無理やり立たせ、ジャングルの方角を指差した。
「まずは拠点作りよ。……日暮れまでに、屋根のある寝床を確保するわ」
本日より【第9部 無人島サバイバル編】がスタートです。
悪役令嬢、無人島に漂着す。大自然が相手でも、島ごと「整地」します。
それでは、ここから先もどうぞよろしくお願いします。
押忍!




