第064話 偽りの太陽
「あ、が……力が、抜ける……! 俺の、俺の力がぁぁ……!」
ドーピングの効果がかき消され、無理な強化の反動が一気に押し寄せる。
筋肉が萎み、膝が震え、彼はただの「薬切れの男」へと成り下がろうとしていた。
「……終わりね」
わたしは「玉座」を担ぎ、震えるエル・ソルを見下ろした。
「楽にしてあげるわ。……その苦しみごと、断ち切ってあげる」
わたしはコーナーポストに足をかけ、トップロープへと駆け上がった。
眼下には、ふらふらと立ち尽くすエル・ソル。
彼はもう、抵抗しようともせず、ただ安らぎを求めるようにわたしを見上げていた。
「さようなら、偽りの太陽。……アンタの役目は、ここで幕引きよ」
「――『魔法絨毯の断頭台』ッッ!!!」
わたしは高く、高く跳躍して、空中で体を反らせる。
そして「漆黒の玉座」の座面を膝裏にセットして前宙――全体重と重力、そして回転のエネルギーを一点に集中させる。
ズドォォォォォォォォォンッ!!!!!
地球が割れるかのような轟音。
玉座を構成する黒鋼のパイプが、エル・ソルの胸板――もちろん急所は外してある――に深々とめり込んだ。
リングのマットが爆発し、衝撃波が会場を揺らす。
「ガ、ハッ……」
エル・ソルは白目を剥き、完全に意識を断たれた。
その顔には、苦痛ではなく、解放された安堵の色が浮かんでいた。
スリーカウントなど必要ない。
わたしは倒れた彼に馬乗りになり、その黄金のマスクに手をかけた。
「約束通り、頂いていくわ」
ビリリリィッ。
マスクが引き裂かれ、力尽くで剥がされる。
その下に現れたのは、英雄の顔ではなかった。
ただの、薬焼けで顔色が悪く、弱々しい青年の顔。
巨大スクリーンにその顔が映し出されると、会場からどよめきが起きた。
「あれが……エル・ソル?」
「ただの優男じゃないか……」
「俺たちは、あんな奴に熱狂していたのか……?」
魔法が解けた。
カルテルが作り上げた「最強の英雄」という虚像が、物理と真実の前に粉々に砕け散ったのだ。
わたしは剥ぎ取ったマスクを高々と掲げ、マイクを使わずに吼えた。
「見なさいッ! これがアンタたちが崇めていた『神』の正体よッ!」
わたしの声が、アリーナに響き渡る。
「薬で膨らませた筋肉! 演出で作られた正義! ……そんなものに縋るのはもうおやめなさい!」
わたしはマスクを床に叩きつけ、ヒールで踏みにじった。
「自分の足で立ちなさい! 自分の拳で掴みなさい! ……本物の強さは、アンタたち自身の中にあるはずよッ!!」
◆◆◆
わたしはマイクを取り、静まり返る観客をさらに煽った。
「情けないわねぇ! 英雄は地に落ちた! この国にはもう、わたしを倒せる『正義の味方』はいないのかしら!?」
「かかってきなさいよ! この国の男は腑抜けばかりなの!?」
わたしの罵倒が響く。
ブーイングすら起きない。
皆、打ちひしがれている。
その時だ。
「――待て!!」
凛とした少年の声が響いた。
花道にスポットライトが落ちる。
そこに立っていたのは、ボロボロだが丁寧に補修された、かつての英雄「エル・アギラ」のマスクを被った小さな影。
レオだ。
彼は前座試合でのダメージを引きずりながらも、しっかりとリングを見据えていた。
「おい、そこの前座の小僧!」
わたしはわざとらしく驚いてみせた。
「さっきの試合、まぐれじゃなかったのなら……上がってきなさい! この私が直々に揉んであげるわ!」
「望むところだ! ……父ちゃんから受け継いだ技と、みんなの想いで、あんたを倒す!」
レオが叫ぶと、アリスが杖を掲げた。
「行くよ、レオ君! 私の全魔力をあげる! 聖なる光よ、勇気ある少年に翼を授けたまえ! 『英雄作成』ッ!!」
カッ!!
レオの体が、まばゆい黄金のオーラに包まれた。
身体能力を底上げし、反射神経を極限まで高める、聖女アリスの最上級支援魔法。
光を纏ったレオは、まるで弾丸のように花道を駆け抜け、トップロープを飛び越えてリングインした。
観客がざわめく。
「あの子はさっきの……!」「まさか、エル・アギラの息子か!?」
「ほう? ……聖女の加護付きとはね。少しは楽しませてくれるのかしら?」
わたしはマスクの下で、ニヤリと笑った。
最高の演出だ。
これでこそ、倒される甲斐があるというもの。
わたしは「漆黒の玉座」を放り投げ、素手で構えた。
「いい度胸ね小僧! その減らず口、へし折って差し上げるわ!」
ゴングなどいらない。
戦いは始まった。
「死ねぇぇッ!!」
わたしはレオに向かって、真っ直ぐなラリアットを放った。
速度は、一般人には見えないが、強化されたレオならギリギリ反応できる絶妙なライン。
ブンッ!!
レオが光の残像を残してサイドにステップし、回避する。
さらに、わたしの腕を蹴って空中に舞い上がる。
ルチャ・リブレの基本、空中殺法だ。
「ちょこまかと! 逃げ回るだけ!?」
「逃げてるんじゃない! 飛んでるんだ!」
レオがロープの反動を利用して、弾丸のように突っ込んでくる。
ドロップキック。
わたしの胸板を捉える。
軽い。
でも、芯がある。
ドカッ!
わたしはあえて踏ん張らず、派手に後ろへよろめいた。
「ぐっ……! やるじゃない!」
観客が沸く。
「押してるぞ!」「いけーっ!」「ちびっこ、負けるな!」
声援がレオに集まっていく。
この空気だ。
これを作らなくてはならない。
「調子に乗るなぁッ!」
わたしは「玉座」を拾い上げ、大上段に振りかぶった。
決定的な一撃。
これを避けさせ、カウンターを決めさせる。
それがこのボーナストラックのシナリオだ。
「消えなさいッ!!」
ブォォンッ!!
わたしは玉座を全力で振り下ろした。
だが、レオはそれを読んでいた。
光の残像を残してサイドステップで回避する。
スカッ!
わたしのフルスイングは空を切り――そのまま勢い余って、トップロープに直撃した。
バイィィィン!!
強烈な張力で跳ね返ったロープが、椅子の背もたれを弾き返す。
その反動で、数百キロの鉄塊が、わたしの顔面めがけて戻ってくる。
「――あ?」
ガゴォォォンッ!!!
漫画のような自爆。
わたしは自分の椅子で顔面を強打し、よろめいた。
わたしが描いていたシナリオ通りの展開のはずが、身体強化をしていても予想以上のダメージだ。
「ぐ、うぅ……!? め、目が回るぅ……!」
わたしは千鳥足になり、顔面に椅子をくっつけたまま、リング中央で無防備な姿を晒す。
そこへ、コーナーポストに駆け上がったレオが、弾丸のように飛んできた。
「いっけぇぇぇぇッ!!」
レオの両足が、わたしの顔面――に張り付いたままのパイプ椅子を、さらに押し込むように蹴り抜いた。
ズガシャアァァンッ!!!
ミサイルキック・ウィズ・チェアー。
自爆のダメージに、レオの体重と加速が乗った追撃。
わたしはたまらず後方へと吹き飛び、マットに大の字に倒れた。
「……う、嘘でしょ……?」
わたしがピヨピヨと星が飛ぶ視界で起き上がろうとした瞬間、レオが背後に回り込んでいた。
「これで終わりだァッ!!」
レオがわたしの背後から飛びつき、足と腕で両腕をフックする。
そして、自分の体重と回転力を利用して、わたしの身体を巻き込みながら、後方へと回転する。
クルリ。
世界が回る。
わたしは抵抗せず、その流れに身を任せた。
「――『回転十字架固め』ッッ!!!」
ドォォンッ!!
わたしは背中からマットに叩きつけられ、完璧に両腕を封じられた。
テコの原理とアリスの魔法で強化されたパワーで固定され、身動きが取れない。
それでも身体強化をフルパワーにすれば弾き返すこともできるだろう。
だが、最高のタイミング、最高のシチュエーション。
ここで強引に返すのは悪役の美学に反する。
(……合格よ! 素晴らしい!!)
わたしは心の中で喝采を送る。
レフェリーが滑り込んでくる。
観客が、息を呑んで立ち上がる。
そして、何万もの声が、一つになった。
バン!
「1ッ!!」
バン!
「2ッ!!」
バン!
「3ッッ!!!」
カンカンカンカン!!!
終了のゴングが鳴り響く。
一瞬の静寂の後、アリーナが爆発した。
「うおおおおおおおおっ!!」
「勝った! 子供が勝ったぞ!」
「ビバ! エルイホデルアギラ!!」
地割れのような歓声。
わたしは(マットの弾力を利用して)キョトンとした顔で跳ね起き、信じられないという顔でレオを見た。
「こ、このわたくしが……あんな子供に……!?」
わたしは顔を真っ赤にし、悔しそうに地団駄を踏んだ。
「きょ、今日は朝ごはんのミソスープが熱すぎたから調子が出なかっただけよ! 次はギタギタにしてあげるわ!」
「……去れ悪魔よ! 次にリングで相対すれば、この鷲の爪がお前の顔面を切り裂くぞ!」
わたしの大袈裟な負け惜しみに、レオが呼応する。
そうだ、それでいい。
「負けた悪魔はさっさと帰りなさーい! かーえーれ! それ! かーえーれ!」
レオのセコンドについていたアリスがはしゃぐようにダメ押しをしてくる。
煽られた観客から一斉に大「かえれ」コールが起きる。
「キィイイイ!! お、覚えてらっしゃい!」
わたしは「玉座」を引きずり、逃げるようにリングを降りた。
観客からは「帰れ!」「二度と来るな!」と野次が飛ぶが、その声はどこか明るく、楽しげだ。
彼らは見たのだ。
悪が滅び、小さくとも正統な血を受け継ぐ、新しい希望が誕生する瞬間を。
(……天国まで聞こえるかしら、レオのお父様。偉大なる達人。貴方の教えは、ちゃんとこの子に届いていてよ)
わたしは花道の奥で一度だけ振り返り、リング上で高々と手を挙げられる小さな勇者に、こっそりと親指を立てた。




