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悪役令嬢の凶器はドス黒いパイプ椅子です ~目指すは最強の悪役、あらゆる理不尽はこのパイプ椅子でぶっ飛ばしますわ~  作者: みやもと春九堂@月館望男
【第8部】情熱の国サン・ルーチャ・ルチャリブレ編 ~魔薬カルテル? 悪役令嬢が「教育的指導」してやります~
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第063話 メインイベント

 二日後、正午。


 サン・ルーチャ国立闘技場は、収容人数五万人を超える超満員の観衆で埋め尽くされていた。


 南国の太陽が真上から照りつけ、ただでさえ暑い空気をさらに加熱させている。


 だが、それ以上に会場を支配していたのは、異様な熱気と殺気だった。


 カルテルが無料で振る舞った「祝いの酒」には、微量の興奮剤が混ぜられているのだろう。


 観客たちの目は血走り、口元には泡が溜まっている。


 彼らは飢えた獣のように、生贄を求めて吼えていた。


 メインイベント開始前。


 会場の一部で、ざわめきが起きていた。


 前座試合で、「猛牛(エル・トロ)」と呼ばれたジュニアクラスの王者が、無名の少年に敗北したという事実が、波紋のように広がっていたからだ。


「まぐれだ」「仕込みだろう」「汚い手を使ったに違いない」という罵声が飛び交うが、一部の観客の目には、その鮮やかな逆転劇――レオが体格差を覆し、神父直伝の「丸め込み」で3カウントを奪った瞬間――が焼き付いていた。


『さあ、お待たせいたしました! 建国記念興行、メインイベントの始まりだァァァッ!!』


 実況の声が響き渡り、空に極彩色の花火が打ち上がる。


『まずは青コーナー! 我らが英雄! 無敗のチャンピオン! 太陽の使者、エル・ソォォォルッ!!』


 爆発的な歓声と共に、エル・ソルが入場ゲートから現れた。


 黄金のマントを翻し、両手を掲げて観客に応える。


 その姿は、確かに国の守護神そのものだ。


 だが、わたしの目にははっきりと見える。


 彼の全身から立ち上る、どす黒く、腐ったような薬物のオーラが。


 筋肉は悲鳴を上げるほど膨張し、皮膚が裂けそうなほど張り詰めている。


 あれはもう、人間の肉体ではない。


 今にも破裂しそうな風船だ。


『対する赤コーナー! 伝統も誇りも持たぬ、恥知らずな侵略者! その名は――“魔王(ディアボロス)”レヴィーネェェェッ!!』


 会場の照明が落ち、真っ赤なスポットライトが一本の道を作る。


 わたしは、アリス特製の悪魔マスクを装着し、黒いマントを纏って花道に現れた。


 肩には、相棒『漆黒の玉座(オリジン)』を無造作に担いで。


 その瞬間、アリーナは地鳴りのようなブーイングに包まれた。


「帰れ!」「そのふざけたマスクを脱げ!」


「エル・ソル! その女の化けの皮を剥いでしまえ!」


 罵声、怒号。


 ゴミや空き瓶が雨のように投げつけられる。


 観客たちは、わたしのマスク姿を「ルチャへの冒涜」と捉え、激怒している。


 最高だ。


 彼らは今、わたしが負けてマスクを剥がされる瞬間を、正体が暴かれるどうこうよりも、見世物として無様に泣き叫ぶさまを何よりも熱望しているのだから。


(……ええ、そうよ。もっと怒りなさい。その熱狂こそが、最高のスパイスになるのだから)


 わたしは身体強化による微細なオーラでゴミを弾き返し、悠然と歩を進めた。


 そしてリングインすると観客を見回して、マスク越しに「しーっ」と指を立てて『黙れ』と挑発した。


 さらに激化する怒号。


 これで「舞台」は整った。


 わたしはマントを脱ぎ捨て、エル・ソルと対峙した。


 至近距離で見る彼は、汗だくで、瞳孔が開いていた。


 呼吸をするたびに、喉の奥からヒューヒューという異音が漏れている。


「……殺してやる。俺の栄光のために、死ね」


 うわ言のように呟く彼に、わたしはマスク越しに冷笑を返した。


「栄光? ……薬で買った栄光なんて、メッキ以下のガラクタよ」


 わたしは「玉座」をリングサイドに突き立て、構えを取った。


「さあ、始めましょうか。……偽りの神話の、終わりの時間を!」


 カーン!!


 運命のゴングが、高らかに鳴り響いた。


 その残響が消える前に、エル・ソルが動いた。


 薬物によって限界を超えて駆動する筋肉が唸りを上げ、黄金の塊となって突っ込んでくる。


「ウオオオオオッ!! 消えろぉッ!!」


 ドォォンッ!!


 エル・ソルのラリアットが、わたしの首を狙って振り抜かれる。


 わたしはそれを、「漆黒の玉座(オリジン)」を盾にして受け止めた。


 ガギィィィンッ!!!


 凄まじい衝撃。


 わたしの足元のリングが陥没し、衝撃波が客席まで届く。


 観客がどよめく。


「あんな細い腕で受け止めたぞ!」「いや、あの鉄塊は何なんだ!?」


「ハハハハ! 防戦一方か! これが力だ! これが正義だ!」


 エル・ソルが追撃の手を緩めない。


 丸太のような足での蹴り、ハンマーのような拳の乱打。


 その一撃一撃が、岩をも砕く威力を持っている。


 まともに食らえば即死だろう。


 だが。


「……軽いわね」


 わたしは防戦しながら、冷ややかに呟いた。


「な、に……?」


「アンタの拳、軽いのよ。……中身がスカスカだわ」


 わたしは、あえて「玉座」を下ろし、身体強化した左手一本で、エル・ソルの拳を受け止めた。


 バシンッ!!


 衝撃が拡散し、わたしの背後のロープまでが揺れる。


 けれど、わたしは一歩も退かない。


 地面に根を張った大樹のように。


「薬で無理やり膨らませた筋肉なんて、水風船と同じよ。……『芯』の密度が足りないの」


 わたしはエル・ソルの拳を握りしめたまま、ギリギリと締め上げた。


 ミシミシと、彼の拳の骨が悲鳴を上げる。


「ぐ、ぐあ……なぜ、俺の力が……通じない……俺には、これしか……」


 エル・ソルの瞳が痛みと動揺と不安に揺れる。


 わたしは一旦リリースすると、今度は正面からロックアップする(右手から組み合う)。


 至近距離。


 わたしの耳に、エル・ソルの押し殺したような呻き声が届く。


「か、家族が……人質に……。才能がないと言われ……それでも、戦うしか……」


 薬物で濁った瞳の奥、一瞬だけ正気の光が瞬いた。


 そこにあるのは、深い絶望と、助けを求める子供のような怯え。


「……殺してくれ。……もう、終わらせてくれ……」


 かすかな囁き。


 それが、この男の真実だった。


 彼もまた、カルテルという巨大な悪意に使い潰された被害者の一人。


「……そう。泣いているのね、アンタの魂は」


 わたしはロックアップを力で振り払うと、一歩下がった。


 同情はしない。


 だが、介錯はしてあげる。


 それが、同じリングに立つ者としての礼儀だ。


 リング上の流れを見て、最前列のVIP席に陣取っていたカルテルのボス「毒蠍(エル・エスコルピオン)」が焦りの色を見せた。


「ええい! ソルは何をしている! あんな女一人に手間取るな!」


 彼は懐から魔導通信機を取り出し、怒鳴った。


「計画変更だ! 今すぐガスを撒け! 観客を興奮状態にして、暴動を起こせ! どさくさに紛れてあの女を殺すんだ!」


 ボスの合図と共に、アリーナの天井に設置されたスプリンクラーが一斉に作動した。


 シューッ……!!


 噴き出すガス。


 それは本来であれば、無味無臭で、吸い込んだ瞬間に理性を破壊し、凶暴化させる「赤きサボテン(ロホ・カクタス)」の濃縮ガスであるはずだった。


 しかし。


「……ん? なんだこの匂いは?」


「なんか……香ばしいぞ?」


「腹が減る匂いだ……涙が出そうになる……」


 観客席に降り注いだのは、淡い褐色の霧。


 そして会場に充満したのは、毒の臭気ではなく――芳醇で、どこか懐かしく、食欲をそそる「出汁と味噌」の香りだった。


「な、なんだこれはぁぁぁッ!?」


 エスコルピオンが絶叫する。


 見上げれば、観客席の最上段、キャットウォークの上に立つ二つの人影があった。


 巨大な寸胴鍋の前で、両手に巨大なうちわを持ったミリアと、光り輝く杖を掲げたアリスだ。


「さあさあ皆様! 深呼吸してください! 東の国の秘薬、ミソの成分たっぷりの蒸気ですよー!」


 ミリアが必死の形相で鍋の湯気を扇ぎまくる。


 その横で、アリスが神々しく詠唱する。


「癒やしの光よ、人々の心を守りたまえ! 『聖域結界《サンクチュアリ・フィールド》』!!」


 アリスが杖を掲げると、光の粒子が湯気と混じり合い、キラキラと輝く黄金の霧となって会場全体へと降り注いでいく。


 魔薬の成分が一瞬で無害化され、それどころか観客たちの顔色がみるみる良くなっていく。


「体が……軽いぞ?」


「なんだか、すごくスッキリした気分だ! ……無性にご飯が食べたい!」


 光の神秘性と、出汁の生活感が混ざり合うカオスな空間。


 パニックになるどころか、観客たちは健康になり、冷静さを取り戻していく。


 そして彼らの目は、リング上の「異変」に釘付けになった。


 ガスの散布(ミソ風味)を浴びたエル・ソルが、苦しみ始めたのだ。

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