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悪役令嬢の凶器はドス黒いパイプ椅子です ~目指すは最強の悪役、あらゆる理不尽はこのパイプ椅子でぶっ飛ばしますわ~  作者: みやもと春九堂@月館望男
【第8部】情熱の国サン・ルーチャ・ルチャリブレ編 ~魔薬カルテル? 悪役令嬢が「教育的指導」してやります~
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第062話 神父との特訓

 夕暮れの教会の裏庭で、わたしとマテオ神父は対峙していた。


 木の杭を打ち込んで荒縄でロープをかけただけの急ごしらえのリング。


 わたしは身体強化を切っている。


 神父もまた、魔力を使っていない。


 純粋な技術だけのスパーリングだ。


 神父は、傍らで見守るレオに、静かに声をかけた。


「レオ、よく見ておきなさい。……これから見せる技の数々は、お前の父さん……『エル・アギラ』が、伝統を受け継ぎ、アレンジを加えた、黄金よりも尊い『エスペシアリダ(得意技)』だ」


「父ちゃんの……技……」


 レオが息を呑む。


「行くわよ、神父様!」


 わたしは踏み込み、神父の襟首を掴もうと手を伸ばした。


 だが、神父の体が一瞬で視界から消える。


 いいや、消えたのではない。


 わたしの懐に、回転しながら潜り込んだのだ。


「甘いな、お嬢さん」


 神父の左腕が、わたしの腕に蛇のように巻き付く。


 同時に、彼の足がわたしの足を払い、回転の遠心力を使って、わたしの身体を宙に浮かせた。


「――っ!?」


 天地が逆転する。


 気づいた時には、わたしは背中から地面に叩きつけられ、神父の体で完璧に抑え込まれていた。


「巻き投げ固め(ラ・マヒストラル)」の変形。


 隻腕であることを利用し、自分の体重全てを一点に乗せてロックしている。


 動けない。


「ほら、肩がついたぞお嬢さん。――1(ウノ)・2(ドス)・3(トレス)!」


 パン、パン、パン!


 神父が地面を素早く三回叩く。


「……ッ! いつの間に!」


 わたしは目を丸くして跳ね起きた。


 パワーなら負けない。


 けれど、今のわたしは「流れ」の中で完全に支配されていた。


「ははッ、ルチャは力比べじゃない。『回る』ことさ。相手の力も、重さも、すべて利用して丸め込む」


 神父は楽しげに笑い、手招きした。


「次はこれだ。……こんな固め方もある、抜け出せるかい?」


 再開の合図と共に、今度は神父が絡みついてくる。


 足が、腕が、複雑怪奇なパズルのようにわたしの関節を極めていく。


「複合関節技(ジャベ)」。


 骨が折れるような痛みはない。


 だが、一度ハマると、もがけばもがくほど結び目が固くなる蜘蛛の巣のようだ。


「くっ……! 構造が読めない……! 関節の可動域を、三箇所同時にロックされてる!?」


「ほう? 初見にしてはいい反応だ。だが、ここをこうすれば……」


 神父がクイッと体をひねると、わたしはまたしてもコロンと転がされ、両肩をマット(草地)につけられた。


「それっ、1(ウノ)・2(ドス)・3(トレス)!」


 わたしは仰向けのまま、夜空を見上げてため息をついた。


 そして、心からの感嘆と、敬意を抱かずにはいられなかった。


(……美しいわ。これが、ルチャ・リブレの深奥……)


 前世で映像として見ていたものとは違う。


 肌で感じる、洗練された技術の重み。


 隻腕というハンデすら、相手の意表を突く武器に変え、力を使わずに相手を制する。


 それは、相手を傷つけるための「暴力」ではない。


 観客を魅了し、相手の技量すら引き出す、高潔な技術体系。


(神父様の隻腕というハンデがあってなお、この完成度……! レオのお父様は、本当に素晴らしい『達人(マエストロ)』だったのね……)


 わたしのような「悪役(ヒール)」が輝くのは、こうした光のような技術を持つ「善玉(テクニコ)」がいてこそだ。


 喪われた名ルチャドールへの敬意が、胸の奥から湧き上がる。


「勉強になりますわ、神父様。……このリズム、『3カウント』の重み、魂に刻んだわ」


 わたしが起き上がると、それまで食い入るように見ていたレオが、神父の前に駆け寄った。


「神父様……! お願いします! 俺に、今の技を教えてください!」


 レオは必死な目で訴えた。


「俺、強くなりたい! あんな偽物の太陽じゃなくて……父ちゃんみたいな、神父様みたいな、本物の強さが欲しいんだ!」


 神父は、レオを静かに見下ろした。


 その表情は、厳しかった。


「レオ。……この道は、決して楽なものではないぞ」


 神父は、自分の失われた右腕の袖を握った。


「今のこの国のリングは、カルテルと魔薬に汚染され、支配されている。そこには、かつてのような希望も、誇りも見出せないかもしれない。……私のように、何かを失うことになるかもしれないのだぞ」


「それでも……!」


 レオは引かなかった。


 泥だらけの拳を握りしめ、真っ直ぐに神父を見つめ返した。


「それでも俺は、父ちゃんのマスクを被って戦いたい! 逃げたくないんだ!」


 その瞳に宿る、小さな、けれど決して消えない炎。


 神父はしばらくその目を見つめ――やがて、ふっと表情を緩めた。


「……そうか。お前も、やはり『鷲(アギラ)』の子か」


 神父はレオの頭に、残った左手を置いた。


「いいだろう。その覚悟、私が受け取った」


 神父はわたしの方を見て、ニヤリと笑った。


「どうやら、今夜は長い夜になりそうだ。……お嬢さん、すまないがパートナーを頼めるかね?」


「ええ、もちろんですわ」


 神父はレオの背中をバンと叩き、草地の真ん中へ促した。


「さぁ、リングに入りなさい。……まずは受け身からだ。夜明けまで、たっぷりと叩き込んでやる!」


「はいッ!!」


 既に日は沈み、月明かりの下、手作りのリングで老人と少年の特訓が始まった。


 何度も投げられ、転がり、それでも立ち上がる小さな影。


 その姿を見ながら、わたしはアリスとミリアに囁いた。


「……ねえ、二人とも。明日の『演出(プラン)』、少し変更よ」


「え? どうするの、レヴィちゃん?」


 わたしは、必死に食らいつくレオを見つめながら、ニヤリと笑った。


「もし……万が一、レオが明日の前座試合で勝利したなら。……メインイベントの後に、『ボーナス・ステージ』を用意してあげるわ」


「ボーナス・ステージ?」


「ええ。前座の勝者と、メインの勝者。……真の最強を決める『頂上決戦』よ」


 ミリアが息を呑む。


 アリスが「なるほどね!」と悪戯っぽく笑う。


「あの子が自分の力で前座を勝ち抜いたら、わたしが最後に『壁』になってあげる。……最高の花道を作ってあげるわ」


 そのためには、わたしも絶対に負けられない。


 そして、レオも絶対に勝たなければならない。


「さあ、わたしたちも仕上げにかかるわよ。アリス、ミリア。明日は会場全体を巻き込んだ大舞台よ!」


「了解! 聖女パワー全開で行くよ!」


「お任せください! 観客全員の胃袋を掴む準備は万端です!」


 チームの士気は十分だ。


 明日は、この国が変わる日だ。


 わたしの「漆黒の玉座(オリジン)」が、偽りの太陽を叩き落とし、小さな鷲を羽ばたかせる。

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