第055話 負け役
試合後、VIPルーム。
ゴルドーは、今にも血管が切れそうな形相でわたしに怒鳴り散らしていた。
「貴様ァッ!! 勝ちすぎだと言っているんだ!! これ以上勝たれては、胴元が破産する!!」
「あら、勝てるもんなら勝てと言われたから勝っただけですわよ?」
「黙れ! これはショーだ! ビジネスだ! お前が勝つだけの試合など、誰も望んでいないんだよ!」
ゴルドーはバンと机を叩いた。
「次のメインイベント。相手は絶対王者『獣王ガルフ』だ。……いいか、この試合、貴様は負けろ。無様に、一方的に痛めつけられてな!」
彼はモニターを指差す。
そこには、どうやってもちこんだのか魔導暖房付き座卓に肩までもぐって、すっかり堕落しきってくつろぐアリスたちの姿があったが、ゴルドーはそれに気づいていないのか、あるいは無視しているのか、脅し文句を続けた。
「断れば、人質の命はない。……指の一本ずつから送ってやろうか?」
来た。
わたしは扇子で口元を隠し、内心で喝采を叫んだ。
(キタキタキタァァ! 卑怯な運営による理不尽な敗北命令! これぞヒールが最も輝くための土壌!!)
わたしは震える声(演技)で答えた。
「……わかりましたわ。人質の命には代えられませんもの」
「フン、分かればいい。……ガルフは強いぞ。手加減などできんからな」
「ええ……。仰せのままに」
うつむくわたしの顔は、絶望ではなく、歓喜に歪んでいた。
さあ、最高の「負け役」を演じてあげようじゃないの!
◆◆◆
メインイベント。
会場は、これまでにない異様な熱気に包まれていた。
これまでの連勝でわたしのファンになった者たちと、金を吸われ続けてわたしを憎むアンチたち。
その両方の視線が突き刺さる。
わたしは再びデカゴンのマットに立った。
対面に立つのは、身長三メートルはある巨漢、獣王ガルフ。
全身が剛毛に覆われ、目は赤く光っている。
ゴングが鳴る。
ガルフが咆哮と共に突っ込んでくる。
「グォオオオオッ!!」
丸太のような腕が振り下ろされる。
いつもならデコピンで迎撃するところだが、今回は違う。
(――受けるッ!)
わたしは身体強化の出力を極限まで落とし、筋肉の鎧をあえて緩めた。
そして、その一撃を身一つで受け止めた。
ドガァッ!!
派手な音が鳴り、わたしは後方へ大きく吹き飛んだ。
金網に激突し、がっくりと膝をつく。
「ぐっ……! な、なんて重い一撃……!」
わたしは口の端を切って(自力で噛んで)血を流し、苦悶の表情を浮かべた。
観客が沸く。
「おい見ろ! あの女が吹っ飛んだぞ!」「ざまあみろ!」「ガルフ、もっとやれ!」
(ふふっ、いいわ。今の受け身、完璧だった! ダメージはゼロだけど、見た目のインパクトは十分!)
ガルフが追撃してくる。
蹴り、踏みつけ、投げ。
わたしはそれら全てを「あえて」食らい、悲鳴を上げ、ボロボロになっていく(フリをする)。
コスチュームが破れ、バンダナが飛び、美しい金髪が乱れる。
ガルフがわたしの髪を乱暴に掴み、強引に引き起こす。
「これ以上ない屈辱的な負け方をさせろというオーダーでな。まだまだ嬲らせてもらうぞ」
ガルフが嗜虐的な笑みを浮かべて囁く。
ああ、なんて三流な悪役台詞。
最高だわ。
わたしは涙目で、震える唇を開いた。
「……くっ……! 私を……辱める気……? くっ、殺せ……! 辱めを受けるくらいなら、いっそひと思いに……殺しなさい!」
会場が一瞬、静まり返る。
そして次の瞬間、爆発的な歓声と罵声が渦巻いた。
観客たちは、強者が地に落ち、プライドをへし折られる瞬間に酔いしれている。
最高だ。
このドロドロとした欲望の渦こそが、わたしが求めていた「熱」だ。
(完璧……! 今のわたし、最高に「悲劇の悪役」してるわ! もっとブーイングを! その野次がわたしのエネルギーになるのよ!)
牢屋のモニターで見ていたアリスが「レヴィちゃん、ノリノリだなぁ……」と呟き、ミリアが「あの角度! 一番美しく、かつ儚げに見える計算された倒れ方です! さすがレヴィーネ様!」と絶賛しているのが目に浮かぶようだ。
さあ、溜めに溜めたヘイト。
そろそろ、解放の時が近い。
◆◆◆
わたしがマットに倒れ伏していると、VIP席からドン・ゴルドーが降りてきた。
勝利を確信した彼は、わたしにとどめを刺す命令を下すため、わざわざリングサイドまでやってきたのだ。
「ハッハッハ! どうだレヴィーネ! これが敗北の味だ!」
ゴルドーは金網の外からわたしを見下ろし、嘲笑った。
そして、彼の足元にあったもの――わたしが入場時に設置した『漆黒の玉座(軽量化状態)』に目を留めた。
「なんだこの薄汚い椅子は。……目障りだ」
ゴルドーは邪魔そうに、椅子を蹴り飛ばそうと足を振り上げた。
その瞬間。
わたしの目から、演技の色が消えた。
(……今、わたしの相棒を。……ガラクタと言ったか?)
解除。
わたしは遠隔で魔力を操作し、椅子の「軽量化」を解いた。
黒鋼本来の質量。
数百キロの鉄塊へと戻る。
ゴルドーの革靴の爪先が、椅子に直撃した。
ゴキィッ!!!
「ふんッ! ……ギャアアアアアアアッ!!??」
鈍い音と共に、ゴルドーの絶叫が地下闘技場に響き渡った。
椅子は微動だにしない。
代わりに、ゴルドーの足がありえない方向に曲がっている。
「い、痛いッ! 足が、足の指がぁぁッ!!」
のたうち回るゴルドー。
わたしはむくりと起き上がった。
乱れた髪をかき上げる。
その表情は、もう「悲劇の令嬢」ではない。
全てを凍らせるような、絶対零度の冷笑。
「……あら。随分と『重い』蹴りでしたわね? 私の相棒への挨拶にしては、無作法じゃなくて?」
「き、貴様……! まだ動けるのか!?」
「ええ。演技は終わりよ」
わたしはガルフに向き直った。
獣王が戸惑いながらも拳を振り上げる。
「ガァァァッ!」
わたしは右手を掲げた。
影から取り出すのではない。
魔力で、その場に「凶器」を形成する。
「――『教育的指導』の時間よ」
カッ!
わたしの手の中に、魔力で構成された『贋作パイプ椅子』が顕現した。
わたしはガルフの懐に飛び込み、無慈悲な連撃を開始する。
「腹ァッ!」
ズドンッ!!
強烈な前蹴り――腹砕き。
内臓を突き上げる衝撃に、ガルフが声もなく「く」の字に折れ曲がる。
「背中ァッ!」
バギィッ!!
前屈みになった無防備な背中に、パイプ椅子をフルスイング。
背骨がきしむ音と共に、ガルフが膝をつく。
そして。
ガラ空きになった後頭部へ、三撃目。
「飾りなさいッ!!」
ガシャアアアンッ!!!
脳天への直撃。
パイプ椅子の座面が衝撃で貫通し、ガルフの首にすっぽりとはまる。
彼は白目を剥き、ひしゃげたパイプ椅子のフレームを悪趣味なネックレスのようにぶら下げた。
これぞわたしの黄金コンボ。
『恐怖の首飾り』の完成だ。
だが、まだ終わらない。
これではただの「オブジェ」だもの。
片付けなくては。
「ふぅ……。いい角度でハマったわね」
わたしは手ぶらになった右手を振ると、すかさずもう一脚、新たな『贋作パイプ椅子』を生成し、握りしめた。
目の前には、椅子の残骸を首から下げて膝立ちになっている巨体。
まるで、ティーバッティングのボールだ。
わたしは足を大きく広げ、腰を落とし、パイプ椅子をバットのように構えた。
「さあ、場外へ飛んでいきなさい! 『断罪のフルスイング』ッッ!!!」
ズドォォォォォォォォンッ!!!!!
出力一割ながらも全身全霊のスイング。
わたしの椅子が、ガルフの首にある「椅子のネックレス」ごと、その巨体を真横に叩き抜いた。
椅子と椅子が激突する金属音と、肉が弾ける音が重なり、衝撃が増幅される。
ガルフの巨体は水平に吹き飛び、金網を紙細工のように突き破り、そのまま観客席の奥深くまで突き刺さった。
さらに、その衝撃の余波で、頑丈に組み上げられていたはずのデカゴンの金網が、支柱ごと根こそぎひしゃげ――まるで安い舞台の書割が倒れるように、四方八方へと全て倒壊した。
もう、リングすら存在しない。
あるのは、瓦礫の山と化したステージに立つ、わたしだけ。
「う、うわぁあああぁあッッ!! 闘技場の最高傑作が!! ガルフーーーーッッ!!!」
VIP席から、ゴルドーの絶叫が響き渡った。
彼は顔面蒼白になり、手すりにしがみついて泣き叫んでいる。
「嘘だろ!? 金も時間も魔力も注ぎ込んだ、私の最強の商品が!! なんであんな鉄屑の一撃でェェェッ!!」
自分の足の痛みも忘れ、資産の喪失に泣き崩れるゴルドー。
わたしは倒れた金網の上を悠然と歩き、外へ出て、彼の方へと歩み寄った。
「契約破棄よ。……ここからは『教育的指導』の延長戦だわ」




