第053話 地下デビュー
翌日の夜。
重厚な扉が乱暴に開かれ、武装した部下たちが入ってきた。
「出番だ、出ろ」
短く告げられ、わたしたちは引き立てられた。
ミリアとアリスは、試合中の人質として、既に別の軟禁場所――おそらくVIP席から見える特別な檻か何かへと連れて行かれるようだ。
「レヴィーネ様ぁ~! 絶対助けてくださいねぇ~!」
「レヴィちゃぁ~ん! 怪我しないでねぇ~! 私たち待ってるからねぇ~!」
引き離される直前、二人は涙声(棒読み)で悲痛な叫びを上げていた。
ゴルドーの部下たちは、そんな二人を見ないふり聞かないふりを決め込み、ピクリとも表情を動かさない。
……もしこれが「絶対に笑ってはいけない地下闘技場」とかで耐えているのだとしたら、大したものね。
二人の姿が見えなくなると、わたしはふっと表情を引き締めた。
コミカルな時間は終わりだ。
ここからは『暴力の時間』だ。
わたしは影から『漆黒の玉座』を取り出した。
魔力を調整し、今の出力でも持ち上げられる程度に「軽量化」させる。
それを片手で掴み、無造作に肩に担ぎ上げた。
「行くわよ」
ゲートが開く。
まばゆい照明と、観客の罵声、そして熱気が押し寄せてくる。
「――入場! 謎の新人、レヴィーネェェェッ!!」
アナウンスと共に花道を歩く。
観客からは「椅子なんか持ってきやがった!」「パフォーマンスかよ!」と野次が飛ぶ。
わたしは金網の扉の前で椅子を下ろし、カシャンと展開してリングサイドに設置した。
(――特等席で見ていてね、相棒)
わたしはコートを脱ぎ捨て、デカゴンのマットに足を踏み入れた。
対戦相手は、人食い虎の獣人。
身体強化を使った肉弾戦が得意なパワーファイターだ。
地下格闘技場の常連らしく、観客からは「殺せー!」「引き裂けー!」と期待の声が上がっている。
「グルル……美味そうな女だ。その細腕で俺と殴り合うつもりか?」
(フフッ、いいわね。このバンテージのおかげで、今のわたしの魔力は出力一割程度。身体強化も最低限しか使えない)
これなら、一方的な蹂躙にはならないはず。
相手の攻撃を受け、いなし、反撃する。
そんな熱い攻防が楽しめる!
わたしは足を踏ん張り、迎撃の体勢をとった。
(査定! 相手の身体強化アリ! そこそこ頑丈! 武装なし! ここでは素手喧嘩でいく! まずは魔封じの布での割と安全なナックルパートの打ち合いから!)
わたしは「軽く」左手を突き出した。
魔力をほとんど乗せない、挨拶代わりのジャブ。
出力十パーセントなら、鼻血が出る程度で済むはず――
ドパンッ!!!
乾いた音ではない。
濡れた雑巾をコンクリートに叩きつけたような、重く、湿った爆音が響いた。
「あぶっ……!?」
わたしの拳がかすった瞬間、獣人の顔面が波紋のように歪んだ。
そして次の瞬間、その巨体は物理法則を無視した速度で後方へすっ飛んでいった。
ガシャァァァァンッ!!!
対面の金網に激突した獣人は、バウンドすらせず、そのまま金網に深くめり込んだ。
特殊合金製の頑丈な金網が、彼の背中の形にべっこりとひしゃげ、彼はそのまま網に捕らえられた虫のように宙吊りになって沈黙する。
「…………え?」
わたしは突き出した左拳を凝視した。
バンテージは機能している。
魔力は確かに一割程度しか出ていない。
だというのに、なぜ?
(……あ。そういえば、わたしの筋肉……魔力がなくても『ドラゴンの鱗を素手で割る』くらいには、密度が仕上がっていたんだったわ……!)
結論:魔力出力を絞ったところで、基礎スペック(圧縮された筋肉)が高すぎてデバフになっていない。
静まり返る会場。
引きつった顔のゴルドー。
そして、軟禁部屋のモニター越しに「やっぱりかー!」と突っ込むアリスの声が聞こえた気がした。
「……しょ、勝者! レヴィーネェェェッ!!」
審判の震える声に、わたしは気まずそうに拳を下ろした。
……どうやら、この程度のハンデでは、わたしの「悪役」としての格は落とせないらしい。
◆◆◆
デビュー戦での秒殺劇から、数日が過ぎた。
わたしは連日連夜、デカゴンのマットに上がり続けていた。
二日目、三日目。
相手が誰であろうと、結果は同じだった。
ゴングが鳴り、わたしが軽く手を出し、相手が吹き飛ぶ。
カジノの客たちは、「確実に勝つ」わたしへの賭けに殺到し、わたしの勝利に熱狂し始めていた。
だが、わたしの心はどこか冷めていた。
手応えがない。
熱がない。
このままでは、ただの「作業」だ。
そんなある日の昼下がり。
わたしは「カジノの気取った飯は肌に合わない」と、変装もせずにスラム街の屋台へ足を運んでいた。
喧騒とスパイスの匂い。
こっちの方が性に合う。
「おやじさん、タコス三つ。一番辛いやつで」
わたしが注文して席に着くと、向かいに座っていた無精髭の男が、ニカッと笑いかけてきた。
「お嬢ちゃん、いい身体してるねぇ。……飾りじゃねえ、実戦の筋肉だ」
男は四十代半ばだろうか。
ボサボサの髪に、着古したシャツ。
一見するとただの昼行灯だが、ジョッキを握るその指はごつごつと節くれ立ち、首の太さは常人の倍はある。
「あら、おじ様こそ。その指のタコ……ただの酔っ払いじゃありませんわね?」
「へっ、バレたか。昔取った杵柄さ」
男はゲイルと名乗った。
わたしたちは意気投合し、筋肉談義やトレーニング論で盛り上がった。
彼はわたしが話題の新人「レヴィーネ」であることに気づいているようだったが、あえて言及はしなかった。
「おじさまは何を使うの? 魔法? それとも武器?」
わたしが尋ねると、ゲイルはタコスを頬張りながら肩をすくめた。
「なにも? もっぱら素手喧嘩専門の無手勝流ってやつさ。嬢ちゃんこそ、相当『使う』だろう?」
「あら失敬ね。あそこではまだなにも見せていないわよ?」
「ハハッ! 違いない! いやぁ嬢ちゃんとやった連中には、おっさんが面倒見てる若ぇのもいたんだが、いやはや、ああも簡単に飛ばされちゃったんじゃあ、なんの為に面倒見てるんだか……」
ゲイルは苦笑しながら、ボリボリと後頭部をかいた。
「おじさまの弟子がいたの?」
わたしはここ数日で吹っ飛んでいった対戦相手達を思い出そうとしたが、目の前にいる「本物の使い手」の薫陶を受けているような骨のある闘士は、一人も思い浮かばなかった。
「まぁ弟子ってほどのもんじゃない。誰かに教えるってぇのがどうにも得手じゃないらしくてな。せいぜい簡単にくたばらんようにってくらいのもんだ」
彼は寂しげに笑い、ジョッキを煽った。
その横顔には、自分の技術を継がせることができないまま消費されていく若者たちへの、諦念のようなものが滲んでいた。
そして、その夜。
デカゴンのリングで、わたしたちは再会した。
「……悪いな嬢ちゃん。上の命令でね」
対戦相手として現れたゲイルは、自嘲気味に笑った。
「今日は『粘ってから負ける』のが仕事なんだ。……おっさんは借金持ちの奴隷闘士なんでね」
「……つまらない顔ね。アンタほどの使い手が、そんな鎖に繋がれているなんて」
ゴングが鳴る。
瞬間、空気が変わった。
派手な殴り合いはない。
静かな組み手争い。
わたしが手首を掴めば、ゲイルは重心移動だけで外し、逆にバックを取る。
わたしが足を取りにいけば、ゲイルは回転して逃れ、ネックロックへ。
そこからの展開は、わたしの予測を遥かに超えていた。
ゲイルは狙いを首から肘関節へ、肘から肩へ、肩から手品のように足首を掴まれたと思えば、一瞬にして羽交い締めにされる。
わたしが『シャツを脱ぐように』体を滑らせて拘束を解き、手首を獲って投げれば、途端に下から大木のような両足で首を挟まれる。
わたしが前転しながら抜け出して同じように足を首で狙えば、ゲイルは蛇のように身体をしならせて逃げる。
まるで演舞のような、しかし一歩間違えれば骨が折れる、極限の技術戦。
(すごい……! 力じゃない、魔法でもない! 純粋な『理合い』だけでわたしの身体強化をいなしている! 獣の穴の師範代クラス……いいえ、組み技に関してはそれ以上!?)
「……はぁ、はぁ。楽しいねえ。こんなに熱くなったのは何年ぶりだか」
「ええ。最高のダンスよ」
互いに汗だくになりながら、グラウンドで膠着状態になる。
観客からは「なんだよ地味だなー!」「殴れよ!」と野次が飛ぶが、わたしたちの耳には届いていない。
二人は、ただ目の前の攻防に没頭し、笑い合っていた。
「さて……もっと楽しみたいが客が焦れる。それにおっさんはそろそろ体力の限界なんでね」
ゲイルが小声で囁き、あえて隙を作った。
「……最後は派手に決めてくれよ、悪役さん」
わたしはその意図を汲み、一瞬の寂しさを感じつつも、プロとして応えた。
「――ええ。極上のやつを!」
わたしはバックを取り、出力一割ながらも身体強化フルパワーで彼を持ち上げて身体を後ろに反らせながら『片足を抜いて』角度をつけた。
「投げッ……ぱなしッッ!!!」
ゲイルは美しい弧を描いてマットに沈み、満足げに目を閉じた。




