第052話 衣装制作
「……くっ、くふふ……」
思わず漏れそうになった笑い声を、咳払いで誤魔化す。
わたしはゆっくりと振り返り、恐怖に青ざめた(ように見える迫真の演技の)顔で、ゴルドーを見上げた。
「ほう? やっと素直になる気になったか」
「ええ」
わたしは鉄扇をパチンと閉じ、胸の前で握りしめた。
「私自身が、選手として出ますわ」
「……なんだと?」
ゴルドーの葉巻が、ポロリと床に落ちた。
「そのリングに、私が立つ、と言っているのです。借金も、人質の解放も、すべて私の『腕っぷし』で精算させていただきます」
わたしはガラス越しに、血塗られたデカゴンを指差した。
「ファイトマネーは、そのまま全額私にベットしてくださいな」
「くっ……ははは! 面白い! カジノで見せた腕っぷしに、それほどの自信があるというわけか!」
ゴルドーは腹を抱えて笑った。
愛人か見世物か、という二択を迫った相手が、まさか自ら「見世物」としての最強のポジションを要求してくるとは思わなかったのだろう。
「ふふふ……強者との闘いこそ、私の望むところですわ」
わたしの不敵な笑みに、ゴルドーもまた、底知れぬ欲の光を瞳に宿して笑い返した。
「いいだろう! せいぜい勝ち進んでみるんだな! もし仮に、仮にだが、新参者の女が前座から成り上がったなら、それはそれで地下闘技場に新しい風が吹く!!」
アリスが「やっぱり言い出したー!」と天を仰ぎ、ミリアが「それでこそレヴィーネ様です!」とガッツポーズをする(人質なのに)。
こうして、最強の悪役令嬢の、地下闘技場デビューが決まったのだった。
◆◆◆
ドン・ゴルドーとの交渉(という名の脅迫合戦)を終え、わたしたちは闘技場の奥にある一室――選手用の居室に通されていた。
豪奢な家具が並ぶ広い部屋だが、窓はなく、分厚い鉄扉が外界との繋がりを断っている。
「ここがお前たちの部屋だ。……ボスのお慈悲に感謝するんだな」
案内してきた強面の部下が、ニヤニヤと笑いながらわたしたちを見回した。
「今夜くらいは同室にしてやる。明日の試合でお前が死ねば、残りの二人は慰み者だ。……せいぜい、今生の別れを惜しんでおくんだな」
彼は扉の取っ手に手をかけ、最後に凄んでみせた。
「間違っても逃げられると思うなよ? ここの警備は鉄壁だ。……大人しく運命を受け入れろ」
ガチャン、と重い金属音が響き、鍵がかけられた。
事実上の軟禁状態だ。
普通の令嬢なら、絶望して泣き崩れるところだろう。
だが。
「……ふぅ。やっと静かになりましたわね」
「ですねー。あの顔、絶対後で『ひえぇっ!』って言わせてやりたいです!」
「まあまあミリアちゃん。それより、時間がないよ! さっそく準備しなきゃ!」
部下の足音が遠ざかると同時に、わたしたちは素早く行動を開始した。
泣く? 絶望? ……そんな暇はない。
明日のデビュー戦に向けて、最高の「演出」を準備しなくてはならないのだから。
「さて……。出るからには、準備が必要ね」
わたしは姿見の前で、深紅の戦闘用ドレスの裾をつまんだ。
「あの『デカゴン』のリング……コンクリートのように硬いマットに、金網の壁。このドレスでは、あまりにも場違いだわ」
優雅に舞うには良いが、泥臭い金網デスマッチには不向きだ。
ヒラヒラした装飾は掴まれる隙になるし、何より――
「あの場所には、もっと『殺伐とした華』が必要よ。観客が求めているのは、優雅な令嬢じゃない。……暴れ回る『悪役』だもの」
「ンン~~! その通り! その通りですぞレヴィ氏!」
それまでソファでふんぞり返っていたアリスが、ガバッと起き上がり、眼鏡をクイッと押し上げながら早口でまくし立て始めた。
「この状況、単なる露出では三流! 求められているのは『暴力的な支配者』の記号……すなわち! 黒革! 金属! そして機能美! バイク……じゃなくて魔導二輪車で荒野を爆走するような、煤とオイルの匂いがする『不良』なデザインこそが至高! ンン~~! イメージが沸いてきましたぞ~! 滾りますなぁ!」
アリスは備え付けのメモ帳とペンを取り出すと、ブツブツと呟きながら猛烈な勢いで何かを描き始めた。
その姿は、かつての聖女の面影など微塵もない。
「……アリス、あなたひょっとして……」
「はっ!? あ、えっと!?」
わたしの視線に気づいたアリスが、我に返ったように慌てて咳払いをした。
「そのっ、実は私、昔同人……じゃなくて、ちょっと絵心には自信があるの! あのリングにふさわしい、最強にクールな衣装、私がデザインしてあげる!」
数分後。
アリスが「できたっ!」と掲げたスケッチを見て、わたしは思わず口笛を吹いた。
「……へぇ」
そこに描かれていたのは、貴族的な優雅さをかなぐり捨てた、荒々しくも機能的なスタイルだった。
黒いスポーツブラのようなタンクトップ。
背中は大胆に開いており、わたしの鍛え上げた広背筋と脊柱起立筋を存分に見せつけることができる。
下は黒いデニム地のような丈夫なパンツ。
動きやすいよう太ももにスリットが入っている。
そして入場用の、足首まである黒革のロングコート。
「どうかな? レヴィちゃんの腹筋も、背中の鬼も、これならバッチリ映えるよ!」
「……いいわね。気に入ったわ。採用よ」
わたしはニヤリと笑った。
これなら文句なしだ。
「ただし、一つ注文を追加させてちょうだい。……腕に巻くバンテージのことなんだけど」
わたしは先ほどゴルドーの罠に使われた高級ソファを思い出していた。
「ミリア、ちょっと『交渉』して、『あのソファ』の生地を持ってこれないかしら?」
わたしの意図を察したミリアが、ニカッと笑って敬礼した。
「合点承知です! あの魔封じのベルベットですね? 商売道具にするなら、あいつらも本望でしょう!」
ミリアは通気口にするりと入り込み、数分後には先ほどのVIPルームから、切り刻んだソファの生地を抱えて戻ってきた。
この子、一人でも脱出できるんじゃないかしら。
そこからの彼女は早かった。
携帯裁縫セットを取り出し、目にも止まらぬ速さで針を動かし始める。
「弟たちの服を縫っていましたから、お裁縫は得意なんです! 任せてください!」
貧乏男爵家で培われた生活力という名のサバイバルスキル。
彼女の万能従者っぷりには、毎度のことながら感服する。
「暗闇の間」に保存しておいた魔獣の革などの素材をふんだんに使い、見る見るうちに、アリスのデザインが立体化していく。
数時間後。
わたしは、完成した「戦闘服」に袖を通していた。
革の匂い。
肌に吸い付くようなフィット感。
鏡に映るのは、東の辺境伯令嬢レヴィーネ・ヴィータヴェンではない。
地下闘技場の怪物「北の撲殺令嬢」の姿だ。
大胆に露出した背中と腹部。
そこに浮き上がるのは、ボディビルダーのような肥大化した筋肉ではない。
北の氷獄で極限まで削ぎ落とされ、鍛え上げられた、ミスリル製のワイヤーを束ねたような「圧縮された筋肉」だ。
一見するとしなやかで女性らしいラインを保っているが、その実、密度は常人の数倍。
皮膚の下には、凶器そのものの筋繊維が張り巡らされている。
そして、両腕に巻かれた、魔封じの生地で作られた黒いバンテージ。
「……ふむ。やはり、布一枚程度では完全に遮断できないわね」
わたしは拳を握りしめた。
かつて実家でつけた「封魔の拘束具一式」のような完全な無力化ではない。
体内の魔力回路が泥の中に沈んだように重く、流れが滞っている感覚。
「出力は……せいぜい一割から二割、といったところかしら」
だが、それでいい。
一割でも魔力が通れば、身体強化の「種火」は灯せる。
完全に消すのではなく、ギリギリまで絞ることで、暴走しがちな出力をコントロールし、相手に合わせて「プロレス」をする余裕が生まれるはずだ。
「あっ! 最後にこれを!」
ミリアがわたしの額に、黒いバンダナをキュッと結んだ。
その中央には、金糸で刺繍された『V&C商会』のロゴと、ドーンと描かれた「味」の文字。
「……なにこれ」
「スポンサー契約の証です! 一番目立つ額に広告を載せる……これぞ敏腕商人の基本です!」
……ダサい。
死ぬほどダサい。
だが、この「ダサさ」と「強さ」のミスマッチこそが、わたしたちらしい。
「……フフッ。いいわね、これ」
わたしはバンダナを締め直した。
準備は整った。
あとは本番を待つだけだ。




