第048話 君は誰よりも勇敢な王者だった
窓辺のノアが、泣き笑いのような顔で、ゆっくりと拍手をしていた。
パチ、パチ、パチ……。
その音は小さく、頼りなかったけれど。
わたしにとっては、何万人の大観衆の喝采よりも、尊く、誇らしい音だった。
試合終了のゴングの余韻が消えぬ中、わたしは泥と汗にまみれた体を引きずり、窓辺へと歩み寄った。
窓枠に肘をつき、息を整えながら、ベッドの上のノアと視線を合わせる。
彼の顔色は、透き通るように白かった。
けれど、その瞳には、これまでのどの瞬間よりも力強い、満足げな光が宿っていた。
「……どうだった? わたしの『興行』は」
わたしが問うと、ノアは動かない指先をわずかに震わせ、ふわりと微笑んだ。
「……最高、でした……」
消え入りそうな、けれどはっきりとした声。
「僕も……いま、そこにいました。……姐さんと一緒に、あの場所の中に……立っていた気がします……」
「ええ、いたわよ。あなたの魂が、わたしの背中を押していた。だからわたしは最後まで立って……そして勝てたのよ」
わたしは、泥だらけの手袋を外し、素手でノアの手を握った。
冷たい。
命の火が、燃え尽きようとしている温度。
けれど、怖くはない。
「……レヴィーネ様。……僕、強くなれましたか……?」
「愚問ね」
わたしは即答した。
「死という最強の敵を相手に、最期までリングを降りなかった。……あなたは、わたしが知る限り、誰よりも勇敢な『王者』よ」
ノアの目から、ひとすじの涙が伝い落ちる。
それは悔し涙ではない。
戦士が戦いを終え、安息を得た瞬間の涙だ。
「……よかった……。僕の人生……なにもないなんて、こと……なかった……」
ノアの瞼が、ゆっくりと落ちていく。
呼吸が、間隔を空けていく。
わたしは、彼の手を両手で包み込み、耳元で囁いた。
前世で憧れたスーパースターたちが、リングで戦った親友達を見送る時に必ず言っていた、あの言葉を。
「……いい試合だったわ。ゆっくりお休みなさい」
そして。
「次は、頑丈な体に生まれ変わって、またわたしの戦場に来なさい。……待っているわ」
ノアは、うっすらと目を開け、最期の力を振り絞って笑った。
「……はい。……約束、です……」
ふっ、と。
握りしめていた手から、力が抜けた。
胸の上下動が止まり、静寂が訪れる。
病室には、ミリアやアリス、両親たちのすすり泣く声が響いた。
けれど、わたしは泣かなかった。
戦士の旅立ちに、湿っぽい涙は似合わない。
わたしは彼の安らかな寝顔に向けて、拳を突き出した。
「また会おうぜ、ブラザー」
それは、別れではなく、再戦への誓い。
魂は消えない。
わたしがそうであったように、この世界の教えがそうであるように。
星へ還り、そしてまた巡るのだ。
この世界か、別の世界か、あるいはリングの上か。
いつか必ず、また巡り会えると信じているから。
◆◆◆
ノアの葬儀は、静かに、しかし温かく執り行われた。
彼の棺には、彼が大切にしていた「北の撲殺令嬢」のスクラップブックと、わたしが贈った「ちゃんこ道場」のハチマキが納められた。
そして、数日後。
わたしは、生まれたばかりの弟・ソレンが眠る揺り籠の前にいた。
「……ふあぁ……」
無邪気な欠伸をする弟。
その小さな手足には、これからの未来を掴み取るための無限の可能性が詰まっている。
「……よく聞きなさい、ソレン」
わたしは揺り籠の柵に手を置き、語りかけた。
「この家は、あなたが守りなさい。父様も、母様も、領民たちも。……そのための力は、あなたの中に眠っているわ」
わたしは、自分の胸に手を当てた。
ここには、ノアから受け取った「命の重み」がある。
そして、前世から持ち越した「渇望」がある。
「わたしは、枠には収まらない。辺境伯家という檻も、国というリングも、今のわたしには少し狭すぎるの」
背後で、ドアが開く気配がした。
振り返ると、父ユリスと母イリーザが立っていた。
「……行くんだね、レヴィーネ」
父が寂しげに、けれど理解した瞳で問う。
「ええ。お父様、お母様。……親不孝をお許しください」
わたしは深々と頭を下げた。
「わたしは、世界を見て回ります。この広い世界には、まだまだわたしがへし折らなきゃいけない『理不尽』が、山のようにあるはずですから」
ノアのように、理不尽な運命に泣いている誰かがいるなら。
ケビンのように、歪んだルールで他者を虐げる奴がいるなら。
わたしはそこへ行き、ゴングを鳴らす。
それが、今のわたしの「生きる意味」だ。
「止めはしないわ。……あなたは、嵐のような子だもの」
母が涙ぐみながら、わたしを抱きしめた。
「行ってらっしゃい、レヴィーネ。……いつでも、帰ってきていいのよ」
「はい。……行ってきます!」
◆◆◆
屋敷の門の前。
そこには、見慣れた巨大リュックを背負ったミリアと、旅装束に身を包んだアリスが待っていた。
「お待たせしました、レヴィーネ様! 味噌と醤油の在庫補充も完璧です! ソレン様への『ちゃんこ英才教育』のマニュアルも、使用人の皆さんに叩き込んできました!」
「ふふ、私もついていくよ。レヴィちゃんの行くところ、退屈しなさそうだしね」
ジンは、妹と共にこの地に残ることを選んだ。
「俺はこの地で剣を磨き、いつか姐さんを越える男になります。それまでは、この領地の守りは任せてください」と、頼もしい言葉をくれた。
「……物好きね、あなたたちも」
わたしは苦笑し、愛用の鉄扇を開いた。
空は青く、どこまでも続いている。
「さあ、行きましょうか。……次のリングが、わたしたちを待っているわ!」
わたしは足元の影から『漆黒の玉座』の冷たい感触を感じ取りながら、高らかに宣言した。
「全開で暴れるわよ! ついてきなさい!」
「はいッ!!」
「はーい!!」
最強の悪役令嬢と、愉快な仲間たち。
彼女たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
その拳が、椅子が、そして魂が、世界の理不尽を粉砕し尽くすその日まで――。
悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です。
~第一シーズン・完~
【第6部 帰郷・生命の賛歌編】、これにて完結です。そして、ここまでが第一シーズンとなります。
ノアの戦いを最後まで見届けていただき、ありがとうございました。
次章からは第二シーズン。黄金の都へ舞台を移し、カジノと地下闘技場での借金返済(物理)編が始まります。
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それではまた、次の部でお会いしましょう。
押忍。




