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第045話 残酷な宣告

 ノアと魂の「兄弟(ブラザー)」の契約を交わした翌日。


 わたしの――いいえ、わたしたちチーム・レヴィーネによる、全力のサポートが始まった。


 場所は、ノアの療養所である離れの庭。


 そこには今、香ばしい味噌と出汁の香りが充満している。


「さあ、出来ましたよ! 離れ特設リング、最初の補給物資! 特製『ヴィータヴェン風・滋養強壮ちゃんこ(消化ケアver.)』です!」


 割烹着姿のミリアが、土鍋の蓋を開ける。


 もわっと立ち上る湯気。


 中には、消化に良い鶏団子、くたくたに煮込まれた根菜、そしてたっぷりの豆腐。


 ラノリア王国で数多の虚弱な男たちをマッチョに変え、帝都の親衛隊たちの心を救ってきた、実績ある「魔法のスープ」の改良版だ。


「すごい……。いい匂いです、姐さん、ミリアさん」


 車椅子のノアが、目を輝かせる。


 その横では、アリスが心配そうに、しかし励ますように微笑んでいる。


「ノア君、無理しないでね。でも、これを食べればきっと体力がつくよ」


「ええ。まずは『食う』ことよ、ノア」


 わたしは熱々のスープを椀によそい、彼の前に置いた。


「人間、腹にモノが入らなきゃ戦えないわ。胃袋を動かし、血を巡らせ、細胞の一つ一つに燃料をくべるの。……さあ、食べなさい」


 わたしの理論は完璧だった。


 これまでの経験がそう告げている。


「食べる」ことは「生きる」ことへの渇望。


 それを呼び覚ませば、体は必ず応えてくれるはずだと。


「……はいッ! いただきます!」


 ノアは震える手でスプーンを持ち、スープを口に運んだ。


 一口。


 二口。


 その顔に、パァッと赤みが差す。


「……おいしい。すごく、温かいです……」


「でしょう? ミリアの腕は確かなのよ。全部平らげたら、次は軽めのスクワットよ。筋肉がつけば体温が上がって免疫力も――」


 わたしが明るく言いかけた、その時だった。


 カランッ。


 ノアの手からスプーンが滑り落ちた。


 彼の顔色が、一瞬にして土気色に変わる。


「う、っ……ぷ、ぅ……ッ!!」


 ノアは口元を押さえ、苦しげに身をよじった。


 そして、堪えきれずに、食べたばかりのものを全て吐き戻してしまった。


 吐瀉物には鮮血が混じっている。


「ノア!?」


「ノア君!?」


 わたしとアリスが駆け寄る。


 ノアは呼吸を荒げ、脂汗を流しながら、必死に謝罪の言葉を紡ごうとする。


「ご、ごめんなさい……せっかく、作ってくれたのに……ごめんなさい、姐さん……」


「喋らなくていいわ! アリス、治癒魔法を!」


「や、やってる! でも……魔力の通りが悪いよ!?」


 アリスの手から光が溢れるが、ノアの苦悶の表情は消えない。


 むしろ、魔法の光を受けるたびに、苦しそうに顔を歪める。


 そこへ、屋敷の主治医が血相を変えて走ってきた。


「何を食べさせたのですか!?」


 医師はわたしを一喝し、ノアの脈を取った。


「……消化不良を起こしています。彼の内臓は、もう固形物を受け付けて栄養に変える力すら残っていないのです! 今の彼には、食事という行為そのものが『毒』になりかねない!」


「な……」


 わたしは言葉を失った。


 栄養が、毒?


 食べれば元気になるはずの食事が、生きるための行為が、彼を苦しめた?


「……安静にさせてください。これ以上の負荷は、寿命を縮めるだけです」


 医師に連れられ、ノアはベッドへと運ばれていった。


 去り際、彼は申し訳なさそうに、けれど必死にわたしに手を振った。


 その姿が、胸に突き刺さる。


 残されたのは、冷めかけた鍋と、私たちだけ。


「……そんな。私のちゃんこが……」


 ミリアが鍋のふちを掴み、悔しそうに俯く。


「……ごめんね、レヴィちゃん。私の回復魔法も、なんだか弾かれちゃって。……彼の体、魔力への抵抗力も極端に落ちてるみたい」


 アリスが沈痛な面持ちで告げる。


 物理(栄養)も、魔法(治癒)も、通じない。


 わたしは拳を握りしめた。


 爪が食い込む。


「……まだよ。食事ダメなら、他の方法で――」


 言いかけて、わたしは口をつぐんだ。


 食事すら受け付けない体で、運動などできるはずがない。


 エネルギーがないのにエンジンを回せば、焼き付いて壊れるだけだ。


 その時、庭の向こうから楽しげな声が聞こえてきた。


「兄さん! 見て、走れるよ! こんなに走れる!」


「ああ、すごいぞ! でも転ぶなよ!」


 芝生の上を駆け回っているのは、ジンと一緒にこの地へ静養に来ていた、彼の妹だ。


 彼女もまた不治の病とされていたが、わたしが渡した最高級ポーションと、その後の適切な食事療法(ちゃんこ含む)によって、劇的に回復していた。


 頬は薔薇色に輝き、その足取りは軽い。


 まさに、わたしの「成功例」だ。


 ジンがこちらに気づき、会釈をしてくる。


 妹も、満面の笑みで手を振ってくれた。


 わたしは、引きつった笑顔で手を振り返すことしかできなかった。


(……どうして?)


 同じ病弱な子供。


 同じように手を尽くした。


 なのに、片方は光の中を走り回り、片方は吐瀉物にまみれてベッドに横たわっている。


 これが、「寿命」の差なのか。


 ポーションやちゃんこで埋められるのは「体調」の溝であって、あらかじめ定められた「運命」の溝ではないということなのか。


 その夜。


 わたしは自室で、一人『漆黒の玉座』を磨いていた。


 黒鋼の冷たい感触。


 こいつがあれば、どんな敵も倒せた。


 どんな壁も壊せた。


 魔王級の魔物も、腐った貴族も、世界の管理者さえも、物理でねじ伏せてきた。


 けれど。


「……殴れない」


 わたしはクロスを握りしめ、玉座の座面に額を押し付けた。


 敵がいない。


 ノアを苦しめているのは、誰かの悪意でも、システムでもない。


 ただ、彼自身の生命力が尽きかけているという、自然の摂理。


 殴る相手がいなければ、この最強の鈍器はただの鉄屑だ。


 前世のわたしが一番恐れていた「どうしようもない手詰まり」が、今世の最強の肉体を持ったわたしを、再び嘲笑うように包囲していた。


「……クソッ」


 絞り出した声は、誰にも届くことなく夜の闇に消えた。


 タッグを組んだばかりだというのに、わたしはパートナーとして、彼に何一つしてあげられていない。



 ◆◆◆



 ノアが吐血し、倒れてから数日。


 屋敷の空気は重く沈んでいた。


 弟の誕生を祝う祝賀ムードは表面上続いているものの、離れの周辺だけは音を立てないように静まり返っている。


 わたしは、ノアの主治医から残酷な宣告を受けていた。


「……『魔力過敏症』の末期症状です」


 医師は、苦渋の表情で告げた。


「彼の体は、生まれつき生命力が極端に弱く、それを補うために外部の魔力を過剰に取り込もうとする性質がありました。しかし、今の彼の肉体には、それを受け止める器がありません」


「それは……どういうことですの?」


「強い魔力、高密度の魔導具、あるいは強力な魔法使い……。それらが近くにあるだけで、彼の体は許容量を超えたエネルギーに晒され、内側から崩壊してしまうのです」


 医師の言葉が、氷の刃のように突き刺さる。


 つまり、わたしが良かれと思って使った最高級ポーションも、アリスの強力な治癒魔法も、彼にとっては劇薬だった。


 そして何より――。


「……まさか、わたし自身が?」


「はい。レヴィーネ様。……貴女の魔力は規格外です。そして、貴女が肌身離さず持っているその『鉄塊』……それもまた、恐ろしいほどの魔力を帯びています」


 医師は、わたしの足元の影を指差した。


 そこには、わたしの相棒『漆黒の玉座』が眠っている。


 ドワーフの秘法と、わたしの膨大な魔力を吸い続けてきた、世界最強の魔導武装。


「貴女がそばにいるだけで、彼の命は削られているのです」


「――――ッ」


 わたしは息を呑み、後ずさった。


 最強の矛。


 最強の鎧。


 理不尽な運命をねじ伏せるために鍛え上げ、手に入れた「力」。


 それが今、一番守りたい相手を傷つける「凶器」になっている。


「……でも、昨日は。初めて会った時は、あんなに嬉しそうに……平気そうにしていましたわ」


 すがるように問うわたしに、医師は悲痛な面持ちで首を横に振った。


「憧れの存在である貴女に会えたことの喜びで、少しの間は耐えられていたのでしょう……精神の高揚が、一時的に肉体の限界を超えさせていただけなのです。ですが今はもう……それほどに彼の状態は悪いのです」


 医師は、静かに、けれど決定的な事実を告げた。


「貴女が側にいようといまいと。医師として情けない限りですが……寿命、そうとしか言えないのです……」


「……なんて、こと」


 わたしは震える手で、自身のドレスを掴んだ。


 強くなればなるほど、自由になれると思っていた。


 誰でも守れると思っていた。


 けれど現実は、その強さが仇となり、そして強さではどうにもならない「寿命」という壁が立ちはだかる。


 こんな皮肉な話があるだろうか。


「……わかりました」


 わたしは唇を噛み締め、医師に背を向けた。


「部屋には、入りません。……あの子が苦しむのは、見たくないもの」

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