第034話 人生は計れない
ヴィータヴェン家の馬車は、数ヶ月ぶりに帝都貴族院の正門をくぐった。
かつて、わたしがグレビル伯爵令息の手首をへし折り(未遂)、アランとの決闘で闘技場を破壊し、数々の伝説(と被害)を残した学び舎だ。
懐かしさがこみ上げてくる……と言いたいところだが、車窓から見える光景は、わたしの知るそれとは決定的に異なっていた。
以前のような、貴族特有の華やかさや、若者らしい活気がない。
校庭を行き交う生徒たちは、互いの胸元にあるプレートをチラチラと確認し合い、自分より数値が高い相手には卑屈に道を譲り、低い相手には露骨に肩をぶつけて歩いている。
「……まるで、出来の悪い家畜の品評会ね」
わたしは窓から視線を外し、不愉快そうに吐き捨てた。
隣に座るアリスも、居心地が悪そうに身を縮めている。
「空気が……淀んでる。ラノリアの大聖堂とは違うけど、なんていうか、みんなが何かに怯えてる感じ」
「ええ。自分の価値を他人の決めた『数値』に委ねてしまった人間の末路よ」
馬車が止まる。
わたしが降りようと扉に手をかけた、その時だった。
「――おい、止まれよFランク」
聞き覚えのない、けれど酷く軽薄な声が響いた。
馬車の外で、誰かが御者を威圧しているようだ。
「ここはSランク専用の駐馬場だぜ? お前らみたいな低ステータスが使っていい場所じゃねえんだよ」
わたしは眉をひそめ、勢いよく扉を開け放った。
「……到着早々、騒々しいですわね」
ステップを降り、石畳の上に立つ。
そこにいたのは、親衛隊のみんなから話に聞いていたあの男――転入生ケビンと、その取り巻きたちだった。
彼らは制服をラフに着崩し、胸元には『SSS』や『S』と刻まれた黄金のプレートをこれ見よがしにぶら下げている。
「あ? なんだお前……」
ケビンがわたしを睨みつける。
だが、その視線はすぐに驚愕へと変わり、次いで粘着質な欲望の色を帯びた。
「ッ……! すげぇ……」
彼はわたしの足先から頭のてっぺんまでを舐めるように視姦し、口笛を吹いた。
「マジかよ、こんな極上のが残ってたのか? 『隠しキャラ』か? それともイベントNPC?」
彼が独り言のようにブツブツと呟く。
その態度は、目の前の人間を「対等な存在」として見ていない。
ただのデータの集合体、あるいは攻略対象としてしか認識していない目だ。
「……不愉快ね。人の顔をジロジロと、躾のなっていない猿なのかしら?」
わたしが鉄扇を広げ、口元を隠して冷たく言い放つと、取り巻きの女子生徒たちが色めき立った。
「ちょっと! ケビン様になんて口を利くの!?」
「身の程を知りなさいよ! ケビン様はこの学園の王なのよ!」
キャンキャンと吠える取り巻きたちを手で制し、ケビンはニヤリと笑って一歩前に出た。
「いいってことよ。……へぇ、気が強い系か。悪くないね、そういうの『調教』するの、嫌いじゃないぜ?」
彼はわたしの目の前まで来ると、馴れ馴れしく手を伸ばしてきた。
「俺はケビン。この世界で最強の男だ。……なぁ、俺の女になれよ。そうすりゃ、お前のステータスも底上げしてやるぜ?」
吐き気を催すような台詞。
わたしは彼の手を鉄扇でパチンと払い除けた。
「お断りしますわ。……それに、わたくしの価値を決めるのは、あなたのような三流プレイヤーではありませんの」
「あぁ? ……つれないねぇ」
ケビンは払われた手を大袈裟に振り、そして目を細めた。
「口では強がってても、数値は嘘をつかねぇんだよ。……見せてみろよ、お前の『中身』を」
彼が懐から取り出したのは、薄い水晶の板のような魔道具――「鑑定プレート」だった。
彼はそれをわたしにかざし、勝ち誇ったように叫んだ。
「――スキル発動、『神眼鑑定』ッ!!」
ブォン、と低い音がして、プレートから青白い光が放たれ、わたしをスキャンする。
周囲の生徒たちが固唾を飲んで見守る。
「出ろよ、SSランク! いや、俺の女になるならUR級か!?」
ケビンは興奮した様子でプレートの画面を覗き込んだ。
そこに表示されるはずの、わたしの「数値」を見て、優越感に浸るために。
しかし。
「……あ?」
ケビンの表情が凍りついた。
彼はプレートを叩き、振って、もう一度画面を見た。
「な、なんだこれ……? 『測定不能』……?」
プレートの画面には、数値など表示されていなかった。
代わりに、激しいノイズと、赤く点滅する『ERROR』の文字だけが浮かんでいる。
「おい、どうなってんだ!? 壊れたのか!?」
「ケビン様、どうされましたの?」
取り巻きたちが心配そうに覗き込む中、ケビンは焦ったように何度もスキルを発動しようとする。
「クソッ! 『鑑定』! 『真・鑑定』! 『全知の書』! ……なんでだ、なんで出ねぇんだよ!?」
バチバチッ! とプレートから火花が散る。
わたしの「情報」を読み取ろうとした魔道具が、処理しきれない負荷に悲鳴を上げているのだ。
わたしは呆れたようにため息をつき、一歩、彼に近づいた。
「……無駄よ」
「あ、あぁ!?」
わたしは彼の手にあるプレートを、鉄扇の先端でコン、と叩いた。
「たかが板切れ一枚。そんな薄っぺらい物差しで、わたくしの『人生』が測れると思って?」
「な、なにを……」
わたしの体から、隠しきれない魔力の余波――そして、長年培ってきた純粋な「筋肉の圧力」が滲み出る。
それは数値化できるような単純なものではない。
北の氷獄で積み上げた血と汗。
ラノリアの地下で神殺しを成し遂げた業。
そして何より、二度の人生を背負って立つ、魂の質量。
それらが、ケビンの持つ安っぽい「システム」の容量を、遥かに凌駕していたのだ。
パリンッ……。
乾いた音がした。
ケビンの手の中で、鑑定プレートに亀裂が走り、砕け散ったのだ。
物理的な破壊ではない。
情報の過負荷による自壊だ。
「う、うわぁぁぁッ!?」
ケビンは悲鳴を上げてプレートを取り落とした。
破片が石畳に散らばる。
「あ、ありえねぇ……! 俺の『神眼』が……! バグか!? お前、バグキャラなのか!?」
腰を抜かして後ずさるケビン。
わたしは彼を見下ろし、極上の「悪役スマイル」を浮かべた。
「バグ? ……いいえ。これは『仕様』ですわ」
わたしは鉄扇を広げ、優雅に仰いだ。
「覚えておきなさい、お坊ちゃん。この世には、計算機では弾き出せない『強さ』があるということをね」
「ひ、ひぃッ……!」
ケビンは顔を引きつらせ、這うようにして逃げ出した。
取り巻きたちも、訳がわからないといった顔で、慌てて彼の後を追う。
あとに残されたのは、静まり返った正門前と、呆然とする親衛隊のメンバーたちだけ。
「……ふぅ。やかましい虫でしたわね」
わたしは何事もなかったように振り返り、ミリアたちに声をかけた。
「さあ、行くわよ。……まずは、そのふざけたプレートを捨てさせて、スクワットからやり直しね」
親衛隊のみんなが、涙目で大きく頷く。
その目には、先ほどまでの絶望の色はなく、確かな希望の光が戻っていた。
(さて……宣戦布告は済んだわね)
わたしは学園の校舎を見上げた。
見えない数値の檻。
それを物理で粉砕するデスマッチの、始まりのゴングが鳴った。




