第030話 強制敗北イベント
『――排除プロセス開始。対象:レヴィーネ・ヴィータヴェン』
空間そのものが歪み、無数の「削除コマンド」が黒い刃となって襲いかかる。
物理的な攻撃ではない。
「存在を消去する」という概念的な干渉だ。
さらに、床からは高電圧の魔力が噴出し、天井からは重力魔法が押し寄せる。
個別の魔法ではない。
この建物全体が、巨大な消化器官のようにわたしを呑み込もうとしているのだ。
だが、わたしは「漆黒の玉座」を前に構え、それを盾として突っ込んだ。
ギャリリリリリッ!!
削除コマンドが玉座に接触し、耳障りなノイズを撒き散らす。
しかし、玉座は傷一つ付かない。
『警告。対象オブジェクトの解析不能。……質量、計測限界を超過』
『演算遅延発生。処理しきれません』
「あら、重すぎて計算できない? 無理もないわね」
わたしはニヤリと笑い、玉座を盾にしたまま、ジリジリと、しかし確実に足を前へと進めた。
この椅子には、ドワーフの技術とわたしの魔力だけではない。
北の氷獄「獣の穴」での修行の血と汗と涙、そして――前世からの執念が、何層にも何層にも叩き込まれ、焼き付けられている。
常識でも、非常識でも考えられないほどの「重み」を持ったこの質量を、数百年前で思考停止しているペラペラのデータなんかじゃ、量りきれるわけがない!
ドゴォォン!!
わたしは力任せに空間ごと「削除コマンド」を押し退け、殴り飛ばした。
パリーン、と何かが割れ、概念攻撃が物理的な破片となって砕け散る。
『バカな……。管理者の権限を、物理干渉で無効化しただと……? 修正、修正、修正!』
管理者が狼狽する。
わたしは処理落ちを起こした防衛システムの隙間を縫って、中央のアリスへと肉薄する。
だが、アリスに触れようとした瞬間、世界が白く染まった。
『させるか……! 強制イベント【断罪の光】起動! 回避不可! 防御不可!』
管理者が絶叫する。
「敵が負ける」という結果を先に確定させる、因果律への干渉。
いわゆる「負けイベント」の強制発動だ。
わたしの体が、鉛のように重くなる。
膝が折れそうになり、意識が遠のく。
ギルベルトとミリアも、床に倒れ伏して苦悶の声を上げている。
(……チッ。やっぱり、精神攻撃は不快ね)
わたしは舌打ちをし、自身の腕を強く噛んだ。
ガリッ。
肉の裂ける痛みと、口の中に広がる鉄錆の味が、強制的な眠りに落ちそうになるわたしを「現実」に繋ぎ止める。
(査定! 状態異常:強制敗北!)
(原因:この空間そのものが、奴のルールで支配された「盤面」だから)
(対策:……ルールに従う義理はないわね。だったら――)
「盤面ごと、ひっくり返すだけよ!!」
◆◆◆
わたしは、折れかけた膝にありったけの力を込め、無理やり立ち上がった。
そして、足元の床――この空間を構成している「支配の基盤」の継ぎ目、いや、この大聖堂という巨大な装置の「構造的急所」に狙いを定めた。
「ぬぅん……ッ!!」
わたしは「玉座」の脚を、床のパネルの隙間に深々と突き立てた。
単に床を剥がすのではない。
わたしの魔力を「玉座」を通して流し込み、この大聖堂全体の魔力回路の「喉元」を詰まらせ、「重心」を掌握するのだ。
「うぉおおおおおおッ!!!」
筋肉が悲鳴を上げる。
骨がきしむ。
ミシミシと、不吉な音が建物全体から響き渡る。
『な、何を……!? やめろ、基盤に物理干渉するな! 建物の構造維持ができなくなる! エラー! エラー!』
管理者の悲鳴が心地よい。
わたしは全身全霊の力を込め、叫んだ。
「浮けぇぇぇぇぇッ!!!」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォッ!!!
地鳴りのような轟音と共に、部屋の床がめくれ上がった。
いや、違う。
床だけではない。
この地下空間を支えていた「魔力的な支柱」がへし折れ、大聖堂の基礎部分が物理的に傾いたのだ。
物理的な「ちゃぶ台返し」。
足場が崩れ、サーバーが倒れ、空間を構成していたデータケーブルが物理的に寸断される。
上層からは、ちゃんこ道場門下生たちが撤収した後の無人の大聖堂が崩落する音が聞こえる。
「浮いた、わね?」
どんな巨大な構造体であれ、重心を支配してしまえば関係ない。
あとはこの「重心」を完膚なきまでに破壊すればいいだけだ。
ただ殴って粉微塵にするだけではない。
大聖堂に張り巡らされたネットワークの「コア」を、物理的にも魔力的にも破壊するのだ。
そのためには――少しばかり、「深淵」を覗かせる必要がある。
わたしは、背後で床にしがみついている二人を振り返った。
ギルベルトは精神干渉の負荷と、今の衝撃で目を回して動けなくなっている。
ミリアは必死に彼を支えていた。
「ミリア! ギルを連れて退がりなさい! 『影』の道を開けるわ!」
わたしが足元を踏み鳴らすと、二人の近くの影が広がり、安全圏へと続く黒い穴が開いた。
「そんな! 最後までお供しますレヴィーネ様!! 私は、貴女の勇姿をこの目に焼き付けたいんです!」
ミリアが叫ぶ。
彼女の瞳は真剣だ。
どんな地獄でもついてくる覚悟がある。
けれど、だからこそ、これ以上は見せられない。
これからわたしが使うのは、闇魔法使い以外には決して見せられない、見せてはいけない「奥義」に近いものだ。
かつて、オルガ先生が見せた「夜を統べる」力。
その深淵に触れた時、わたし自身が根源的な恐怖を感じたように、生半可な覚悟で覗けば、ミリアやギルの精神に深い傷を負わせてしまうかもしれない。
「聞き分けなさい、ミリア」
わたしは口角を吊り上げ、悪戯っぽく、しかし絶対的な拒絶を込めて告げた。
「ここから先は――『有料興行』よ」
その言葉に、ミリアがハッと息を呑んだ。
彼女は「信者」だ。
その言葉の意味――「ここからは選ばれた者、あるいは対価を支払った者しか立ち入れない領域である」ということを、瞬時に理解したのだ。
そして、今の自分にはまだ、その対価(実力と覚悟)が足りていないことも。
ミリアは唇を噛み締め、そして力強く頷いた。
「……わかりました! 行きますよ、ギルさん!!」
「う、うぐ……?」
ミリアはまだふらついているギルベルトのベルトを掴むと、農作業で培った足腰と体幹を使って、米俵のように軽々と肩に担ぎ上げた。
「どっこいしょォッ!」
そのまま迷うことなく、わたしが開いた影の穴へと飛び込む。
ズブブ、と二人が影の中へと沈んでいく。
「必ず! 必ず帰ってきてくださいね、レヴィーネ様!!」
最後にミリアの叫びが響き、二人の気配は影の彼方――地上へと遠ざかっていった。
「……ふぅ。手のかかる弟子たちだこと」
わたしは一人残された崩壊寸前の地下空間で、息を吐いた。
これで、観客はいなくなった。
わたしは視線を、正面の「敵」――アリスを縛り付け、この世界を管理しようとした傲慢な管理者へと戻した。
『エラー、エラー! 構造崩壊カクニン。シュウフク不能。……ナゼだ? ナゼ、物理デ、概念ヲ壊セル?』
管理者が狼狽している。
計算外の事象に処理が追いついていない。
「教えてあげるわよ。……ここが『現実』だからよ」
わたしは「漆黒の玉座」を構え直し、丹田の奥底、そのさらに奥にある扉を開いた。
これまで手加減のために閉ざしていた、影魔法の深淵。
オルガ先生が見せた「夜」にはまだ届かない。
けれど、この空間を塗りつぶすくらいなら造作もない。
ドォン……。
わたしの足元から、重く、粘着質な闇が爆発的に広がった。
『検知……高密度魔力反応。……コレハ、闇?』
「この管理室から、大聖堂全体に張り巡らされたネットワーク。……便利ね。おかげで『道』には困らないわ」
わたしは意識を拡張させる。
床下のケーブル、壁の中の回路、天井裏の配管。
光あるところに影があるように、構造物あるところに闇はある。
魔力を流し込み、わたしの感覚を大聖堂の隅々まで行き渡らせる。
そこにも、ここにも、どこにでも、「わたし」は存在する。
「捕まえた」
わたしはニヤリと笑い、握り拳を作った。
同時、意識下にある無数の「手」が、大聖堂という巨人の血管を、神経を、筋肉もどきのケーブルを、一斉に鷲掴みにした。




