第024話 草しか出ない食堂
早朝の地獄のトレーニングを終え、シャワー(水魔法による洗浄)を終えた後。
わたしとギルベルト、そしてミリアは、学園の食堂「白の回廊」にいた。
白亜の柱に囲まれた美しいテラス。
給仕の生徒が運んできたのは、ラノリア貴族が「洗練された朝食」と呼ぶ代物だった。
朝露に濡れただけの味気ないハーブと葉物野菜のサラダ。
白くてふわふわしているが、噛みごたえもなければ腹にもたまらない白パン。
そして、香りはいいが具材がほとんどなく、汗をかいた体には決定的に塩分の足りない野菜スープ。
「……喧嘩を売っているのかしら?」
わたしは目の前の皿を見下ろし、こめかみに青筋を浮かべた。
極限まで酷使した筋繊維が、修復のための建材を求めて泣き叫んでいる。
今のわたしの身体が欲しているのは、こんなスカスカの草や空気ではない。
もっと濃密で、強靭な「命」だ。
「あ、あの、姐さん……。この国の貴族は、あまり暴飲暴食をせず、魔力効率の良い食事を摂るのが美徳とされていて……」
ギルベルトが申し訳なさそうに言う。
「お黙りなさい、ギル。これは食事ではありません。ただの『摂取』です」
わたしはテーブルをコン、と指で叩いた。
天板に亀裂が入る。
「『獣の穴』の教え、そしてわたしの信条を言います。――『魔獣より強くなりたければ、魔獣を倒し、魔獣を喰らえ』」
「く、喰らう……?」
「ええ。強い命を体に取り込み、己の血肉へと変換する。それこそが『食事』という聖なる儀式。……こんな、生きているのか死んでいるのかわからないような料理で、最強の肉体が作れると思って!?」
わたしは立ち上がり、足元の影に手を突っ込んだ。
取り出すのは、帝国から持ち込んだ魔導コンロと調味料セット。
そして――狩りで仕留め、解体して血抜きし、熟成させておいた「ギガント・ボアの巨大な骨付き腿肉」だ。
ドズンッ!!
優雅なテーブルの上に、圧倒的な質量の「肉」が鎮座する。
赤身と脂身のバランスが美しい、極上のジビエだ。
周囲の生徒たちが「ヒッ」「な、何だあれは!?」とざわめく。
「さあ、調理開始よ!」
わたしは鉄扇を広げ、肉を豪快に、しかし繊維を傷つけないよう繊細に切り分ける。
コンロに火をつけ、分厚い鉄板を熱する。
「そのまま焼いてはいけませんレヴィーネ様!!」
ミリアが横から割って入った。
彼女の手には、いつの間にかナイフと、市場で仕入れた香草が握られている。
「このボア肉は筋繊維が太いんです。隠し包丁を入れて、さらにこの現地の香草で臭みを消しつつ風味をつけないと、せっかくのお肉がもったいないです!!」
「あら、わかっているじゃない。任せるわミリア!」
「はいッ!」
ミリアの手際よい下処理を経て、肉が鉄板に踊る。
ジュゥゥゥゥゥゥ……ッ!!
脂の弾ける音。
メイラード反応によって生まれる、暴力的なまでに食欲をそそる香ばしい匂い。
仕上げに、特製スパイスと岩塩を指先で粒子状に擦り潰しながら振りかけ、柑橘を皮ごと握りつぶして一滴残らず果汁を搾りかける。
ジャァァァッ!!
爆発的な香気が立ち上る。
それは、サラダに載せられたハーブの香りがうっすらレベルで漂う質素な食堂を、一瞬にして「戦場」へと変貌させた。
「う、うわぁ……すごい、すごい匂いだ……」
ギルベルトが喉を鳴らす。
本能が、筋肉が、失われた栄養を求めているのだ。
周囲の生徒たちも、ハンカチで鼻を覆いながらも、その目は肉に釘付けになっている。
「はい、ギル。あなたの分よ」
わたしは山盛りのステーキを、ギルベルトの前にドンと置いた。
焼き加減はミディアム・レア。
噛み締めれば肉汁が溢れ出す、最高の状態だ。
「い、いただきます!」
ギルベルトが肉にかぶりつく。
上品なマナーなど忘れて、獣のように喰らう。
「う、うまい……ッ!! 噛めば噛むほど、力が湧いてくるようだ!」
「おいひいれす!! れふぃーねさま!!」
「でしょう? それが『命』の味よ。ミリア、食べるか喋るかどっちかになさい」
わたしも自らの皿に向き合い、ナイフを入れた。
口へと運ぶ。
……美味しい。
野性味あふれる肉の旨味。
それを引き立てるスパイシーな果汁ソースと岩塩の塩気。
枯渇していた身体の隅々にまで、エネルギーが行き渡る感覚。
「ギル、このボア肉に含まれる良質なタンパク質と、わたしの特製スパイスには筋繊維の修復速度を通常の十倍に高める効果があるわ。鍛えて食べた分だけ強くなるわよ」
「じゅ、十倍!? だから姐さんはそんなに……」
「これが、わたしの求めていた『正解』の食事よ!」
わたしは恍惚とした表情で、その場で握りつぶしたグレープフルーツジュースを煽った。
食事とは、身体との対話だ。
周りからは「なんて野蛮な……」という非難の声が聞こえてくるが、知ったことではない。
今、わたしの筋肉は喜んでいる。
「あ、あの……」
ふと、後ろから声をかけられた。
振り返ると、青白い顔をした男子生徒が一人、フラフラと立っていた。
「そ、その……いい匂いがして……。ひとかけら、恵んではいただけないでしょうか……?」
そう、弱々しく哀願される。
査定するまでもない。
魔力切れと極度の栄養失調の傾向が見られた。
「あいつ、あんな野蛮人に物乞いしているぞ?」
「魔力が弱いやつは、ああして誰かに縋るしかないんだろうな!」
「違いない!」
あからさまな嘲笑と罵倒を、わたしの耳が拾った。
人が集まる場所ならば、どこにでも差別やいじめはある――彼はこの学園でそうした仕打ちを受けている生徒なのだろう。
それでも、ここまで酷い健康状態のまま放置されているとは……おそらく、虚無・草・葉っぱ・お湯という「洗練された朝食」すらも満足に与えられていない。
そうした嫌がらせをされているのだろう。
それでも学園に在籍し続けているの、やはり彼の頭を取り巻いている「黒いモヤ」が原因か。
(命に関わりそうな衰弱状態でも、縛りつけられている、ということね……)
わたしは淑女の笑みを浮かべて、焼けたばかりの肉を一切れフォークに刺して差し出した。
「お食べなさい。これは『施し』ではありません。わたしの食事に興味を持ってくれた方へのお礼です」
男子生徒が涙をこぼしながら肉を口にする。
その瞬間、彼の瞳に生気が宿った。
「う、うまぁぁぁいッ!!」
見る間に血色がよくなり、魔力切れまで回復したようだ。
特製スパイスを使った魔獣肉ステーキは、食べ慣れている身からするとそう大したものではないのだが、これじゃ劇薬みたいじゃないのよ。
大丈夫かしら。
目と口から光線でも出さんばかりの彼を見て、わたしはふと思いつきを口にした。
「対価として、食後に屈伸五十回。……食べた分は、動いて血肉に変えなさい? よくって?」
「はいッ!!! うぉお!! うまいぃいいいッ!!!」
その日から、学園の食堂には肉を求めて屈伸をする生徒たちの行列ができた。
物理による「教育」が、食と鍛錬の両輪を回し始めた。
◆◆◆
食堂での一幕の効果は劇的だった。
最初にステーキを食べた彼からは完全に黒いモヤが消え失せた。
今も元気に鍛錬に励んでいる。
同じように、肉を食らい、鍛錬に励む生徒たちからは、洗脳の証である黒いモヤが霧散し、代わりに瞳の中に精悍な光が宿り始めたのだ。
だが、ここで致命的な問題が発生した。
このままでは肉が、足りなくなる。
さすがに食堂をステーキハウスにして占拠し続けるわけにもいかず、今では活動拠点としている旧校舎の裏庭に場所を移したものの、噂を聞きつけた男子生徒たちが日増しに増えている。
彼ら全員に、毎日ステーキや焼肉を振る舞うには、わたしが「暗闇の間」に蓄えていた肉だけでは限界があった。
それに、脂と肉の精気だけでは栄養バランスも偏る。
夕暮れの裏庭。
わたしは腕を組み、沈みゆく太陽を見つめていた。
(……このままでは、兵站が尽きるわね)
特製スパイスはともかく、魔獣肉には限りがある。
魔獣狩りにでも行きたいところだが、さすがに他国で自由狩猟というわけにもいかないし、なるべくこの拠点を離れたくない。
彼らは今、筋肉という名の自我を取り戻しかけているのだ。
ここで経過観察を怠れば、また洗脳に飲み込まれてしまうかもしれない。
劇薬レベルの魔獣肉ステーキとまではいかずとも、魂と筋肉に強く働きかける『食事』が必要なのだ。
どうすればいい?
安価で、大量で、栄養満点で、しかも士気を高める食事。
そんな都合の良いものが、この世にあるのだろうか?
風が吹いた。
ふと、前世の記憶が脳裏によみがえった。
何度も繰り返し観た映像。
血と汗と涙の染み込んだ道場。
湯気の向こうに見える、屈強な男たちの笑顔。
大事なことは、いつだってプロレスが教えてくれたじゃないか。
そうだ。
大人数でも一度に食べられて。
肉も野菜もたっぷり摂れて。
一つの鍋を囲むことで、チームの結束力まで高められる魔法の料理。
頭の中に、どこか懐かしい、軽やかなBGMが流れた気がした。
(――そうだ、ちゃんこ、作ろう)




