第016話 いじめ、ダメ絶対
アラン・バーンズとの決闘――の皮を被った一方的な蹂躙劇――から数ヶ月が過ぎた。
わたしの学院生活は、非常に快適なものとなっていた。
廊下を歩けば、まるで前世でいう『モーセの十戒』のアレのように人垣が左右に割れる。
食堂に行けば、どんなに混雑していても、わたしが近づくだけで特等席が自然と空く。
「……あら、ごきげんよう」
わたしが優雅に微笑みかけると、令嬢たちは「ヒィッ!」と小さな悲鳴を上げて気絶し、令息たちは青ざめた顔で視線を逸らす。
(フフフ、これよこれ。この『腫れ物扱い』。最高の気分だわ!)
前世の記憶にある、リング上の悪役レスラーたちが味わっていた快感は、まさにこれだろう。
誰にも媚びず、己の力のみを恃み、周囲を恐怖で支配する。
七年間の修行が報われた瞬間だ。
しかし、そんな快適なヒール・ライフを送る中で、どうしても見過ごせない光景が目につくようになってきた。
◆◆◆
ある日の放課後。
人気のない中庭の片隅から、押し殺したような嗚咽と、下卑た嘲笑が聞こえてきた。
「おい、泣くなよ田舎者。ちょっと教科書を『整理』してやっただけだろう?」
「ははっ、その薄汚い髪には泥がお似合いだよ」
覗いてみると、三年次の男子生徒数人が、一人の女子生徒を取り囲んでいた。
彼女は地方の男爵家の子女、ミリア・コーンフィールド嬢だ。
成績優秀な特待生だが、その地味な容姿と気の弱さから、格好のいじめの標的にされているようだった。
泥まみれの教科書を抱きしめ、震えているミリア。
男子生徒たちの目には、濁った光が宿っていた。
反吐が出る。
強い者が弱い者を一方的にいたぶるなど、三流の悪役のすることだ。
わたしの目指す『最強の悪役』の美学に反する。
わたしはわざとらしく大きな足音を立て、彼らの間を割るように歩いていった。
「……あら、ごめんあそばせ。道が狭くて」
わたしが二人の男子生徒の間を無理やり通り抜けると、彼らは弾かれたようによろめいた。
「なっ、なんだ貴様!? 邪魔するな!!」
リーダー格の男が激昂し、反射的にわたしに向かって拳を振り上げた。
(――よし、来た)
その瞬間、わたしの脳内時間は極限まで加速し、冷静な査定が始まった。
(先手判定よし! 向こうが先に手を出した!)
(正当防衛確認よし! これで心置きなく反撃できる!)
(相手の戦力分析……身体強化なし! 鎧なし! 結界なし!)
(魔力耐性……低ッ!? なぁんでこんなのが貴族院にいるのよ!?)
コンマ数秒の間に、わたしは彼らの耐久力を完全に見切った。
こんな相手に『漆黒の玉座』など使おうものなら、文字通り消し飛んでしまう。
通常の魔力で構成した贋作のパイプ椅子でも危険だ。
(武装選択! 『ハリセン』レベルのパイプ椅子でよし!!)
わたしは最小限の魔力を練り上げ、手の中に軽量化された『魔力構成のパイプ椅子』を生成した。
スパァンッ!!
乾いた音が響き渡った。
わたしの振るった椅子が、男の振り上げた拳ごと、その顔面を引っぱたいたのだ。
「ぶべっ!?」
男はきりもみ回転しながら吹き飛び、植え込みに突っ込んだ。
ダメージは大きくない。
脳震盪を起こして気絶した程度だ。
完璧な力加減。
「ひぃっ!?」
残りの取り巻きたちが腰を抜かす。
「さあ、消えなさい。……それとも、皆さま方のお相手もいたしましょうか?」
わたしが贋作の椅子を肩に担いで凄むと、彼らは悲鳴を上げて、気絶したリーダーを引きずって逃げ出した。
残されたのは、わたしと、へたり込んだままのミリアだけだ。
「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございます……!」
ミリアが震える声で礼を言う。
わたしは彼女を一瞥し、フンと鼻を鳴らした。
「勘違いしないでちょうだい。あなたを助けたわけじゃないわ」
わたしは贋作の椅子を霧散させ、冷たく言い放つ。
「弱者がメソメソしている姿を見るのが、生理的に不快だっただけよ。……悔しかったら、強くなりなさい。自分の身くらい、自分で守れるようにね」
そう言い捨てて、わたしは踵を返した。
ヒールたるもの、感謝の言葉など受け取ってはならない。
突き放し、孤高を貫くのが流儀だ。
だが。
「……あのッ! ヴィータヴェン様!」
背後から、ミリアの強い声が聞こえた。
振り返ると、彼女は涙を拭い、真っ直ぐな瞳でわたしを見ていた。
震える手で、泥だらけの教科書をぎゅっと胸に抱きしめている。
「わ、私、成績だけは誰にも負けないようにって、それだけを支えに頑張ってきました。でも、それだけじゃ、自分の身ひとつ守れないんだって、今日思い知りました」
「……あら、殊勝な心がけね」
「だから、強くなります……! 私も、あなたのように、誰にも媚びず、自分の足で立てるように……!」
その瞳には、恐怖ではなく、純粋な憧憬の光が宿っていた。
わたしは一瞬、虚を突かれたように目を瞬かせた。
(……へえ。意外と根性あるじゃない)
「言っておくけれど、わたしは何も教えないわよ。強さは誰かに与えてもらうものじゃない、自分で掴み取るものだもの」
「は、はい! 分かっています! ですから、その……遠くから、見ていてもよろしいでしょうか……?」
妙な申し出だ。
だが、悪い気はしなかった。
わたしはニヤリと笑い、背中越しに手を振った。
「……勝手にすれば?」
その日を境に、ミリアはわたしの行く先々に姿を見せるようになった。
陰からこっそりと、しかし熱烈な視線でこちらの活躍を見守る「信者第一号」の誕生だった。
◆◆◆
その後、似たようなことが二度、三度と続いた。
図書室で、裏庭で、あるいは廊下の隅で。
わたしは下位貴族や地方貴族出身のもの、あるいは平民出身の特待生などが、中央の高位貴族子弟によって理不尽に虐げられている場に遭遇すれば、迷うことなく介入した。
そのたびに、わたしの脳内では高速の安全確認が行われる。
(正当防衛よし! 耐久力Dマイナス! 『プラスチックバット』級パイプ椅子で!)
(先手確認よし! 身体強化微弱あり! 『木刀』級パイプ椅子で!)
「チェア!」
それぞれのパターンで魔力で形成された命具たるパイプ椅子を顕現させる。
そして手加減をしても確実に相手の身体を「く」の字に折れさせる、前蹴り――『獣の穴』直伝の超速かつ強力無比な腹砕きを打ち込み、前屈みになった背中にパイプ椅子を一撃。
そして、衝撃に膝立ちに崩れて、ガラ空きになった脳天へ、トドメの「躾」を振り下ろす。
ズドォン!! ドパァアアン!!! バコォオオン!!!
決着は早い。
打ち込んだパイプ椅子の座面を頭が貫通し、座面が宙に舞えば、パイプ椅子の残骸を悪趣味なネックレスのようにぶら下げた敗者の出来上がりだ。
そうして数人を殴打し、観察した結果、わたしの見立ては確信へと変わった。
パイプ椅子を脳天に受けた貴族子弟――つまりは常軌を逸した横暴を行っていた連中は、もれなく頭部を粘着質な黒いモヤに覆われていたのだ。
これは影魔法・闇魔法の使い手である、わたしにしか視認できていないもののようで、闇の魔力の残滓――それも悪趣味な洗脳魔法の痕跡だった。
そのことに気づいたものの、生憎と光魔法の解呪や浄化などできないわたしは、自分の闇の魔力を命具に流し込み、黒いモヤが押し出されるまで殴り続けることにした。
「チェア! チェア! チェア!!」
バコォオオン!!! バコォオオン!!! バコォオオン!!!
パイプ椅子を連続で顕現させては、闇の魔力をこめて脳天に叩きつける。
大体は三発も直撃させれば、黒いモヤは霧散した。
手加減と引き換えに回数が増えるのは致し方がない。
ただ代償として悪趣味なネックレスを三重にかけた敗北者が転がることになったし、わたしは平気でオーバーキルをやらかす悪役令嬢として、さらに孤高の存在となってしまったけれど。
まぁそれはいい。
(……これは、ただのくだらない子供のプライド争いではないわね)
わたしは自室のソファに深く沈み込み、これまでの『症例』を分析していた。
何者かが意図的に、地方と中央、上位と下位、貴族と平民との間の分断を狙っているのだ。
この洗脳魔法は、対象の思考を完全に塗り替えるような高度なものではない。
元からある『小さな差別心』や『増長』といった負の感情に、一定の方向性を持たせて誘導し、増幅させているだけだ。
「……まったく。こんなことをするバカがいるから、闇魔法は偏見を受けるのだわ」
わたしは吐き捨てるように呟いた。
同じ闇魔法の使い手として、このような搦め手で、しかも術者の品性が疑われるような使い方をされていることに、強いプロ意識の毀損を感じる。
これは、悪役としてのわたしの美学に対する、明確な挑戦状だった。
「いいでしょう。姿の見えない陰湿な脚本家さん。……貴方の撒いた種は、この『北の撲殺令嬢』が、根こそぎ刈り取って差し上げますわ」
わたしは影の中に「相棒」の冷たい感触を確かめ、静かに闘志を燃やした。




